配信日時 2021/05/12 09:00

【防衛省の秘蔵映像(14)】56中業(中期業務計画)の進展 ─昭和57・58年映像─ 荒木肇

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こんにちは。エンリケです。

きょうは、
「防衛省の秘蔵映像」の解説14回目です。

盛りだくさんの内容です。
まさに自衛隊史ですね。

ラングーンでの北朝鮮の爆弾テロ。
よく覚えています。

さっそくどうぞ。


エンリケ


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防衛省の秘蔵映像(14)

56中業(中期業務計画)の進展
─昭和57・58年映像─


荒木 肇

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昭和57・58年映像の紹介
https://www.youtube.com/watch?v=hcsC9iFH47c

https://www.youtube.com/watch?v=teJb70AImJI


□はじめに

 昭和58(1983)年度から昭和62(198
7)年度までの装備品調達や、それに関わる部隊改
編、新設、運用、演習などの背景を解説します。5
6中期業務見積りが国防会議の了承を得たのは82
年7月のことでした。

 アメリカ大統領はレーガン氏になりました(19
81年1月)。韓国では全斗煥氏が大統領に就任、
エジプトではサダト大統領が暗殺され、ポーランド
では戒厳令が布かれます。

 1982(昭和57)年11月に、第71代内閣
総理大臣に中曽根康弘氏が就任しました。氏は精力
的にさまざまな改革を行ないます。レーガン大統領
とは「ロンとヤス」と呼びあうという友好関係をつ
くり、日米同盟の堅持を表明します。「日本列島不
沈空母」という表現で、アメリカの防衛力の下に日
本の安全を図るといった方針を明らかにしました。

 それまで日米貿易摩擦などでアメリカ人がもって
いた日本への不信感も大きく変容しました。そうし
た中で世界では多くの紛争や戦争が起き続けていま
す。もっとも有名なのは、英国とアルゼンチンがフ
ォークランド諸島をめぐって繰り広げた紛争です。

4月にアルゼンチンによる一方的な武力侵攻があり
ました。英国首相サッチャー氏はただちに空母を中
心にした海軍、海兵隊を派遣します。わたしの印象
に残っているのは、英国の原子力推進攻撃型潜水艦
の放った魚雷で、アルゼンチン海軍の巡洋艦が沈ん
だことでした。海中にひそんで、必中の大型魚雷を
放つ潜水艦の威力の大きさに驚きました。

また、フランス製エグゾセ空対艦ミサイルの威力で
す。航空機に積まれて、対艦船あるいは地上目標に
も撃てるのがこのミサイル。もちろん、英国海軍も
対抗する迎撃ミサイルを放ったものの、防御火網を
くぐり抜けたミサイルが英国駆逐艦の艦橋に突き刺
さります。爆発はしなかったものの、残りの燃料が
漏れて艦の上部が大きな炎に包まれました。

6月にはイスラエル軍がレバノンに侵攻します。そ
うして10月にはSLBM(近距離弾道弾ミサイル)
の水中発射実験に中国が成功しました。

1983(昭和58)年3月には、レーガン大統領
が戦略防衛構想(SDI)を発表します。この年9
月には新聞の一面に大きく、「大韓航空機撃墜され
る」という活字が躍りました。場所は樺太付近です。
ソ連戦闘機が非武装の旅客機をミサイルで撃ち落
としたのです。10月にはミャンマーで北朝鮮のテ
ロで韓国閣僚らが爆死します。同じ10月には、南
米のグレナダにカリブ海6カ国の軍隊が米軍ととも
に侵攻しました。

▼海上自衛隊掃海隊の始まり

 毎年のように海上自衛隊の新造艦艇が登場します。
護衛艦、潜水艦、そうして掃海艇が進水する様子
が見られます。はて、誰もが派手な護衛艦に眼を奪
われますが、このように記録に残って祝福を受ける
小型の艦艇は・・・。

 まず第1に掃海艇の敵は機械水雷、つまり機雷で
す。大東亜戦争中には多くの米国製機雷が日本列島
の周辺ばかりか、内海や港湾にまで撒かれていまし
た。潜水艦、航空機、敷設艦艇によるものです。そ
のため、敗戦と同時に多くの船艇が機雷を回収、爆
破するために活躍しました。

 海上自衛隊のスタートは、掃海隊といっていいで
しょう。水上戦力を持つよりもまずは、日本の生命
線である海上交通路を復旧する必要が高かったため
です。

 機雷にはいくつかの種類がありました。鉄製の船
体に感応する磁気機雷、エンジンやスクリュー音に
感応する音響機雷、水圧に感応する水圧機雷などで
す。しかも、すぐに爆発するもの、カウンターを内
蔵していて複数回の感応で爆発するものが組み合わ
されていました。掃海具を引いて走り回り、安全だ
と思ってもいつ爆発するか分からない、そうした危
険な敵でした。

 乗組員にはEODと略称される爆発物処理の水中
処分班といわれる人たちもいます。ウェットスーツ
にアクアラング(水中呼吸器)を背負ったプロフェ
ッショナルです。ハンドソナー(手持ちの音波発信
機)をもち、機雷の安全化に従事します。きわめて
危険な仕事です。

▼戦後すぐの掃海艇

 旧海軍には駆潜特務艇と区分される艇種がありま
した。機雷への対応を任務とし、同時に対潜水艦用
の爆雷などをもっていました。1952(昭和27)
年に海上保安庁航路啓開本部から、当時の保安庁
警備隊に23隻が移管されます。54年に海上自衛
隊が発足し、57年から艦種記号と番号が付されま
す。このときにMSI(マリン・スウィーパー・イ
ンショア)となったのは11隻でした。木造で排水
量は130トン、乗員は24名、磁気掃海具は旧海
軍の五式掃海具を使いました。「ちよづる」から「
おおたか」という鳥の名前を与えられています。最
後の3隻が1965(昭和40)年に除籍されまし
た。

 海自の艦艇区分についていえば、警備艦は護衛艦、
潜水艦の機動艦艇に対して機雷艦艇であり、他には
哨戒艦艇、揚陸艦艇から改称された(昭和49年)
輸送艦艇の4種類になります。機雷艦艇は、掃海艦、
掃海艇、掃海母艦、機雷敷設艦です。命名の基準は、
掃海艦艇は「島」の名前、掃海母艦と機雷敷設艦は
「海峡・水道・瀬戸」となりました。

 昭和30年代(1955~64)に活躍したのは
同じく10隻、「うきしま」型です。やや大型で2
30トン、乗員は27名です。「おきちどり」、「
ゆうちどり」という旧海軍飛行機救難船から変身し
た掃海艇もありました。「ゆうちどり」は1943
(昭和18)年竣工の300トン型ですが、東京オ
リンピックで迎賓艇となり、1978(昭和53)
年に除籍されるまで活躍します。

 米軍供与の戦後生まれの掃海艇もありました。「
うじしま」型といいます。排水量310トンで沿岸
掃海艇です。40ミリ機銃や20ミリ単装機銃を装
備しています。これらも1966(昭和41)年に
は特務艇に変更されました。「やしま」型4隻も米
国製。

▼国産艇の時代

 係維(けいい)機雷、海底から水中に浮いている
タイプや、音響・磁気などの感応機雷に対応するの
が「あただ」型でした。240トンの排水量では小
型過ぎて2隻で建造は打ち切られました。「やしろ
」も1隻のみです。いずれも1956(昭和31)
年竣工でした。

 いよいよ本格化したのは、「かさど」型からです。
昭和33年から同43年までに26隻が建造され
ます。排水量330トン、20ミリ単装機銃1基を
もちました。この機銃は防御用でもありますが、主
な用途は水上に浮かせた機雷を撃つものでした。

 映像に出てくる前のタイプは、昭和42年度から
建造される「たかみ」型です。機雷掃討能力が向上
し、機雷探知機の性能は向上し、水中処分員も乗り
組み始めます。排水量は380トンになり、乗員も
45名に増えました。

 そうして今回、ご紹介する映像に出てくるのは、
「はつしま」型です。外水量は440トン、全長5
5メートル。エンジンの排気を舷側から出さずに煙
突を設けました。特徴は20ミリ・ヴァルカンとい
われた砲が新しく搭載されたことです。

▲松島基地のF1支援戦闘機

 宮城県松島基地に配備されたF1戦闘機が見られ
ます。もともと空自はソ連空軍の侵攻に対してこれ
を要撃する(ほんとうは邀撃)ことが目的でした。
したがって、空中戦能力の高い戦闘機を装備してい
ます。それがF15やF16、F18といった戦闘
機と異なった味付けの攻撃機を開発しました。ソ連
の揚陸艦艇や、その掩護にあたる艦船を攻撃するも
のでした。


 1979(昭和54)年度までに64機の調達が
認められて、第3航空団第3飛行隊がまずF1で配
備に就き、続いて第8飛行隊もF86Fから機種変
更されました。56年度には第8航空団第6飛行隊
もF1に改編されて、とうとう懐かしいセイバー・
ジェットも任務を終えることになったのです。

 この攻撃機(わたしは支援戦闘機という言い方は
嫌いですのでお許しください)は、もともと超音速
練習機T2の発達型です。対地攻撃や対地艦船攻撃
では一流の能力をもっていました。当時は英仏共同
開発のジャギュアと比べられています。アドーア・
エンジンを2基備えるところも同じで、要求された
仕様も似ているところから比較し易いのです。しか
し、開発時期がF1の方が遅く、おかげで性能は優
れています。

 アメリカのノースロップF5はやはり双発の輸出
用戦闘機で、空中機動力はF1に勝るものの、対地
攻撃などのアタック・ミッションではとても及びま
せん。空自は空中戦にはF15イーグルとF4ファ
ントムでまかない、F1には対艦船、対地攻撃を行
わせる計画を立てていました。

 F1は爆撃コンピューター、慣性航法装置、電波
高度計、ECM装置、レーダー警報装置などを搭載、
この頃には社会党を主とする野党も「爆撃装置は
周辺諸国に脅威になる」などとは言わなくなりまし
た。また、攻撃機が爆撃もできないのでは意味はあ
りません。

 素晴らしいのは全天候型だったことでした。英国
のフェランティ6TNJ-F慣性航法装置を国産化
し、地上からの管制を受けずに夜間でも目的地に飛
べました。パイロットはレーダー火器管制装置との
組み合わせで、ヘッド・アップ・デイズプレイに映
し出される必要なデータに基づいて航法や攻撃を行
なうことができました。

 武装は胴体下部と翼下面の5つのパイロンに50
0ポンド爆弾なら最大で12発、またはロケット弾
を搭載しました。機首にはM61―20ミリ機関砲
をもち、空対空、空対艦にも威力を発揮します。も
ちろん、サイドワインダー2発も積めて、対空戦闘
もこなせました。対艦ミサイルも装備できます。

▼航空自衛隊の飛行訓練体系

 映像には他にも多くの機体が映ります。創設期の
空自の飛行訓練体系はT34メンター、続いてT6
テキサンでプロペラ機の課程を終えました。続いて
ジェット機のT33で高等教育を終えて、実用機課
程でF86Fセイバーです。

 1950年代後半になると、世界の主流は訓練の
初期段階からジェットになりました。そこで開発さ
れたのが、戦後初の国産練習機T1でした。T6の
後継として企画され、初飛行は1958(昭和33)
年1月に初飛行します。T33を性能的に超えよ
というのが空自の要求でしたが、戦前の中島飛行機
の後身である富士重工はそれによく応えました。

 ただネックはエンジンです。国産が間に合わず、
試作、量産の43機は英国製エンジンを積みました。
A型といわれます。国産エンジン付きは2年後の
60年に初飛行。推力が英国製よりずいぶん低く、
Aからの改造も含めて22機しか造られませんでし
た。その後、65年にはJ3-IHI-7がB型の
全機に搭載されます。

 これの後継機がT2超音速練習機です。1971
(昭和46)年に初飛行し、エンジンは石川島播磨
重工がライセンス生産したTF40-IHI801
A。マッハ1.6の最高速度を誇りました。戦闘機
基本操縦課程には前期型、レーダーと20ミリバル
カン砲が装備されている後期型が戦闘操縦課程に使
われていました。この発展型がF1支援戦闘機にな
ります。

▼細かいことでは

 細かいことでは、当用漢字に「屯」が使えるよう
になりました。57年の映像には、看板の書き換え
がのっています。フランスのミッテラン首相、英国
の「鉄の女」サッチャー首相が訪れている様子も出
てきます。

 陸・海・空自の階級に「曹長」が増えました。こ
れで陸・海・空曹のトップに、陸曹長、海曹長、空
曹長が加わり、1曹の進級先になります。

防衛記念章も制定されました。外国軍隊でも戦前の
陸海軍でも、その勤務履歴や勲功に応じて軍人はメ
ダルや徽章、勲章を付けています。それを正装に着
けるのは当然の礼儀でしたが「軍隊ではない自衛隊
」にはそうした制度がありませんでした。そこで、
勲章の略綬(本体ではなく、略式になるリボン)に
似た記念章を付けることにしました。いまの自衛官
はその職歴に応じた、あるいは勲功(表彰を受けた)
の印になる色彩豊かなバーを左胸に着けています。

興味深いのが映像のBGM、海自は「軍艦行進曲」、
それはまあ分かります。ところが空自の場面では
大東亜戦時中の映画、「燃ゆる大空」のテーマが流
れます。当時では、気がつく人もいたかも知れませ
んが、近頃の方には知られていない名曲です。「東
亜の空を制する我ら」という歌詞を使った曲を流す
とはさすが航空自衛隊と微笑ましくもなりました。


(つづく)


(あらき・はじめ)


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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
 

『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
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