配信日時 2021/04/09 08:00

【自衛隊・熱砂のイラク派遣90日(最終回)】「「イラク帰り」の矜持」 藤井岳

こんにちは、エンリケです。

突然のお知らせですが、
藤井岳さんの、
「自衛隊・熱砂のイラク派遣90日」
は、今回が最終回です。

きょうまで、他では得られない貴重な
内容の記事を提供いただいた藤井さんに、
心から感謝申し上げます。

では最終回、さっそくどうぞ


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エンリケ


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自衛隊・熱砂のイラク派遣90日(最終回)
 
「イラク帰り」の矜持

藤井岳(ふじい・がく)(元陸自2曹)

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□はじめに──誰もやらないなら、自分が書こう

 2020年7月に連載を開始した「自衛隊・熱砂のイ
ラク派遣90日」、今回で最終回となります。
今までメルマガを読んで下さった読者の皆様、そし
てサポートしていただいた関係者の皆様に心から御
礼申し上げます。本当にありがとうございました。

 イラク派遣の話は、何年も前から世に出したいと
考えていました。イラク派遣に限ったことではない
のですが、国内・国外にかかわらず、自衛隊の実任
務の記録などを世に出すのは、多くは指揮官を務め
た高級幹部や同様の幹部の方ばかりで、肝心の曹・
士(いわゆる下士官・兵)の任務の実態や彼・彼女
らの声が世の中に伝わっていないことに不満を感じ
ていました。そして、誰もやらないなら、自分が書
こうと思い立ったのが始まりでした。

 イラク派遣は自衛隊史上、最も実戦を想定された
任務であったと思います。そして実際に宿営地への
攻撃をはじめとしたさまざまな事案が起こりました。

 イラク派遣は紛れもなく実戦でした。

 その状況下でも怯(ひる)むことなく果敢に任務
に就いた隊員たちの息づかい、緊張感が多くの人に
広く伝わり、自衛隊の海外派遣任務の実態を知って
いただけたのであれば、これ以上の喜びはありませ
ん。


▼悔しかったが、やるしかなかった

 新しい生活が始まった。
 私は富士学校機甲科部へ転属し、助教として多忙
な日々を過ごしていた。
 戦車に触れる機会はほとんどなく、毎日のように
実施される訓練、それに必要な資器材の調達・製作
などが主な業務で、ほかにデスクワークもあった。
 
 私が配属された部署は幹部の方が多く、陸曹は数
人。機甲科部全体でも最も若く、階級も一番下だっ
た。そんな私が助教の肩書きで幹部や訓練支援部隊
の長と直接打ち合わせたり、場合によっては指示を
出すこともあり、新顔の3等陸曹が助教をしている
こと、そして、その助教に指示されることに戸惑い
や不快感を見せる隊員は多く、困惑することも多か
った。

 私の前任者は優秀な1等陸曹で、機甲科部内だけ
でなく、訓練支援を担当する戦車教導隊や偵察教導
隊の隊員からも信頼され、支援隊員は皆素直に指示
に従っていたという。
 
(担当の助教がベテラン1曹から新人の3曹に変わ
れば、そりゃ不満も出るだろうよ)
 
 悔しかった。それでもやるしかなかった。
 
 富士学校で勤務した3年間は、いま思い出しても
大変な時期だったと思う。良い思い出はほとんどな
い。むしろ辛かったことばかり思い出す。富士駐屯
地内の他部隊には同期が何人もいたが、大きい駐屯
地だけにあまり会う機会はなく、機甲科部内にも仲
の良い隊員は居らず、愚痴を聞いてもらったり相談
できる相手もいなかった。生活も次第に荒れ、休前
日の夜は外出して酒ばかり飲み、泥酔することも多
くなっていた。週末、実家や友人に電話をかけるこ
とが唯一、心が休まる時間だった。
 
 正直な所、緊張と戸惑いの連続で精神的にも追い
込まれていた。病んでもおかしくなかったと思う。

 そんな生活でも何とか3年間やっていけたのは、
やはり「イラク帰り」の矜持があったからではない
か。今はそう思う。

▼自衛隊生活にピリオド

 富士での勤務3年目も半ばを過ぎた頃、転属の話
が出た。転属先は私が元いた戦車部隊。原隊に帰っ
て、機甲科部で培った知識と経験を広め、部隊が実
施する訓練の質的向上に寄与せよ、というわけだ。

 だが、私は自衛隊生活にピリオドを打つことに決
めた。ちょうど良い節目だと思った。

 何より、やりたいことがあった。たった一度の人
生、残りの人生をそれに捧げようと決めた。だから
迷いはなかった。
 
 いま、私はこの文章を書いている。

 イラク派遣から長い月日が経ち、多くの日本人は
忘れているだろう。

 でも、私は忘れない。忘れようがない。

「戦争に行ったら自分の何かが変わるかもしれない」

 そう考えて赴いた灼熱のイラク。しかし、イラク
から帰っても私は何も変わっていない。

 そう思っているだけかもしれない。いま自分がし
ていること、進んでいる道。これはあの時からつな
がっているのだ。
 
 結局、私にとってイラク派遣は何だったのか?
 
 仕事の一環? 自己満足? 
 
 明確な答えはない。一生出ないのかもしれない。

 無理に答えを出さなくていいのかもしれない。

 イラクの大地に立ち、「戦った」ことは揺るぎな
い事実なのだから。ちっぽけな事実と矜持かもしれ
ないが、それも「答え」の1つなのだろう。

 この想いを胸に留めてこれからも生きていく。


(完)


(ふじい・がく)


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【著者紹介】

藤井岳(ふじい・がく)ペンネーム
1979年岩手県一関市生まれ。1996年自衛隊生徒とし
て陸上自衛隊入隊。少年工科学校へ入校。卒業後機
甲生徒課程を経て第9戦車大隊(岩手)で戦車乗員
として勤務。2004年第3次イラク復興支援群に
参加、イラク・サマワにて任務に就く。2005年富士
学校(富士)に転属。機甲科部で助教として戦車教
育に従事。2008年退職。フリーランスフォトグラフ
ァーとして活動を開始。自衛隊航空部隊の撮影、取
材に取り組む。2015年から「PANZER」誌で執筆開始。
その後「丸」「JGROUNDEX」「JWings」などで写真
や戦車に関する記事を発表。現在に至る。



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