配信日時 2021/04/21 09:00

【防衛省の秘蔵映像(12)】和と国家の独立の確保 ─昭和55年映像─ 荒木肇

--------------------------
荒木さんの最新刊

知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。

そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
多く載っています。それだけでなく、技のすべてを
QRコードを通して実際の動画をスマホで確認できる
のです!

自衛隊関係者、自衛隊ファン、憲兵ファンはもちろん、
武術家、武道家、武術ファンにも目を通してほしい
本です。

『自衛隊警務隊逮捕術』
 荒木肇(著)
 https://amzn.to/34szs2W
-----------------------------------------

こんにちは。エンリケです。

きょうは、
「防衛省の秘蔵映像」の解説12回目です。

カラーの映像は、やはりいいですね。

今日の動画では、防大学生時代の番匠閣下を見れますよ。


さっそくどうぞ。


エンリケ


メルマガバックナンバー
https://heitansen.okigunnji.com/

ご意見・ご感想はコチラから
 ↓
https://okigunnji.com/url/7/


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

防衛省の秘蔵映像(12)

和と国家の独立の確保
─昭和55年映像─


荒木 肇

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

昭和55年映像の紹介
https://www.youtube.com/watch?v=_WI9udbLsOA


□はじめに

「ゼンコー フウ?(Zenko Who?)」と
いうタイトルがアメリカの新聞に出たそうです。大
平正芳首相の急死のあと、鈴木善幸氏がおおかたの
予想を裏切って、自衛隊の最高指揮官になりました。
予想を裏切るというよりは、庶民の印象としては
彗星のような内閣総理大臣の登場です。アメリカで
は、ゼンコーというのは誰だ?という反響が巻き起
こったといわれます。

 氏は1911(明治44)年に岩手県の漁村に生
まれ、中学卒業後は農林省水産講習所を卒業されま
した。水産講習所は後に文部省東京水産大学、現在
の東京海洋大学です。その後、一貫して水産業界の
専門議員として活動します。政治的な解説はまた別
のこととして、とにかく、一般にはあまり知られて
いない方だったので驚かれました。

 映像には、10月26日の朝霞訓練場で行なわれ
た創立記念観閲式で、3万4000人の観客、55
00人の参加隊員の前で訓示を述べます。「平和・
国家独立の確保のために防衛力の質的充実を目指そ
う」。こうした決意表明でした。


▼基盤的防衛力構想

 第4次防衛力整備計画は昭和51(1976)年
度に終わりました。昭和33(1958)年度から
それまで、基本的には3年間もしくは5年間を対象
とする整備計画を4次にわたって実行してきました。
けれども、これらの考え方や理論は抽象的なもの
でした。主要装備の調達の基準はあったものの、で
は、必要とされる防衛力の具体的な規模もはっきり
したものではなかったのです。

 そこで4次防の後は、わが国が平時から保有すべ
き防衛力の水準を明らかにし、また防衛力の在り方
についての指針を新しくする必要がありました。そ
こで昭和51(1976)年10月、「防衛計画の
大綱」が閣議決定されます。

 防衛庁長官は言いました。「わが国の経済は高度
経済成長から安定成長に移行している」という認識
のもとにこの大綱はつくられることになりました。
1973(昭和48)年の第4次中東戦争によるオ
イルショックによる影響で終わりを告げた経済成長、
それは防衛費にも財政上の配慮が大きく必要にな
ったのです。

 51年大綱は「基盤的防衛力構想」の考え方の下、
決定されました。この構想は、70年代に広がっ
たデタントを背景として策定されます。デタントと
は、東西両陣営の緊張緩和を指す言葉です。ソ連と
アメリカは話し合いを行なうようになりました。ヨ
ーロッパでも対話が行なわれます、

 そこで、当局者たちは国際情勢の安定化の努力で、
東西両陣営間の全面的軍事衝突が起きる可能性が
少ないと考えました。わが国の周辺では米中ソの均
衡的な関係、日米安保がわが国への本格的侵略を防
いでいるという認識も共有されます。そこで以下の
ような「基盤的防衛力」が構想されました。

(1)防衛上必要な各種機能の備え
(2)後方支援態勢を含めて、組織及び配備において均衡
のとれた態勢を保有
(3)平時において十分な警戒態勢を取りえるようにする
(4)限定的かつ小規模な侵略のような事態に有効に対処
する
(5)情勢が変化したら、ただちに新しい態勢に移行でき
るようにする

 このとき陸上自衛官定数は18万人(予備含む)、
平時配備は12個師団と2個混成団(沖縄県と四
国地方)、そして機動運用部隊として戦車団が改編
され第7師団(北海道千歳)が機甲師団となり、他
に8個高射特科群(地対空ミサイル部隊・ホーク装
備)、特科団(砲兵旅団)、空挺団、教導団(静岡
県小山町)、ヘリコプター団(千葉県木更津)があ
りました。


 戦車は約790輌、装甲車同640輌、自走火砲
同80門、作戦航空機330機(うちヘリコプター
が320機)でした(4次防完成期)。

▼海自と空自は

 海自は対潜水艦作戦に重点をかけた編制でした。
自衛艦隊の基幹は4個の護衛隊群でした。護衛艦(
DD)は数隻で護衛隊を構成します。昔の海軍なら
駆逐隊といわれました。隊は司令(1佐)が率い、
人事・補給・教育訓練では独立性をもつ「所轄」で
もあります。この護衛隊が集まると、護衛隊群とな
り司令は海将補です。護衛隊群は4個集まって護衛
艦隊になりました。

 同じように、潜水艦は数隻で潜水隊を構成し6個
隊でした(16隻)。掃海隊群も2個。陸上に展開
する対潜哨戒機部隊も16個隊、作戦用航空機22
0機です。

 他に各地方隊所属の艦艇もありました。地方隊は
わが国各地に総監部を置いています。青森県大湊(
おおみなと)、神奈川県横須賀、広島県呉、京都府
舞鶴、長崎県佐世保が所在地です。護衛艦隊所属の
艦艇も合わせて約60隻がありました。

 空自の基幹部隊は航空警戒管制部隊が28個群、
警戒飛行部隊1個、要撃戦闘機部隊10個隊、支援
戦闘機部隊3個、航空偵察部隊1個、輸送航空部隊
3個、作戦用航空機約430機でした。そして防空
の要、高空防空用地対空誘導弾部隊(ナイキ・J)
6個群がありました。

▼デタントの後は?

 80年代が始まります。海上自衛隊の映像には、
なんと戦前歌謡「太平洋行進曲」が流れています。
『海の民なら、男なら~』で始まる勇壮なマーチで
す。そして、ソ連太平洋海軍に配備された航空巡洋
艦ミンスクが哨戒機から撮影された姿を見せます。
ソ連は第2次世界大戦では航空母艦が運用できず、
戦後、対潜水艦航空巡洋艦というべき対潜水艦ヘリ
コプター搭載の軍艦を持ちました。


 その第2世代というべき、攻撃機も搭載した新し
い航空巡洋艦が就役します。1975(昭和50)
年には北欧州にはキエフ、そして太平洋には78年
就役のミンスクが登場しました。これは本格的航空
母艦の象徴というべき、斜め(艦首尾線に4.5度
の角度)に飛行甲板が突き出たアングルドデッキを
持っています。

 基準排水量は3万トン余り、全長273メートル、
幅は約50メートル、蒸気タービン推進で32.5
ノット(約60キロ)という高速を出しました。
カタパルト(加速射出装置)もなく、スキージャン
プ(離艦しやすくする傾斜)もない形ですが、垂直
離着陸性能をもつYak38攻撃機の運用には十分
なものでした。他にも特徴があり、艦対艦ミサイル
を搭載し、対潜水艦、対水上打撃力ももつ有力な軍
艦です。

 実は、キエフもミンスクも現在は中国が持ってい
ます。もっともどちらも本来の軍艦ではなく、テー
マパークの展示物とホテルになっているそうです。

▼紛争だらけの80年

 1月にはソ連のアフガニスタン侵攻(79年12
月)に対してアメリカのカーター大統領が、対ソ連
穀物輸出削減などの経済措置をとりました。この頃
、ソ連は共産党による指導・統制の失敗によって農
産物生産が激減していました。
 
 同じく1月イランでは大統領選挙の結果、バニー
サドルがイラン・イスラム共和国の初代大統領にな
り、4月にテヘランのアメリカ大使館が占拠されま
す。人質とされた大使館員はのちに米特殊部隊の救
出作戦の失敗で多くの犠牲者を出しました。


 隣国の韓国でも光州市で民主化を求める反政府デ
モが激化して、戒厳軍と市民が衝突します。8月に
チョン・ドゥファン(全斗煥)氏が大統領になりま
した。9月はイラク空軍がイランの空軍基地や空港
を爆撃し、イラ・イラ戦争とマスコミが名付けた戦
争が始まります。

▼防衛大学校第24期生の卒業式

 映像には、わが国の第1次イラク復興支援の指揮
官になる番匠幸一郎学生が卒業する姿が映っていま
す。番匠1佐は陸上要員として育ち、学生隊学生長
も務めた優秀な学生でした。本科24期生として卒
業、2004(平成16)年1月から、イラクに派
遣された支援群の指揮官です。同期生には航空科出
身の磯部晃一、野戦特科同の松尾幸弘、施設科同の
田邉揮司良、需品科同櫻木正朋、普通科の武内誠一
各陸将がいます。

 私事ながら、上に挙げた皆さんは、わたしにとっ
て大切なお友達です。もちろん、他にも24期生は
思い出が多い方々でもあります。ちなみに、高知県
選出の中谷元衆議院議員も同期生です。まさか、四
半世紀後には各地で陸自の最前線で、指揮官、幕僚
として活躍されるとは当時、思ってもおられなかっ
たことでしょう。臨席されているのは大平正芳首相
です。

 防衛医科大学校の第1期生も同時に卒業していま
す。もともと戦前の陸軍には軍医学校がありました。
しかし、そこは医師免許をもった軍医たちに軍陣
医学を教育するところでした。戦後の自衛隊は、や
はり自前の医師を養成する学校がなく、大学医学部
を卒業した医師を採用していたのです。


 ところが、なかなか陸海空自衛隊に奉職してくれ
る医師が見つかりません。ようやく大学校を造るこ
とができました。卒業式には日本医師会長武見太郎
氏が祝辞を述べています。氏もまた慶応大学医学部
を卒業し、陸軍軍医中尉になられた経験がありまし
た。「新しい文化を注入していただきたい」と言わ
れていました。

▼総合火力演習の203ミリ榴弾砲

 永年、陸自重砲の立役者だった203ミリ自走榴
弾砲の前身、牽引式203ミリ榴弾砲M2の射撃が
見られます。重量14トン、全長10メートルとい
った陸上自衛隊最大の火砲が実弾を撃ちます。砲身
長が5100ミリもあり、昔の要塞砲、攻城砲にあ
たります。

 弾着の様子を見ると発煙するHC発煙弾だそうで
す。他にも加害効果をねらった黄燐火薬をいれたW
P発煙弾もありました。映像で観られるのは弾底か
ら白煙を出すHCでした。


 この砲の所属は、富士教導団特科教導隊の重砲中
隊です。教導団は陸自の富士学校の教育支援にあた
る部隊で、普通科教導連隊(歩兵)、特科(砲兵)、
機甲科(戦車・偵察)の各教導隊を隷下に持って
います。このうち、特科教導隊は1佐が指揮する部
隊で、軽砲(105ミリ)、中砲(155ミリ)、
重砲(203ミリ)の各中隊がありました。陸自の
特科幹部(砲兵将校)の教育を支援するので、陸自
の装備、すべてがあります。

▼戦力の向上

 邀撃(ようげき・自衛隊では要撃、あるいは迎撃
という言葉を使います)任務に就くF4EJ戦闘機
は空対空誘導弾を積むようになりました。もちろん、
20ミリのバルカン砲には実弾を装填していまし
たが、この年からミサイルを積むようになります。

 また護衛艦の発射機に、実用頭部をつけた魚雷、
「実装魚雷」を装填する様子が映っています。航空
自衛隊の大湊に展開する第42警戒群に3次元レー
ダーが配備されました。3次元レーダーとは飛行体
の距離、高度、方向を見ることができます。青函海
峡の防空の精度がさらに高まりました。

 注目すべきは、3月に長崎県対馬に警備隊が置か
れたことです。それまで対馬には第41普通科聯隊
第4中隊が派遣されていました。緊張感が高まる中
で、対馬を守る兵力は警備隊に格上げされ戦力も高
まります。

 福岡県築城基地には第18航空団第6飛行隊が新
しく装備されたF1戦闘機をもって展開しました。

 このようにデタントから緊張対処へと自衛隊は変
化してゆきます。 



(つづく)


(あらき・はじめ)


☆バックナンバー
 ⇒ https://heitansen.okigunnji.com/
 
荒木さんへのメッセージ、ご意見・ご感想は、
このURLからお知らせください。

https://okigunnji.com/url/7/
 
 
●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
 

『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
 https://amzn.to/31jKcxe


 
PS
弊マガジンへのご意見、投稿は、投稿者氏名等の個
人情報を伏せたうえで、メルマガ誌上及びメールマ
ガジン「軍事情報」が主催運営するインターネット
上のサービス(携帯サイトを含む)で紹介させて頂
くことがございます。あらかじめご了承ください。


最後まで読んでくださったあなたに、心から感謝し
ています。
マガジン作りにご協力いただいた各位に、心から感
謝しています。
そして、メルマガを作る機会を与えてくれた祖国に、
心から感謝しています。ありがとうございました。

----------------------------------------------
-
メールマガジン「軍事情報」
発行:おきらく軍事研究会
      (代表・エンリケ航海王子)
メインサイト:https://okigunnji.com/
問い合わせはこちら:https://okigunnji.com/url/7/
メールアドレス:okirakumagmag■■gmail.com
(■■を@に置き換えてください)
----------------------------------------------
 

 
配信停止はこちらから
https://1lejend.com/d.php?t=test&m=example%40example.com
 
 
投稿文の著作権は各投稿者に帰属します。
その他すべての文章・記事の著作権は
メールマガジン「軍事情報」発行人に帰
属します。
 
Copyright(c) 2000-2021 Gunjijouhou.All rights reserved.