こんにちは、エンリケです。
藤井岳さんの、
「自衛隊・熱砂のイラク派遣90日」
の三十二回目です。
迎えられる立場からの映像を初めて見た。
そんな感じです。
出迎えた方々、迎えられた方々の思いが、
手に取るようにわかる日本人でありたい。
そんな思いが噴き出しています。
さっそくどうぞ
ご意見・ご感想お待ちしてます。
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エンリケ
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自衛隊・熱砂のイラク派遣90日(32)
「ただいま」
藤井岳(ふじい・がく)(元陸自2曹)
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□はじめに
東日本大震災から10年が過ぎました。
3月11日を迎える数日前から、テレビではやた
らと津波の映像や、被災された方のインタビューを
流してましたね。10年の節目として、どの局も例
年より力を入れていたようです。
私は今も当時も岩手県在住で、地震が起きた時は
用事で市役所にいました。
地震の後は数日間にわたり停電、ストーブ用の灯
油と車のガソリンを確保するために父と夜中からガ
ソリンスタンドに並び、車の中で夜を明かしたもの
でした。携帯電話の充電のために、隣の市に住む親
戚を訪ねて大型発電機から電気を引っ張って充電さ
せてもらったこともありました。携帯電話を完全充
電にした後、電源を入れると、友人や知人から安否
を気遣うメールが多く届いており、しばらく受信通
知が止まりませんでした。
棚から商品が無くなったスーパーやコンビニ、ガ
ソリンスタンドに並ぶ車列、食料を求めてスーパー
に並ぶ人の列、飛び交う噂やデマ。
「世界が灰色に見えるってこういうことかな」。こ
れは知人の言葉です。
私は、いたずらに被災者に当時の記憶を思い出さ
せる報道の姿勢に疑問を抱きます。防災意識の高揚
はおおいに結構ですが、毎年、この日は旅立った人
たちや思い出の街に思いを馳せ、静かに祈る、そん
な日にするのがいいのではないかと思うのです。
▼懐かしい原隊のトラック
タラップの最後の1段から、ゆっくりと駐機場の
地面に足を降ろす。日本の大地だ。
(俺は日本に帰ってきた!)
その瞬間に感じたものは、やはり安堵だった。
駐機場の隅には3トン半トラックが並び、飛行機
の貨物室に積まれた個人の荷物などを積載するため
に待機している。その中には私の原隊のトラックも
並んでおり、バンパーに記された部隊名を見て、3
か月見なかっただけなのに、まるで数年ぶりに見た
ような懐かしい気持ちになった。
バスもすでに駐機場に待機しており、飛行機から
降りた隊員たちが乗車する。バスが向かう先は、家
族や仲間が待つ青森駐屯地だ。
青森空港から青森駐屯地までの道中、ずっと外の
景色を眺めていたが、何か落ち着かない。さきほど
の安堵感はやや薄れていた。酷暑のクウェートを発
ってから約18時間で日本に着いた。環境の急変に
まだ頭がついていけない。そんな感じだった。
バスが青森駐屯地の正門を通過し、駐屯地内に入
るや否や、スタジアムにでもいるような大きな拍手
と大歓声に包まれた。
バスを降り、整列。第9師団司令部庁舎の前から
順に行進する。庁舎の前から東北方面隊や第9師団
の高官がずらりと並び、行進する隊員に「お疲れさ
ん!」と労いの声をかけられた。
▼留守を預かってくれた仲間に感謝
司令部を後にして、隊員の列は駐屯地の道路をさ
らに進む。
歓声がひときわ高まる。隊員家族が道の両脇に詰
めかけ、それぞれの父や母、夫や妻、息子や娘を列
中に探し、見つけると隊員の名前や「おかえりなさ
い!」「お疲れ様!」といった言葉で迎えてくれた。
私たちも行進しながらそれぞれが自分の家族の姿
を群衆の中に探した。
私はすぐに見つけることができた。
私の父母は、群衆の最前列からやや下がって微笑
んでいた。
さまざまな感情が一瞬で込み上げてくる。
手を振るのもなんだか恥ずかしくて、敬礼をして
軽くうなずいた。
続いて師団管内などから駆けつけた各部隊の出迎
えだ。至る所に部隊名が記された旗や幟がはためい
ている。ここも拍手と歓声の嵐だ。「お疲れさん!」
「おかえり!」所属に関係なく、皆が声をかけてく
れた。
そして見慣れた一団が目に入った。私の原隊の隊
員たちだ。皆が笑顔で手を振っている。
敬礼しながら「只今帰りました!」と大声で応え
る。
中隊が常時さまざまな業務を抱えるなか、所属隊
員を3か月送り出すということは決して短くない期
間、業務遂行のための大事な人員が減らされること
であり、1人、2人送り出すだけでも中隊には相当
の負担になる。隊員の業務分担を受け持つ訓練幹部
や中隊付准尉は頭を抱えただろう。そして、派遣隊
員の本来の業務は必然的に留守を預かる隊員たちに
振り分けられる。私が受け持つ業務も、不在間、仲
間が代わりにやってくれたということだ。本当に申
し訳なく、ただただ感謝の思いであった。
群衆から離れた位置で列は停止。解散の号令が下
る。
大事な人に向かって走り出す者、ゆっくり歩き出
す者、まずその場で仲間と声をかけ合う者、さまざ
まだ。
家族に囲まれる者、恋人と抱き合う者、部隊の仲
間と話をする者。
歓喜の声や嗚咽。いろいろな感情が渦巻いていた。
そんな人々の間を縫うようにして、私は歩いた。
逢いたかった2人の姿を、道路の先に見つける。
父と母を目の前にして、帰国後の第一声はどんな
言葉がふさわしいだろう?
微笑む父母の目の前に立つと、やはり湧き上がる
感情と照れくささで上手い言葉が浮かんでこない。
でも、やはり無事に帰ってきての第一声は……。
「ただいま」
(つづく)
(ふじい・がく)
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【著者紹介】
藤井岳(ふじい・がく)ペンネーム
1979年岩手県一関市生まれ。1996年自衛隊生徒とし
て陸上自衛隊入隊。少年工科学校へ入校。卒業後機
甲生徒課程を経て第9戦車大隊(岩手)で戦車乗員
として勤務。2004年第3次イラク復興支援群に参加、
イラク・サマワにて任務に就く。2005年富士学校
(富士)に転属。機甲科部で助教として戦車教育に
従事。2008年退職。フリーランスフォトグラファー
として活動を開始。自衛隊航空部隊の撮影、取材に
取り組む。2015年から「PANZER」誌で執筆開始。そ
の後「丸」「JGROUNDEX」「JWings」などで写真
や戦車に関する記事を発表。現在に至る。
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