配信日時 2021/04/28 09:00

【防衛省の秘蔵映像(13)】極東ソ連軍の脅威 ─昭和56年映像─ 荒木肇

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こんにちは。エンリケです。

きょうは、
「防衛省の秘蔵映像」の解説13回目です。

7機甲師団や普通科連隊の話など、
興味深いテーマばかりです。


さっそくどうぞ。


エンリケ


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防衛省の秘蔵映像(13)

極東ソ連軍の脅威
─昭和56年映像─


荒木 肇

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昭和56年映像の紹介
https://www.youtube.com/watch?v=_MF8zGUFn_Y


□はじめに

 防衛大学校OBのO様、まことに有り難いお便り、
温かいお言葉をいただき恐縮至極です。さっそく
M元陸将にお話ししたら、同じ国際関係論を専攻さ
れたとか。今後とも、こつこつと励んで参りますの
で、何かありましたらご教示をお願いいたします。


▼機甲師団までの歩み

 わが陸自には9個の師団のうちで唯一の機甲師団
があります。北海道千歳市に司令部をもつ第7師団
です。昔の陸軍では旭川に駐屯したのが第7師団で
したが、現在の旭川には第2師団が北鎮(北方の鎮
護)師団としてその威容を見せています。

 この年、昭和56(1981)年には第7師団が
機甲師団となりました。戦車3個連隊に1個装甲普
通科連隊が基幹部隊です。少し時間をさかのぼって、
この師団が誕生するまでの経緯をふり返ってみま
す。

 管区隊といわれた師団の前身が4個から6個に増
えたのは1954(昭和29)年のことでした。ま
た、このとき新しい編成単位として混成団が生まれ
ます。合計で6個管区隊と4個混成団が発足しまし
た。

 翌55(昭和30)年には第7、第8の混成団と
西部方面総監部(熊本市健軍)の編成が完結。第7
混成団は北部方面隊へ、第8混成団は西部方面隊へ
編入されます。そして翌56年には第9混成団、5
8年には第10混成団が編成されました。

 しかし、混成団はその隷下には1個普通科(歩兵)
連隊しか持たず、どうみても管区隊(のちの師団)
との戦力格差は明らかでした。このことは当然、
陸自中央部では十分承知しており、混成団はこの後、
すべて機械化されて機動部隊にする予定だったの
です。管区隊の警備正面の最重要正面に投入する構
想をもっていました。


 ところが、ここに予算の壁がありました。機械化
混成団とは、誰も歩く人はいないということです。
歩兵は装甲兵員輸送車に乗り、自走砲も含んだ機械
化砲兵、戦車、機械化施設部隊(工兵)をはじめと
して、通信、衛生、武器、偵察、補給すべての部隊
が自動車搭乗ということです。これがどれほど金と
人を必要とするか、すぐにお分かりでしょう。結局、
北部方面隊の第7混成団のみが機械化されること
になりました。

▼13個師団体制が発足

 1962(昭和37)年、陸軍らしい「師団」の
名称が復活します。第1から第6までの各管区隊は
その番号のまま師団に、第7から第10までの混成
団はやはり同番号の師団に改称改編されました。ま
た、第11から第13までの師団が新編されます。
すべて懐かしいです。

 この各師団は編成単位数の違いで、甲乙の2種に
分けられました。普通科(歩兵)連隊4個を基幹と
する甲、同じく3個を基幹とする乙師団です。その
他の職種(兵科)部隊も、この普通科連隊の個数に
合わせて、甲師団は4個、乙師団は3個単位になっ
ています。たとえば、甲師団の特科(砲兵連隊)は
4個大隊、乙師団のそれは3個大隊となりました。
施設大隊も4個中隊と3個中隊となっています。

 このとき、第7師団だけは部内では「丙」師団と
いわれたようで、甲乙の両師団とは少し異なった編
制になっていました。それは後で詳しく述べます。

▼歩兵(普通科)連隊の改編

 いまも詳しい方はご存じでしょうが、陸自の歩兵
連隊には大隊がありません。ふつう、歩兵の編制は
分隊(下士官が指揮する)、小隊(初級将校が指揮
官)、中隊(大尉同)、大隊(少佐・もしくは中佐
同)、そして大佐(1等陸佐)が指揮する連隊とな
ります。それが陸自では、連隊内にあった連隊-大
隊-中隊といった構成(指揮結節という)が連隊-
中隊に縮小されているのです。中隊長も多くが3佐
(少佐)です。いまも歩兵大隊があるのは空挺団の
普通科群(連隊相当)だけでしょう。

 当時の解説記事を見ると、機動化・流動化した現
代戦では、指揮結節を簡略化して事態により迅速に
対応できるようにしたと説明しています。連隊長(
有事には連隊戦闘団長)の意図、指示がダイレクト
に第一線の中隊に届くからということです。しかし、
それまでの12個歩兵中隊が4個になってしまい
ました。もちろん、重迫撃砲隊、装備も向上し、火
力は増したといえるでしょうが、人員的には寂しい
連隊になったものです。

 師団特科連隊も減りました。中隊6門の3個中隊
で1個大隊だったものが、4門中隊で1個大隊とな
ったのです。管区隊と新しい師団の違いは大きいも
のでした。この他にも管区隊と混成団の「航空隊」
は、師団化となって「飛行隊」に改称されて、方面
航空隊にまとめられました。

当初、4個普通科連隊基幹の甲師団は第1(東京)、
第4(福岡)、第11(札幌・真駒内)師団だけ
でしたが、1970(昭和45)年に3個普通科連
隊が新編されて第3(兵庫県伊丹)、第6(山形東
根)、第13(広島海田市)も甲師団になります。
さらに1981(昭和56)年、この年に第7師団
の隷下だった第24普通科連隊が第8師団(北熊本)
に配属が変わります。そこで第8師団も甲師団。
ここで甲師団8個、乙師団4個、機甲師団の合計1
3個師団となりました。このまま、残りも甲師団化
かと思われましたが、そのようにはなりません。

▼機甲第7師団生まれる

 第7師団には3個の戦車連隊があります。映像に
はその看板の交換が見られます。それまでの第7戦
車大隊が第71戦車連隊になりました。また、北部
方面直轄だった第1戦車団の第2、第3戦車群が、
それぞれ第72、第73戦車連隊に改編されます。
各連隊は4個中隊で各中隊は4個小隊18輌(本部
2輌含む)ですから合計72輌、これに本部所属戦
車や戦車回収車などもあるので戦闘車両だけで23
0輌余りにもなりました。

 これと入れ替わりに第23、第24普通科連隊が
師団を離れました。第23は廃止、第24は前に書
いたように九州の第8師団へ移り、残ったのは第1
1連隊でした。この連隊は普通科4個中隊を同6個
中隊に増強、これまでの3個連隊の中にあった重迫
撃砲隊を集めて連隊重迫中隊を新編します。

 注目すべきは、後方支援連隊ができたことです。
輸送、補給、衛生といった各隊、武器大隊といった
後方部門の部隊を集めて連隊にしました。特科連隊
もすべてが自走化されます。高射大隊も独立して高
射特科連隊となり、のちには自走高射機関砲4個中
隊、短SAM2個中隊からなる強力さです。ただし、
師団特科には、他の北海道師団(第2、第5、第
11)にある多連装ロケット中隊がありません。

 時代は、「ソ連が攻めてくるか、こないかではな
い。いつ来るかが問題なのだ」という気分でした。

▼ブルーウェイブ・ネービーへ

 映像には日本海で米海軍と協力しての対潜水艦戦
闘の訓練が映っています。この時代、ソ連の原子力
潜水艦の脅威がたいへん大きかったのです。大陸間
弾道弾を搭載した原子力潜水艦は国家の心臓部に銃
を突きつけるようのものでした。

同時にいわゆる攻撃型原潜(マスコミの造語ですが、
攻撃しない潜水艦がいるかどうか・笑)も空母を
攻撃力の中心したアメリカ海軍にとっては危険なも
のです。その発射する艦対艦ミサイルも防ぐのが難
しい。そこで、日米海軍は協力して潜水艦への対処
に熱心だったのです。

 80年代の海自を一言でいえばと専門家は口を揃
えます。「ブルーウォーター・ネービーへの脱皮」
です。それまでの沿岸警備を主とするものから、プ
レゼンス(存在誇示)の機能を太平洋海域にも伸ば
し、通商ルートの保護を目指したと言えます。

 そうなれば、陸上からのエア・カバー(航空戦力
の掩護)の外でも作戦できる艦隊の整備が必要です。
また、太平洋沿岸諸国の海軍との協同行動が前提
とされます。この年の前年には、「日米防衛協力の
ための指針」が合意されました。その中には、平時
においての協力態勢の強化、共同作戦への傾斜が見
てとれます。中部太平洋においての「環太平洋演習」
での米・カナダ・ニュージーランド・オーストラ
リア各国海軍との様子も映っています。

▼80年代の32隻

 80年代に保有する予定、あるいは保有している
対潜水艦用水上艦艇は4つに分類されるといわれま
す。

まず第1のタイプは、対潜水艦ヘリ3機を搭載する
大型護衛艦4隻です。「はるな・ひえい・しらね・
くらま」です。4個護衛隊群に1隻ずつ配備されま
す。5インチ砲2門、アスロック・ランチャーに加
えて、対空ミサイルであるシー・スパロー1基と近
接防御用のバルカン・ファランクス機銃(CIWS)
2基を装備しています。これは自艦防空能力の向
上も目指しているわけです。

次に第2のタイプは、俗にDDG(ガイデッド・ミ
サイルのG)といわれる対空ミサイル・ターターを
主装備とする3900トン型の護衛艦です。「たち
かぜ」、「あさかぜ」、「さわかぜ」などがそれに
あたります。合計3隻が建造され、前世代の「あま
つかぜ」と合わせて各護衛隊群に1隻ずつです。こ
れは個艦だけではなく、群全体の防空の支援をする
目的をもっています。

つづいて第3のタイプは、2950トン型のいわゆ
る「汎用(はんよう)護衛艦」とされたものです。
対空能力、対水上打撃力、対潜水艦能力をバランス
よくもつ、あわせて個艦防御能力もあるといった万
能選手。1個護衛隊群に5隻ずつ配備する予定でし
た。もちろん、対潜ヘリを1機ずつ搭載します。

対潜攻撃用にはアスロック、防空にはシー・スパロ
ー・ミサイル、水上打撃力は艦対艦ミサイル・ハー
プーンを装備します。ハープーンは米海軍でも装備
し始めた新装備で、射程は最大110キロメートル、
最終段階ではアクティブ・ホーミング・レーダー
で敵艦を捉えてから突入するものです。

1982(昭和57)年から87(昭和62)年ま
でに12隻が就役します。「はつゆき」がクラスの
ネームシップで、機関はオール・ガスタービンで3
0ノット(約時速56キロメートル)を出し、対潜
水艦ヘリ1機を搭載しました。1985(昭和60)
年に竣工した7番艦「はるゆき」までは艦橋構造
物に軽量のアルミ合金を使います。艦の重心を下げ
ることにも有効でした。

▼フォークランド紛争の教訓

1982(昭和57)年4月、アルゼンチンが一方
的にマルビナス諸島の領有を主張し、武力を行使し
英国軍守備隊を降服させます。これをフォークラン
ド紛争といいます。領土問題で一歩も譲らず、開戦
を決めた英国の首相サッチャー女史は「鉄の女」と
言われました。戦闘そのものは圧倒的に英国の優勢
でしたが悲劇がありました。

英国海軍駆逐艦がフランス製空対艦ミサイルの命中
で大火災を起こします。このため、56年度計画艦
「やまゆき」からアルミ合金に替えて、鋼材が使わ
れることになりました。

こうして、護衛艦8隻、対潜水艦ヘリコプター8機
で、1個護衛隊群を構成することからこの編成を「
海自昭和の八八艦隊」と言われます。はるか昔、戦
艦8隻、巡洋戦艦8隻を「ハチハチ艦隊」と言いま
したが、それをもじったマスコミの造語でした。

最後に地方隊所属の護衛艦にも新型が出ます。この
タイプはDE(デストロイヤー・エスコート)とい
われました。70年代には「ちくご」型級の沿岸タ
イプの護衛艦が建造されます。「ちくご」型は3次
防で、合計11隻が建造されました。アスロックや
対潜水艦探知能力をもちながら、砲熕(ほうこう)
兵装は76ミリ連装速射砲と後部に40ミリ連装機
銃のみといった寂しさでした。最終艦は1977(
昭和52)年竣工「のしろ」です。

56年に竣工したのは「いしかり」、58、59年
と続けて竣工したのは、「ゆうばり」と「ゆうべつ
」でした。いずれもユニークな艦でしたが、「いし
かり」は単艦、「ゆうばり」型は2隻のみです。

80年代の地方隊の立役者は「あぶくま」型でした。
1986(昭和61)年度から建造が始まります。
基準排水量は2000トンながら、ガスタービン
と巡航用のディーゼル機関をもって27ノット(時
速約50キロ)を出し、76ミリの単装速射砲、近
接防御機銃をもち、ハープーン4連装発射機を2基、
アスロック発射機も備え、3連装対潜用魚雷発射
管を2基もつという重武装です。


(つづく)


(あらき・はじめ)


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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
 

『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
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