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荒木さんの最新刊
知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。
そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
多く載っています。それだけでなく、技のすべてを
QRコードを通して実際の動画をスマホで確認できる
のです!
自衛隊関係者、自衛隊ファン、憲兵ファンはもちろん、
武術家、武道家、武術ファンにも目を通してほしい
本です。
『自衛隊警務隊逮捕術』
荒木肇(著)
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こんにちは。エンリケです。
きょうは、
「防衛省の秘蔵映像」の解説 8回目です。
防衛とは防御+攻撃のことですが、
わが防衛を放棄した政治家がわが国を牛耳っていた
時代の話です。
よくまとまっていてわかりやすいですね。
「いるか」には思わず吹き出しました。
さっそくどうぞ。
エンリケ
メルマガバックナンバー
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防衛省の秘蔵映像(8)
4次防の始まり
─昭和48年映像─
荒木 肇
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昭和48年映像の紹介
https://www.youtube.com/watch?v=iD_6PK5nO98
□はじめに
今回から第4次防衛力整備計画(昭和47~51
年度)中の映像、はじめに昭和48年版をご紹介し
ます。4次防は1972(昭和47)年の2月8日
に発表されました。「5カ年計画の大綱」、「5カ
年計画の主要項目」、「策定に関しての情勢判断及
び防衛の構想」という3部に分かれています。
4次防は3次防(昭和42~46年度)の考え方
を継承しており、その整備方針も3次防とほとんど
同じです。ただし、4次防では、とりわけ老朽化し
た装備を近代化して更新することを重視しました。
また、3次防と同様の調達ベースによる装備の充実
が見られました。
海上自衛隊は周辺海域の防衛能力の強化に力を注ぎ、
航空自衛隊は新しい戦闘機、F4EJファントムを
戦列に加えました。映像中にもありますが、茨城
県百里基地に新しい第7航空団第301飛行隊が編
成されたのです。
つい先日、護衛艦「はぐろ」が進水しました。これ
によって防衛大綱に決められたイージス・システム
搭載護衛艦が8隻になります。もちろん、北朝鮮に
よるミサイル攻撃を防衛するといったことが目的と
されますが、やはり何よりその対空防御能力の高さ
が売りでしょう。
この1973(昭和48)年の映像には、DD14
1「はるな」の竣工(2月27日、三菱長崎造船所)
と、DD142「ひえい」の進水(7月、石川島播
磨造船所)が見られます。その堂々たる姿が頼もし
いです。
▼対潜水艦ヘリ空母か
DDHともいわれる、ヘリコプター搭載護衛艦は、
この「はるな」が初めてになります。大型の対潜水
艦ヘリコプター(HSS-2B)を3機も積むとこ
ろが注目されました。排水量は4700トン、全長
は153メートルにもなり、第2次大戦以前なら巡
洋艦級の大きさです。列国では小・中型対潜水艦ヘ
リを1機から2機搭載がふつうなのに、大型機を3
機も積みました。
船体中央部から後方の約3分の2はヘリ関係にあ
てられて、後部の約50メートルはヘリポートです。
中央部には段差のないオン・デッキタイプの格納庫
があります。また、荒天時にもヘリの着艦を容易に
行なうための拘束装置「ベア・トラップ」を付けま
した。荒れた海上でも、ヘリは安全に降りて格納庫
へ移送装置で動かされます。
このヘリ(HSS-2B)は米国シコルスキー社
製の大型双発タービン・エンジンを積んだ機体でし
た。英国、イタリア、カナダなどでも採用され、わ
が国では三菱重工がライセンス生産をしました。メ
インローターは5枚もあり、格納を考えて自動で折
り畳むことができました。乗員は正副操縦士に、レ
ーダー操作員、MAD操作員の4名でした。
MADといわれた磁気探知装置の他に海中の音を
探るソノブイ、吊り下げ式ソーナーも持ち、攻撃兵
装は胴体前と後部の両側にランチャーを装備し、爆
雷やホーミング魚雷など、380キログラムまで持
てました。ローターの直径は18.9メートルもあ
り、自重も5180キログラムという大型です。
「はるな」の兵装は、後部がヘリ甲板になったた
めに、127(5インチ)ミリ単装速射砲2基を背
負式に前部にまとめ、その直後にアスロック(アン
チ・サブマリン・ロケット)発射機が置かれます。
背負式とは2基の砲塔の高さを変えて、後方の砲塔
を高い位置に置くことをいいます。近頃の護衛艦は
砲を1基装備するのが普通ですから、今から見れば
違和感がありますね。
この砲は54口径5インチ単装速射砲といわれま
した。この砲はそれまでの38口径、そして1次防
の計画艦「むらさめ(昭和31年度艦)」の54口
径5インチ単装高角砲に続いて採用された装備です。
2次防艦の「たかつき」から採用されました。こ
こでいう口径とは、弾の直径と砲身長の比率です。
だから38口径は2.54センチ×5×38=48
2.6センチ。54口径は685.8センチとなり
ます。すいぶん細長くなり、最大射程は水上で約2
万3000メートルといわれました。対空砲として
撃ちあげる場合は、弾は約1万5000メートルに
達して、仰角は85度にもなります。
▼海自の艦船の名前
「はるな」、「ひえい」と同じクラスの大型護衛
艦の名前を聞いて、帝国海軍をご存じの方は巡洋戦
艦「榛名」と「比叡」を思い出す方も多かったよう
です。対潜水艦中枢護衛艦はその後も、DDH14
3「しらね」、同144「くらま」と続けて建造さ
れています。漢字をあてれば「白根」と「鞍馬」で
す。いずれも山岳名になります。また、「たかつき」
や「はるさめ」といった優美な自然現象などを使い
ました。
帝国海軍時代には戦艦は「大和」、「武蔵」、あ
るいは「長門」、「陸奥」といった旧国名が付けら
れ、より高速で軽快な巡洋戦艦には山岳名が与えら
れました。とはいっても日露戦争の殊勲艦「三笠」
は奈良の三笠山からとられて山名です。つまり時代
によって、命名の基準は変わっています。
海自では「使用する船舶の区分等及び名称等を付
与する標準を定める訓令」といった長い名前の訓令
が1959(昭和34)年9月に防衛庁長官から出
されます。以後、数十回も変更があり、1980(
昭和56)年には、海上幕僚監部総務部長名で「使
用する船舶の名称を選出する標準について」という
通達が出ました。それも、やはり何回も改定されて
います。手元にあるのは、古いもので平成5(19
93)年のものです。現在と違っていたら、ご教示
をいただければ幸いです。
▼警備艦と補助艦艇
護衛艦には2種類あります。大きなDDと小型の
DEです。いずれも天象、気象たとえば、月、日、
雨、雪、霧、霜、雲、四季など。また山岳、河川、
地方の名などとあります。DEには河川の名前が多
く付けられていました。「もがみ」は山形県最上川
、「ちくご」は福岡県筑後川、「おおい」は静岡県
大井川などがすぐに頭に浮かびます。
潜水艦は海象、水中動物の名です。「くろしお」
は黒潮、「おやしお」は親潮、そうして「そうりゅ
う」は蒼龍でしょう。水中動物とはいいながら、
「いるか」など平和的過ぎる動物名は使いにくいで
す。想像上の動物、龍あるいは竜が使いやすいでしょ
う。
掃海艦艇は島の名前です。「つしま」は長崎県対
馬であり、「やえじま」などの4文字で「しま」が
つくもの。そして海峡(水道、瀬戸を含む)とあり
ます。
哨戒艦艇といわれた小型のミサイル艇などは鳥の
名です。今はなくなりましたが、駆潜艇といわれた
400トン級のヘッジホッグや爆雷を積んだ艇があ
りました。「はやぶさ」、「うみたか」などがそれ
にあたります。
輸送艦とは帝国海軍も使った揚陸艦艇を指しまし
た。もっとも海自にも昭和46年まで揚陸艦という
種別があります。半島の名前です。「みうら」は神
奈川県三浦半島、「あつみ」は愛知県渥美半島、「
ねむろ」は北海道根室半島からでしょう。
以上が警備艦、これからは補助艦といわれます。
1979(昭和54)年に、それまでの特務艦が改
称されました。士気に関わるといった理由からと聞
いています。練習艦は古くなった護衛艦などが使わ
れますが、遠洋航海などに使うので、専用の艦を建
造したいという希望が高く、「かとり」などが造ら
れます。風光明媚な土地の名です。訓練支援艦は峡
谷(きょうこく)の名前、「くろべ」が有名でした
。海洋観測艦は海浜(浦も含む)なので「あかし」
、「すま」など。音響測定艦は海湾の名で「ひびき
」は響灘からです。
砕氷艦は山、または氷河の名とあります。「ふじ」
は富士山であることは疑えませんが、「しらせ」の
時は小さな騒ぎになりました。高名な南極探検家白
瀬のぶ(直を3つ書く)陸軍中尉の名前ではないか
と、疑義が出されたのです。しかし、これは結局、
白瀬雪原という氷河の地名から採ったと決着がつき
ました。欧米と違って、わが国では人命を船舶名に
つける伝統はありませんでした。
敷設艦は岬の名前、1980(昭和55)年の「む
ろと」は高知県の室戸岬からです。潜水艦救難艦は
万一の事故に備える艦で、城の名前です。「ちはや
」は楠木正成で有名な大阪府千早城を採りました。
同じく「ふしみ」は京都府の伏見城、「ちよだ」は
東京都千代田城〈江戸城〉からでしょう。試験艦は
文明・文化に関係する土地名、1980(昭和55
)年の「くりはま」はペリー来航(1853年)の
地、神奈川県横須賀市久里浜が由来です。
補給艦は湖の名前です。「はまな」は静岡県浜名湖、
「とわだ」は青森県十和田湖、「さがみ」は相模
湾や相模国ではなく、相模湖からでしょう。あと、
特務艦にも基準がありますが、転変が激しく、なか
なか憶えきれません。
▼対戦車誘導弾MAT
陸自の北方機動演習の中に64式対戦車誘導弾が
見られます。命中精度がどうしても劣るバズーカや
ロケットランチャーの代替として、1956(昭和
31)年から防衛庁技術研究本部と川崎重工、NE
Cなどが開発を始めました。64(昭和39)年に
制式化され、ジープに搭載されます。
操縦器、眼鏡、電話器、送信器、制御器などから
構成され、ジープに載せたまま、あるいは地上に設
置します。全長は1メートル、重量が15キログラ
ム、直径は12センチの誘導弾が発射され、弾はケ
ーブルを引いて飛びました。秒速は85メートル毎
秒(時速約300キロメートル)という眼で追える
速さです。ケーブルは1500メートルでしたから、
近距離で使う兵器です。
眼鏡で照準する照準手の操作誘導で飛びました。
無線誘導弾に比べれば、敵の妨害電波にかく乱され
ないというメリットがありますが、逆に命中するま
で照準手は動けません。これは有線誘導による第1
世代の対戦車兵器でした。
▼F4EJファントムが戦列に
つい先ごろ、ファントム戦闘機がとうとう退役す
るという報道がありました。わたしのような、あの
荒々しいシルエット、強力さを象徴する2つのエン
ジンと太い胴体に魅了された世代にとっては悲しい
知らせでした。
当時、昭和48年は70年代の中ごろにあたり、
米軍でも開発開始(1958年)以来、すでに15
年の月日が経っていました。もとは米海軍用の艦上
戦闘機でした。それをさまざまな事情から空軍もE
型として採用されました。
この空自のEJ型は米空軍のE型と同じく、M6
1・バルカン砲式20ミリ機関砲をもちました。し
かし、わざわざ政府が行ったのは、「攻撃的な」装
備を下ろすことでした。まず、核兵器コントロール
装置、爆撃コンピューター、ブルパップ対地ミサイ
ル・コントロール装置、空中給油装置などを外しま
した。対地攻撃能力をすべて奪ったのです。
長い航続能力を持たせるような給油装置は他国に
脅威を与える。爆撃装置などは攻撃的過ぎる、対地
ミサイルなどは自衛隊の専守防衛任務から逸脱する。
こういった怪しげな配慮を公然と政治家やマスコ
ミが口にし、文書にする時代だったのでした。
他国とは当然、どこかお分かりでしょう。ソ連、中
国、韓国、北朝鮮です。強力な戦闘機があっても、
飛んで来ることもない、爆撃もしない、なんと平和
的な友好的な「戦闘機」でしょうか。
本来、万能選手であったファントムを迎撃専用戦闘
機にしてしまったツケは、国産対地攻撃機F1にも
影響が出ました。もちろん、このアタッカー(攻撃
機)は名称が穏当ではないろいうことからサポート・
ファイター(支援戦闘機)という不思議な呼ばれ方
をすることになりました。後に予算不足で定数が充
足できないようになりました。爆撃コンピューター
があれば、対地攻撃力の不足を補えたのです。
▼難しい将来の見通し
この頃、自衛隊は民生協力、災害派遣の重視を看
板に揚げていました。毎年、自然災害が起こるのは
わが国の宿命です。公開映像には必ず、大きな災害
に駆けつける隊員の姿が残っています。少しでも、
国民に親しまれたい、信頼に基づいた防衛基盤をつ
くりたいといった願いの現われでもありました。
毎年、大規模に開かれる「札幌雪まつり」の支援
が見られます。ただ、そこで自衛官が建設している
のは「天安門」と「万里の長城」でした。日中平和
友好の証しでもありました。中国賛美ブームです。
田中角栄政権のもとで、日中(とはいえ中国共産党
の中共)国交回復といっしょに吹きまくったのが日
中友好、それにともなう自虐の嵐でした。
あの時代、中国には過去ひどい迷惑をかけた、毛
主席を中心した中国は寛大にもわが国を許してくれ
た、だからお詫びも込めて援助や借款の申し出も受
けなければ・・・という善意が大手を振って歩きま
わる時代でした。
アメリカ・韓国は悪であり、中国は平和を愛する
誠実な国であり、北朝鮮は地上の楽園だという報道
が当たり前でした。そんな頃の防衛力整備計画が第
4次防です。
(つづく)
(あらき・はじめ)
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●著者略歴
荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
https://amzn.to/31jKcxe
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