配信日時 2021/04/14 09:00

【防衛省の秘蔵映像(11)】防衛論議高まる ─昭和53年映像─ 荒木肇

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荒木さんの最新刊

知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。

そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
多く載っています。それだけでなく、技のすべてを
QRコードを通して実際の動画をスマホで確認できる
のです!

自衛隊関係者、自衛隊ファン、憲兵ファンはもちろん、
武術家、武道家、武術ファンにも目を通してほしい
本です。

『自衛隊警務隊逮捕術』
 荒木肇(著)
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こんにちは。エンリケです。

きょうは、
「防衛省の秘蔵映像」の解説11回目です。

カラーの映像が楽しいですね。

さっそくどうぞ。


エンリケ


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防衛省の秘蔵映像(11)

防衛論議高まる
─昭和53年映像─


荒木 肇

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昭和53年映像の紹介
https://www.youtube.com/watch?v=8Q-MD79WHFI


□はじめに

 各地で春の知らせが相次ぐなか、新たな施策がさ
れました。「まんぼう」とかマスコミが略称する「
まん延防止等重点措置」が適用されるとのこと。じ
ゃあ、これまでに出された「緊急事態宣言」とどう
違うか。わたしも素人なので聞いてみました。

 これは気象情報でいえば、注意報と警報の違いだ
よと答えてくれた友人がいます。国民の行動制限に
関わるから大切だとも聞きました。端的にいえば、
警報への前段階にあたるそうです。それにしても東
京、大阪、京都については心配になります。また人
口10万人当たりの陽性者数にも注意が必要です。
沖縄県の情勢は油断できません。


 観光業、飲食業関連の方々の苦衷が分かります。
今度はGWも措置下になります。大変な誤算だった
ことでしょう。せめて、貢献をしたいと思っていま
す。


▼栗栖弘臣統幕議長の発言事件

 この昭和53(1978)年頃、正確には前年に
男性の平均寿命が72.69歳、女性は77.95
歳となりました。いずれも世界一です。ヨドバシカ
メラ、メガネドラッグ、流通卸センターなどのディ
スカウントショップが大盛況でした。

 3月には福井県敦賀市の国産初の発電用原子炉「
ふげん」が臨界に達して7月29日から送電を開始
。国民の原子力アレルギーも少し収まりかけた頃で
した。

 7月28日、統合幕僚会議議長栗栖弘臣(くりす・
ひろおみ)陸将が、週刊誌上で今から見ればごく当
然の発言をしました。「敵から奇襲を受けたとき、
現行法制では総理大臣の防衛出動命令まで動けま
せん。そんな時には、自衛隊は超法規的行動をとら
ざるを得ない」という言葉でした。防衛法制の不備
を指摘する、国防の現場を預かるトップとして、ご
く当たり前の主張をされただけです。

 この超法規的行動と名付けたのもマスコミや敵対
勢力でしたが、文民統制を否定するものだという意
見を大新聞社やテレビもひたすら流しました。自衛
隊は戦争を勝手に始めようとしている、許せない、
戦前の軍国主義の世界がまたやってくる、あの軍靴
の響きがまた聞こえると連日の報道でした。

 真相は分かりません。当時の防衛庁長官は山梨県
選出の金丸信代議士でした。勝手な、文民優位を否
定する発言をしたということで栗栖陸将は罷免され、
退官されました。聞いた話では、栗栖陸将は辞表
を懐(ふところ)にして、長官の呼び出しに応じた
そうです。自身の進退を覚悟した職を賭しての発言
だったのでしょう。

 栗栖氏は1920(大正8)年に生まれ、旧制第
一高等学校(現在の東京大学教養学部の前身)、同
東京帝国大学法学部を卒業。高等文官試験(現在の
国家公務員1種試験)に合格、内務省に入りますが、
1943(昭和18)年、海軍短期現役法務科士官
に採用され、法務中尉に任官します。

戦時中に法務大尉に進み、戦後は戦争犯罪人裁判の
弁護をされました。復員後は内務省に戻らず、51
(昭和26)年に警察予備隊に入隊、警察士長(現
在の3等陸佐)になります。その後、部隊勤務、幕
僚業務、フランス防衛駐在官も経験します。第13
師団長(広島県海田市)、東部方面総監から76(
昭和51)年に陸上幕僚長に選ばれました。陸軍士
官学校出身者ではない一般大学出身の陸上幕僚長で
した。

その後、栗栖氏は当時の民社党から参議院東京選挙
区から出馬されますが落選。著述などに精力を注ぎ
ます。わたしは、栗栖氏の「国民の生命・安全・財
産を守るのは警察の仕事である。自衛隊は国の独立
を守るのだ」というご発言に大きな感動をいただき
ました。栗栖氏は2004(平成16)年に亡くな
りました。

▼いすゞのサントンハン登場

 自衛隊の車輌でもっともよく眼にするものはとい
えば6輪のトラックでしょう。後部の荷台はキャン
バス製の幌に覆われ、後ろのタイヤはダブルです。
サントンハンとは、路外積載量3トン500キログ
ラムを自衛隊風に言い表したものです。

 制式名称は73式大型トラックといいます。それ
までの米軍規格のトラックと異なり、軽油を使うデ
ィーゼル・エンジンです。キャブオーバー型(運転
席の下にエンジンがある)なので、視界に優れてい
ます。初期型はライト(前照灯)が丸形で、変速機
もマニュアルです。人員なら22名を載せることも
できて、路外では3.5トンの積載量ですが、舗装
路などでは6トンも積めます。軍用トラックですか
ら、クリアランスも高く、必要によって全輪駆動に
もできたところが特徴です(現行型は常時6輪駆動)。

 このトラックの完成度の高さは、なんといっても
各種装備のプラットホームになっているところでし
ょう。小型クレーンの付いたユニック・モデル、ダ
ンプ、水タンク、燃料タンク、地対空誘導弾・・・
なんでもありです。

▼30型ロケットの雄姿

 北部方面隊美唄(びばい)駐屯地所在の第126
特科(砲兵)大隊の30型ロケット24基の姿が見
えます。これこそ当時の北部方面隊の大火力部隊で
した。制式名称は67式30型ロケットといいまし
た。

 来攻する敵第一線師団の全縦深(ぜんじゅうしん、
最前部から最後尾まで)を奥深く制圧するのが目
的です。実に1960(昭和35)年から68(昭
和43)年まで8年間6次にもわたる試作を繰り返
し、日産自動車で生産されました。弾は同じく日産
自動車で開発された68式ロケット榴弾です。射程
は約28キロメートル、当時の155ミリ加農を大
きく上回りました。

 発射機は日産自動車の4トントラックの上に2連
装の発射台を載せたものです。その使い方は弾を積
載したまま走り、迅速に発射できる自走砲ですが、
附属として装填機、クレーン、吊下(ちょうか)装
置をもち弾の組み立てに使いました。

▼「しらね」の進水

 対潜ヘリコプター搭載護衛艦「しらね」が進水し
ました。真偽はともかく、金丸防衛庁長官に忖度し
た方々がいて、この新造艦に山梨県の山名をつけた
とか言われたとのこと。そうでもなければ、「白根
山」が選ばれるとは・・・。「はるな」は関東の名
山群馬県「榛名山」であり、「ひえい」は滋賀県・
京都府の比叡山、いずれも戦前海軍の歴戦の巡洋戦
艦名です。

それから考えると、この「しらね」はいささか唐突
です。白根山は南アルプス白根山系の北岳、その南
側の間(あい)ノ岳、農鳥(のうとり)岳の3山の
総称になります。確かに古くからの名山ですし、甲
斐の国の象徴かも知れませんが。次の4番艦がやは
り京都府の名山であり、旧海軍の巡洋戦艦だった鞍
馬(くらま)と命名されたことから考えると、やは
り陰口が出るような背景があったのでしょう。

ともあれ、この「しらね」は2年後に竣工、次の「
くらま」はやはり3年後に竣工です。そうして海上
自衛隊は4隻のDDH(ヘリコプター搭載護衛艦)
を4隻持つことになりました。

▼護衛艦発達史

 ここまでで海上自衛隊の艦艇整備、とりわけ戦闘
の主力である護衛艦についてまとめておきましょう。
防衛庁の映像では、次々と新しい艦艇が紹介され
ますが、それだけでは分かりにくいでしょう。そこ
でここまでの歴史を4期に分けてみます。

 最初は国産化の時代です。始まりを1期とし、そ
の量産化の時期を2期とします。つづいてアスロッ
クなどの最新装備を載せた第3期、そうしてヘリコ
プター搭載化が進んだこの昭和50年代を、わたし
は第4期と学びました。

 護衛艦は昔の海軍でいう駆逐艦です。駆逐艦の元
はデストロイヤーです。元々は、水雷艇駆逐艦とい
い、高速で小型の水雷艇を駆逐するものだったよう
でした。皮肉なことに結局、魚形水雷(魚雷)の発
達で、これで雷撃戦力を高めようとしたのが駆逐艦
です。

 第2次大戦には、艦隊決戦に使われる「艦隊型駆
逐艦」と船団護衛に従事した「護衛駆逐艦」に分か
れます。護衛駆逐艦はデストロイヤー・エスコート
(DE)とされました。わが海上自衛隊にまず供与
されたのは、艦隊型(DD)では「あさかぜ」、「
はたかぜ」でした。また、「ありあけ」、「ゆうぐ
れ」の2隻もDDです。主砲は5インチ(127ミ
リ)で、速力も35ノット(約65キロメートル)
も出ました。

 これに対して、「あさひ」、「はつひ」はDEで
した。主砲は3インチ(76.2ミリ)、40ミリ
の連装機銃が次いで、爆雷兵装が重視されます。速
力よりも航続距離が重視され、最高速度も20ノッ
ト(約37キロ)と低いものでした。


 第1期はDDとして1956年に「はるかぜ(D
D101)」型が就役します。同時に地方隊用のD
Eとして「あけぼの(タービン機関)」、「いかず
ち(ディーゼル機関)」が造られました。いずれも
1956年に就役しました。

 続いての第2期には、対潜水艦能力を重視した「
あやなみ(DD103)」(1958年)、対空能
力をねらった「むらさめ(DD107)」(195
9年)が造られ、1960(昭和35)年には両方
を合わせた「あきづき(DD161)」が就役しま
す。このときのDEは「いすず(211)」(19
61年)です。ディーゼル推進でした。

 第3期が対潜水艦用の新型兵器アスロックを搭載
する「やまぐも(DD113)」(1966年)、
また無人ヘリコプター・ダッシュを載せた「みねぐ
も(DD116)」(1968年)になります。こ
の系列はさらにアスロックとダッシュを併せて装備
する「たかつき(DD164)」(1967年)に
発展し(「あきづき」の発展とも考えられます)、
これは当時としては最強の対潜艦です。

そうして、初めての対空誘導弾搭載護衛艦「あまつ
かぜ(DD163)」(1965年)も生まれます。
DEは艦番号215「ちくご」が1970年に就
役しました。

 昭和50年代後半が4期と言えましょう。「やま
ぐも」、「はつゆき」の後継である「はつゆき」型
の登場です。1982年、つまり昭和57年のこと、
対潜水艦ヘリとSSM(艦対艦ミサイル)を積ん
だ護衛艦になります。

対空ミサイルの能力が高い「たちかぜ(DD168)」
(1976年)、そして「はたかぜ(DD171)」
(1986年)がこの時期です。今回、解説した
「しらね」は1973年就役の「はるな」の後継で
すが、個艦防空能力も重視しています。シー・スパ
ロー・対空ミサイルも装備しました。

 そして「はつゆき」も「あさぎり」型に改良され
ます。1988(昭和63)年の就役です。昭和の
終わりの艦になります。

 そうして地方隊(護衛艦隊ではなく地方総監部に
属する)のDEには「いしかり(226)」と「ゆ
うばり(227)」の2隻が、それぞれ81年と8
3年に就役します。この2隻は対潜水艦用のアスロ
ックの代わりに対艦戦闘を重視してSSM(艦対艦
ミサイル)を装備しました。

 もっとも、この2隻はそれぞれ同型艦をもたず、
ある意味、実験艦の性格をもつものでした。



(つづく)


(あらき・はじめ)


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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
 

『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
 https://amzn.to/31jKcxe


 
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      (代表・エンリケ航海王子)
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