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荒木さんの最新刊
知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。
そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
多く載っています。それだけでなく、技のすべてを
QRコードを通して実際の動画をスマホで確認できる
のです!
自衛隊関係者、自衛隊ファン、憲兵ファンはもちろん、
武術家、武道家、武術ファンにも目を通してほしい
本です。
『自衛隊警務隊逮捕術』
荒木肇(著)
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こんにちは。エンリケです。
きょうは、
「防衛省の秘蔵映像」の解説 4回目です。
まさに「自衛隊史」ですね。
さっそくどうぞ。
エンリケ
メルマガバックナンバー
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特別紹介
防衛省の秘蔵映像(4)防衛2法と第2次防衛計画
─昭和36(1961)年防衛庁記録─
荒木 肇
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□はじめに
昭和30年代後半(1955年~)はめまぐるし
い時代でした。ほとんど毎日が「建設」の日々だと
言っていいでしょう。これから昭和50年代半ばこ
ろ(1980年)まで、わが国社会は平和を謳歌し、
高度経済成長の恵みを受けて明るく豊かな毎日を
送ります。
明るいはずです。1957(昭和32)年に成立
した岸信介内閣(例の安保闘争で「倒され」ました
が)の長期経済計画によれば、62年までの5年間
で経済成長率の目標を年平均6.5%としました。
これは岸に代わった池田勇人内閣が60年に発表し
た「所得倍増計画」のはしりとなりましたが、実は
計画を大きく上回り、平均10.1%を達成します。
1950年代後半は外国からの技術導入と設備投
資が活発に行なわれた時代でした。1962年まで
に導入された外国技術は約900件、そのほとんど
6割くらいはアメリカからのものです。おかげで重
化学工業は大きく発展しました。
1955年の設備投資額が約180億円にしか過ぎ
なかった鉄鋼業は、61年には約2800億円と1
5倍にもなります。化学工業は55年の約470億
円が61年には同2500億円で5倍にもなってい
ました。
「神武景気(じんむけいき)」などという言葉はす
っかり死語になりましたが、当時は神武天皇以来、
初めての経済的な豊かさ、成長ということでいわれ
た言葉です。もっとも、57年夏から58年夏にか
けて、一時的な「鍋底(なべぞこ)景気」などとい
う不況状態もありました。
しかし、翌59年から景気は再び回復し、神武天皇
よりもっとスケールが大きいということから「岩戸
(いわと)景気」とマスコミによって名付けられま
した。古事記に残る「天岩戸(あまのいわと)」が
命名の由来でした。
▼モータリゼーションの始まり
1957(昭和32)年から国産乗用車の発表が
始まりました。スカイライン(プリンス)、コロナ
(トヨタ)、58年にはスバル360(富士重工)、
ダットサン211(日産)、59年にはブルーバ
ード(日産)。値段はけっこう高く、65万円から
93万円と平均的な勤め人の年収の2倍くらいでし
た。ざっと現在感覚では、1000万円くらいの感
覚でしょうか。
それが60年になると、30万円のマツダR36
0クーペ、39万円の三菱500と年収とほぼ同じ
の価格の車が出てきます。ちなみに360とか50
0というのはエンジンの排気量(CC)のことです。
もちろん、1000CCクラスのブルーバードや
コロナとは車体の大きさも違いました。61年には
トヨタもパブリカ(パブリック・カーからの造語と
か)を発表して38万円で売り出します。
国産小型乗用車(5ナンバー)は58年には年間生
産台数は9万台から61年には29万台、62年に
は44万台になりました。懐かしいオート3輪を覚
えておられるでしょうか。わたしの身近にはマツダ
製の開放的な運転台、またがって両手で運転するオ
ート3輪がありました。近所の八百屋さんのお兄さ
んが運転していました。卸し市場に行ったり、大口
注文を届けに出かけたりしていたのです。これが5
0万台も売れていました。
もっと知っておきたいのはテレビです。1959(
昭和34)年には皇太子殿下のご成婚パレード中継
がありました。もちろん、皇太子殿下ご夫妻とは、
現在の上皇、上皇后陛下のことです。初の平民出身
の皇太子妃殿下の誕生でした。それまで皇族殿下方
のご結婚相手は、皇族か戦前の華族(公爵から男爵
までの爵位をもつ人とその家族)からだけが普通で
したから、みんなびっくりしたものです。
KRT(のちにTBSとなります)、NHK、NT
V(いまのニッテレです)の3社がパレードの実況
中継をしました。視聴率は79%だったとか。わた
しも観ました。お行列の先頭を走るのは警視庁騎馬
隊だったか、皇宮警察のそれだったか、はっきりし
ません。ただ、のちに大学で一緒になった友人のお
父上が、その指揮官だったことは間違いありません。
直にお話をうかがったこともあり、戦時中は最後
の乗馬騎兵だった華北駐屯部隊におられたとのこと
でした。
テレビの台数は全国で200万台、61年には10
00万台となりました。ソニーのトランジスタ小型
テレビは約7万円くらいだったでしょうか。21イ
ンチのカラーテレビは31万円だったことが手元の
パンフレットに載っています。
61年の4月はNHKで「夢であいましょう」、6
月にはニッテレで「シャボン玉ホリデー」が始まり
ました。ハナ肇さんが双子の姉妹、ザ・ピーナッツ
さんと出演でした。10月にはTBSで社会派刑事
ドラマ「七人の刑事」が始まりました。昭和の大歌
手坂本九さんの大ヒット、「上を向いて歩こう」が
「夢であいましょう」から生まれました。
https://www.youtube.com/watch?v=aXcyoJFYCqA
▼防衛2法と「ニジボウ」
昭和36年の防衛庁映像には、長い時間をつかっ
て「防衛庁設置法」と「自衛隊法」の改定が国会で
成立する様子があります。この2つの法律を「防衛
2法」と言っています(現在は2004年から「防
衛省設置法」)。
防衛省・自衛隊は、この2つの法律で成立してい
るのです。それでは、この2つの関係はどうなのか。
防衛省には背広を着た官僚がいて、自衛隊には迷
彩服を着た隊員がいるなどと考えては間違いです。
実は、まったく同じもので、組織として見た場合
と、行動などを基準とした場合の違いで呼び分けて
いるだけでしかありません。防衛省とは国家行政組
織法で定められた行政機関の固有名詞、自衛隊とは
部隊行動の機能上の面からみた実力機関としての呼
び方になります。だから、他の官省庁とちがって、
2つの法律が必要になりました。
設置法は、行政機関としての設置目的・所掌する
事務・機構や組織を中心に書かれています。自衛隊
法は、自衛隊の任務・部隊の編制・組織・行動・隊
員の身分などが定められているのです。
自衛官とは階級をもち、制服を着用して防衛省や部
隊、研究所、学校、機関などに勤務する人のことを
いいます。同じところに背広を着て勤務する人(ふ
つうの公務員試験の合格者で採用された人)も防衛
省職員であり、自衛隊員であることもよく知られて
いないようです。
昭和36年、この2つが改定されました。もちろ
ん、野党や国民の一部の勢力は「軍国主義につなが
る」とか「ソビエト連邦や中国に脅威を与える」と
か、「軍事力を増強などせず、話し合いを中心して
安全保障は考えるべきだ」とかの反対を熱心に行な
いました。マスコミの多くは、しかもどうしてかN
HKまでがそうした論調でした。
驚かないでください。あの朝鮮戦争ですら、アメ
リカ軍の侵攻の結果だと信じ、主張する人たちが野
党や大学、言論界にはいっぱいおりました。もちろ
ん、熱心な社会主義者だったはずの「日教組」もそ
うした解釈が正しいと主張していたのです。全国で
基地反対闘争が、そうした勢力によって起こされた
のも当然ですね。
この2法の改正で、陸・海・空自衛隊も、より組
織だった現在に近い形になってきます。すなわち陸
上自衛隊では、6個管区隊4個混成団が、13個師
団体制になったのです。海上自衛隊は自衛艦隊のも
とに護衛艦隊、潜水艦隊、航空集団と統一された形
をとり、航空自衛隊も組織が大きく変わりました。
統合幕僚会議の権限が大きくなり、3自衛隊を統合
する運用も研究されるようになります。
映像には、群馬県榛東村(しんとうむら)に第1
2師団司令部が開かれる様子が映っています。地域
の子供たちも、手に手に日の丸を振って大歓迎です
。
▼国産装備の充実と2次防
この50年代後半から60年代の前半にかけて、
多くが米軍供与だった装備が順に国産化されてゆき
ます。3自衛隊とも、人員、装備品や運用について
は57(昭和32)年から60年度にかけて第1次
防衛力整備計画として実現しました。
つづいて、61(昭和36)年度は2法の改正もあ
り、単年度となりましたが、2次防は62年度から
66(昭和41)年度までの5カ年計画として策定
されます。
この計画の特徴は、「防衛力整備の目的とする事
態」を通常兵器による(核攻撃にはお手上げ)局地
戦以下(国全体ではなく、ごく一部の地域)の侵略
に対処する能力と明文化されたことでした。したが
ってこの時点での防衛力は、第2次世界大戦・朝鮮
戦争対応型の装備を更新し、対空誘導弾の導入も図
ることとなりました。
国産装備ができないのがジェット戦闘機です。F
86Fセイバーの装備も終わり、次世代のロッキー
ドF104Jスターファイターの導入が決まりまし
た。Jがつくのはライセンスされ、一部がわが国向
けに回収された機体です。もともと1954(昭和
29)年に原型が初飛行し、最後の有人戦闘機など
と騒がれました。もう人が操縦する最後の戦闘機だ
ろうといわれたのです。もっとも、そうしたキャッ
チコピーはたいていがハッタリであることは今も昔
も変わりません。
アメリカ空軍は、この速度と上昇力を売り物にし
た「軽戦闘機」は少数しか採用せずに、NATO(
北大西洋条約機構)諸国が注目しました。ソ連空軍
の軽快な戦闘機に対抗するには最適だとされたので
す。西ドイツ、ベルギー、オランダ、デンマーク、
ノルウェイ、イタリア、トルコ、ギリシャなどが次
々と購入し、わが自衛隊もドイツ空軍用のG型を改
修して日本の空の護りとしたのです。
決め手となったのは高速性能(マッハ2.0)と
加速性(映像で確認できる)、上昇性能でした。戦
闘行動半径は620カイリ(約1150キロメート
ル)、実用上昇限度1万8000メートルで武装は
M61・20ミリ機関砲とAIM-9空対空ミサイ
ル(サイドワインダー)×4というものです。あま
りに薄い主翼も特徴で、脚が胴体内に引き込まれま
す。
何より大きなことは、全国を覆うBADGE(バ
ッジ)システムによって、要撃管制員の誘導で行動
することでした。要するにソビエト空軍の爆撃機を
迎撃することに絞った選択です。したがって、西ド
イツ空軍のG型のような爆撃コンピュータをもって
いません。
バッジ・システムは38年にマニュアル式のエアク
ラフト・コントロール&ワーニング(AC&W)に
代わって導入されました。すでに36年には沖縄県
を除く全国のレーダーサイトが米軍から空自に移管
され、半自動の防空管制システムは準備されていた
のです。
このF104戦闘機を210機、復座型の練習用
戦闘機を20機の合計230機を国産し、4個航空
団の7個飛行隊に配備します。
2次防では海上自衛隊の近代化も注目です。護衛
艦(DD)は9隻、潜水艦(SS)4隻、掃海艇(
MSC)10隻、駆潜艇(PC)3隻などがこの5
年間に竣工しました。とくに注目すべきは「あまつ
かぜ」(1965・昭和40年竣工、DDG163
)でしょう。DDは駆逐艦を表し、Gとは誘導弾を
表します。前甲板には砲塔が2基ありますが、後甲
板には対空誘導弾ターターが見られます。
対潜水艦型の護衛艦「やまぐも」型も2次防でし
た。このクラスの護衛艦(基準排水量2050トン)
には珍しくディーゼル機関をもち、アスロックS
UM8連装発射機、ボフォース4連装対潜ロケット
発射機も装備しています。
アスロックはロケットの先端にホーミング魚雷を
装備したものが発射され、ブースター部分にはパラ
シュートが内蔵されました。調整された目標海面に
到着しパラシュートで着水すると、ブースターを切
り離して水中をホーミングによって目標潜水艦を追
いつめます。最大射程は約8カイリでした。
▼装備品国産化が進む陸自
毎年、公開映像には演習の様子が描かれます。こ
の中には2次坊の中で進んだ国産武器(兵器とはい
えない)がいろいろ登場します。60式装甲車が走
っています。いわゆる歩兵戦闘車ではなく、戦場で
歩兵を敵弾から守る装甲をもつ「戦場のタクシー」
です。10人が乗れますが、小松製作所と三菱重工
で1973(昭和48)年までに460輌が生産さ
れました。重迫撃砲(口径107ミリ)や81ミリ
迫撃砲を積んだ車体もあります。エンジンは空冷デ
ィーゼル220馬力、最高速度は時速45キロ、車
体の前に7.62ミリ機関銃と車長席に12.7ミ
リ重機関銃が付けられます。
60式自走106ミリ無反動砲も有力な対戦車火
器でした。乗員は3名で、クローラー(キャタピラ
)付きで小型軽量。低姿勢(全高1590ミリ)が
何よりの特徴で、不意急襲(ふいきゅうしゅう)的
に初発・必中の射弾を発射します。
こういうと堅苦しいのですが、地形を利用して待
ち伏せてソ連軍戦車にヒット・アンド・ラン、しか
も一発目から命中を狙うといったものです。大口径
であるのに、発射ガスを砲尾から逃がすので閉鎖機、
復座駐退機、揺架といった装置が要りません。軽
量でした。同じような口径の105ミリ榴弾砲と比
べれば10分の1の215キログラムしかありませ
ん。ただし、後方への爆風が盛大に出るので、発射
すればすぐに位置が暴露するという欠点がありまし
た。
砲身の上には平行して口径50(1インチ=2.
54センチ×100分の50)、つまりブローニン
グ重機関銃と同じ12.7ミリのスポッティング・
ライフルが付いています。射撃の前には、これを発
射し、弾道を確認して続いて砲撃しました。「銃ハ
ッシャー!」、「砲ハッシャー!」と順に号令がか
かって撃ったそうです。
射手が右手で握把(あくは・グリップ)を前に倒
すと銃が、後ろに倒すと砲が発射されます。不慣れ
な人だとあわてて後ろに倒し、いきなりドッカーン
と砲が撃たれるということもあり、周囲が驚かされ
るということもあったそうです。
砲身長は3332ミリ、砲身重量は115キログ
ラム、初速は500メートル/秒、有効射程は11
00メートル、対戦車榴弾、曳光粘着榴弾と演習弾
の3つがあります。いわゆるバズーカ(ロケット・
ランチャー)と対戦車ミサイルMAT(64式有線
誘導)の中間的存在でしたが20年ほど前までは部
隊には観られました。普通科(歩兵)連隊の小銃中
隊の中にある対戦車小隊にあったのです。
実物が茨城県阿見町の陸上自衛隊武器学校の展示
場にあります。土嚢に囲まれた射撃陣地の中に砲身
を2つのぞかせた車体が見られます。
次回はいよいよ第3次防衛力整備計画(昭和42
年度から46年度)、東京オリンピックを成功裡に
終わらせたわが国が1967年度からの5年間で築
き上げた防衛力を「記録映像」の見どころをご紹介
しつつ書いてみましょう。
(つづく)
(あらき・はじめ)
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●著者略歴
荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
https://amzn.to/31jKcxe
PS
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ています。
マガジン作りにご協力いただいた各位に、心から感
謝しています。
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心から感謝しています。ありがとうございました。
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