配信日時 2021/11/15 20:00

【我が国の未来を見通す(2)】 少子高齢化問題(2) 「少子化」の先に待っているもの 宗像久男(元陸将)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応
予備自衛官でもあります。お仕事の依頼など、問い
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こんにちは、エンリケです。

人口問題は「未来が確定している」点で深刻です。
過去と今の負債が後世に残されます。

エンリケ



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我が国の未来を見通す(2)

少子高齢化問題(2)
「少子化」の先に待っているもの

宗像久男(元陸将)
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□はじめに

 個人的な話題に恐縮ですが、私は昭和26年生ま
れで、昭和12年生まれの長女を頭に7人兄弟(男
3人、女4人)の末っ子です。当時、生まれ故郷の
福島の片田舎においては、5人兄弟ぐらいは当たり
前で、近所には10人以上の兄弟がいる家もありま
した。

 読者の皆様も「産めよ、増やせよ」という言葉を
聞いたことがあると思いますが、この言葉を標語と
した「人口政策確立要綱」を閣議決定したのは19
41年(昭和16年)1月、近衛文麿内閣の時でし
た。

 当時の我が国は、戦争の最中、大東亜共栄圏を目
指して人口増強策をとっていましたが、この政策を
歓迎して朝日新聞には「日本民族悠久の発展へ」「
一家庭に平均5児を」あるいは「1億目指した大和
民族の進軍」のような記事が連日、紙面を賑わしま
した。

 終戦後、戦争から帰還した兵士や終戦に安堵した
人々が子供を作ったため、前後の世代に比べて極端
に出産数が増えたのは、(前回、ドイツやイタリア
の例を挙げたように)世界共通の現象でした。

 日本の場合は、GHQによって終戦前の政策は停
止させられましたが、この「産めよ、増やせよ」政
策は街中に生き続け、それが背中を押したような格
好で「ベビーブーム」となったものと想像しており
ます。

 戦後、この政策を「出産強制だった」と批判する
向きがありますが、今日の1億2万人を超える人口
を抱え、繫栄を誇っているのは、偶然にも、敗戦と
この政策の“合わせ技”だったと私は考えておりま
す。

▼戦後の出生率推移

あらためて、我が国の人口動態を振り返っておきま
しょう。私たちは、普段、長い歴史の中で我が国の
人口がどのように推移してきたか、あまり関心を持
たない傾向にあります。
まず、少し長いレンジで我が国の人口動態を振り返
ってみますと、日本の人口は、江戸幕府が成立した
1600年頃は約1230万人、明治維新の186
8年頃は3330万人、終戦の1945年には71
99万人でした。そして戦後の人口増加につながり
ます。

 1人の女性が一生の間に産む子供の数を示す「合
計特殊出生率」(以下、「出生率」と呼称)の推移
は、すでに触れましたように、昭和22年~24年
までは「第1次ベビーブーム」といわれ、4.32
ほどあり、昭和24年の出生者数は過去最高の26
9万人を超えました。しかし、出生率はその後、徐
々に減りはじめ、「丙午(ひのえうま)」にあたる
昭和41年には1.58まで下がります。

 若い人には「丙午」の伝説を知らない人がいるで
しょうから、補足しておきます。もともとは、中国
で「丙午の年には天災が多い」との伝承が日本に伝
わり、江戸時代に「丙午の年には火災が多い」との
迷信に変わり、やがて「丙午生まれの女は男を食い
殺す」という極端な迷信に変容しました。

 この影響は明治時代になっても消えず、丙午にあ
たる1906年(明治39年)の出生者は急減しま
す。そして、戦後の昭和時代になってもその影響が
残り、昭和41年の出生率は前年に比べ25%も落
ち込んだのでした。

 昭和41年の反動もあってか出生率は翌年から回
復基調になり、昭和48年には2.14まで回復、
出生者数も再び200万人を超えます。この昭和4
8年をはさみ、昭和46年~49年は第1次ベビー
ブームで出生した「団塊の世代」の2世たちが結婚
し、多くの子供が産まれたことから「第2次ベビー
ブーム」といわれています。

 これ以降の我が国の出生率は、平成17年の1.
25まで降下の一途をたどり、その後少し戻し、平
成27年には1.44まで回復しますが、再び減少
に転じ、令和2年は、コロナ過の影響もあって前年
より0.02ポイント低い1.34まで落ち込んで
しまいます。

 出生者数も昭和48年に291万人を記録した以
降、おおむね半世紀の間、減少が続き、令和2年に
は戦後最少の84万832人(昭和48年の約40
%に相当)に留まりました。

 さて、「丙午」が次にめぐって来るのは2026
年、つまりあと5年後の令和8年です。現代の若い
世代は迷信などに惑わされないように見えますが、
それでなくとも減少傾向にある出生率がまた再び極
端に低下しないよう祈るばかりです。

▼人口減少が進展――毎年、熊本市が消滅する!

「第1次ベビーブーム」の影響や平均寿命が伸び続
けたことによって、戦後の人口は急上昇し、196
7年に初めて1億人を超え、2008年にはピーク
の1億2808万人を数えます。

 しかし、これ以降は人口減少に転じ、今ぐらいの
出生率が続き、また特段の移民政策などを採用しな
ければ、人口は減少の一途を辿ります。そして、国
立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、20
48年9913万人と1億人を割り込み、2060
年には8674万人になると見込まれています。

40年間で約2900万人の減少ですから、毎年7
0万人超の人口が減少することになります。これで
もピンと来ない人が多いことでしょう。約70万人
と言えば、熊本市や岡山市の人口に相当します。県
の人口でいえば、鳥取県が約59万人、島根県や約
72万人ですから、毎年、熊本市や岡山市、あるい
は鳥取県や島根県が消滅すると思えば、これがいか
に大変なことが想像できるものと考えます。しかも、
限られた期間だけではありません。このまま放置
すると、人口減少はずっと続きます。

 このように断定しますのは、人口を現状維持する
ためには2.07以上の出生率が必要といわれるか
らです。夫婦2人で一生の間に2人以上の子供を作
らなければ現状を維持できないのは明白です。戦後、
出生率が2以上だったのは、1970年頃、つま
り「第2次ベビーブーム」の頃でしたので、今にし
て思えば遠い昔のことように思えます。

人口減少は全国一律ではありません。人口減がかな
り進展する地域とあまり進まない地域に分かれてい
きます。つまり、「過疎化」の問題がますます顕在
化するのです(過疎化の問題は次回取り上げます)。

▼日本人は〝絶滅危惧種″に

私たちは普段、2060年頃までの人口推移のグラ
フを目にします。推計値といいながらも2060年
頃までの人口動向はほぼ確定しているからです。

 問題はそれ以降です。放置すれば、その後も人口
減少は続きます。出生率が少し改善されれば、人口
減少は抑制されますので推計には少し幅があります
が、我が国の人口は、2100年には約6500万
人~約3800万人、その先の2180年頃には約
2000万人まで落ち込むと予想されています。

 そして、仮にそのまま人口減少が進むとすると、
今から500年後の2500年頃には約44万人ま
で落ち込み、3000年頃にはわずかに約1000
人になるのだそうです。あくまで〝現状のまま″と
の仮定ですが、遠くない将来に、日本人は〝絶滅危
惧種″になり、国家そのものが消滅する可能性さえ
あるのです。

 私は、『我が国の歴史を振り返る』として約50
0年の歴史を振り返りましたが、人口減少だけを取
り上げてみても、今から500年先の我が国が、国
家として存在するかどうかを見通すのは厳しいこと
がわかりました。

 キャリアウーマン、女性の社会進出、ジェンダー
フリー、夫婦別姓、晩婚化、未婚化、晩産化、離婚
の増加、子育てにかかるコストの上昇、果てはLG
BT・・・いろいろな考え方があり、これらを否定
するものではありせんし、出生率低下の原因も簡単
には特定できませんが、我が国は、一時流行った言
葉、「どげんかせんといかん」状態にあることは間
違いないと考えます。

 それも早ければ早いほど、その影響を抑制でき、
我が国の将来の安泰が続くことは間違いないでしょ
う。皆様はどう思われるでしょうか。

前回の最後、「本来、おめでたいはずの『長寿大国』
は手放しでは喜べない部分がある」と解説しまし
たが、我が国においては、平均寿命が伸び、高齢者
が増加することと少子化が進み、人口減少が進展す
ることを同時並行的に考えなければならないことを
意味しておりました。次回、もう少し踏み込んで考
えてみましょう。

(以下次号)


(むなかた・ひさお)



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【著者紹介】

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学校卒業後、
陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロラド大学航空宇
宙工学修士課程卒。陸上自衛隊の第8高射特科群長、
北部方面総監部幕僚副長、第1高射特科団長、陸上
幕僚監部防衛部長、第6師団長、陸上幕僚副長、東
北方面総監等を経て2009年、陸上自衛隊を退職(陸
将)。日本製鋼所顧問を経て、現在、至誠館大学非
常勤講師、パソナグループ緊急雇用創出総本部顧問、
セーフティネット新規事業開発顧問、ヨコレイ非常
勤監査役、公益社団法人自衛隊家族会理事、退職自
衛官の再就職を応援する会世話人。著書『世界の動
きとつなげて学ぶ日本国防史』(並木書房)



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