配信日時 2021/06/23 09:00

【防衛省の秘蔵映像(20)】 防衛医科大学校と防衛大学校 ─昭和62年映像─ 荒木肇

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知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。

そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
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こんにちは。エンリケです。

「防衛省の秘蔵映像」解説 第20回です。

個人的になじみ深い話になってきました。


さっそくどうぞ。


エンリケ


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防衛省の秘蔵映像(20)

冷戦崩壊間近の防衛計画
─昭和63年映像─

荒木 肇
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昭和63(1988)年の映像紹介
https://www.youtube.com/watch?v=WPYztNS72Sk


□はじめに

 いよいよ昭和が終わりに近づいてきました。昭和
天皇陛下は波乱万丈の運命を生き抜いてこられてい
たのです。第1次世界大戦が終わり、軍縮・平和へ
の希求が世界中で高まっていた時代に青年であられ、
関東大震災の悲劇をご覧になりました。1926年
に先帝陛下の跡に即位された後、波乱の戦前、戦中、
そして未曾有の敗戦。奇跡的な復興。

 わたしが陛下を身近に感じたのは、1964(昭
和39)年の第18回オリンピック大会のときでし
た。陛下の開会宣言は初めて聞く肉声で、「第18
回オリンピアードの・・・」というお言葉に訳もな
く感動しました。

 昭和の御代は翌年に終わるのですが、この年はど
んな風だったのでしょうか。

 まず、内閣総理大臣は竹下登(たけした・のぼる)
氏でした。氏は1924(大正13)年に島根県に
生まれ、県会議員から1958(昭和33)年に衆
院議員、要職を登りつめた方です。お若い方にはタ
レントのDAIGOさんのオジイチャンで知られて
いるのではありませんか。消費税導入や「ふるさと
創生」などの施策で有名です。防衛関係では、やは
り対米関係の重視、レーガン大統領とも会談してい
ます。

 社会全体では、依然としてソ連の脅威がいわれて
いました。しかし、景気の上昇傾向はあまり変わら
ず、私立大学の初年度納入金が平均100万円とな
りました。県庁所在地の最高路線価を国税庁が発表。
なんと前年比、23.8%も上昇していました。
慶応義塾大学はアメリカのニューヨーク州に海外駐
在日本人の子供を対象にしたニューヨーク学院を設
けます。わが国の高校の海外進出は初めてでした。

 世界最長の海底青函トンネル、瀬戸大橋が開通し
ました。青函連絡船は、これで80年の歴史を閉じ、
宇部と高松を結んだ宇高連絡船も廃止されます。
和食が健康に良いとされ、ファミレスにも和食のメ
ニューが出るようになりました。禁煙への指向も高
まります。中華街では薬膳料理を出す店が注目され
ました。健康に良いとうたわれた食品の中に、ヒ素
や鉛が含まれていたことも判明。

 二世代同居より、「スープの冷めない距離」の別
居が言われるようになりました。もともとは194
8(昭和23)年に英国のシェルドン氏が作った言
葉らしいのですが、わが国では「味噌汁の冷めない
距離」になるということから東京都老人総合研究所
が実験しました。結果は約2キロメートルというこ
とになりました。高齢化社会の進行が見えて来たの
でしょう(「昭和家庭史年表」のコラムより)。

 横浜で国際博覧会が開かれました。いまの「みな
と・みらい地区」です。そこに野外の道路としては
初めて「動く歩道」がお目見えします。リニアモー
ターカーの展示などもあり、たいへん賑やかなもの
でした。

 羽田空港の国内線利用者が3200万人になりま
した。アメリカへ旅行するときに査証(ビザ)が不
要になります。観光・商用目的の旅行者が増えて、
行政事務の簡略化がアメリカから申し出られました。

 子供たちの間の流行ではローラースケートが目立
ちます。アイドルグループ「光GENJI」の影響
でした。

▼後方支援連隊の誕生と第7師団の増強

 そうした中でも、ソ連の脅威は依然としてつづき、
国際関係も不安定。複数方面で紛争が起きる可能性
があるとされ、米軍の来援が遅れることへの対応が
いわれます。継戦能力の向上がいわれました。映像
にも北鎮(ほくちん)師団といわれた第2師団(旭
川)が一部改編され、初めての後方支援連隊が編成
される様子が映っています。

 それまで師団には管区隊のころから輸送隊、衛生
隊、武器隊、補給隊の職種(兵科)ごとのロジステ
ィック(兵站)を主に担当する部隊がありました。
輸送隊は輸送科、衛生隊も衛生科、武器隊は武器科、
そして補給隊は需品科職種の部隊でした。それを
一まとめにして、兵站を一体化して指揮するという
ことから、後方支援連隊ができたのです。

 第7師団にも動きが出ました。3個の戦車連隊(
第71・72・73)は4個中隊だったものが5個
中隊編成に拡大されます。他の師団(第2・第5・
第11)のすべてが、各1個普通科連隊が装甲車化
されてゆきました。

 そうして、少し後の話になりますが、1991(
平成3)年には本州以南の戦車大隊を縮小し、北海
道へそれらを移す「戦車の北転事業」が行なわれま
す。

▼ジェット練習機T4の進空


 防衛庁は1981(昭和56)年4月に、これま
でのT1、T33A練習機に代わる次期中等練習機
(MTX)の提案要求を行ないました。9月には川
崎重工が、三菱、富士重工の提案を押さえて採用さ
れます。それに川崎、三菱、富士重、新明和、日本
飛行機からも設計者が加わり、チームを編成し、生
産も分担されることになりました。

 1984(昭和59)年4月から1号機の試作が
始まり、合計6機の試作が行なわれ、1号機は翌年
7月末に空を飛びました。12月には岐阜基地の航
空実験団に納入され、後に加わった3機とともに、
88(昭和63)年3月末まで実用試験を行ないま
す。

 6月28日に飛んだ量産型1号機は、晴れて浜松
基地の第1航空団に配属されました。第1航空団で
は10月1日付で臨時T4教育飛行隊を編成し、年
度内に10機が納入され、翌年には第31、その翌
年に第32飛行隊を編成します。

 技術的には世界最先端といって問題なかったよう
です。純国産のF3-IHI-30ターボファンエ
ンジンは推力1600キログラム、新複合材、損傷
許容設計、デジタル・データバス、リング・レーザ
ージャイロ姿勢方位基礎装置、機上酸素発生装置な
ど、練習機としてはなかなか贅沢な仕様です。

 T4の導入とともに、T1で行なっていた第2初
級操縦課程と、T33Aで行なっていた基本操縦課
程を1つの機種でこなせるようになりました。つま
り訓練生の飛行時間を短くすることができたのです。
あわせてT2への移行がT33と比べて楽になっ
たという指摘もあります。T2による戦闘操縦基礎
課程の時間が減ったと言われます。

 主翼、胴体下にはハードポイントが5箇所も設け
られ、ガンポッドや、標的曳航装置、ECMディス
ペンサーなども搭載できました。最大速度はマッハ
0.9、航続距離約1300キロメートル。いまも
曲技飛行チーム「ブルーインパルス」の使用機とし
て目にしやすい傑作機でしょう。

▼基地防空隊と移動監視隊

 空自の装備品には陸自と共通のものが少なくあり
ません。とくに基地防空隊の地対空ミサイルは同じ
ものを使っています。それは師団・旅団の高射特科
大隊に装備される81式短距離地対空誘導弾です。
ふつう陸自では「短SAM(サム)」と呼んでいま
す。SAMというのは、Surface(地表)to Air
Missile の略称です。

 現在、陸自には地対空ミサイルは射程の長い順に、
中サム、短サム、近サム、Pサムと4種類があり
ます。中サムは03(2003年制式)、短サムに
はこの81(1981前同)と11(2011年前
同)、近サムは93(1993前同)、Pサムは9
1(1991前同)のことをいいます。PはPortable
(ポータブル・携帯)のことです。

 したがって、この88年の映像には、81式地対
空誘導弾しか登場しません。この他に1963(昭
和38)年から導入されているアメリカ製のホーク・
ミサイルがありますが、この後継が03式中サム
です。

 航空自衛隊は基地を防御するシステムを持たねば
なりません。敵の航空攻撃を受けたら基地の機能は
失われ、戦えなくなってしまいます。地域の師団の
高射特科(砲兵)大隊から支援を受けたくても、も
ともと陸自高射は師団防空を任務とする。そこで自
前の防空能力をもつ必要がありました。

 81式は純国産です。レーダーで目標を捜索しま
す。すべての方位を見るためにレーダーを回転させ
ます。航空目標を発見すると、射撃統制装置(FC
Sと略します)が敵味方を識別します。味方ならば
それを通報する電波を出し、敵は沈黙。敵と識別す
ると、レーダーは追尾を続け、射撃統制装置は脅威
(危険)度を判断し、複数目標なら順位をつけて迎
撃目標を判断します。

 ミサイルは赤外線パッシブ・ホーミング形式によ
る空中ロックオン方式です。そのため指揮所(FC
S)では、ミサイルを撃ってしまえば、他の目標に
対応することが可能になります。つまり撃ちっぱな
しです。超低空で侵入してくる敵が、機動性が高く、
同時攻撃をすることが常識化した防空の現場では、
命中まで1発ずつ面倒は見ていられないのは当然で
す。

 対空ミサイルは1つのシステムです。まず、レー
ダーを搭載したFCS車1台があります。車輌はい
わゆるサントンハン(陸自の標準型の6輪トラック)。
そうしてミサイルは2連装ランチャーを載せた2台
です。合計3台で1個小隊となります。操作人員は
4名です。

 ミサイル本体の長さは2.7メートル、直径16
センチ、重量約100キログラムです。射高は30
00メートル、射程は7000メートル、速度はマ
ッハ2.4になります。採用時には国会で議論もさ
れました。機動性がないとか、赤外線ホーミングで
は目標が雲の中に入ったり、太陽を背にしたりした
ときには目標を見失う、あるいはECM(かく乱用
の電子妨害)に弱いといった欠点が指摘されたので
す。現在では、アクティブ・レーダー方式に切り替
わっています(64年度から本格的開発が始まりま
した)。

▼90年代の国際環境と自衛隊

 冷戦は突然の終わりを見せました。1987(昭
和62)年にはゴルバチョフがソ連の指導者に就任
、いわゆるペレストロイカ(再編・立て直し)政策
を推進します。88年にはアフガニスタンからソ連
軍が撤退。89(平成1)年には中国で天安門事件
が起こり、90年には東西ドイツが合体、91年に
は連邦は解体されました。そうして湾岸戦争です。

 国内の政治状況でも社会党が政権に参加し、村山
富市首相が自衛隊を容認します。自衛隊が国際連合
平和維持活動、いわゆるPKOへの参加なども起こ
りました。かつては誰も考えていなかった状況が起
きたのです。このような情勢の中で、1990年代
の自衛隊の装備には、どのような特性が要求された
のでしょうか。

 しかし、兵器や装備品の生産は、過去のつながり
から自由にはなれません。冷戦期、対ソ連軍からの
持ちこしている装備や、新しい状況に対応しようと
する装備がありました。言いかえれば、日本の領土
上で、あるいはその近くで従来型の戦争を行なう装
備と、日本から遠く離れた地域で、停戦監視や難民
救援、治安維持などの活動を行なうための装備です


 対ソ連軍でいえば、90式戦車とそれらに関連す
る施設器材、この63年版に出る次期支援戦闘機(
FS-X)、E767空中警戒管制機、海自では「
こんごう」型のイージス護衛艦などが挙げられるで
しょう。海外派遣用では軽装甲機動車、高機動車、
装輪装甲車などでしょうか。

今後の映像も期待できます。


(つづく)


(あらき・はじめ)


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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
 

『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
 https://amzn.to/31jKcxe


 
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      (代表・エンリケ航海王子)
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