配信日時 2021/04/27 20:00

【短期5回連載:情報分析官が見た陸軍中野学校(5)】「新著で私が強調したいこと」 上田篤盛(インテリジェンス研究家)

こんにちは、エンリケです。

元防衛省情報分析官・上田篤盛さんの、
「短期5回連載:情報分析官が見た陸軍中野学校」
の最終回です。

貴重なコンテンツを提供くださった上田さんに
心から感謝します。

このコンテンツと新刊本を通して、
中野学校の真の意味での鎮魂と再生に立ち会えた
こと、マスメディア情報と接するためのリテラシ
ーの涵養方法、そして秘密戦に刮目できたことは、
生涯の喜びです。

上田さんの新刊
『情報分析官が見た陸軍中野学校』
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さっそくどうぞ


エンリケ


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短期5回連載:情報分析官が見た陸軍中野学校(5)

新著で私が強調したいこと

  インテリジェンス研究家・上田篤盛(あつもり)

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□はじめに

 この連載は今回が最終回となりますが、新著『情
報分析官が見た陸軍中野学校』で、私が強調したい
ことを総括します。

本書の目的の1つは中野学校がスパイ組織として非
合法な活動を行なっていたなどの誤認識を排斥して、
中野出身者の英霊を慰め鎮めることです。もう1
つは、対日包囲網が形成され、支那事変が泥沼化す
るなかで、秘密戦に活路を見いだそうとした中野学
校創設者の思いを現代の教訓として「再生」するこ
とです。

すなわち、中野学校の「鎮魂と再生」に思い込め、
この短期連載を締めくくりたいと思います。

▼中野学校を等身大に評価する

 今日、どちらかといえば中野学校は実態よりも過
大、誇大に捉えられています。他方で、中野学校を
情報機関や謀略機関として誤認識し、それを各国の
情報機関などと比較して「大したことはなかった」
と過小評価することもあります。いずれも間違いで
す。
 
 中野学校を過大視し、今後の日本の情報組織や情
報活動のあり方を模索するには中野学校に学べばよ
い、などの短絡的思考は禁物です。

 中野出身者や中野教育における優れた点が多々あ
ったことは間違いありませんが、他方で、「中野学
校がもう少し早くできれば、太平洋戦争は回避でき
た」かのような感覚論に基づく過大評価は問題の本
質への理解を遠ざけます。
 
また、根拠に乏しい過大評価は、映画『陸軍中野学
校』や小野田少尉にまつわる特殊事例が独り歩きし、
中野出身者が北朝鮮情報機関を作ったなどの“都
市伝説”や戦後の帝銀事件などの「国家重大謀略事
件」に関与したなどの不確かな噂を広める原因にも
なります。
 
だから、中野学校の誤認識を排斥し、現代的教訓を
導き出すためには、まずは中野学校を等身大に評価
することが必要不可欠なのです。

▼秘密戦の誤解を解く

 今日、秘密戦は中野学校で行なわれていた秘密戦
技術、沖縄での遊撃戦、さらには登戸研究所(秘密
戦研究所)による風船爆弾、偽札の製造、そして第
七三一部隊が関与したとされる生物戦および化学戦
など、さまざまに認識されています。

 森村誠一の『悪魔の飽食』(光文社)の信憑性は
ともかく、そこに描かれる第七三一部隊の暴虐性に
は目をそらしたくなるものがあり、ベストセラーと
して多くの読者に悪辣なイメージを植えつけたこと
は間違いないでしょう。こうして、秘密戦とは絶対
に許されない手段をもって、相手側の情報を盗んだ
り、目的達成の障害となる要人を暗殺したりする行
為との印象が固まってきました。

中野学校や陸軍参謀本部では秘密戦を情報勤務の意
味で使用し、それは諜報、宣伝、謀略、防諜の4つ
からなると定義していました。しかし、今日では秘
密戦はさまざまな意味で使用されており、それらの
違いを明らかにせず、メディアなどで混同して使用
することは禁物です。これが、中野学校のイメージ
を貶め、現代に少なからぬ負の影響をもたらしてい
ます。

 だから私は本書では次のように主張しました。

「秘密戦という一つの言葉をもって中野学校、登戸
研究所、第七三一部隊が短絡的に連接される。中野
学校の教育の一部をもって忌まわしい事実を強調す
る。秘密戦という後ろめたい隠微な言葉の響きとと
もに旧軍や中野学校が行なった情報活動が全否定さ
れる。
 このような何もかも一緒に関連づける粗雑な論理
の延長線で、今日の情報に関する組織、活動および
教育が否定されることだけは絶対に避けなければな
らない。周辺国が情報戦を強化しているいま、日本
がそれらに対抗して本来行なうべき正当な情報活動
まで制約を受けることがあってはならない。
 情報活動は国家が行なう正当な行為である。情報
活動そのものを否定してはならないのである。」
(本書引用)

▼根拠不明な謀略説を排除する

 さらに許しがたい状況は、書籍や雑誌で中野出身
者が暗殺や毒殺、拉致などを働いたなどという記事
がまことしやかに流布されていることです。

ただし、毒殺などは教育の中でわずかに教えられた
だけであり、所要の目的を達成するためには相当の
訓練が必要となります。他方で、毒殺といえども、
作戦との連接や所望の効果などを考えずに単に実行
するだけであれば、当時の一般軍人や知識のある民
間人でも実行は可能であったとみられます。
 
また中野学校では個人目的での謀略の使用は厳しく
制限され、国家目的のため、さらにはアジア解放の
ための謀略に限定すべきであると教育されていまし
た。要するに、さしたる根拠もなしに、安易に謀略
事件と関連づけて吹聴すべきではないということを
申し上げたいのです。

 中野出身者で御年99歳になられる牟田照雄先生
は、筆者の知人でもある鈴木千春氏の取材に対して
次のように述べられています。

 「スパイ学校という表現を筆頭に、中野学校を書
いた書籍、雑誌は多いが間違いが多い。メディアや
マスコミの無責任な憶測から、全く関係がないのに
下山事件、白鳥事件まで中野学校にこじつけられ、
非常に不愉快です。中野学校には裏切り者も犯罪者
もいません。誤解と中傷に怒りを感じます。
 中野出身者は密かに熾烈に、黙々と国のために尽
くしました。間違った情報が独り歩きし、私たちの
『誠の精神』が踏みにじられています。これでは戦
死した同志の英霊も安らかに眠れない」(本書引用


 私たちは、牟田先生ほかの“声なき声”を重く受
け止め、日本のために戦った英霊を慰め鎮めるため
にも、いわれなき風説を排斥しなくてならないと思
います。是非とも、できるだけ多くの方々に本書を
お読みいただき、誤った認識が流布されることを一
緒に防止していただけたらと心よりお願いしたいの
です。

▼インテリジェンス・リテラシーの向上を目指して

 本書では組織や国家がインテリジェンス・リテラ
シーを高めるために秘密戦の研究は排除してはなら
ないと述べました。ただし、これは謀略などの能力
を保有せよ、という意味ではありません。諸外国が
これらの情報活動を活発に展開している現状では、
防諜の観点からこれらの秘密戦を研究することは必
要であるということを申し上げます。
 
今日、「超限戦」「ハイブリッド戦」「マルチドメ
イン作戦」など呼称はさまざまですが、平時と有事、
正規と非正規、戦略と作戦・戦術のグレーゾーン
での戦いが注目されています。そして、わが国に対
するかかる脅威が確実に高まっています。

ハイブリッド戦などの原点は秘密戦であると言って
もよいでしょう。今日、現代的視点で著されたハイ
ブリッド戦などの関連書が陸続と刊行されています。
もちろんこのような関連書を参考にすることも重
要ですが、私はその原点である秘密戦を今一度研究
する意義が大きいとみられます。
 
本書では第1次世界大戦後の総力戦思想の誕生の中
で、諸外国が秘密戦で火花を散らし、わが国も遅れ
ばせながら秘密戦を重視した経緯についても詳述し
ています。ここには、なぜわが国が秘密戦で敗北し
たのかのヒントを掲載しています。今日のハイブリ
ッド戦への対応も、かつての日本国あるいは日本人
の宿痾(しゅくあ)ともいうべき脆弱性があります。
つまり、秘密戦に関する歴史的検証を欠いた現代
の視点だけの対応だけでは、某国からのハイブリッ
ド戦などに対応することはできないと考えます。

 第二に、批判的思考で発信者の意図を推測するこ
との重要性について強調しました。現在、さまざま
な政治的意図を持った著書が出版されていますし、
中野学校関連書の中にも真偽の怪しい情報が氾濫し
ています。

インターネット上ではフェイク・ニュースが氾濫し
ています。こうしたなか、我々には真実を選り分け
る判断力が一層重要となっています。

 本書では、報道や記述に対して冷静に分析し、発
信者の意図はどこにあるかを見極めることが重要に
なっています。本書では、3つの「問い」をもって
情報(インフォメーション)を客観的かつ批判的に
見ることがフェイク・ニュースに惑わされないため
の秘訣であることを述べました。

 こうした批判的思考を各人が身に着けることが、
国家や組織のインテリジェンス・リテラシーを高め
る重要な一歩となると思います。

第三に、インテリジェンス・サイクルを確立するこ
との必要性について強調しました。

 日本は米中ロという大国に囲まれ、かつ多くの資
源を諸外国に依存しており、地政学的に見れば、日
本ほど世界情勢を的確に見通す情報力が必要とされ
る国はありません。現代は不確実で先が見通せない
時代にあって、インテリジェンスの重要性はますま
す高まっています。
 
中野学校が創設された当時も支那事変の泥沼化、欧
州情勢の緊迫化、共産主義の浸透と国内テロの増加
など、不透明な時代でした。

 こうしたなか、中野関係者は、将来を見据えて、
海外情報要員の育成を決意し実行に移しました。彼
らの決断力と行動力を教訓として、現在の国家組織
や民間企業がインテリジェンスの重要性を認識し、
良好なインテリジェンス・サイクルを確立していた
だきたいと思います。
 
□最後に

新著は偶然ともいえる幸運によって完成しました。
調査学校教官であった私は、陸上自衛隊の中で薄れ
つつある中野学校の存在を危惧して、中野学校に関
する何らかの教訓を残したいと考えていました。し
かし、中野学校への研究の糸口はなかなかつかめま
せんでした。

ところが、5年前のある研究会で中野出身者のお孫
さんである佐藤琢磨さんと知り合いになりました。
佐藤さんを通じて、「中野二誠会」(中野学校卒業
生および関係者を父に持つ者の会)の会長の太郎良
様を紹介され、順次、高井先生や牟田先生などへと
交流の場が拡大しました。これらの方々には大変お
世話になりました。また、まさに「意志があれば道
は通じる」とはこのことなりと、思った次第です。

幸運に恵まれたにもかかわらず、執筆はなかなか思
うように進みません。そこにコロナ禍が発生しまし
た。コロナ禍の中で集中的に歴史書やその他のジャ
ンル書を読む時間が増え、それが中野学校の新たな
切り口ともなりました。
 
 このように、何か不思議な力が私に中野学校を執
筆させたような気がしてなりません。ここには私の
歴史認識や愛国心などについても述べており、内面
を覗かれるようで少し恥ずかしいのですが、お読み
いただけたら嬉しいです。

本連載を最後までお読みいただきありがとうござい
ました。いつの日か、この場でまた皆様と一緒に議
論などできることを楽しみにしています。


(おわり)




(うえだ・あつもり)


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【著者紹介】
上田篤盛(うえだ・あつもり)
1960年広島県生まれ。元防衛省情報分析官。防
衛大学校(国際関係論)卒業後、1984年に陸上
自衛隊に入隊。87年に陸上自衛隊調査学校の語
学課程に入校以降、情報関係職に従事。92年か
ら95年にかけて在バングラデシュ日本国大使館
において警備官として勤務し、危機管理、邦人
安全対策などを担当。帰国後、調査学校教官を
へて戦略情報課程および総合情報課程を履修。
その後、防衛省情報分析官および陸上自衛隊
情報教官などとして勤務。2015年定年退官。
現在、軍事アナリストとしてメルマガ「軍事情
報」に連載中。
著書に『中国軍事用語事典(共著)』(蒼蒼社、
2006年11月)、『中国の軍事力 2020年の将来
予測(共著)』(蒼蒼社、2008年9月)、
『戦略的インテリジェンス入門―分析手法の手引
き』(並木書房、2016年1月)、『中国が仕掛け
るインテリジェンス戦争―国家戦略に基づく分
析』(並木書房、2016年4月)、『中国戦略“悪”
の教科書―兵法三十六計で読み解く対日工作』
(並木書房、2016年10月)、『情報戦と女性
スパイ─インテリジェンス秘史』(並木書房、
2018年4月)、『武器になる情報分析力─イン
テリジェンス実践マニュアル』(並木書房、
2019年6月)、『未来予測入門 元防衛省情
報分析官が編み出した技法 』(講談社現代新
書、2019年10月)。近刊『情報分析官が見た
陸軍中野学校』(並木書房、2021年5月)。



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『情報戦と女性スパイ─インテリジェンス秘史』
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