配信日時 2021/01/20 20:00

【サムライ先生、日本語を教える(9)】 掃除──「学生当番制」波乱の幕開け 山下知緒(研武塾代表)

こんにちは。エンリケです。

「すぐそこにある国際情勢」を
味わえる、ドラマになりそうなものがたり。

「サムライ先生、日本語を教える」

きょうは9回目です。

笑いの中に役立つ知恵が満載のこの連載。
きょうもそうです。

さっそくどうぞ。


エンリケ


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サムライ先生、日本語を教える(9)

掃除──「学生当番制」波乱の幕開け

山下知緒(やました・ともお)(研武塾代表)

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□はじめに

以前、「腹上死とは何ですか?」という学生の質問
に答えている私の講義がインターネット上にアップ
されていたとのことで、上司から注意を受けたこと
があります。

面白がった生徒たちが投稿したらしい。

「少子化と関連して覚えさせても損はない語彙でし
ょう!」と、反論するだけの意地は……むろんなく
て、おずおずと頭を下げました。

 なお、その翌日の授業では「スケコマシとは何で
すか?」との質問があがりました。

 つまり、私も、学校も、からかわれているワケ。

 留学生のイタズラとは、毎回、かような調子です。


▼武芸の心得にも通じるな

「クラス」には、生き物のごときバイオリズムがあ
る。毎日教壇に立っていると、その息づかいみたい
なモノを感じるようになる。

 たとえば、週末をひかえた金曜日には、浮かれム
ードを感じることが多い。これは当然かも知れない
が、休前日でも、空気がどんよりと重い時がある。
その原因はさまざまだが、教師はそういう教室のデ
リケートな気配をいち早く読みとらないと、学生を
上手にコントロールできない。それどころか、不要
な衝突を起こしてしまうこともある。

 とはいえ、私の場合、その手の空気をあえて無視
する。教師がクラスの機嫌をうかがいすぎると、か
えって授業の緊張感がゆるみ、にっちもさっちもい
かなくなるからだ。自分のペースを堅持するのが、
私の基本姿勢である。

 もう一つ、私が大事にしているポリシーに、「ク
ラスの学生全員を同時に相手にしない」というもの
がある。これは大学時代、教職課程を担当する教授
にアドバイスされた秘訣だ。

「授業進行では、学生1人に目をつけて、その生徒
に話しかけるように行ないます。それをまんべんな
くくり返せば、ひいきにもならない。いいですか、
集団への語りかけというのは、誰1人とも向き合っ
ていないのと同じですからね。学生の集中力は落ち
ますし、講義も散漫になりがちです。クラスの雰囲
気が悪い時は、その空気の核となっている学生を見
つけ出して、そこへ注力してください。時には、そ
の学生を除外して授業を進めるのもコツです」

 そんな内容のレクチャーだったが、このテクニッ
クを聞いた時、「多人数を敵に回した武芸の心得に
も通じるな」と深く感銘を受けた。乱闘となり、大
勢が1人を襲うというシーンはチャンバラでも定番
だが、集団で襲う側も、相手が1人という状況は、
存外手こずるものなのだ。

 なぜなら、そろって攻撃を仕かけられるのは2人
か、せいぜい3人までだからであり、それ以上とな
ると同士討ちの危険が増す。だから、多敵に囲まれ
た場合、前後左右のはさみうちに留意しつつ、その
板ばさみを回避するように立ち回るといい。そうす
れば、敵が大人数であっても、論理的には一対一の
勝負をくり返すにすぎない。

 この理屈がどのくらい実戦的かは知らないけれど、
クラスという集団と立ち合う教師も、一対一に持
ち込むという機転は大事だろう。実際、そうやって
生徒との距離感を保ち、スイッチングしながら学生
と接していると、確かに授業は進めやすいようだっ
た。

▼学校は学生に給料を払うべきです

 連休明け間もない水曜日、私は職員会議で決定し
た「学生掃除当番制」の導入を、2年生クラスで発
表せねばならなかった。

 掃除当番制とは、教室に散乱したペットボトルや
ティッシュペーパーをなくすため、授業後、学生た
ち自身に掃除をさせるという学校改革案の一つだっ
た。毎日4人の当番が、ホワイトボード、机、床を
きれいにするという計画である。

「携帯電話を授業前に回収する」という学則すら徹
底できていなかった当時、金さんと田中さんはこの
掃除当番制の実現にさほど期待していない様子だっ
た。それに反して私は、このルールの定着こそが、
ゴミためのような学生寮や、糞尿飛び散るトイレを
変えるきっかけとなると信じ、不退転の覚悟を固め
ていた。

 さて、発表当日の2年生クラスはテンションが異
様に低く、学級全体が妙にザワついていた。掃除当
番制を伝えるには、最悪のコンディションといって
よかった。掃除当番制の説明を始めると、思った通
りの大ブーイングが起きた。そして、またもや理論
家のボルタエフがかみついてきた。

「なぜ授業料を払っている私たちが掃除をするので
すか? 掃除をしろというなら、学校は学生に給料
を払うべきです」

「バカヤロウ! 自分の使ったものをキレイにする
のは仕事じゃないんだ。行儀ってもんだろう」

 私は「一対一に持ち込む兵法」の極意に従い、ボ
ルタエフに狙いをしぼって論戦をふっかけた。

「いいか、ボルタエフさん。あなたはトイレを使っ
たら、水を流さないのか? お金をもらわなければ、
ウンコもシッコもそのままか? それはイヌやネコ
と同じだろう? それは人間じゃない。えっ、違い
ますか?」

 ボルタエフは聡明なだけに、理ぜめに弱いところ
がある。あらかじめ用意しておいた反論を浴びせて
やったので、彼は早々に陥落してしまった。すると、
まわりの学生らもスッと大人しくなったので、私
はここぞとばかり第1回目の当番者名をチャッチャ
と読みあげた。

「ファムさん、ギエムさん、ロボフさん、トムニコ
フさん。今日の掃除当番は、あなたがたです。よろ
しく!」

 巨漢のトムニコフは居眠りしていたが、目を覚ま
して事情を知ると、ウズベク語で何やらまくしたて
た。トムニコフは日本語がほとんどわからないこと
もあり、普段はもの静かなのだが、気分を損ねると
かなり粗暴となった。私よりも体重が20キロ以上
あり、バイト先では他校の留学生とケンカしてクビ
になったこともある問題児だった。

▼でかい図体して甘ったれんな!

 授業が終わり、掃除当番の学生らに作業手順を説
明しようとしたところ、人数が足りないのに気づい
た。いないのはトムニコフで、さっさと上階の寮に
帰ってしまったらしい。

「あのヤロウ!」。私は大慌てで彼を追いかけ、自
室に入ろうとするトムニコフを見つけた。

「トムニコフさん、テメェは掃除当番だろ!」と怒
鳴りつけて、彼の正面に回り込んだ。またしても、
彼はウズベク語でゴニョゴニョとわめいたが、「う
るせぇ、戻れ!」と一喝し、私はトムニコフが部屋
に入るのをはばんだ。

 彼のとなりにいたアバロフが「トムニコフさんは
眠いからやりたくないといっている」と通訳したが、
「眠かろうと、ケツがかゆかろうと、やるんだよ。
でかい図体して甘ったれんな!」と、私は低い声
ですごんだ。

 私の剣幕にもひるまず、トムニコフは私の肩に手
を当てて、横にふり払おうとした。こちらはサッと
かわして彼の襟首に手を伸ばし、後方へ引っぱった。
すると彼は激しく身を揺すり、あっと思った時に
は大ぶりのフックを放ってきた。無駄の多いモーシ
ョンだったので反射的に避けられたが、空ぶりした
彼のパンチは薄っぺらな寮壁に穴を開けてしまった。

私は一瞬迷ったけれど、「クビになっても構うもん
か! 鼻っ柱にストレートを見舞ってやる」と腹を
決め、スッとひざをたわめた。

 ちなみに、私は短気だが、人なみにケンカはキラ
イである。というのは、たとえこちらが殴る側に立
ったとしても、大なり小なりケガをするからだ。ま
だ20代のころ、馬乗りで相手を殴りつけた際、打
ちどころが悪く、自分の手の甲から骨が突き出てし
まうというひどい中手骨骨折をしたことがある。こ
の経験から、必ずしも「攻撃は最大の防御」とはな
らないのを知った。自爆することだってあり得るの
だ。むろん、こちらが殴られる側なら、もっと痛い
目に合いもする。そして何より、警察ざたにでもな
れば、果てしなく面倒な事態となるのだ。ケガより
も痛い社会的制裁を受けるのはご免である。

 しかし、この時、トムニコフにはガチンコを食ら
わしてやるつもりだった。許せないことを許してし
まうのは、職務怠慢であろう。誰が何といおうと、
逆ねじを食わせるのも教育なのである。

とはいっても、外国人とのたち回りは、ニューヨー
クのブロードウェイで黒人らにからまれて以来だっ
た。「学生にのされたら、どうなるのかな?」との
考えが、ふとよぎったりもした。

その間一髪のところでルスタムが飛び出し、「先生、
オレがトムニコフによく話す! 明日は必ず掃除
させます。だから、今日は休ませてほしい」と、割
り込んできた。

「よし、わかった。約束だぞ」

 私はアッサリ、その場を後にした。ここが落とし
どころだろう。胸の内では「助かっちゃったな」と、
ホッとしていた。

 翌日、トムニコフは満面の笑みで授業を受け、掃
除にも素直に参加した。

「先生。きれい、きれい、私、好きね。掃除、みん
なでします」

 一変した彼の上機嫌に気おされて、「おう、きれ
いっていいよな」と、私もおかしなことを口走って
いた。

 なお、この掃除当番制はその後も踏襲されていっ
た。グループ校初の、ささやかな快挙だった。



(つづく)


(やました・ともお)



【筆者紹介】
山下知緒(やましたともお)
1971年9月9日生まれ。2018年4月以降、
日本語学校教師を務める。民弥流居合術、駒川改心
流剣術をはじめ、小太刀、十手、棒、柔術などを学
ぶ。現在は手裏剣術を表芸とする武術道場「研武塾
」を主宰。手裏剣製作の勉強会「武具学会」を併設
して、多面的な武術研究に取り組んでいる。妻のコ
ミックエッセイ『ある日突然ダンナが手裏剣マニア
になった。』<リーダーズノート>に描かれた私生
活をNHKドキュメント番組「熱中人」が密着取材
して2012年1月に放映。2012年11月、D
VD「山下知緒 手裏剣道 験流手裏剣術入門」<
クエスト>を刊行。2014年4月、『古式伝験流
手裏剣術』<並木書房>を上梓。

≪研武塾道場≫手裏剣術をはじめ、居合術や古流剣
術等を稽古する武術道場。稽古日は毎週土曜日の午
後4時から午後6時。月謝6千円。道場所在地は西
武池袋線「東久留米駅」から徒歩2分。道場の詳細
や問い合わせは、
古式伝験流手裏剣術 http://kenryu-shuriken.jimdo.com/





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