こんにちは。エンリケです。
「すぐそこにある国際情勢」を
味わえる、ドラマになりそうなものがたり。
「サムライ先生、日本語を教える」
は、きょうで最終回です。
最後の一文に視界がぼやけたのは、
連載を通じて生徒たちに感情移入し
ていたからでしょうか、、
やべぇ。俺も泣きそうだ、、
武芸者ならではの
「柔らかい智慧」
を毎回楽しませていただきました。
寂しいです。
日本語学校教師は、
民間外交官に相当する戦略的に重要な職。
そんな目を開いてくれた山下さんに感謝します。
うれしいことに、この連載が書籍化されるそうです。
ほんとうにうれしいです。
出版社さんの決心と志に感謝と喝采を捧げます。
当初から
ドラマで見たい!
と言い続けてきましたが、
もしかしたら、その一里塚になるかもしれませんね。
では最終回をどうぞ
エンリケ
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サムライ先生、日本語を教える(最終回)
卒業──やべぇ。オレ、泣きそうだ
山下知緒(やました・ともお)(研武塾代表)
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□はじめに
半年間にわたる連載におつき合いいただき、誠に
ありがとうございました。
今回をもって、ひとまず終了します。
西丘日本語学園のその後については、近く発刊予
定の自著にてご披露したいと存じます。
それはさて置き、読者の皆さまから励ましのお声
をいただきましたこと、衷心より感謝申しあげます。
メールマガジン発行人のエンリケ様にも……「軍
事情報」としては、いささか毛並みが微妙な当連載
に……過分なご配慮をいただきました。
この場をお借りして、重ねてお礼申しあげます。
お目にかかれるまたの機会を、心より楽しみにし
ております。
▼「じゃあ、西丘はどうなるんでしゅか!」
「辞める? じゃあ、西丘はどうなるんでしゅか!」
金さんは激高した。
私に辞職を勧めていた彼は、ここにきて態度を一変
させていた。その理由は、専任教員が誰もいなくな
る危機を、またもや迎えていたからだった。
まず、クマヨウファンの古川先生は、新設する千
葉校への異動希望を却下されたのを不服として、学
校を去ってしまった。もともと彼は、自宅に近い千
葉校がオープンするまでの短い期間だけ、西丘日本
語学園に勤めるという約束だったらしい。しかし、
千葉校は2人の教員だけで切り盛りせねばならない
ため、「不熱心な古川先生を投入するのは心もとな
い」と、人事の竹村さんが断ったのだ。約束を反故
(ほご)にした会社側にも問題はあるが、古川先生
を間近で見てきた私としては「まぁ、いたしかたな
いか」と感じていた。
また、教務主任の伊藤先生は「教壇に立たない」
との姿勢を変えず、会社側と激しく衝突していた。
妥協点を見いだせぬまま膠着状態が続いていたが、
結局、彼女も辞職の意向を固め出していた。
こうした諸事情から、リストラ第一候補だった私を、
金さんは何がなんでもつなぎ止めねばならなくな
ったのである。しかし私は、すでに何校かの日本語
学校に履歴書を郵送しており、その返事を待ってい
るところだった。年度がわりまでに転職先を決めた
かったからだが、金さんはそれを聞くやいなや、目
を三角にして私を責めたてたのである。
「山下先生の『仕事を学び直したい』という姿勢は
立派でしゅよ。でもね、どこの学校へいっても、ど
うせ仕事は同じなんだな。たしかにね、この学校に
は問題があります。しかし、どんな学校にだって問
題はあるよ!」
「何をいってるんですか? 私に転職を勧めたのは
金さんですよ」
「何をいっているの? あれは、山下先生のことを
心配していったんでしょ! 今は事情が変わったん
です。そうでしょう?」
「要するにね、その場しのぎで『誰かを置いときゃ
いい』って考えだから、こういうことになるんです
よ。まだ進学先の決まっていない2年生がいるし、
もう少しで新2年生の進学指導も始まります。この
状況を乗り切るには、伊藤先生に残ってもらうべき
ですよ。彼女は、そのあたりの仕事に慣れています
からね。授業は当面、非常勤講師だけでも回せるで
しょう。再度、伊藤先生と話し合うように、本部へ
かけ合ってみたらどうですか?」
「わかってまっしゅ! しかし、伊藤先生は給料が
高いからね。社長は頭がパーっとなっているんだな。
とにかく山下先生は辞めたらダメですよ。これは
ね、あなたのためなんです!」
金さんは人差し指をゴンゴンとテーブルに叩きつけ、
私をにらみつけた。何とも節操のない話であるが、
つまるところ会社は、安月給でこきつかえる私を
手放さぬことにしたのだろう。
「よしんば、私が仕事を続けるとしても、伊藤先生
を残してくれませんか? 1人ではもう無理ですよ」
「当たり前です。私はね、社長が相手でも、いう時
はガーッというよ。知らないでしょ? すごいんだ
よ」
「わかりました。じゃあ、期待しています」
「いや、あまり期待してはダメだよ」
「はぁ? ともあれ……時間をください。春休みに
有給をもらって妻と旅行する予定ですから、その後
にもう一回話し合いましょう」
「オッケー。それがいいよ。のんびりすれば、嫌な
ことも忘れましゅ! 山下先生、今後ともよろしく
お願いします!」
そういって金さんは、満面の笑みを浮かべた。
▼成績優秀者と皆勤者に金一封
その翌月、2年生たちが卒業式をむかえた。
この年の卒業生は20人強しかいなかったため、
外部の会場を借りず、校内で挙式することになった。
式場の飾りつけ、卒業証書の名前確認、胸章の準
備などは、事務の田中さんと林さんが中心となって
前日におこなった。
「こういうのも、学校職員の仕事なんだなぁ」
私は目からウロコの気分で、その作業を手伝って
いた。
週に1回だけしか顔を出さない須本校長も、妙に
ハリキっているようだった。この校長先生は、クロ
スワードパズルをやって帰るだけの閑職にあったが、
日本語学校に関わる以前は、大学に奉職していた
真面目一徹の人物だった。
「山下先生はとにかく声が大きい。これは素晴らし
いことです。評判のいい先生ってのは、声がデカい
ですからな。私も教壇に立った時は、いつも大声を
張りあげていたもんです」
そんなふうに私をほめてくれたけれど、この校長
先生は「何においても話が長い」という致命的な欠
点があった。彼の話には脈絡がなく、くり返しも多
いので、田中さんたち事務員も、忙しい時には聞こ
えないフリをすることがあった。
この日の事前準備でも、須本校長の同じ話、同じ質
問に閉口していたが、帰りしな「差し出がましいん
ですがね、成績優秀者と皆勤者に金一封をお出した
いんです。いかがでしょうか?」といわれてビック
リした。
「えっ? 校長先生が? いいんですか? むろん、
いいお話だと思います」
「私たちが送り出す最初の卒業生ですからな。お役
に立ちたいのですよ」
校長先生の双眸には、クロスワードパズルに興じ
ている時には見られない強い輝きがあった。
「明日の学校長式辞は長引きそうだぞ……」
私はガックリとうなだれた。
▼「みんな、自信を持って卒業しなさい」
「フィルーザさん、違うよ! 今、いったろう?
一回お辞儀してから証書をもらうんだ。ホラ、足は
開かない。かかとをつけて立つんだよ」
式当日は、卒業証書の受け渡し練習からスタート
した。
私は一人ひとりを懸命にチェックしていたが、ル
スタムは相変わらず反抗的な態度をとり、イスにふ
んぞり返って練習を拒否していた。こちらはそれを
叱る余裕がなく、いつもどおり放っておくことにし
た。
リハーサルが終わると、すぐに本番が始まった。
開式の辞を述べた金さんは、緊張で声が裏返り、卒
業年度を二度も間違えてしまった。
田中さんと林さんは撮影係を担当した。私は足を投
げ出して座ったり、私語を交わそうとする学生をに
らみつける監視役に回り、証書授与の段になると、
それを校長に手渡す助手も務めた。
さて、リハーサルをしなかったルスタムは、校長
が文面を読みあげるのと同時に証書へ手を伸ばすと
いう失態をさらしてしまった。ルスタムは反射的に
私をふり返り、汗がにじみ出すほど顔を真っ赤にし
た。両手を差し出したままの姿で固まっているルス
タムの間抜けな様子に、私は笑い出しそうになった
が、何とか無表情をつらぬいた。
式典が終わると、集合写真を何枚か撮影し、学生
らも各自の携帯電話で記念写真を撮り始めた。その
流れで立食パーティーとなり、結構豪勢なケータリ
ング料理がところ狭しとならべられた。それは、田
中さんが経費をやりくりして、近所のオードブル店
に発注したものだった。「前任者の一斉退職などで
学校が混乱したことへのおわびです」と、彼女はい
った。
スリランカやウズベキスタンの学生らは、例によ
って「ブタ肉はダメです」「トリ肉はどれですか?」
などと食材を気にしていたが、ベトナムの学生た
ちはここぞとばかり、あらゆる料理に手を伸ばして
いた。
「ベトナム人は何でも食べるね。ネコも食べる。お
そろしいことです」とブーミンがちゃかすと、ベト
ナム勢のリーダー格であるファムが、「ブタがダメ
なら、ネコを食べるといいよ」と不敵に笑った。
ファムはゴルフ用品製造工場で、クラブを組み立
てるアルバイトをしており、「日本人は器用という
けど、仕事は遅いし、ヘタクソが多い。だからオレ、
班長をやっているんだ」と誇らしげに語っていた
ことがあった。ファムも筆記テストのふるわない学
生だったが、口は達者な部類で「ネコの肉は鍋やス
ープにするとうまい」といったことを、よく教えて
くれた。
また、教室を見回すと、年末から失踪していたロ
ボフがいけしゃあしゃあと途中参加しており、料理
をついばんでいた。
「今日、初めて校長先生を知りました。私、山下先
生が校長先生だと思っていたよ。本当に驚きました」
ナポリタンをすすりながらロボフがそういうなり、
「私も!」と同意する声があちこちであがった。
「私が校長をするほど、西丘日本語学園はヒドい学
校じゃないぞ。みんな、自信を持って卒業しなさい。
でもさ、ここで本当にエラいのは田中さんだからな」
私の軽口に対して、ロボフは「この学校はやはり
ダメですね」とふざけた。
宴もたけなわで、職員一人ひとりが祝辞を述べる
ことになった。メッセージなどまったく考えていな
かったが、何の迷いもなくあいさつすることができ
た。
「1年半あるいは2年間、あなたたちはまったく知
らない国で過ごしました。これは本当にすごいこと
です。私も学生時代、アメリカやインドを旅行しま
したが、いたのはせいぜい1か月くらい。それでも
大変な経験をしました。あなたたちは、それよりも
ずっと大変だったでしょう。心から尊敬します。で
もね、『自分の力だけでやった』と思っちゃダメで
すよ。助けてくれたお父さん、お母さん、家族への
ありがとうを大事にしてください。アルバイトの店
長さんや日本人の友だちにも、感謝しましょう。そ
してこれからも、ありがとうの気持ちを忘れないで
ください。そうすれば、あなたたちは、ずっと、も
っと上へいける。本当だよ。まっ……とりあえず、
卒業おめでとうございます」
いい終わって学生たちを見回すと、彼らはしばら
く黙っていた。
そして、不意にファムがつぶやいた。
「やべぇ。オレ、泣きそうだ」
▼彼らは今、どうしているだろうか?
パーティーの解散後、ウズベキスタン学生一勤勉
な大男のアバロフが、ヌッと私の前に立って一礼し
た。
「山下先生、あなたはこういいました。本当にわか
って欲しい人には、ウソをいってもいい。ウソでも
いいからホメなさい」
「あぁ。ウソも方便の話だな」
「ですから……山下先生。あなたは本当に優しくて、
怒ったことがない、素晴らしい先生でした。どう
もありがとうございます」
アバロフがそういうと、ブーミンたちが背後から
声を合わせて「ウソでもいい!」とはやした。
「そういうことか」と私は苦笑して、「ありがとう。
あなたたちも居眠りはしないし、ケンカもしない、
素晴らしい学生でした。頑張れよ!」と即座に応
酬した。すると今度は、スリランカ勢が「それは本
当!」と切り返して大爆笑した。
日本人にはない彼らのカラッとした明るさが、今さ
らのようにまぶしかった。
みんなが去った大教室の後片付けをしていると、
ゴミ袋を手にしたルスタムが顔を出し、頼んでもい
ないのに手伝いを黙々と始めた。
「先生がこんなことをするのはおかしい。なぜ、あ
なた一人でやっている?」
彼は、イラついた口調で話しかけてきた。
「今日はあなたたちのお祝いだからさ。掃除当番は
オレなんだ」
「田中さんと林さんは何をしている? 彼女たちは、
なぜやらない?」
「彼女らは、準備のほうで頑張ったんだ。今、ボル
タエフさんたちが招待してくれたランチにいってる
よ。ルスタムさんもいって来れば?」
私も食事に誘われたのだが、どうもてれ臭くて、
居残りの掃除を進んで引き受けたのである。
ルスタムはそれに答えずに、ゴミを拾い続けた。
「ルスタムさん。あなたはたぶん、苦労の多い大人
になるぜ。でも、それは悪いことじゃないよ。苦労
した分だけ、立派な人間になれると信じなさい」
ルスタムは、その言葉にも黙っていた。そして片
づけを終えると、「さようなら」といい残して、仏
頂面のまま教室を出ていった。
あれから2年の月日がたった。
彼らは今、どうしているだろうか?
《おわり》
(やました・ともお)
【筆者紹介】
山下知緒(やましたともお)
1971年9月9日生まれ。2018年4月以降、
日本語学校教師を務める。民弥流居合術、駒川改心
流剣術をはじめ、小太刀、十手、棒、柔術などを学
ぶ。現在は手裏剣術を表芸とする武術道場「研武塾
」を主宰。手裏剣製作の勉強会「武具学会」を併設
して、多面的な武術研究に取り組んでいる。妻のコ
ミックエッセイ『ある日突然ダンナが手裏剣マニア
になった。』<リーダーズノート>に描かれた私生
活をNHKドキュメント番組「熱中人」が密着取材
して2012年1月に放映。2012年11月、D
VD「山下知緒 手裏剣道 験流手裏剣術入門」<
クエスト>を刊行。2014年4月、『古式伝験流
手裏剣術』<並木書房>を上梓。
≪研武塾道場≫手裏剣術をはじめ、居合術や古流剣
術等を稽古する武術道場。稽古日は毎週土曜日の午
後4時から午後6時。月謝6千円。道場所在地は西
武池袋線「東久留米駅」から徒歩2分。道場の詳細
や問い合わせは、
古式伝験流手裏剣術
http://kenryu-shuriken.jimdo.com/
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