こんにちは。エンリケです。
『武器になる「状況判断力」』の二十回目です。
日本海海戦における東郷提督の決心については、
すでに広く知られています。
ただ今回取り上げられている形で
分析されているのをみたのは初めてかもしれません。
「七尾湾」という言葉が出てきたことも、
個人的にはうれしかったですね。
選択に値する「選択肢」が浮かぶ人間になりたいも
のですね。
さっそくどうぞ。
エンリケ
ご意見・ご感想・ご要望はこちらから
↓
https://okigunnji.com/url/7/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
武器になる「状況判断力」(20)
行動方針を選定する上での3つの物差し
インテリジェンス研究家・上田篤盛(あ
つもり)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
□はじめに
前回の謎解きは、「太平洋戦争末期、敗色濃厚の日
本に対し、アメリカはなぜ徹底的な日本本土への空
爆を行なったのか?」です。
鈴木冬悠人『日本大空襲「実行犯」の告白』では、
当時の陸軍航空軍総司令官であった、ヘンリー・ア
ーノルド大将が「空軍の独立」のために、統合参謀
本部などの圧力に押されて、陸軍航空軍の戦果を挙
げるために日本本土への直接攻撃を行なったことを、
彼の発言などをもとに検証しています。
陸軍航空軍の精密爆撃の効果が上がらないなか、統
合参謀本部などから圧力を受けたアーノルドは焼夷
爆弾による無差別攻撃を決断します。一般市民の犠
牲を回避するという倫理観は麻痺していました。こ
うして終戦から2年後の1947年に、焼夷爆弾攻
撃の成果が認められた陸軍航空軍は「アメリカ空軍」
として独立を果たします。アーノルドは最初にし
て唯一の空軍元帥に昇進し、“空軍の父”として名
を残すことになりました。
この謎解きから、1962年のキューバ・ミサイル
危機を題材に米国の外交政策の形成過程を分析した
「アリソン・モデル」を思い起こします。それは、
「国家で単一の決定をし、政府は常に国益に照らし
合わせて最も合目的的な選択をする」という第1の
モデルのみで政策決定は行なわれないというもので
す。
すなわち、第2モデル「国家の行為は、政府の中の
さまざまな組織が組織の影響力の最大化を目指して
縄張り争いから表出する」、第3モデル「国家の行
為は、政府の中の個人の対立や取引などの関係性か
ら表出する」が大きく影響するということです。
つまり、一見すると不可解な非道徳的、非合理的
と思われる政策決定であっても、派閥争いや個人の
敵対関係などの視点からは十分に妥当性のある選択
肢となり得るのです。
今回の謎解きはこの季節にちなんだものです。
冬場になると磁気ネックレスがよく売れるそうで
す。でも磁気治療器が肩こりなどに効果があること
の科学的根拠はいまだにないそうです。にもかかわ
らず厚生労働省は「家庭用永久磁石磁気治療器」と
して認定しています。では、お堅い厚労省は科学的
根拠がないにもかかわらず、なぜ磁気治療器の効果
を認めたのでしょうか?
さて、前回までは敵の可能行動について解説しまし
たが、今回からは我が行動方針に移ります。
▼我が行動方針の列挙
敵の可能行動の列挙、考察を終えたら、次は我が行
動方針の列挙になります。
我(自軍)の行動方針の列挙では、任務分析で見い
だした当面の目標を達成する行動方針を編み出す。
まず任務の達成が可能で、かつ戦術的妥当性のある
行動を漏れなく列挙します。
列挙した行動方針の中で、事後の思考手順である分
析および比較で検討する必要ないものを削除し、検
討するに値する数個の特色ある行動方針を整理・統
合します。
この行動方針は、「いつ(when)、どこで(where)、
誰が(who)、何のために(why)、何を(what)、
どうする(how)」を明示します。
つまり、行動方針が他の行動方針と比較できるに十
分なほどに詳細になっていることが必要です。
▼行動方針を選定する上での3つの物差し
敵の可能行動にも、我が行動方針にも戦術的妥当性
が必要となります。
「戦術的妥当性があるかないか?」の物差しは「ス
ータビリティ(整合性、suitability)」、
「フィージィビリティ(可能性、feasibil
ity)」、「アクセプタビリティー(受容性、
acceptability)」の3つの基準(判
断要素)に集約できます。
整合性、可能性、受容性は、作戦レベルでの敵の可
能行動の採用公算の順位の判断や、我が行動方針の
戦術的妥当性を検討する場合のほか、あらゆるレベ
ルや領域で活用できると言っても過言ではありませ
ん。
以下、順番に見ていきましょう。
1)整合性(適合性)
「我の行動方針が任務達成にどの程度役立つか?」
という意味です。上位目標と下位目標との間には整
合性が必要であると同時に、その行動方針が任務上
の目的、あるいは任務分析で明らかとなった具体的
な目標の達成に整合していなければなりません。
整合性は、「方向整合性」「達成度整合性」「時間・
空間整合性」に細分できます。方向整合性は行動
方針が「目的および目標に向かって進んでいるか」
あるいは「目的達成の線に沿って進んでいるか」と
いう物差し(基準)です。
可能性は、「目的および目標の達成にどれだけ寄与
できるか?」という基準です。
そして時間・空間整合性は、「他の部隊との共同作
戦の場合など、自分の部隊行動が全体的な計画と時
間および空間的に合致しているか?」という基準で
す。
整合性があるかないかの判断は、目的や考察する視
点などによって異なります。「東京五輪2020」では、
テレビのワイドショーは「五輪反対」の論陣を大々
的に張っていましたが、五輪が始まった途端、日本
選手の活躍を「手のひら返し」のように報じました。
また、開催前には〝密〟を理由に五輪開催を決めた
政府の決断を批判的に報道しましたが、一方、同じ
く甲子園での高校野球への中止報道はほぼ皆無でし
た。
これは一見すると整合性を欠く行動方針のようです
が、政府批判を煽ることや視聴率を稼ぐという目的
からすれば整合性があります。
要するに整合性があるかないかは、当面や建前の目
標だけでなく、その先にある長期的、広範的、複眼
的な視点から、最終的かつ深層的な目的から考察し
て判断することが重要です。
2)可能性
「我の内部要因がその行動方針を可能にするか、ま
たは行動に移した場合の難易はどうか?」という意
味です。たとえば、他の物質から金(きん)を造る
ことはできません。金を造るという目的に対して、
あれこれ錬金術を模索しても意味はありません。
達成可能性は物理的可能性だけではなく倫理的、道
徳的、社会的な視点からも考察(点検)しなければ
なりません。たとえば、戦争に勝つために非人道兵
器を使用する、オリンピック選手が勝つためにドー
ピングするのは物理的視点では妥当性のある行動方
針ですが、倫理的、道徳的などの視点からは許され
ません。
前述の整合性は長期的かつ幅広く戦略的であるのに
対し、可能性は短期的かつ局所的で戦術的です。そ
のため、「まだできる」「まだ大丈夫」「他社もや
っている」という視野狭窄的な思考が先走り、整合
性の観点を忘れ、最低限の可能性しか満たされてい
ない方策に執着する可能性があります。
このような事態に陥らないために、常に「我は我が
強みと敵の弱みを活用できているか?」「その行動
方針は効率的に達成できるか?」などの視点が重要
です。
3)受容性
受容性は負担可能性とも言います。これは「我の行
動方針の実行に際して生じる負担や損失が任務の要
求度に対して耐えられるか?」という物差しです。
一般にはリスク管理の基準になります。
受容性は、「行動が成功した場合の利益と損失」
「失敗した場合の損失あるいは現状への回復コスト」
「成功および失敗の損失がもっと先にある目標への
妨害の可能性」などの視点で点検します。
受容性は行動方針の妥当性を判断する上で最も重要
な要因です。受容性はしばしば、最上位の意思決定
層が当初の計画を変更あるいは放棄をすることの決
定要因となります。
端的には、受容性は「費用対コスト」あるいは「ソ
ロバン勘定」のことと理解すれば良いでしょうです。
戦争はほとんどの場合が割に合わないものですが、
それでも戦争が決断される理由には次のようなもの
があります。
戦争をしなければ、失う利益が甚大であり、到底許
容できない。
勝利した場合に得られる利益が膨大である。
戦争のための損失やコストは考慮するほど問題とな
らない。
相手の戦意は低く、まず負けることはない。すなわ
ち勝算がある。
上述の(1)は主観的な価値判断ですが、それ以外は客
観的な事実判断です。「イチかバチか」の戦略・戦
術を好む者は、事実判断の客観性を失い、獲得する
利益を過度に評価する傾向があるので注意が必要で
す。大東亜戦争戦時、日本は中国大陸の権益が失わ
れることを到底容認できない((1))との理由で、(2)
から(4)までが確保されないまま「イチかバチか」の
決戦に打ってでたことは反省教訓とする必要があり
ます。
価値判断と事実判断のいずれを優先するかの判断が
非常に難しい課題となります。失う利益が甚大で(
(1))、博打的に膨大な利益が得られる場合((2))、
その行動方針には一応の合理性があります。その場
合でも期待利益(利益×勝利の確率)を算定し、こ
れが著しく低い場合には価値判断を変更する覚悟が
必要なのです。
▼戦史に見る価値判断の適用事例
元海上自衛隊自衛艦隊司令官の山下万喜(やました
かずき)氏は、これら3つの基準で日露戦争の意
思決定プロセスを解説しています。
以下、要点を抽出、整理して述べます。
当時、日本側の攻撃で大打撃を受けたロシア艦隊は、
新たにバルチック艦隊を編成し、太平洋艦隊を増強
することを決断しました。日本海軍の連合艦隊には
バルチック艦隊を全滅する任務が与えられました。
連合艦隊はバルチック艦隊を1隻たりともウラジオ
ストクに入港させず、兵力が集中できる狭い海域で
ロシアを迎え撃つ方針を採りました。そのため、ど
こに艦隊を配置するかが意思決定上の課題となった
のです。
敵の可能行動には、バルチック艦隊が「対馬海峡」
を通過する場合と、「津軽海峡」を通過した場合の
2つが考えられました。
これに対し、我が行動方針である連合艦隊の待機位
置は、朝鮮半島南岸の対馬海峡に近い「鎮海湾」
(O-1)、山陰・北陸の「隠岐島又は七尾湾」
(O-2)、そして北の津軽海峡に近い「むつ湾」
(O-3)が候補地となりました。
山下氏はこれらの方策を、各案が持つメリットとデ
メリットの点からマトリックス分析し、さらにこれ
らの予測結果を、スィータビリティー(どの程度役
立つか?)・フィージビリティー(実施できるか?)・
アクセプタビィリティー(結果に耐えられるか?)
の3つの観点から検討しています。(『テンミニッ
ツtv』「なぜ東郷平八郎はバルチック艦隊を対馬で
迎え撃ったのか?」)
上述の3つの方策には利点、欠点があります。
○鎮海湾で待機する(O-1)
バルチック艦隊が対馬海峡を通峡すれば、戦力を集
中して海峡で待ち伏せができる(利点)とともに、
もし撃ち漏らした場合でもウラジオストクまでの距
離が大(600NM)であるので会敵機会が増大し
、全滅の機会が多い(利点)。
バルチック艦隊が津軽海峡を通過すれば、鎮海湾
から急行したとしても会敵してからウラジオストク
までの距離が小(130NM)となり、全滅はほと
んど不可能となる(欠点)。
○隠岐島又は七尾湾で待機する(O-2)
バルチック艦隊が対馬海峡に来ても、津軽海峡に来
ても会敵し交戦が可能となる(利点)。
対馬海峡での迎え撃ちはできず、バルチック艦隊を
日本海の広い海域に解放してしまうため全滅が困難
となる。バルチック艦隊が津軽海峡に来ても、同様
に、同海峡からウラジオストクまでの距離が小なの
で、全滅するのは困難となる。(欠点)。
○むつ湾で待機する(O-3)
行動方針は、敵が津軽海峡を通過すれば、待ち伏せ
攻撃が可能となり、全滅の蓋然性が大となる。(利
点)
敵が対馬海峡を通過すれば、会敵の機会が大幅に減
少し、全滅の蓋然性が著しく低下する。(欠点)
結局、連合艦隊司令長官・東郷平八郎は対馬に近い
鎮海湾での待機(O-1)を選択しました。
東郷は、バルチック艦隊が対馬海峡と津軽海峡のど
ちらを通峡するかの判断には迷いましたが、待ち伏
せ攻撃が可能であって、敵艦隊を全滅できる機会が
多い鎮海湾での行動方針を選択したとみられます。
他方、東郷は「バルチック艦隊が津軽海峡に向かっ
たら、鎮海湾で待機していたら、会敵に遅れが生じ、
全滅の機会を逃す」という欠点への対策として、津
軽海峡に機雷を敷設しました。
山下氏は、「指揮官がスィータビリティー、つまり
バルチック艦隊の全滅を重視すれば、鎮海湾または
むつ湾で待機することを選択するでしょう。フィー
ジビリティーまで考慮すれば、少しでも有利な鎮海
湾での待機を選択するでしょう。また、アクセプタ
ビィリティー、つまり敵がどちらの海峡を通過して
も対応できるようなリスク回避を重視すれば、隠岐
の島又は七尾湾での待機を選択するでしょう」(前
掲書)と分析しています。
また、「当時、こうした意思決定プロセスが日本海
軍で採用されていたわけではないが、東郷は必然的
にこれを実行したものと考えられる。この意思決定
プロセスに基づくリスク管理は、指揮官や経営者な
ど、重大な決心をする者にとって普遍的に通用する
ものだと考える」(前掲書)と述べています。
(つづく)
(うえだあつもり)
【筆者紹介】
上田篤盛(うえだ・あつもり)
1960年広島県生まれ。元防衛省情報分析官。防
衛大学校(国際関係論)卒業後、1984年に陸上
自衛隊に入隊。87年に陸上自衛隊調査学校の語学
課程に入校以降、情報関係職に従事。93年から9
6年にかけて在バングラデシュ日本国大使館におい
て警備官として勤務し、危機管理、邦人安全対策な
どを担当。帰国後、調査学校教官をへて戦略情報課
程および総合情報課程を履修。その後、防衛省情報
分析官および陸上自衛隊情報教官などとして勤務。
2015年定年退官。著書に『中国軍事用語事典(共
著)』(蒼蒼社)、『中国の軍事力 2020年の将来
予測(共著)』(蒼蒼社)、『戦略的インテリジェ
ンス入門―分析手法の手引き』『中国が仕掛ける
インテリジェンス戦争』『中国戦略“悪”の教科書―
「兵法三十六計」で読み解く対日工作』『情報戦
と女性スパイ』『武器になる情報分析力』『情報
分析官が見た陸軍中野学校』(いずれも並木書房)、
『未来予測入門』(講談社)。
▼きょうの記事への、あなたの感想や疑問・質問、
ご意見は、ここからお知らせください。
⇒
https://okigunnji.com/url/7/
PS
弊マガジンへのご意見、投稿は、投稿者氏名等の個
人情報を伏せたうえで、メルマガ誌上及びメールマ
ガジン「軍事情報」が主催運営するインターネット
上のサービス(携帯サイトを含む)で紹介させて頂
くことがございます。あらかじめご了承ください。
PPS
投稿文の著作権は各投稿者に帰属します。
その他すべての文章・記事の著作権はメールマガジ
ン「軍事情報」発行人に帰属します。
最後まで読んでくださったあなたに、心から感謝し
ています。
マガジン作りにご協力いただいた各位に、心から感
謝しています。
そして、メルマガを作る機会を与えてくれた祖国に、
心から感謝しています。ありがとうございました。
●配信停止はこちらから
https://1lejend.com/d.php?t=test&m=example%40example.com
-----------------------
発行:
おきらく軍事研究会
(代表・エンリケ航海王子)
■メルマガバックナンバーはこちら
http://okigunnji.com/url/105/
メインサイト
https://okigunnji.com/
問い合わせはこちら
https://okigunnji.com/url/7/
-----------------------
Copyright(c) 2000-2021 Gunjijouhou.All rights reserved.