配信日時 2021/09/14 20:00

【武器になる「状況判断力」(9)】軍隊式「状況判断」は軍事合理性と米国の国情から生まれた 上田篤盛(インテリジェンス研究家)

こんにちは。エンリケです。

『武器になる「状況判断力」』の九回目です。

<軍隊や企業では、少数の一流の人間よりも、全体
的な技能レベルの底上げがより重要です。そのため
にはマニュアルによるノウハウの可視化が有用だと
考えます。>

全く同感です。

職人頼り、ブラックボックスだらけの組織運営は良
くないですね。


エンリケ


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武器になる「状況判断力」(9)

軍隊式「状況判断」は軍事合理性と米国の国情から
生まれた

インテリジェンス研究家・上田篤盛(あつもり)

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□はじめに

 コロナの新規感染者数も次第に下降傾向にあるよ
うです。若者に対するワクチン接種が拡大した成果
でしょうか。このまま一挙に収束することを願って
います。
 
ところで前回の謎かけの答えです。信号機の赤色は
危険信号なので最も重要です。だから目立たなけれ
ばなりません。仮に赤信号が左側、すなわち歩道側
にあったら木の陰に隠れて見えづらくなります。ま
た、日本の車両は左側通行です。そのため、進行方
向に向かって右側、つまり中央部の方が良く見えま
す。

ここで重要なことは、仮にこのような理由を発見し
た時、「では、右側通行の米国はどうか?」という
新たな疑問を持つことです。なお、米国の信号機は
進行方向に向かって左から「赤、黄、青」の順番で
す。
 
今回の謎かけは、「大阪ではエスカレーターの右側
に立ち、東京では同左側に立つのは、なぜか?」で
す。皆さん、この事実をご存じでしたか?
 
▼状況判断は旧軍教範にもある

前回は軍隊式「状況判断」について解説しましたが、
わが国にも戦前から「状況判断」の概念は存在して
いました。明治期に作成された公開教範『野外要務
令』では、「情況を判決するには……」との条文が
あり、また別の条文では「情況判断」という用語も
確認できます。

大正期の教範『陣中要務令』では、「情況を判断す
るに……」との条文や「およそ指揮官の決心は任務、
地形、敵情、我が軍の状態等を較量(こうりょう)
し、周到なる思慮と迅速なる決断とを以て、これを
決するものにして……」との条文があります。

昭和期の教範『作戦要務令』でも、「指揮官はその
指揮を適切ならしむるため、たえず状況判断(※情
況ではなく状況)しあるを要す」とあり、「指揮官
は状況判断に基づき、適時、決心をなさざるべから
ず。状況判断は任務を基礎とし、我が軍の状態・敵
情・地形・気象等、各種の資料を収集較量し、積極
的に我が任務を達成すべき方策を定むべきものとす。」
と規定されています。

つまり、任務、我が状況、敵情、地形・気象(地域)
の4つの要因を考察して状況判断し、その上で指揮
官が決心を行なうという基本理念は戦前から確立さ
れていたのです。
 
なお、これら教範の源流は『ドイツ式野外要務令』
であるので、「状況判断」は、多くのほかの軍事思
想や軍事原則とともに当時のプロシアから入ってき
たといえます。陸軍大学の教壇に立ったメッケル少
佐もおそらく「状況判断」について学生に講義した
ことでしょう。
 
▼状況判断の考え方は軍事合理性に基づく

ただし、状況判断についての上述は特筆すべきこと
ではありません。BC500年頃(今から2500年前)に
兵法書『孫子』を著した孫武は、「彼(敵)を知り、
己を知れば百戦危うからず。彼を知らずして己を知
れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦
う毎に必ず敗れる」、「彼を知りて己を知らば、勝
ちすなわち殆うかず。地を知り、天を知れば、勝ち
すなわち窮(きわま)らず」と言っています。つま
り、戦いに勝利する(任務)には、敵、我、地形・
気象の要因を認識することが重要だと説いています。
 
『孫子』の日本流入は、一説では8世紀に遣唐使の
吉備真備(きびのまきび)が唐から持ち帰ったとさ
れています。つまり、我が国ではプロシアから軍事
思想を輸入したことにかかわらず、『孫子』の伝承
や国内戦争の体験を通じて、任務を基礎に我、敵、
地域の3つの要因について状況を判断し、決心して
いたのでしょう。

要するに、状況判断の基本理念は軍事合理性から誕
生したと言えます。
 
▼米軍は「状況判断」の手順を大戦前に確立した

しかしながら、『作戦要務令』などには状況判断を
どのような手順で行なうのかまでは記されていませ
ん。だから、旧軍は状況判断とは何かということや
、その重要性は理解していたものの、作戦の構想や
計画を立てるために指揮官や幕僚が状況判断を使い
こなす態勢になっていたとは言えません。
 
他方、米軍は第1次世界大戦後、英国、ドイツなど
の教範を基に、これに第1次世界大戦の教訓を加味
してマニュアルの整備を開始します。1921年、米陸
軍は『Operations』(FM-3)を制定し、そこには
「戦いの9原則」などが記述されていました。これ
が自衛隊の『野外令』の基になったことはすでに述
べたとおりです。

1932年の米陸軍教範『Staff Officers Field
Manual』(FM101-5)では「状況判断」の5段階の
思考手順(アプローチ)を規定しました。同教範の
1940年改訂版から、その項目を列挙してみましょう。

1. Mission(任務)
2. The situation and possible lines of action
(状況および行動方針)
 a Consideration affecting the possible lines
of action(行動方針への影響要因)
 b Enemy capability(敵の可能行動)
 c Own lines of action(我が行動方針)
3. Analysis of possible lines of action(行動
方針の分析)、
4. Comparison of own lines of action(我が行動
方針の比較

5. Decision(決定)

ここには、賭け(ゲーム)の理論を適用して、意思
を有する敵との闘争を推論して最良の選択を行なう
論理的な思考手順が規定されています。

要するに、米軍は我が国と太平洋戦争を戦う以前か
ら「状況判断」の論理的な思考手順を確立していま
した。さらに思考手順をマニュアル化し、それを誰
もが理解できるように可視化し、それに基づいて教
育訓練を行ない、多くの指揮官・幕僚に普及する努
力をしていたのです。

▼米軍は情報マニュアルも整備

太平洋戦争の敗因の1つとして取り沙汰される情報
についても、米軍は大戦以前にマニュアルを整備し
ていました。旧陸軍将校で戦後に陸上自衛隊に入隊
した松本重夫氏は、米軍マニュアル『Military
Intelligence』を基に陸上自衛隊の「作戦情報」教
範を作成しますが、松本氏は旧軍の情報に関して次
のように嘆いています。
 
「私が初めて米軍の『情報教範(マニュアル)』と
『小部隊の情報(連隊レベル以下のマニュアル)』
を見て、いかに論理的、学問的に出来上がっている
ものかを知り、驚き入った覚えがある。それに比べ
て、旧軍でいうところの“情報”というものは、単
に先輩から徒弟職的に引き継がれていたもの程度に
すぎなかった。私にとって『情報学』または『情報
理論』と呼ばれるものとの出会いはこれが最初だっ
た」(『自衛隊「影の部隊」情報戦秘録』)

また、松本氏は「情報資料と情報を峻別することが
重要である。情報資料を情報に転換する処理は、記
録、評価、判定からなり、いかに貴重な情報資料で
あっても、その処理を誤れば何らその価値を発揮し
ない」と述べています(前掲書)
 
▼旧軍は原理・原則を可視化する発想に欠けていた

情報に関する原理・原則書は戦前の日本にもなかっ
たわけではありまん。1928年制定の『諜報宣伝
勤務指針』(ただし、公開教範ではなく極秘文書)
では、情報の原理・原則、諜報員の徴募、諜報網の
展張、諜報活動の実施要領などが詳細に記されてい
ます。

これに関して、当時、陸軍中野学校で『諜報宣伝勤
務指針』を基に情報教育を受けた平館勝治氏(乙I
長期、二期生) は、次のような興味深い感想を語
っています。
 
「私が一九五二年七月に警察予備隊(後の自衛隊)
に入って、米軍将校から彼等の情報マニュアル(入
隊一か月位の新兵に情報教育をする一般教科書)で
情報教育を受けました。その時、彼等の情報処理の
要領が、私が中野学校で習った情報の査覈(さかく)
と非常によく似ていました。ただ、彼等のやり方は
五段階法を導入し論理的に情報を分析し評価判定し
利用する方法をとっていました。それを聞いて、不
思議な思いをしながらも情報の原則などというもの
は万国共通のものなんだな、とひとり合点していま
したが、第四報で報告した河辺正三大将のお話を知
り、はじめて謎がとけると共に愕然としました。ド
イツは河辺少佐に種本(筆者注、『諜報宣伝勤務指
針』の元資料とみられる)をくれると同時に、米国
にも同じ物をくれていたと想像されたからです。
しかも、米国はこの種本に改良工夫を加え、広く一
般兵にまで情報教育をしていたのに反し、日本はそ
の種本に何等改良を加えることもなく、秘密だ、秘
密だといって後生大事にしまいこみ、なるべく見せ
ないようにしていました。この種本を基にして、わ
れわれは中野学校で情報教育を受けたのですが、敵
はすでに我々の教育と同等以上の教育をしていたも
のと察せられ、戦は開戦前から勝敗がついていたよ
うなものであったと感じました」(拙著『情報分析
官が見た陸軍中野学校』)
 
繰り返しになりますが、米軍は情報の原理・原則な
どを誰もが容易に理解できるようにマニュアルに落
とし込み、可視化し、教育訓練によって普及化して
いました。他方の日本軍は、教範を「保全、保全」
と言って一部の者の“宝物”のように扱い、官民の
英知を結集して理論として確立することはなく、教
育訓練を通じて普及することも十分ではありません
でした。要するに、日本軍は原理・原則を可視化し
て普及する発想に欠けていたのです。

この点が、米軍と日本軍との勝敗を分けた根本原因
だと筆者は考えます。
 
▼米軍はなぜマニュアル化を重視したのか?

米軍がマニュアル化を重視するのは、多民族国家な
どの米国の国情に起因するものであると考えます。
それに加えて、当時、次のような背景があったよう
です。『勝つための状況判断学』(松村劭著)から
一部抜粋し、要点を整理します。

「1930年代に入り、第一次世界大戦、米国は戦
争の歴史から遠ざかっていく中、軍人の老齢化が進
んでいた。そこで、ドイツや日本などの関係が緊張
化する状況下、米軍は民間企業の中から優秀な人材
を将校として養成することにした。その際、「状況
判断」の能力をつけさせることが喫緊の課題となり、
定型の思考方法が整理された。
  当時、旧陸軍が参考にしたドイツ軍もフランス
軍も『目的に寄与するためには、何をしなければな
らないか』を考察し、それを達成する方法を経験則
に当てはめて実行要領を定め、妨害する敵と戦い、
戦闘環境を排除するという『演繹法的思考法』を使
っていた。一方、英軍だけは『遠くの目標に向かっ
て何ができるか』の選択肢をかき集めて、最も容易
な選択肢を選択するという『帰納法的思考法』を使
っていた。そこで、米陸軍参謀本部は学者を集めて
状況判断の思考方法を考察し、それをマニュアル化
した。これは、前段で『何をなすべきか』(演繹法)
を考え、後段で『何ができるか』(帰納法)を考
える方法で、命題、前提、分析、総合、結論という
五段階からなる。一般的には『演繹的帰納法』と言
われる思考過程である」(以上、『勝つための状況
判断学』の記述を筆者が整理)

つまり、米軍は独仏軍と英軍の思考法を融合させ、
独自の思考法を開発しました。さまざまな利点を取
り入れることが可能な多民族国家米国の強みを見る
気がします。

他方、日本は「阿吽(あうん)の呼吸」が通じ、
「徒弟制度」が伝統的に重視される社会です。宮大
工や寿司屋などは師匠に付いて実体験を通して“技”
を会得するとされ、そのための修行には長い年月が
必要です。

名人や一流といわれる人の技能養成はそうあるべき
かもしれませんが、軍隊や企業では、少数の一流の
人間よりも、全体的な技能レベルの底上げがより重
要です。そのためにはマニュアルによるノウハウの
可視化が有用だと考えます。この点に関しては、わ
が国は米国あるいは米軍から学ぶべき点があると考
えます(もちろん、これだけではダメですが)。

米軍が開発した状況判断の思考過程の手順は、自衛
隊のみならずドイツやフランスの軍隊、米国と同盟
関係にあるカナダ・オーストラリア・韓国の軍隊も
この手順を学んでいます。米軍は世界各国から軍事
留学生を迎えて入れています。ほぼ世界の主要国軍
は同じような考え方を取り入れていることになりま
す。

米軍のノウハウはビジネス界にも波及しているので、
経営のグローバル化が進展している状況下、わが国
のビジネスパーソンも米軍式「状況判断」を理解す
ることは有益だと考えます。




(つづく)

(うえだあつもり)


【筆者紹介】
上田篤盛(うえだ・あつもり)
1960年広島県生まれ。元防衛省情報分析官。防
衛大学校(国際関係論)卒業後、1984年に陸上
自衛隊に入隊。87年に陸上自衛隊調査学校の語学
課程に入校以降、情報関係職に従事。93年から9
6年にかけて在バングラデシュ日本国大使館におい
て警備官として勤務し、危機管理、邦人安全対策な
どを担当。帰国後、調査学校教官をへて戦略情報課
程および総合情報課程を履修。その後、防衛省情報
分析官および陸上自衛隊情報教官などとして勤務。
2015年定年退官。著書に『中国軍事用語事典(共
著)』(蒼蒼社)、『中国の軍事力 2020年の将来
予測(共著)』(蒼蒼社)、『戦略的インテリジェ
ンス入門―分析手法の手引き』『中国が仕掛ける
インテリジェンス戦争』『中国戦略“悪”の教科書―
「兵法三十六計」で読み解く対日工作』『情報戦
と女性スパイ』『武器になる情報分析力』『情報
分析官が見た陸軍中野学校』(いずれも並木書房)、
『未来予測入門』(講談社)。



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