配信日時 2021/05/19 20:00

【(新)海軍戦略500年史(1) 】 「シー・パワーの時代」が再来した 堂下哲郎(元海将)

こんにちは。エンリケです。

きょうからはじまる新連載
『海軍戦略500年史』

テーマは、「シー・パワーの歴史と展望」。
500年ほどの興亡の歴史を振り返り、中共のシー・パ
ワー興隆について考えるというものです。

海軍史と海洋地政学がスパッと頭に入る連載を目指
します。

著者は、元海将、元横須賀地方総監の堂下哲郎さんです。

堂下哲郎(どうした てつろう)
1982年防衛大学校卒業。米ジョージタウン大学公共
政策論修士、防衛研究所一般課程修了。海上勤務と
して、護衛艦はるゆき艦長、第8護衛隊司令、護衛
艦隊司令部幕僚長、第3護衛隊群司令等。陸上勤務
として、内閣官房内閣危機管理室(初代自衛官)、
米中央軍司令部先任連絡官(初代)、統幕防衛課長
(初代)、幹部候補生学校長、防衛監察本部監察官、
自衛艦隊司令部幕僚長、舞鶴地方総監、横須賀地方
総監等を経て2016年退官(海将)。著書『作戦司令
部の意思決定』『海軍式 戦う司令部の作り方』
(いずれも並木書房)


わが国は、各分野で、自ら世界に向けて世界史を発
信する必要のある大国である、と私は考えています。

この連載は、日本発の海軍戦略史です。
日本発の世界史がもっと出なきゃいけない、
と考えているものにとって、計り知れない喜びです!



今週から

毎週水曜20時

にお届けしますので、どうぞお楽しみに!


では初回をどうぞ


エンリケ


ご意見・ご感想・ご要望はこちらからどうぞ。

https://okigunnji.com/url/7/


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(新)海軍戦略500年史(1)

「シー・パワーの時代」が再来した

堂下哲郎(元海将)

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 皆さんこんにちは、海自OBの堂下(どうした)
と申します。
 昨年4月まで「海軍式戦う司令部の作り方」とし
て連載の機会を頂き、同名の本として出版させて頂
きました。
 今回の連載は、「海軍戦略500年史」です。長
丁場になるかもしれませんが、よろしくお付き合い
ください。感想などお聞かせ頂ければ幸いです。

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□はじめに

これは「海軍戦略」の500年史である。といっても、
現代のような海軍戦略が500年前からあったわけで
はない。それができあがるまでの長い道のりの話だ。

そもそも海軍というものが現代のような形になるの
に時間がかかったし、海軍の役割も陸兵の輸送など、
陸戦の支援から始まり、植民地の時代からは私掠船
(国公認の海賊のようなもの)も巻き込んで個々の
軍艦が商船を襲う通商破壊戦が盛んになったが、こ
の段階では海軍戦略というほどのものは必要とされ
なかっただろう。

現代に通じる海戦の考え方が出てくるのは、多数の
軍艦で陣形を作って艦隊同士が戦うようになってか
らだ。当初は個々の軍艦の「戦法」や少数の艦によ
る「戦術」だったものが、国家レベルで海軍や艦隊
をどう使うかということが問題になったときに「戦
略」が必要となったのだ。

そのような流れを、大航海時代から現代までの歴史
のなかで、海軍の発展、海洋国家の興亡の様子、そ
して海上貿易や漁業、技術革新や海洋法の発展など
がどう関係してきたのかをたどることにより「海軍
戦略」の長い発展の歴史を描き出してみたい。

わが国は、近代になって軍艦も制度も兵術思想もす
べて丸ごとイギリスなどから輸入して海軍というも
のを建設した。そこからスタートした先人たちは見
事な日本の海軍を作り上げたが、太平洋戦争に敗れ
て国土を灰燼(かいじん)にし、心血を注いだ帝国
海軍を73年あまりで消滅させてしまった。

戦後はアメリカとの同盟を選択して海の防衛にあた
ってきたが、中国の海洋進出などに直面してこれま
でのやり方だけでは日本の平和を守れないかもしれ
ない。わが国の進路を誤らないために500年の歴
史に学ぶことがあるのかどうか、それを考えてみる
のが本連載の目的である。

書き起こしにあたって、「あらすじ」とでもいうべ
き大航海時代以来の海上覇権の移り変わりを簡単に
辿ってみる。

▼スペイン・ポルトガル、そしてオランダ

15世紀に大航海時代が始まると、世界の海は新大陸
やアジアに広大な植民地を拓いた旧教国スペインと
ポルトガルに支配された。この海洋支配に挑戦した
のが新教国オランダとイギリスである。オランダは、
イギリスがスペインとの海上覇権争いに明け暮れて
いる間に漁夫の利を占めて世界的規模で経済を躍進
させて海上帝国として繁栄する。17世紀は「オラン
ダの世紀」といわれた。
 
これより前、16世紀に全盛を誇ったオスマン・トル
コは地中海に進出するが、レパントの海戦(1571年)
で旧教国の神聖同盟艦隊に敗れた。以後、オスマン
帝国の艦隊は地中海の東にとどまり海上覇権を争う
ことはなかった。欧州諸国の目は地中海から大西洋
へ移る。

レパントの海戦の少し後、日本では秀吉が文禄・慶
長の役(1592、1597年)で朝鮮半島に出兵したが、
ヨーロッパではスペインがイギリスを侵攻しようと
してアルマダの海戦(1588年)で無敵艦隊が撃退さ
れている。また、ポルトガルは長崎に商館を設立
(1571年)したものの、あとから来たオランダの妨
害で閉め出され、「鎖国」体制のもとオランダに中
国、朝鮮、琉球とともに日本との貿易を独占されて
しまう。ちなみに倭寇が盛んだったのもこの頃だ。

▼パックス・ブリタニカ

 ヨーロッパに話をもどすと、30年にわたって荒れ
狂った宗教戦争がウェストファリア条約(1648年)
で終わり、イギリスに対するスペインの脅威が去る
と、国家間の宗教的な対立が経済的な利害対立に置
き換わる。イデオロギーで米ソが鋭く対立した冷戦
が終わったようなものである。こうなるとオランダ
のまばゆいばかりの繁栄はイギリスから妬(ねた)
まれるようになり、三次の英蘭戦争を経てオランダ
は衰退してゆく。

オランダに代わって海洋国家として発展を始めたイ
ギリスは、産業革命による力強い経済成長をもとに
して、遅れて植民地競争に参入したフランスとの間
でナポレオン戦争(~1815年)までの150年にわたる
一連の戦争を戦い抜いて世界の海上覇権を握る。
第1次世界大戦(1914~18年)までの「パックス・
ブリタニカ」の到来だ。
 
 18世紀後半からの産業革命により蒸気機関の導入
や艦載兵器などの技術革新には目覚ましいものがあっ
た。19世紀末からはアメリカ、ドイツ、日本といっ
た新興のシー・パワーが登場し、イギリスの海上覇
権は挑戦を受け始める。マハンやコルベットが、現
代につながるグローバルな海軍戦略を論じたのもこ
の頃だ。

 日本は、初めての海外派兵である台湾出兵(1874
年)を経て、日清戦争(1894~95年)と日露戦争
(1904~05年)に勝利して、世界第5位の海軍国に成
長する。この頃から日米は太平洋の覇権をめぐって
対立の道を歩み出す。

第1次世界大戦が終結したときには日本は世界第3
位の海軍国、国際連盟常任理事国になり「五大国」
の一角を占めるようになった。戦後、建艦競争を沈
静化させるなどの目的で、ワシントン、ロンドン各
海軍軍縮条約(1922、1930年)が締結されるが、日
米の敵対意識はむしろ増幅され、その後の日本の南
シナ海への進出、南部仏印への進駐により日米の衝
突は避けがたいものとなった。

▼パックス・アメリカーナ

 太平洋戦争の口火を切った日本海軍のパールハー
バー奇襲は、大艦巨砲主義の終わりと空母機動部隊
の時代の到来を告げるものであったが、実際に航空
主兵の近代海軍に変革できたのはアメリカであり、
自ら証明したはずの日本はなかなか変革できなかっ
た。大西洋と太平洋の戦いを制したのはアメリカで、
第2次世界大戦が終わったときにはイギリスに昔日
(せきじつ)の姿はなく、世界の海はアメリカのも
のになっていた。「パックス・アメリカーナ」であ
る。
 
戦後、冷戦が激化するなか、キューバ危機(1962年)
で躓(つまず)いたソ連は海空軍力の大幅な増強を
始め、アメリカがベトナム戦争に莫大な資源を投じ
ている間に西側に対して重大な脅威を及ぼすように
なった。アメリカは、1980年代になると自らの海上
覇権に挑戦する存在となったソ連に対抗するために
「600隻艦隊」構想などの大規模な軍拡を進めた。
日本の戦後の「再軍備」は、憲法上の問題を抱えた
まま経済優先、軽武装路線で行なわれてきたが、海
空の自衛隊の兵力がようやく増強され始めたのもこ
の頃である。
 
やがて1990年にはソ連が崩壊し、経済力の急速な低
下にあわせてソ連海軍も崩壊した。冷戦に勝利した
アメリカやNATO諸国は、「平和の配当」とばかり急
ピッチで艦艇を退役させるなど軍備を縮小した。世
界の海上貿易は拡大し続けたが、海軍が主役となる
ような大きな国際紛争もなかったため、シー・パワ
ーへの関心も低下してしまった。

▼再来したシー・パワーの時代

その後、アメリカは湾岸戦争(1990~91年)や9.11
同時多発テロ(2001年)に続くテロとの戦いに空母
機動部隊や両用戦部隊などを展開し、比類ないグロ
ーバルな海上作戦能力を発揮する。
しかし、長期化するテロとの戦いに投じた国力はあ
まりにも大きく、2013年、オバマ大統領は「世界の
警察官」をやめると宣言するに至る。

 西太平洋やインド洋に目を転ずると、世界の目が
テロとの戦いに注がれている間に、中国はめざまし
い軍備増強を成し遂げ、地域のパワーバランスを大
きく変化させた。中国は、台湾近海へミサイルを発
射した第3次台湾海峡危機(1996年)で、急派され
た米空母機動部隊に動きを封じられた屈辱の経験か
ら、米軍に対抗すべく軍備増強を加速させていたの
だ。その結果、中国は有事において米軍の動きを抑
える「接近阻止/領域拒否(A2/AD:Anti Access/Area
Denial)」戦略を完成させつつある。

中国はまた、南シナ海の大部分の「歴史的」領有権
を主張するとともに、わが国の尖閣諸島に対しても
領有を主張するなど周辺諸国との摩擦を激化させて
いる。また「一帯一路」と呼ばれる巨大経済圏構想
や、南シナ海からペルシャ湾に及ぶ「真珠の首飾り」
戦略で沿岸各地の港湾へのアクセス確保を強引に進
めており、インドなどの警戒感を高めている。さら
に香港や台湾への圧力を強め、香港の一国二制度を
形骸化させ、台湾海峡をめぐっては軍事的な緊張を
高めている。

このように地域情勢の現状変更を目指す中国の軍事
力は、分野によっては米軍を上回りつつある可能性
もあるとみられている。このため米国は、それまで
の「太平洋軍」を「インド太平洋軍」に変えて、各
軍の態勢の見直しに着手するとともに、日本、オー
ストラリア、インドとの海洋勢力4カ国(クアッド)
による連携を強めて「自由で開かれたインド太平洋」
の安定を図ろうとしている。

シー・パワーの重要性は、米ソ冷戦の終結で低下し
たと見られていたが、米中「新冷戦」の激化で再び
大国の覇権争いの主役となり、「シー・パワーの時
代」が再来したのだ。米中「新冷戦」では、日米同
盟が正面となって中国と対峙することになる。日本
の戦略が問われている。



《つづく》



(どうした・てつろう)



【筆者紹介】
堂下哲郎(どうした てつろう)
1982年防衛大学校卒業。米ジョージタウン大学
公共政策論修士、防衛研究所一般課程修了。海上勤
務として、護衛艦はるゆき艦長、第8護衛隊司令、
護衛艦隊司令部幕僚長、第3護衛隊群司令等。陸上
勤務として、内閣官房内閣危機管理室(初代自衛官)、
米中央軍司令部先任連絡官(初代)、統幕防衛課長
(初代)、幹部候補生学校長、防衛監察本部監
察官、自衛艦隊司令部幕僚長、舞鶴地方総監、横須
賀地方総監等を経て2016年退官(海将)。著書
に『作戦司令部の意思決定─米軍「統合ドクトリン
」で勝利する』(2018年)『海軍式 戦う司令
部の作り方―リーダー・チーム・意思決定』(20
20年)がある。


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