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荒木さんの最新刊
知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。
そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
多く載っています。それだけでなく、技のすべてを
QRコードを通して実際の動画をスマホで確認できる
のです!
自衛隊関係者、自衛隊ファン、憲兵ファンはもちろん、
武術家、武道家、武術ファンにも目を通してほしい
本です。
『自衛隊警務隊逮捕術』
荒木肇(著)
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こんにちは。エンリケです。
「陸軍工兵から施設科へ」の十五回目です。
後備の諸隊について解説があります。
わからなかったこと、適当に流していたこと、わか
らないことすらわからなかったことを正確に理解で
きたときほど、うれしい瞬間はありません。
同じうれしさを味わいました。
さっそくどうぞ。
エンリケ
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陸軍工兵から施設科へ(15)
旅順要塞への第1回総攻撃の結果
荒木 肇
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□ご挨拶
テレビは毎日毎日、コロナとワクチン。あまりに
情報があふれています。もう何を信じていいのか分
かりません。
ところで防衛省が今まで公開されていない旧い映
像をユーチューブで見られるようにしてくれたよう
です。そうして分かることは、戦後社会で陸上自衛
隊施設科は公共工事に貢献し、地方の社会資本の整
備に大活躍したことでしょう。
いまは方面隊ごとに施設団が置かれ(北部方面隊
を除く)、隷下には複数の施設群があり、師団・旅
団には施設大隊や施設隊があります。その活躍を眼
にする機会はありませんが、昔は全国いたるところ
で、OD色の建設機械が動いていました。
ドーザー、グレーダー、クレーンなどをいち早く
取り入れたのは米軍のエンジニア(工兵)の指導を
受けた自衛隊の施設科だったのです。地区施設隊と
いう今ではなくなった部隊が民生協力ということで
大活躍しました。予算不足の地方自治体にとってみ
れば、演習として働いてくれる自衛隊様さまの頃で
もありました。
いまも、地方で根強い自衛隊ファンはこうした実
践があったからでしょう。昔の映像を見て、いろい
ろ思います。次回からはそうした紹介もします。
▼堡塁と交通壕
当然、総攻撃の前には偵察をする。とはいえ、接
近できるわけではない。双眼鏡や望遠鏡で見えたの
は散兵壕に見える敵兵くらいである。ロシア軍の堡
塁(ほるい)や掩蓋(えんがい)施設は巧みに偽装、
隠ぺいされていたのだ。
堡塁というのは防衛の拠点になるところで、砲台
や銃眼を備えている。また、守備兵が休息したり、
待機したりできる居住性もあった。堡塁と堡塁の間
は、交通壕ともいわれる塹壕で結ばれていた。塹壕
はジグザグに掘られる。直線では万一砲弾が炸裂し
たら、被害が大きくなるからである。
塹壕のところどころは、上部を保護する掩蓋で守
られていた。兵員が待機し、将校が事務までとれる
ような施設があった。そのようなところにも銃眼が
あり、機関銃が備えられているところがある。しか
も、そうした塹壕のラインは1本ではなく、3本も
あったのだ。
機関銃については、多くの勘違いした書籍のおか
げで、日本軍は初めて知ったというような俗説があ
る。しかし、それは大正時代の終わりころに戦場体
験者たちの言葉から出たことだ。おそらく機関銃に
代表される機械力に精神力で立ち向かえるといった
ことを主張するためだったに違いない。
実際には日本陸軍の機関銃採用は世界の中でも早い
方である。すでに日清戦争(1894~5年)に台
湾でも使われている。その後は、内地の要塞防備用
の火器として輸入、生産もされていた。
だからロシア軍にも防御用の火器として当然装備
されているだろう。そうした想像は誰もがしていた。
ただ、その威力がとても大きいということが理解
されていなかっただけである。なんと西欧の陸軍で
すら、10年後の第1次世界大戦で同じ失敗を繰り
返した。鉄条網に守られた敵の塹壕に突進し、機関
銃に掃射されて大きな損害を出したことが知られて
いる。
▼攻撃命令
乃木大将による攻撃命令は次の通りである。軍命
令の実際を知るために漢字は現用のものに改めるが、
片仮名はそのままにする。
攻撃正面ハ、二龍山堡塁及東鶏冠山砲台間トス。
三、(略)
砲撃開始ヨリ突撃迄各団隊ノ動作左ノ如シ。
十八日払暁砲撃ヲ開始シ、十九日迄継続シ、二十日
払暁突撃ス。
第一師団ハ、砲撃開始ト共ニ椅子山方面ノ敵ヲ攻撃
ス。
(略)
第九、第十一師団ハ・・・二十日払暁突撃ス。但シ
第九師団ノ攻撃点ハ盤龍山東堡塁、第十一師団ノ攻
撃点ハ東鶏冠山北堡塁トス。(児島襄『日露戦争』)
第1師団に右翼を任せ、第9と第11師団に東北
正面を突破させようという計画である。旅順口市街
の一番乗りは、第9、もしくは同11師団のどこか
の部隊だろう。
事前の観察ではほとんど鉄条網と散兵壕しか見え
なかった。こりゃ、野戦築城に少し毛が生えたもの
くらいだろう。一気に突進すれば損害を出しても抜
けるに違いない。そのように参謀たちは考えていた。
▼誤算だらけの計画
三線にもなっていたロシア軍防御。約3万370
0人が守り、火砲は488門、機関銃43挺があっ
た。鉄条網は3~4メートルの縦深をもち、高圧電
流も流されていた。近づいても簡単に切り開ける鉄
条網の重なりではなかった。しかも鉄線鋏(てっせ
んきょう)を不用意につければ、たちまち感電して
しまう。付近には地雷原まであった。陣地間の連絡
には地下電線があった。日本軍の砲撃で電線が切ら
れないようである。
ロシアの守備兵力約1万5000、火砲は約20
0門というのが第3軍の見積りだった。それに対し
て、第3軍の総兵力は5万765人、火砲は380
門。攻撃する側は守る側の3倍を要するという常識
からすれば、優にその原則を満たしている。火砲も
門数はともかく、野戦重砲の配属も受ける。負ける
わけがないという自信も当然であろう。
しかし・・・8月13日、第1師団が総攻撃のと
きに態勢を有利にするため、北大王山と、その左の
164高地を後備第1旅団と第1旅団が目指してい
た。後備第1旅団は北大王山、第1旅団は164高
地を攻略と分担がされた。ところが雨と濃霧があり、
砲撃の効果も少なかった。
8月15日、午前6時50分から始まった砲撃は
効果があった。9時ころ敵陣に動揺がみられて、9
時40分、歩兵第15聯隊に突撃を下令した。10
時55分、164高地の頂上に日の丸が揚がった。
北大王山も11時30分、後備歩兵第15聯隊が山
頂を確保した。
この3日間の戦闘によって、死傷者1252人を
数えた。そうして、ここまでに上陸以来、第3軍の
損害合計は戦死1303人、負傷5810人、合計
7113人という大きさである。当初の見通しの死
傷1万人に近づいてきていた。
▼後備の諸隊
さて、ここで日露戦争の記録の中にしばしば登場
する後備旅団、後備歩兵聯隊などについて説明しよ
う。この164高地はのちに「高崎山」と命名され
る。歩兵第15聯隊と同後備第15聯隊はどちらも
高崎聯隊区で編成された部隊であるからだ。
もともと常設されていた近衛師団以下、第12師
団までが動員されて野戦師団になった。平時の師団
は、経費を少なくするために現役将兵だけで作られ
ている。そこへ予備役兵を中心した召集兵を集めて
野戦師団の定員を満たすのだ。これが生きのいい現
役兵が中心の戦闘力が高い野戦師団になる。
これに対して、逆に少数の現役、予備役兵に多く
の後備兵を中心にした後備諸隊がある。平時の現役
歩兵聯隊には聯隊付として中佐が1名配当される。
戦時の後備聯隊長の要員である。現役の歩兵第15
聯隊から生まれたのが後備歩兵第15聯隊である。
聯隊旗といわれた軍旗のデザインは変わらず、ただ
旗の縁が現役聯隊は紫、後備聯隊は赤であった。
後備歩兵聯隊は2個大隊編制、つまり8個中隊だ
った(現役は3個大隊)。そこで3個聯隊(24個
中隊)で1個後備歩兵旅団になった。旅団番号は編
成担任師団の番号を使った。だから、後備歩兵第1
旅団は、後備歩兵第1、同第15、第16聯隊の3
個聯隊で編成されていた。
次回はいよいよ攻撃準備射撃の状況と工兵の緒戦
を調べてみよう。
(つづく)
(あらき・はじめ)
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●著者略歴
荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
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謝しています。
そして、メルマガを作る機会を与えてくれた祖国に、
心から感謝しています。ありがとうございました。
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