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荒木さんの最新刊
知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。
そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
多く載っています。それだけでなく、技のすべてを
QRコードを通して実際の動画をスマホで確認できる
のです!
自衛隊関係者、自衛隊ファン、憲兵ファンはもちろん、
武術家、武道家、武術ファンにも目を通してほしい
本です。
『自衛隊警務隊逮捕術』
荒木肇(著)
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こんにちは。エンリケです。
きょうは、
「防衛省の秘蔵映像」の解説9回目です。
戦車や戦闘機が出てくるとやはり
惹き付けられますね。
さっそくどうぞ。
エンリケ
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防衛省の秘蔵映像(9)
ソ連の脅威
─昭和51年映像─
荒木 肇
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昭和51年映像の紹介
https://www.youtube.com/watch?v=YGO38M1XzUA
□はじめに
近代装備をもつ。そういった計画が第4次防衛力整
備計画でした。今日は昭和51(1976)年の映
像をみてみましょう。防衛大学校卒業式をみると、
本科(研究科=修士課程と区別するため、4学年制
を本科といいます)20期生の卒業、同24期生の
入校の様子が見られます。
本科24期生の皆さんの多くの方は、今年は63歳
になられるということです。いまもわたしとは、お
付き合いがある方々で、映像には元富士学校長や同
武器学校長の初々しい18歳のお顔が見えます。
この昭和51(1976)年前後は、世界中でさ
まざまな事件があった頃でした。長く戦火が続いた
ベトナムからアメリカ軍が撤退しました。1973
年(昭和48)年1月に「パリ和平協定」が結ばれ
ます。南・北ベトナム政府、南ベトナム臨時革命政
府とアメリカ国務長官の4者が話し合いました。ア
メリカ軍は協定通り3月29日に全軍が撤退します
。しかし、南ベトナム政府は民族和解を進めること
なく、なお戦闘は激しくなってゆきました。
▼石油ショックの影響
1973年10月、エジプトとシリアの軍隊がイ
スラエルを急襲しました。これは中東戦争の4回目
の戦いでした。イスラエル軍は過去3回の勝った戦
争と異なって、緒戦は窮地に陥ります。占領してい
たゴラン高原の一部を奪回され、スエズ運河を越え
たエ・シ連合軍にシナイ半島まで攻め込まれました。
しかし、エジプトはミサイル基地を撃破され、シナ
イ半島からも駆逐されます。結局、エジプトのサダ
ト大統領はイスラエルの存在を認めるという現実政
策への転換を示すことになりました。
わが国への影響もありました。アラブ側が石油を
武器にしたのです。アメリカ等、西側諸国(当然、
わが国も含まれます)へ圧力をかけるために、サウ
ジアラビアを中心にした石油輸出6カ国が原油の値
上げを発表したのです。公示価格の21%引き上げ、
続いて生産を5%削減する、さらにはイスラエルに
協力的な国への出荷停止という措置を採ります。
これを「石油(オイル)ショック」といいました。
社会現象としては、トイレットペーパーが不足す
るといった噂に踊らされ、スーパーマーケットに主
婦が殺到するといったことが起きました。中東の石
油に頼りきるわが国経済の弱さと、国際政治に鈍感
な一国平和主義が見直される機会にもなったようで
す。
▼1974(昭和49)年には
74年4月、ポルトガルで若手将校達が無血クー
デターに成功します。軍部による政権は民主化推進、
植民地戦争の停止を宣言しました。5月には西ド
イツでブラント首相の秘書が東ドイツから送り込ま
れたスパイだったことが分かります。ブラントはソ
連や東側諸国との関係改善を図ってきましたが、そ
の裏には相手側のスパイがいたのです。
8月にはアメリカのニクソン大統領が、自らの選
挙不正への関与を認め辞任します。ニクソン政権の
支持率はマスコミ報道によって急落し、弾劾まで言
われるようになりました。その結果です。後任はフ
ォード大統領でした。
9月には世界最古の王室といわれたエチオピアで
革命軍事政権が生まれます。わが国では近衛軍将校
になっていたアベベ選手(東京オリンピックのマラ
ソン・金メダリスト)の安否が気づかわれました。
▼1975(昭和50)年という年
75年はとうとうベトナムが統一されました。この
とき、南ベトナムからの難民が話題になります。レ
バノンではキリスト教徒と、回教徒の対立が激化し
ました。7000人の犠牲者を出すといった内戦に
なりました。
第1回サミット(主要先進国首脳会議)がパリで開
かれたのもこの年11月です。集まったのは、アメ
リカ、フランス、イギリス、西ドイツ、イタリア、
それにわが国という6カ国でした。アメリカはベト
ナム戦争で疲弊し、他の先進国も2年前のオイル・
ショック以来、不況とインフレ時代に突入していた
のです。
会議では、不況の解消、資本主義経済の擁護、民主
主義的な社会の強化を目標にします。各国はこの合
意の下に、景気、貿易、通貨、エネルギー、南北問
題を討議しました。
東南アジア情勢について、重要なことを言い忘れて
いました。カンボジアです。4月にはカンボジア民
族統一戦線のクメール・ルージュが首都プノンペン
を制圧し、親米政権は崩壊します。今では、この裏
には中国の存在が確かめられていますが、当時のわ
が国の報道では、美しい民族解放戦争という見方が
主流でした。
またまた、アメリカの帝国主義の敗北といい、中国
やソ連を賛美する評論家、学者、記者が大活躍しま
した。しかし、このポル・ポト率いるクメール・ル
ージュのしたことは、虐殺と強制労働と食物の収奪
でした。急進的な共産主義政策は恐ろしい社会を生
みました。
▼北方重視の動き・74式戦車
この頃から自衛隊は「北の脅威」を反映する装備、
編制を考えてゆきます。新装備が次々と生まれます
。総合火力演習では、74式戦車、73式装甲車が
走っています。74式戦車は今も使われているわが
国独自の工夫がされた戦車です。
48年つまり1974年に制式化されたので、西
暦の年号の末尾をとって「74=ナナヨン」といい
ます。乗員は4名で、重量が約38トン、車体の幅
も3.18メートルとなり、バランスの取れた姿で
す。砲は英国ビッカース社の西側陸軍標準装備の1
05ミリ砲、エンジンは空冷10気筒ディーゼル、
720馬力を出しました。61式に比べると、ずい
ぶん動きが軽快になりました。
最大の特長は、油気圧懸架装置の採用と、レーザ
ー測遠儀、コンピューターを組み合わせた射撃統制
装置です。前後左右の懸架装置の高さを変えること
で、車体の姿勢を自由に調整できます。だから、最
高姿勢では2.25メートルがプラス・マイナス2
0センチということになります。つまり最低姿勢は
2.05メートルにしかならず、高い方では2.4
5メートルにできるのです。
この油気圧懸架装置の機能は、前後の傾きと左右
の傾きの2つに分けられます。つまり、前後の傾き
は砲の俯仰角(ふぎょうかく・上下の動き)を増減
できるし、左右の傾きは砲耳(ほうじ・砲塔に砲を
取りつける軸)の傾斜を調節することができるので
す。
世界で初めて油気圧懸架方式を採用したのは、ス
ウェーデンの無砲塔S型戦車ボフォースと言われま
す。ただ、この戦車は無砲塔なので砲の旋回・俯仰
を車体全体で行います。だから油気圧方式が必須の
ものになるのですが、74式のように砲塔をもつ戦
車では世界最初のものになりました。
74式の優れたところは、地形地物を利用しやす
いことでしょう。敵に発見されにくいところから、
敵を撃てます。また砲耳軸が左右で傾斜しても、そ
れを矯正して射弾のずれを解消できます。車高の上
下各20センチを調節することで、不整地では車高
を上げ、平坦なところでは車高を下げて暴露面積を
減らすことができます。
▼73式装甲車
戦場のタクシーといわれ、装甲人員輸送車(AP
C)が正式名称です。ソ連軍が当時使っていた装甲
歩兵戦闘車BMPやアメリカ軍のM723などとは
異なっています。積極的な攻撃装備としては、車内
から操作できる12.7ミリ重機関銃と7.62ミ
リ機関銃があることです。
車体側面には射撃孔があって、乗員が個人火器で周
囲を撃てます。60式に比べると、車体が全般に大
きくなりました。60式の全長5メートルに対して
73式は5.8メートル、幅も2.4メートルから
2.8メートルに、車高は1.89メートルから
2.2メートルになっています。重量も11.8トン
から13.3トンと大きくなり、収容能力も10名
から12名に増えました。何よりの特長は水上航行
ができるということです。
▼ミグ25が函館空港に強行着陸
9月16日、午後1時30分、函館市民は低空飛
行するジェット機の轟音に驚かされました。管制官
の通告も聞かずに滑走路に降りて来たのは、赤い星
をつけたソ連空軍のミグ25戦闘機でした。もちろ
ん、1時10分頃にはレーダーサイトからの警報を
受けて千歳基地からF4ファントム戦闘機がスクラ
ンブル発進をしましたが、低空を飛ぶミグを発見で
きなかったのです。
飛行中の航空機から低空の目標を発見する力をルッ
クダウン能力といいますが、地(水)表面からのレ
ーダー波の反射を処理しきれませんでした。当時そ
れが出来たのは、米海空軍が配備するF14トムキ
ャットとF15イーグルだけだったのです。
パイロットは米国への亡命を望みました。今も語り
伝えられのが、この時の法整備が穴だらけだったこ
とです。空港へ降りたときから管轄は警察になりま
した。駆けつけた自衛官は機体を確保した警察官に
追い返され、近くに寄ることもできませんでした。
まさに北海道警察にとっては「想定外」の出来事で
す。外国の軍用機が領空侵犯なら航空自衛隊が対処
する、しかし強行着陸されたらそれを捜査し、逮捕
するのは警察の役割でした。
ドタバタ劇が起きました。政府も、警察庁も防衛庁
も大混乱。そこへ機密が満載された機体の奪還にソ
連軍がやってくるという予想もマスコミが流します。
当然、自衛隊は戦闘を覚悟したといいます。詳しい
ことは現在では公刊された書籍に明らかにされてい
ます。
映像にはF4の後継機検討のための調査団が、F
14、15、16の3機種の模型とともに映り、出
発する様子があります。また、F104戦闘機が北
海道日高沖で戦技競技会に励む様子、石川県小松基
地にF4戦闘機装備の第303飛行隊が第205飛
行隊とともに配備されたことも見られます。
▼DDG(対空ミサイル護衛艦)「たちかぜ」竣工
海上自衛隊の対空ミサイル護衛艦の2番艦、「た
ちかぜ」が三菱長崎造船所で竣工する映像がありま
す。すでに1965(昭和40)年には対空ミサイ
ル・ターターシステムを搭載した初の護衛艦「あま
つかぜ(163)」が竣工していました。2番目の
「たちかぜ(168)」は、同型艦「あさかぜ(1
69)」、「さわかぜ(170)」とあわせてター
ターシステムの改良型であるスタンダード対空ミサ
イルシステムを搭載しました。
このスタンダード・ミサイルMR型の推進薬は固
体燃料、セミ・アクティブ・レーダー・ホーミング
でした。「たちかぜ」の排水量は3、850トン、
蒸気タービン2軸で速力は32ノットを発揮しまし
た。
これまで護衛艦は多くが対潜水艦作戦を重視し、
高い練度と有力な装備をもっていましたが、対空装
備は不足していたといえるでしょう。それが対空ミ
サイル護衛艦をもつことで、個艦防御だけではなく
周囲の護衛艦群も守るという目的を果たせました。
▼阪神震災に備えての「なにわ」演習
阪神地区に大規模震災が起きたことを想定して、
中部方面隊は「なにわ」演習を行っています。河に
施設科部隊が舟橋を架け、海自の輸送艦が物資を揚
陸していました。もともと京阪神地区は地震の被害
が少なかったところでした。まさか実際に「阪神淡
路大震災」が1995(平成7)年に起きるとは、
どなたも予測をしていなかったのではありませんか。
自衛隊は、いつも不時に備えています。
▼岩国に71航空隊
戦前日本は飛行艇大国でした。海軍には97式大
型飛行艇、そして世界最高水準の性能を誇った2式
大型飛行艇がありました。その技術を引き継いだの
が、対潜水艦哨戒飛行艇の新明和PS-1です。風
速25メートル、波高3メートルといった荒天でも
離着水ができて、それは新明和の高い技術「波消し
装置」のおかげです。
海上救難機に改装されたのが、US-1です。最
大速度は295ノット(時速約550キロメートル)
の快速は、多くの遭難者の救出に活躍しています。
山口県岩国の基地に3機が配備され、うち1機は神
奈川県厚木基地に派遣されているようです。
今回の映像のおかげで10月に栗栖弘臣(くりす・
ひろおみ)陸将が陸上幕僚長に就任されたことを改
めて思い出しました。栗栖陸将は東京大学出身、学
徒出身将校として大東亜戦争に参加され、自衛隊に
入られた方でした。次回は、その「超法規的発言」
についてふれることになります。
(つづく)
(あらき・はじめ)
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●著者略歴
荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
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ています。
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謝しています。
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心から感謝しています。ありがとうございました。
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