こんにちは。エンリケです。
『海軍戦略500年史』の十一回目です。
きょうから、英仏抗争の100年がテーマになります。
英と仏の関係をみるたび、わが国と支那の関係に
思いが至ります。
今のわが国のどこに何を活かせるか?
考えながら読むと、得るところさらに多くなると
思います。
さっそくどうぞ
エンリケ
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海軍戦略500年史(11)
英仏抗争のはじまり
堂下哲郎(元海将)
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□はじめに
前回は、第三次英蘭戦争からオランダの衰退まで
を辿りました。
今回は、100年以上にわたる英仏抗争の話の1回目で
す。イギリスが最後のライバル国フランスを下して
海上覇権を握り、パクス・ブリタニカといわれる時
代になる過程を見ていきます。
▼フランスとの長期戦争
名誉革命(1688年)で英国王ウィリアム3世として
迎えられたオランダ総督オランイェ公ウィレム3世
が、戦列艦50隻を含むオランダ艦隊でイギリスに到
着すると英国艦隊司令長官は恭順の意を示した。フ
ランスに亡命してしまった前王ジェームズ2世は、
その親カトリック政策や気まぐれな司令官人事で海
軍からの忠誠心も失っていたのだ。
第三次英蘭戦争を仕掛けたルイ14世にとってオラ
ンイェ公は宿敵であり、彼が英国王に即位した時点
で英仏抗争の火種がまかれたといえる。この後、ヨ
ーロッパ諸国では王位継承などで戦争が繰り返し起
こるが、英仏はこれらの戦争で常に敵対することに
なる。
英仏間の海での戦いは120年ほどにわたるもので、
大きな戦争だけでも以下のとおり7回あった。アメ
リカ独立戦争を除いてヨーロッパ大陸が主戦場であ
ったが、例外なく海外の植民地に飛び火して海戦と
なり、イギリス王位継承戦争が主にイギリス海峡で
戦われたほかは、大西洋や地中海、さらにインド洋
まで拡大したものもあった。
イギリス王位継承戦争(1688~97年)
イスパニア王位継承戦争(1701~14年)
オーストリア王位継承戦争(1740~48年)
七年戦争(1756~63年)
アメリカ独立戦争(1775~83年)
フランス革命戦争(1793~1802年)
ナポレオン戦争(1803~15年)
イギリス海軍はこれらの戦いで、多くの優れた海将
のもと勝勢を保ってフランスを少しずつ圧倒し、そ
の植民地の大半を奪った。とくに、ルイ14世やナポ
レオンなどのイギリス本土征服の野望を打ち砕いた
のは海軍であり、こうした国防上の重要性と島国と
いう地理的条件は海軍の安定的な発展を促した。
▼イギリス王位継承戦争─艦隊保全主義
1689年、イギリスは、オランダやオーストリアと対
仏同盟を結成すると同時にフランスとの戦争状態に
入った。フランスに亡命したジェームズ2世は王位
復活を目指してアイルランドに上陸(1689年)する
ものの、ウィリアム3世自ら率いた王国軍に敗れて
祖国イングランドの土を踏むことなくフランスに逃
げ帰る。
海上では、ハーバート率いる英蘭連合艦隊と圧倒的
に優勢なフランス艦隊との間で戦われたビーチィー・
ヘッド岬の海戦(1690年)で英側は敗退し、イギリ
ス海峡の制海権はフランスの手に落ちた。この時の
ハーバートの消極的な戦いぶりは強く非難され、帰
投後はロンドン塔に収監され軍法会議にかけられた。
彼は「他の戦い方をしていたら、劣勢なわが艦隊は
壊滅し、わが王国はフランスに侵攻の道を開くこと
になったでありましょう……われわれが艦隊を維持
しているかぎり、フランスは侵攻をこころみるはず
がないのであります」と弁明し、無罪放免となった。
(小林 2007、234頁)
このようになるべく決戦を避けて勢力を温存して
、相手をけん制、抑止するという考え方を「艦隊保
全主義(fleet-in-being)」という。ちなみにハー
バートの消極的な姿勢は、イングランド海軍が英蘭
戦争以来、「見敵必戦」を基本方針としていたこと
もあり、イングランド海軍史の中では、戦う意思を
持たない艦隊が単に「現存」しても何の効果も発揮
し得ないとして批判されている。
この後、ハーバートと司令長官を交代したラッセ
ルはイングランド侵攻を狙うフランス艦隊を優勢な
戦力によりラ・オーグ湾の襲撃戦(1692年)で破り、
ジェームズ2世復活の望みを打ち砕いた。
▼イングランド艦隊を撃滅し損ねたフランスの戦略
フランスはラ・オーグの敗戦後、イギリス海峡の
制海権の争奪を断念する。その背景にはルイ14世の
大陸指向政策があった。英蘭より優勢なフランス艦
隊を建設したコルベールはラ・オーグの前に没した
が、その後継者たちはルイの大陸指向に盲従し、主
力艦隊不要論を唱える海軍総監さえいたほどだ。こ
れでは、フランス海軍の活躍はなく衰退も避けられ
ない。
フランス海軍は艦隊決戦を避けて、ブレスト艦隊
に私掠船を加えて通商破壊戦を始める一方、ツーロ
ン艦隊は港内に待機させてイングランド艦隊をけん
制した。皮肉にもハーバート以来、はじめて艦隊保
全主義を実行したのはフランスとなったわけである
。
イギリス王位継承戦争は、1697年のライスワイクの
和議で終わるのだが、地上戦に気をとられたルイは、
自らの海軍力が頂点にあった時にイングランド艦隊
を撃滅しそこね、英蘭両国の復活を許したためイン
グランド本土侵攻は実現しなかった。一方のウィリ
アムも、ルイの侵略は防げたが、その陸軍も艦隊も
撃滅できなかったので、双方中途半端な結果となっ
た。
▼イングランドの戦略
一方のイングランドはこの戦争で初めてヨーロッ
パ大陸に同盟国を持ったのだが、大陸最強の陸軍を
持つフランスをどう攻略するかが戦略上の問題にな
った。「海洋派」は、通商破壊戦で海外資源の輸入
を妨げ、国内経済を破綻させることにより戦力を減
殺すべしと主張した。これに対して国王ウィリアム
をはじめとする「大陸派」は、ルイが狙うオランダ
に陸軍を投入して直接対決しようとした。エリザベ
ス時代の大陸勢力均衡政策とも異なる戦略だ。
こうしたことから、ウィリアムは「偉大な将軍だ
が、提督の器にあらず」などと海洋派の批判を受け
るのだが、以下のようなシー・パワーの発展につな
がる重要な戦略や政策を採用したことは評価される
べきである。
第一は、地中海における制海権の獲得に取り組み、
地中海支配国家の基盤を作ったことである。地中海
の戦略的意義は、エリザベス時代に着目され、クロ
ムウェル時代にも再確認されていた。ウィリアムは、
英蘭連合艦隊を派遣してレヴァント(東部地中海
沿岸地方)交易船団を護衛しつつスペイン艦隊と共
同作戦を実施するなどして地中海にプレゼンスを示
し、対仏戦略上の効果を確認した。ただし地中海に
は艦隊の基地がなかったため、以後、恒久的な基地
の設置を模索し始めることになる。
第二に、フランスとの直接対決のため、フランドル
戦線という単一目標に向けて陸海軍を統合運用した
ことである。
第三は、対仏経済封鎖を中立国にも呼びかけたこと
だが、残念ながら肝心の英蘭の商人がフランスと取
引していたため、中立国の協力は得られなかった。
第四は、戦費調達のために国債制度を創設したこと
である。英仏抗争が始まり戦費が巨額になると、国
家財政を破綻させずに戦費を安定的にまかなうため
に国債が発行されるようになった。国債にはイング
ランド銀行が長期高率の利子を保証したことから、
投資家から長期間安定的に戦費が調達できるように
なった。この制度は国内の金融を活性化させ、産業
の発展にも大きく貢献し、のちに「財政革命」とい
われるようになる。
▼イスパニア王位継承戦争
スペイン国王カルロス2世は嗣子(しし)に恵ま
れなかったため、その後継者はフランスかオースト
リアどちらかの王家から選ばれることになった。ど
ちらにせよヨーロッパ情勢を激変させることになる
後継争いに際して、イングランドはオーストリア側
に立ち、オランダを加えた対仏同盟を結成して前の
戦争で決着がつかなかったフランスとの再度の対決
を決意する。イスパニア王位継承戦争(1701~14年)
である。
対仏戦争が迫ると海洋派と大陸派の戦略論争が再
燃した。海洋派は、再びフランスの戦費調達を妨害
するため海上交通路の遮断を主張したが、フランス
の海外資源依存度の低さとイングランド艦隊の臨戦
準備ができていなかったことから、実行は困難とみ
られた。
結局、またも大陸派の考えが優先され、大陸へ軍
を派遣することになった。フランスとオランダの間
に防壁を築くためにスペイン領ネーデルラントを制
することを第一の目標とし、第二にオーストリア領
の安全確保のためにミラノとナポリを制することと
された。
第一の目標は陸戦で達成された。第二の目標を達
成するには地中海の制海権を確保する必要があるこ
とから、艦隊の策源地としてカディスの占拠に向か
った。ここは敵艦隊の地中海進出を制約でき、スペ
イン財宝船団の捕獲に便利で、自分たちも越冬でき
るという絶好の位置である。しかしカディス遠征
(1702年)は、現地の情報不足や指揮官の優柔不断、
部下の蛮行、不服従などで後世に残る大失敗に終わ
ってしまう。
▼ジブラルタルとミノルカ島の獲得
1704年、英蘭連合艦隊は地中海沿岸での陸上作戦
の拠点としてバルセロナなどを確保しようとしたが
またも失敗、手ぶらで帰国するわけにもいかず、何
がしかの戦果を求めて、急遽、守りが最も手薄なジ
ブラルタルを急襲することにした。圧倒的に劣勢な
守備隊はあっけなく降伏、英蘭は占領に成功し、期
せずして歴史的快挙をあげることになる。イングラ
ンドは地中海に恒久的な策源地を獲得し、その後ト
ラファルガー海戦(1805年)、第一次、第二次大戦、
フォークランド戦争(1982年)などでその戦略的価
値をいかんなく活用することになる。
フランスは、ジブラルタル奪回のために英蘭艦隊
とマラガ岬の海戦(1704年)を戦うが敗退、一方で
英蘭連合艦隊は1708年にはミノルカ島を占領して、
フランスのツーロン艦隊をけん制する絶好の拠点を
得た。この後はフランスが制海権の争奪を諦めて通
商破壊戦に移行したため大きな海戦もなく、イング
ランドは地中海の制海権を維持できた。
▼フランスの通商破壊戦
フランスの通商破壊戦は、直接的にはマラガ岬の
海戦などで敗れて艦隊決戦を断念したことをきっか
けとしているが、海外資源依存度の高い島国イング
ランドの海上交通路を遮断することはフランスにと
って理にかなった戦略であった。
当時のイングランドの貿易は、造船資材のバルト
貿易、ペルシャ、トルコ、ギリシャ、エジプト産の
高級織物のレヴァント貿易、香料の東インド貿易、
砂糖とタバコの西インド諸島貿易、そして悪名高い
三角貿易の一辺である奴隷を運ぶ西アフリカ貿易な
どからなっていた。
このイングランドの貿易船に襲いかかったのがフ
ランスの私掠船である。彼らの基地はフランス沿岸
各地に散在しており、イングランド艦隊でも対処し
きれなかった。特に要塞なみに守りを固めたダンケ
ルク基地の私掠船は959隻を捕獲し、全体ではイギ
リスは3,250隻の商船を失ったとされている。
(ケネディ2020年、193-4頁)
あまりの被害の大きさにイングランド海運界は悲
鳴を上げ、議会は「護衛艦艇・船団条例」を制定
(1707年)して、貿易保護に一定数の軍艦が割り当
てられるようになり、徐々に被害は減少した一方、
フランスの私掠船はより遠方の海運に目を向けるよ
うになった。イギリスの海運が全世界的に拡大する
につれ、貿易の保護が英海軍の大きな課題となって
ゆく。
▼英国の海上での優位の獲得─ユトレヒト条約
ユトレヒト条約(1713年)締結の翌年に戦争が終
結し、イングランドはフランスから北米ニューファ
ンドランド植民地などを、スペインからジブラルタ
ル、ミノルカ島を譲渡され、ダンケルクの私掠船基
地の破壊も約束された。また、西インド諸島方面で
の奴隷の独占的通商権(アシエント)も確保した。
このように18世紀のヨーロッパ地図を確定し、フラ
ンス革命までのヨーロッパの勢力均衡を図る重要な
条約においてイングランドは最大の利益を獲得して
大国への道を歩み始め、海上においても英国の優位
が確定することになった。
(つづく)
【主要参考資料】
ポール・ケネディ著『イギリス海上覇権の盛衰 上』
山本文史訳(中央公論新社、2020年)
宮崎正勝著『海からの世界史』(角川選書、2005年)
青木栄一著『シーパワーの世界史)(1)』
(出版共同社、1982年)
(どうした・てつろう)
【筆者紹介】
堂下哲郎(どうした てつろう)
1982年防衛大学校卒業。米ジョージタウン大学
公共政策論修士、防衛研究所一般課程修了。海上勤
務として、護衛艦はるゆき艦長、第8護衛隊司令、
護衛艦隊司令部幕僚長、第3護衛隊群司令等。陸上
勤務として、内閣官房内閣危機管理室(初代自衛官)、
米中央軍司令部先任連絡官(初代)、統幕防衛課長
(初代)、幹部候補生学校長、防衛監察本部監
察官、自衛艦隊司令部幕僚長、舞鶴地方総監、横須
賀地方総監等を経て2016年退官(海将)。著書
に『作戦司令部の意思決定─米軍「統合ドクトリン」
で勝利する』(2018年)『海軍式 戦う司令
部の作り方―リーダー・チーム・意思決定』(20
20年)がある。
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