こんにちは。エンリケです。
『海軍戦略500年史』の三回目です。
今日の記事では、
シー・パワー
について書かれています。
歴史、文明の違いがシー・パワーという言葉の定義
付けの違いを生んだようです。
帝国海軍の海軍力発揮の視野の狭さの原因は
そこにあったかもしれない、との指摘は重いですね。
「制海」・「海域管制」・「海域拒否」
の項も有益です。
実に参考になる「用語定義の歴史」です。
大陸国家と海洋国家の海に処する発想の違いが
クリアになる記事でもあります。
ふと思いました。
わが国は海洋国家のはずなのに、識者と言われる人
にその発想が毛ほども見られませんね??
なぜでしょうか?
ではどうぞ
エンリケ
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海軍戦略500年史(3)
シー・パワーとは何か
堂下哲郎(元海将)
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前回の「海の特質と海軍のはじまり」に引き続い
て、「シー・パワーとは何か」について話を進めま
す。今日、「sea power」と「seapower」は厳密に
区別しないで使われることが多い
ようですが、本連載では、マハンの「sea power」
を「シー・パワー」とし、連載の中ではあまり使う
ことはないと思いますが、一般に海軍国や海軍力と
訳される「seapower」は「シーパワー」と表記する
ことにします。なお、書名などはそのままです。
▼マハンは「シー・パワー」の元祖か?
今日広く使われている「シー・パワー」という言
葉の元祖は、アメリカの海軍士官アルフレッド・セ
イヤー・マハン(1840-1914)であるとされている。
彼は著書『海上権力史論(The Influence of Sea
Power upon the History, 1660-1783)』(1890年)
において、イギリスの覇権を作り上げたのは世界の
海での「シー・パワー」の確立がもとになっていた
として、若き海洋国家アメリカが「見習うべき最善
の先例」をイギリスの歴史の中に求めてその進むべ
き針路を論じたのである。ちょうどアメリカが南北
戦争(1861-65年)後に高度経済成長を遂げ、海洋国
家として国際政治に大きな影響力を及ぼすようにな
っていた頃だ。
マハンは「シー・パワー」を厳密に定義せず、
「海洋ないしはその一部分を支配する海上の軍事力の
みならず、平和的な通商及び海運をも含むもの」と
いう広い意味で論じている。したがって「シー・パ
ワー」とは、もっぱら海軍力を指す「ネイヴァル・
パワー」よりも広義で、単に軍事力にとどまらず、
海運業や商船隊、またその拠点として必要な海外基
地や植民地をも含むものと考えられる。マハンの著
作は、当初アメリカではあまり注目されなかったが
、イギリスで大きな反響を呼んでから全世界的に有
名になった。
彼がことさら「シー・パワー」という言葉を使っ
たのは、当時新しかった蒸気機関や電力の「パワー」
あるいは権力政治(パワー・ポリティクス)の「パ
ワー」ということで、時代を反映し世間の注目をひ
くキャッチフレーズとして選んだからであった。
また、マハンはシー・パワー理論そのものについて、
エリザベス女王の寵臣ウォルター・ローリー卿が
「海の支配者は通商の支配を通じて世界を制覇する」
と述べているように自分のオリジナルではないとし、
偉大な先人たちが行なわなかった緻密な史的分析の
「機会がまわってきたのだ」と述べている。
マハンは著書の中で、繰り返しアメリカの現状に
言及して海洋支配国としての可能性に考察を加えて
いる点からみても、自国の海軍拡張や海外発展を主
眼としていたことは間違いない。事実、彼は有力な
“膨張主義者”ロッジ米上院議員への書簡で「自分
の能力の及ぶかぎり、過去の経験が現在の思想、そ
して将来の政策に影響を与えるよう」念願して著述
したと述べている。(麻田 1977,22)
1889年、艦隊勤務に出ていたマハンは海軍大学の校
長に就任。トレイシー海軍長官が、世論を“啓蒙”
するプロパガンディストとしてマハンを呼び戻した
のだ。そして、マハン流の戦艦を中心とした攻勢作
戦を任務とする戦闘艦隊の計画を立て、翌年には画
期的な海軍予算案を通過させることに成功した。米
国議会は帝国主義、拡張主義的な方向で「大海軍主
義」を支援するようになったのだ。
しかし、この「大海軍主義」もマハンのオリジナ
ルというわけではなく、1880年代に海軍部内や議会
にあった「ニュー・ネイヴィー」建設論を反映した
ものだった。たとえば、1880年にホイットソーン米
下院議員(下院海軍委員会の元委員長)は、「一国
の通商を支えるものは、まず第一に工業生産力、第
二にそれを護衛し防御する海軍力である。領土とパ
ワーと文明の点で最高の地位に達した国々の歴史を
見ると、強大な海軍と商船隊を持つ国が富と繁栄を
極める、という教訓が得られる」と演説している。
通商拡大→商船隊復活の必要→海軍拡張の急務→遠
洋艦隊の傘の下での貿易伸長、という循環論法的な
大海軍主義の主張が、80年代を通じて広く国民にア
ピールするようになっていたのだ。(麻田 1977,17)
蛇足ながら、『海上権力史論』で展開される有名
な6つのシー・パワーの要因は、1882年度の米海軍
協会懸賞論文に入選したW.G.デイビット海軍少尉に
よる「米国の商船隊:衰退の原因と復活のためにと
るべき方策」で論じられていることが知られている。
少尉は、歴史上の海洋国家の興亡を分析して大海運
国になるための必須条件を、(1)有利な地理的位置、
(2)低コストで船舶を運航できる能力、(3)強力な海
軍、とし、望ましい条件として、(4)通商が盛んな
こと、(5)良好な港湾、(6)海を志向する国民性、
(7)資源の豊かな植民地をあげている。
マハン自身、1880年頃の書簡の中などで大海軍建設
の重要性を主張しているが、少尉のような考え方も
広く取り込んで、自著の中で実質的に海軍の立場を
代表して意見を表明したのであろう。このように、
マハンのシー・パワー論は1890年になって突如現れ
た新説ではなく、それに先立つ10年間になされた議
論をふまえ、それらを集大成したもの、といえる。
貧弱な米海軍の再建を目指して活発化した海軍ロビ
ーは、その主張を貿易拡大や海外市場確保の必要に
結びつけて対外膨張政策を説いたのだが、そこにマ
ハンも一役買っていたということだ。
▼日本における「シー・パワー」の理解
マハンは日本でも高く評価された。彼の著作がア
メリカで名声を博すと1893年の『水交社記事』に
「近来傑出の一大海軍書にして…必読の書」である
と紹介され、1896年には『海上権力史論』として全
訳が出版された。この本が高く評価されたのは、日
本が国を挙げて海軍建設を開始した時期にあたった
からでもある。なにしろ、明治天皇自ら宮廷費の一
部を軍艦建造費として使わせたほどの時代だ。全訳
は1、2日のうちに数千冊も売れたという。
この出版にあたり明治の和訳者は「sea power」
を「海上権力」と訳したのだが、これが曲者だっ
た。当時の日本海軍は、シー・パワーを「もっぱら
自己の実力から生じる海上を支配する力」と理解し
ていたが、「権(力)」と訳された「sea power」
が、何か一段高い権威者なりから与えられる権利や
権限のように誤解される恐れが出てきたと考えたの
だ。
また「command of the sea」も「制海権」と訳さ
れたため、日本海軍の考える「実力をもって海上を
制圧する」という意味が「影響力を及ぼす範囲の確
保」のように受け取られ、海戦の目的が敵の主力を
撃滅し屈服させるのではなく海上交通を維持できる
に足る「海上権」さえ獲得すればよいと理解されか
ねないと危惧された。
このような海軍としての懸念があったので、海軍
大学校は『兵語界説第4版』(1907年)において
「sea powerを海上権力と訳したのは誤訳である」と
し、新たな訳語を「海上武力」とした。これと同時
に「制海権」という言葉からは「権」を外し
「command of the sea」というのは「制海」という
ことにしたのだ。
このような「sea power」を「海上武力」とする
考え方は、日本の海軍部内で敵艦隊を撃滅する海戦
を中心に論じるにはよいとしても、マハンが考えた
ように海を「一大公道」ととらえ貿易や海運を含め
た広い意味のことは議論の範囲外となりかねない狭
い考え方といえる。それは、長期の鎖国から脱した
ばかりの明治海軍には、通商保護や通商破壊の重要
性が理解されていないことの証でもあり、このこと
は日本の貿易や海運が拡大してもなかなか変わらな
かった。
青木は、「一国の経済立地が海外との貿易に依存
し、シー・パワーを失った時にその国の経済が破綻
に瀕するというような事態を、明治の政治家や海軍
士官は体験的に理解することができなかったのであ
る。海軍の目的はあくまで来攻する敵艦隊の撃滅で
あり、海上交通に対する攻撃や保護は副次的な戦争
とみなしていた」(青木 1983, 355)と指摘する。
この『兵語界説』の定義ぶりに象徴されるような
日本海軍のシー・パワーについての視野の狭さは、
戦闘については熱心に研究するが総力戦の時代の戦
争そのものの研究を怠ったり、貿易や海運を含む国
家のマクロ経済を軽視して無謀な太平洋戦争に突入
する遠因となったのではないだろうか。
▼現代における「制海」
「シー・パワー」論における重要な概念である「
制海(command of the sea)」
は、今日「制海」もしくは「制海権」と特に区別さ
れることなく使われている。
マハンも著書の中で「command of t
he sea」「control of the
sea」などの用語を厳密な使い分けや定義を示す
ことなく使用している。彼は、海上作戦の目的は敵
の艦隊を撃破し制海権を得ることであり、重装備の
戦列艦、戦艦こそが艦隊の主力であると論じていた
ことから、「単純で完全な制海権」として「敵艦隊
を撃滅して自己の目的のために海洋を自由に利用で
きること」と考えていたことがうかがわれる。
その一方で、第二次ポエニ戦争(紀元前218-
210年)について「本当に海洋を管制していたと
しても、制海(control of the s
ea)とは、敵の単独行動の艦船も小さな戦隊もひ
そかに港から脱出することができない…ということ
を意味するものではない。それとは反対に、このよ
うな回避行動は弱者の側も、いかに海軍力が劣勢で
あってもある程度は可能であることを歴史は示して
いる」(マハン 2008、24)と「制海の不完
全性」を指摘している。
今日、世界の海はマハンが唱えたように主力艦隊
によって制圧できるような「広大な共有地」ではな
くなっているし、敵艦隊の撃滅という意味での単純
な制海権を行使しようにも極めて困難だ。コーベッ
トなどは「制海は、通商目的であるか軍事目的であ
るかを問わず、海洋交通の管制だけを意味するのだ
。海の戦いの目標は交通の管制であり、陸の戦いの
ように領土の征服ではない。」(コーベット 20
16、164)と述べている。
考えてみると、 領土に対する国家の支配権が排
他的でかなりの程度絶対的であるのに対して、人の
いない広大な海域に対する支配力は、結局のところ
他国との相対的な力関係によって決まるものだ。マ
ハンの論じた帆走海軍の時代に比べると、現代海軍
の作戦海域は広大で、作戦のスピードやテンポも比
較にならないほど速い。
このことから、制海の「程度」も不安定で流動的
とならざるを得ず、海上作戦の観点からも必要な海
域で必要な時間帯のみ「制海」状態を維持すればよ
い、むしろそうすることが経済的であるという考え
方が一般化してきている。つまり現代の「制海」と
は局地性、相対性、流動性を前提とする考え方にな
っている。
このような理由から、現代の海軍では「制海(c
ommand at the sea)」という言
葉は戦略的、一般的な文脈で使われることが多く、
作戦、戦術を具体的に論じたり計画を作ったりする
場合には、「Sea Control(海域管制)
」とか「Area(Sea) Denial(領域
(海域)拒否)」という用語を使うことが多い。
▼「制海」・「海域管制」・「海域拒否」
現代の海軍では、「制海(Command of
the sea)」とは「自己の目的を達成するた
めに海洋を利用し、敵の利用を拒否すること」と一
般的に理解されているが、「海域管制(Sea c
ontrol)」や「海域拒否(Sea deni
al)」との関係はどうなっているのか。
現代の米海軍や日本を含む同盟国海軍の考え方は
、米軍が作った『JP3-32』というドキュメン
トに基づいている。その考え方によれば、「海域管
制」とは「重要な海域における局地的な優勢を獲得
すること。このため味方の海上連絡線を防護しつつ
、敵の海上部隊を撃破し海上交易を阻止すること」
と定義されている。
一方、「海域拒否」について、『JP3-32』は
明確に定義していない。これは米海軍などが基本的
に優勢な海軍であり「海域拒否」作戦をとる必要が
ないこと、言い換えると劣勢の敵海軍がとる「海域
拒否」を「拒否」するのが「海域管制」と考えるこ
とができる。このように「海域管制」と「海域拒否
」は、基本的にそれぞれ優勢側、劣勢側の考え方で
あり、対置的ともいえるしコインの裏表のような関
係ともいえる。
たとえば米海軍のシー・パワーとしての5つの役
割は、「アクセス、抑止、海域管制、戦力投射、海
上警備」とされており、「海域管制」はその1つで
ある(NDP-1)。これに対して、海域拒否は中
国のA2/AD(anti access/ ar
ea denial、接近拒否/領域拒否)戦略に
みるとおり、ロシアやソ連の伝統的な戦略の大きな
柱でもあった。
海洋国家の海軍の役割が「海域管制」であるのに対
して、大陸国家が「海域拒否」の考え方をとるのは
、それぞれの国の地政学的な特徴や海軍の主な役割
を反映しており、興味深い。(つづく)
【主要参考資料】
アルフレッド・T・マハン著『マハン海上権力史論』
北村謙一訳、原書房、2008年
麻田貞雄著『アルフレッド・T・マハン』、研究社
出版、1977年
Ensign W. G. David, “Our Merchant Marine: The
Causes of its Decline,and the Means to be tak
en for its Revival,” USNI Proceedings, January
1882
『第四版兵語界説』、海軍大学校、1907年
青木栄一『シーパワーの世界史2』(出版共同社、
1983)
ジュリアン・スタフォード・コーベット著『コーベ
ット海洋戦略の諸原則』矢吹啓訳、原書房、2016年
『Joint Publication (JP)3-32, Joint Maritime Op
erations』8 June 2018『Naval Doctrine Publica
tion (NDP) 1, Naval Warfare』April 2020
《つづく》
(どうした・てつろう)
【筆者紹介】
堂下哲郎(どうした てつろう)
1982年防衛大学校卒業。米ジョージタウン大学
公共政策論修士、防衛研究所一般課程修了。海上勤
務として、護衛艦はるゆき艦長、第8護衛隊司令、
護衛艦隊司令部幕僚長、第3護衛隊群司令等。陸上
勤務として、内閣官房内閣危機管理室(初代自衛官)、
米中央軍司令部先任連絡官(初代)、統幕防衛課長
(初代)、幹部候補生学校長、防衛監察本部監
察官、自衛艦隊司令部幕僚長、舞鶴地方総監、横須
賀地方総監等を経て2016年退官(海将)。著書
に『作戦司令部の意思決定─米軍「統合ドクトリン
」で勝利する』(2018年)『海軍式 戦う司令
部の作り方―リーダー・チーム・意思決定』(20
20年)がある。
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