配信日時 2021/12/01 20:00

【海軍戦略500年史(29)】新たな日米関係 堂下哲郎(元海将)

こんにちは。エンリケです。

『海軍戦略500年史』の二十九回目です。

<アメリカは門戸開放を主張して満州進出を強めた
ので、満州をめぐって日露両国がアメリカと対立す
る形となってゆく>

という視座は歴史研究がもたらすエキスの一つで
すね。重要です。

さっそくどうぞ

エンリケ


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海軍戦略500年史(29)

新たな日米関係

堂下哲郎(元海将)

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□はじめに

 日露戦争に勝利し、ローズヴェルト大統領の仲介
で講和条約が締結され、日本も列強の一角を占める
ことになりました。日米の友好関係と日英同盟が合
わさって強固な日米英関係ができあがります。日本
とロシアは満州の権益を分け合う形で関係が好転し
ますが、今度は満州への進出を狙うアメリカと日露
両国が対立する形になってゆきます。

 アメリカ国内でも対日世論は悪化します。日本移
民の問題や日本が非白人の一等国として出現したこ
とが脅威とみられるようになったのです。アメリカ
は対日戦争計画であるオレンジ計画を立案し、グレ
ート・ホワイト・フリートを派遣し典型的な砲艦外
交を展開します。


▼新たな日米関係のはじまり

 日本は日露戦争の結果として、東アジアで権益を
拡大してきた英仏独露といった欧州列強に新興勢力
として仲間入りすることになった。

 日米関係も新たな段階に入った。ローズヴェルト
大統領は、中国における門戸開放とアメリカの勢力
圏さえ尊重されれば、日本が自前の勢力圏を築くこ
とは問題ないと考えていた。アメリカ自身が中南米
を勢力圏に組み込んでいる以上、日本が東アジアで
勢力の拡大を目指すことは受け入れられるというわ
けだ。日米は、韓国における日本の優越的な支配権
とフィリピンにおけるアメリカの統治を相互に承認
する「桂・タフト覚書」に合意し(1905年)、同年
の第二次日英同盟成立により、極東における日英米
の堅固な関係ができた。

▼友好から対立へ

その一方で、中国進出に出遅れていた日米のうち日
本が先に満州の利権を獲得したため、アメリカは門
戸開放を求めて満州の鉄道路線を国際管理下(中立
化)に置いて中国に参入することを構想する。

同じ頃、中国大陸進出を狙っていたアメリカの鉄道
王ハリマンは日本が獲得した南満州鉄道の共同経営
を申し出て、桂首相と予備協定を結んだ(桂=ハリ
マン協定、1905年)。世界一周鉄道建設の野望を持
っていたハリマンは、アメリカが共同経営に参加す
ればロシアの復讐戦を抑止できるなどと説得したの
だ。これに対しポーツマス講和会議から帰国した小
村は、苦労して獲得した利権が損なわれることに反
対し、アメリカとの協定を破棄してしまう(1906年)。

 日露両国は、講和直後こそお互いに再戦を警戒し
ていたが、戦争と革命で疲弊したロシアはフランス
資本に従属する形となって英仏連合の側につかざる
を得なくなった。さらに日本と北部満州の権益を維
持するためには日本との協調が必要となり、日露協
約(1907年)で北満州をロシア、南満州を日本とし
てそれぞれ権益を分け合うことに合意し、日露関係
はむしろ好転していた。

日本は南満州鉄道株式会社(満鉄)を設立して南満
州鉄道の経営および鉄道付属地での行政などを行な
ったが、これは東インド会社などの植民会社になら
った国策会社であった。ちなみに鉄道付属地の守備
をしていた関東都督(ととく)府陸軍部がのちの関
東軍だ。一方のアメリカは門戸開放を主張して満州
進出を強めたので、満州をめぐって日露両国がアメ
リカと対立する形となってゆく。

 このような状況を反映して、アメリカ国内の対日
世論も変化する。一般のアメリカ人は、急増する日
本移民への反発を強めていたが、当時盛んだった黄
禍論も手伝って、日露戦争の勝利で出現した非白人
の一等国日本を脅威と見るようになったのだ。

サンフランシスコ学童隔離事件(1906年)は、日本
人学童が公立学校から排除されたことで起きた騒動
だったが、地元新聞の煽動も手伝って日本移民排斥
運動へ発展した。日本政府としても、不平等条約に
始まる近代化の歴史があるため、一等国になった国
民意識を背景に日本人移民に対する差別は到底看過
できるものではなく強く抗議した。事態を重視した
ローズヴェルト大統領が収拾に乗り出し、「日米紳
士協定」(1907~08年)で一応の沈静化が図られた。

▼対日戦争計画─オレンジ計画

この頃の日米関係の緊張を背景として、アメリカは
対日戦争計画であるオレンジ計画(War Plan Orange)
を策定した。計画は、西太平洋における日本の奇襲
と攻勢、消耗戦とアメリカ軍の反攻、日本封鎖とい
う3段階からなる概念レベルのものだったが、太平
洋戦争までの対日戦略策定の前提であり続けた。

 この計画では、日本の攻撃に対するフィリピンと
グアムの防衛がポイントとなるが、米本土から7,00
0マイル、ハワイからでも5,000マイルも離れており、
1,500マイルしか離れていない日本の先制攻撃を防
ぐのは不可能と考えられた。また、第2段階以降は
戦域が広大となることから、国家総力戦にならざる
を得ず、距離の克服と兵站支援がカギとなることが
予測されたため、アメリカはその解決のための研究
を続けることになる。

▼グレート・ホワイト・フリートによる砲艦外交

 1907年、日米関係をさらに緊張させる出来事が起
きる。ローズヴェルト大統領が、周囲の反対を押し
切って戦艦16隻からなる「グレート・ホワイト・フ
リート」を14カ月間にも及ぶ世界周航(1907~09年)
に出発させたのだ。これは、国内的には西海岸の米
国民に対する海軍力の誇示と海軍拡張に向けた米世
論の喚起を狙い、対外的には日本に対する威圧と世
界に対しての国威の発揚を目的とするもので、典型
的な砲艦外交だった。

また軍事的には、主力艦隊を大西洋から太平洋に移
動させる検証と長距離航海で疲労したロシアのバル
チック艦隊が日本海海戦で完敗したことから、オレ
ンジ計画で想定される渡洋作戦の演習も目的として
いた。

 艦隊は急遽整備して間に合わせた戦艦16隻で編成
し、アメリカ海軍には石炭補給船が8隻しかなかっ
たので、49隻もの外国商船を傭船して世界中の寄港
地に配置して燃料炭の補給を行なった。また、スパ
イ対策が不十分との批判を受けないよう日本人のコ
ックなどは出発前に退艦させられた。東海岸を出発
した艦隊は、パナマ運河が建設中だったためマゼラ
ン海峡を回ってハワイ、ニュージーランド、オース
トラリア、日本、清国、フィリピンなどを経てイン
ド洋に入り、スエズ運河を抜けジブラルタルに寄港
して帰国した。

その頃の日米関係は緊迫の度を増していた。日本移
民排斥運動が激化した際、ローズヴェルトが在フィ
リピン米軍司令官に日本軍に対する防衛準備命令を
出すという騒ぎが起きたり(1907年)、各国のマス
コミが日米戦争の可能性を無責任に書き立てたりし
たのだ。

このため日本政府は来航するアメリカ艦隊に威圧さ
れたと見られることを避けるため、あえて訪日要請
という形をとるとともに、積極的に歓迎して友好ム
ードを盛り上げて乗り切ることにした。米艦隊16隻
は「三笠」ほか同数の日本艦隊とともに横浜沖に投
錨し(1908年)、東京や横浜での熱烈な歓迎を受け、
その報告を受けた大統領も満足し険悪だった日米関
係も修復へ向かった。

こうした歓迎の一方で、日本は前年に策定した帝国
国防方針でアメリカを第一の仮想敵国にしていたこ
ともあり、横浜沖には旧式艦や戦利艦を並べて歓迎
する一方、それ以外の艦艇は外洋で臨戦態勢をとら
せて「明治41年海軍大演習」を実施していたのだ。

緊張した日米関係は、前述の「日米紳士協定」とそ
れに続く「高平・ルート協定」(1908年)で太平洋
の現状維持、清国の領土保全と機会均等を確約した
ため、日米は協調路線に戻ることになった。


(つづく)
 
 
【主要参考資料】

田所昌幸、阿川尚之編
『海洋国家としてのアメリカ』
(千倉書房、2013年)

田中航「グレート・ホワイト・フリートの世界周航」
『世界の艦船』(海人社、1984年6月号)

『「決定版」太平洋戦争(1)「日米激突」への半世紀』
(学習研究社、2008年) 



(どうした・てつろう)


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【筆者紹介】
堂下哲郎(どうした てつろう)
1982年防衛大学校卒業。米ジョージタウン大学公共
政策論修士、防衛研究所一般課程修了。海上勤務と
して、護衛艦はるゆき艦長、第8護衛隊司令、護衛
艦隊司令部幕僚長、第3護衛隊群司令等。陸上勤務
として、内閣官房内閣危機管理室(初代自衛官)、
米中央軍司令部先任連絡官(初代)、統幕防衛課長
(初代)、幹部候補生学校長、防衛監察本部監察官、
自衛艦隊司令部幕僚長、舞鶴地方総監、横須賀地方
総監等を経て2016年退官(海将)。
著書に『作戦司令部の意思決定─米軍「統合ドクト
リン」で勝利する』(2018年)『海軍式 戦う司令
部の作り方―リーダー・チーム・意思決定』(202
0年)がある。


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