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荒木さんの最新刊
知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。
そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
多く載っています。それだけでなく、技のすべてを
QRコードを通して実際の動画をスマホで確認できる
のです!
自衛隊関係者、自衛隊ファン、憲兵ファンはもちろん、
武術家、武道家、武術ファンにも目を通してほしい
本です。
『自衛隊警務隊逮捕術』
荒木肇(著)
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こんにちは。エンリケです。
きょうは、
「陸軍工兵から施設科へ」は
ちょっとお休みし、
防衛省が公開し始めた秘蔵映像の解説を
お届けします。
あなたはご存じでしょうが、この映像は
youtubeで誰でも観ることができます。
ずいぶん昔の映像をノスタルジー気分で
眺めるのもいいですが、適宜適切な
見どころ・背景事情、風俗解説などがあ
ればより一層楽しめますね。
意外な話も沢山知れます。
あなたの思い出もぜひお寄せください。
さっそくどうぞ。
エンリケ
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特別紹介
防衛省の秘蔵映像
荒木 肇
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□お詫びと訂正
1月はたちまち過ぎ去って、もう2月です。2月
は逃げるといわれるように、これまた早く過ぎ去る
気がします。コロナ禍の始まりから、ほぼ1年間が
過ぎていきます。皆さま、くれぐれもご自愛くださ
い。
さて、先週では恥ずかしい間違いをしてしまいま
した。陸自の方面隊ごとの施設団です。2016
(平成28)年には北部方面隊にも施設団が復活し
ています。すぐに施設科の元自衛官の方々から指摘
をいただきました。お詫びして訂正します。
また、連載ではいよいよ第1回の総攻撃の準備砲
撃と突撃についてとなりますが、取り急ぎ防衛省か
ら公開されたユーチューブ映像について紹介いたし
ます。昭和30年代、40年代、50年代と国際情
勢や国内の経済・思想動向に挟まれて発展してきた
自衛隊。その姿を映像で追いかけることも大切です。
□防衛省のユーチューブ映像の公開
防衛省ではこのたび秘蔵映像の公開を始めました。
どなたでもみられるユーチューブで観ることがで
きます。今日はその第1回の見どころ解説をしたい
と思います。まず、1957(昭和32)年、自衛
隊発足から3年が経った記念式典などの映像です。
https://www.youtube.com/watch?v=JR7JtUGba6w
▼街の風俗や社会の様子
9月26日、陸・海自衛隊音楽隊が都内を演奏行
進、新橋、上野、浅草、新宿といった「盛り場」の
様子を見ることができます。行きかう街の人々が懐
かしい。女性の多くが和装です。男性も「サザエさ
ん」のお父さんで分かるように、帽子をかぶってい
る人がふつうに見られます。車も、通称「ダルマ」、
トヨタのクラウンが走っていて、都電の線路に懐
かしさを覚えました。
歴史年表を見ると、経済白書は前年31年に「も
はや戦後ではない」という有名なフレーズを出して、
経済復興がいよいよ進んで来た頃です。ちなみに
わたしは1951(昭和26)年生まれで、このと
きは両親が「共稼ぎ(ともかせぎ)」で保育園にお
りました。今では両親が働き、子供が預けられるの
は当たり前という時代です。当時は、まだまだ両親
がそろって正規の仕事で働くというのは珍しいこと
でした。
9月28日には青山青年会館で、一般の方への広
報活動が行なわれています。ゲストとして、男性四
重唱のダーク・ダックス、女優の河内桃子(かわち
・ももこ)さんが出て、ここでも和装の女性と、詰
襟の学生服、ダブルの背広といった姿が目につきま
す。
映像から見る限り(もちろん、当時の防衛庁の編
集ですから)、大きな反対運動も目立たず、むしろ
手を振り、拍手する人たちが多かったようです。折
しも、内閣官房調査では「青少年の愛国心や防衛意
識形成」を強調する頃でもありました。戦後、10
年あまり、再軍備だ、右旋回だ、対米従属路線だと
いう大声の批判もありましたが、実は当時から自衛
隊は決して日蔭の存在とだけでは切り捨てられない
ものでもあったのです。
▼明治神宮絵画館前の行進と装備
記念式典は10月1日、信濃町駅近くの神宮外苑
絵画館前で開かれました。観閲官は、ときの内閣総
理大臣岸信介(きし・のぶすけ)氏でした。人員4
200名、車輌150、航空機150機が参加して
います。
栄誉礼の音楽は、いまは更新された昔の勇壮なイ
メージが高いものです。儀仗隊は今も変わらずきれ
いな揃った動きを見せますが、サーベルは帯刀して
いません。オープンカーに乗った首相の巡閲は今も
変わらず、ただし行進はずいぶん今と変わります。
観閲行進の徒歩部隊は陸自中央音楽隊、続いて受
閲部隊指揮官中野陸将、防衛大学校学生隊です。そ
の後はM1ガーランド小銃を担う普通科部隊でした。
あれれ、陸士の階級章のシェブロン(山形)が今
と逆さまです。アメリカ軍と同じ着け方なので、陸
士長の3本はまるで米軍軍曹のように見えます。そ
の後ろに続くのは旭日の自衛隊旗。そうでしたね。
連隊に交付される自衛隊旗は戦前陸軍軍旗の旭光の
数を減らし(16条から8条に)、昭和29年に制
定されました。
自衛隊旗の後ろは少年工科学校生徒隊、空挺部隊
が歩きます。どちらも担うのはM1ガーランド小銃
です。空挺は軽い小銃装備かと思っていましたが違
うようでした。
意外なのは、空いている左手の振り上げ方がひどく
低いことです。まさにアメリカ軍式の行進でした。
20年近い前のことですから時効ですが、ある陸将
補がこのことを批判していました。「身体が小さい
ものだからといって、無駄に手を振り上げさせてい
る」というのです。なるほど、部隊の精強さを示す
統制がとれた行進は見ていて勇ましいものです。し
かし、近頃の陸自の行進は腕を上げ過ぎ不自然にな
っていないかということでしょう。
海上自衛隊音楽隊は高らかに「軍艦行進曲(マー
チ)」を演奏して登場します。続いて戦前の帝国海
軍の伝統を引き継いだ16条の旭光の「自衛艦旗」
が行進しました。そうして航空自衛隊員の徒歩部隊
です。しかし、全員が武装していません。通常の一
種制服での行進でした。
▼車輌部隊の行進、マニア必見!
婦人自衛官部隊がジープに乗って行進しました。
いまは女性自衛官といわれていますが、当時は婦人
警官(ふけいさんと愛称された)と同じく、婦人自
衛官です。このときは、陸自だけでした。続いて今
も使われる行進曲で機械化装備が進みます。
おお、と驚いたのは先頭が施設科(工兵)部隊だ
ったことです。まず、モーターグレーダー(路面を
均〔なら〕す車輌)、続いてトレーラーに載せられ
たブルドーザーやバケット車でした。それからいよ
いよ野戦特科(砲兵)の牽引された火砲です。クロ
ーラー(キャタピラー)付きの牽引車につながった
105ミリ榴弾砲M1A1、155ミリ榴弾砲M1
A2、155ミリ加農M2といった米軍供与の強力
な火砲群でした。
航空部隊はヘリコプターH19でしょうか。そし
て固定翼はL19A/Eかと思えます。いずれも陸
自航空の初期を切り開いた懐かしい機体ばかりです。
お楽しみは特車(戦車)部隊の様子。軽戦車M2
4チャ―フィー、そして中戦車M4A3シャーマン
の登場です。ピカピカに磨きあげられ、砲塔には大
きく日の丸が描かれています。この後には、新橋か
ら昭和通り、池袋を通って川越街道を行進し、練馬
駐屯地まで戦車部隊は走りました。
実は数年後、わたしはこの車列を亡父といっしょ
に観に行きました。小学校の中学年ですから昭和3
4年頃でしょう。池袋から川越街道を走る父の運転
する車で追い抜きながら、開けた車窓から見上げな
がら手を振ると、隊員さんがみんな笑顔で手を振り
返してくれました。ひどく嬉しく、頼もしく思った
ものです。
▼空自の展示と海自の観艦式
同じころ、空自は羽田空港で機材の展示と体験飛
行を行なっています。F86Fセイバー戦闘機と輸
送機のC46が映っていました。一般の方を迎えて
体験飛行に飛びあがるC46、見応えがある映像で
す。それにしても羽田空港が閑散としていて時代を
思います。
翌日10月2日には、羽田沖では海自が戦後初の
観艦式を行なっていました。観閲官は警備艦「ゆき
かぜ」に乗り、東京湾内を巡航します。この「ゆき
かぜ」は、大東亜戦争の幸運艦、駆逐艦雪風の名前
を継承しました。この艦は、1953(昭和28)
年度計画で、海自が発足後に初めて建造した大型護
衛艦です(「はるかぜ」型)。その頃は甲型警備艦
といいました。
基準排水量は1700トン、全長106メートル、
最大幅10.5メートル、蒸気タービンを2基・2
軸、出力は3万馬力、速力は30ノットというもの
です。兵装はすべて米海軍からの供与された、5イ
ンチ(127ミリ)単装砲3基、40ミリ4連装機
銃2基、ヘッジホッグ2基、K砲8基、爆雷投下軌
条2条、乗員は240名でした。
ヘッジホッグは対潜水艦戦闘用の投射爆雷、同じ
くK砲も潜水艦対策です。現在では見られない爆雷
投下軌条も珍しい。艦尾にあった爆雷を落とすレー
ルです。巡航するゆきかぜ艦上からは、舷側に平仮
名で艦名を書いた貸与されたPF(パトロール・フ
リゲート)や、警備艇(LSSL)などなど、艦艇
ファンには見逃せません。
また、翌日、3日には東京港祭りにも4隻の艦が
参加した様子も観られます。時代だなと思わされる
のも、護衛艦に乗り込むのに和装の女性が多いこと
です。懐かしい子役女優の小鳩(こばと)くるみさ
んが1日艦長を務められています。
長い紹介になりました。皆さまのお声をお待ちし
ています。映像から観ただけのわたしの曖昧な機・
器材の名称についてなど考証のお便りがあれば嬉し
いです。
(つづく)
(あらき・はじめ)
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●著者略歴
荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
https://amzn.to/31jKcxe
PS
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最後まで読んでくださったあなたに、心から感謝し
ています。
マガジン作りにご協力いただいた各位に、心から感
謝しています。
そして、メルマガを作る機会を与えてくれた祖国に、
心から感謝しています。ありがとうございました。
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