配信日時 2021/01/20 09:00

【陸軍工兵から施設科へ(14)】 「旅順要塞の激闘(2)第1回総攻撃」 荒木肇

--------------------------
荒木さんの最新刊

知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。

そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
多く載っています。それだけでなく、技のすべてを
QRコードを通して実際の動画をスマホで確認できる
のです!

自衛隊関係者、自衛隊ファン、憲兵ファンはもちろん、
武術家、武道家、武術ファンにも目を通してほしい
本です。

『自衛隊警務隊逮捕術』
 荒木肇(著)
 https://amzn.to/34szs2W
-----------------------------------------

こんにちは。エンリケです。

「陸軍工兵から施設科へ」の十四回目です。

旅順要塞攻略への動きが細かく見えます。

さっそくどうぞ。


エンリケ


メルマガバックナンバー
https://heitansen.okigunnji.com/

ご意見・ご感想はコチラから
 ↓
https://okigunnji.com/url/7/


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

陸軍工兵から施設科へ(14)

旅順要塞の激闘(2)第1回総攻撃


荒木 肇

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

□ご挨拶

 小正月(15日)も過ぎて成人式も無事に済みま
した。とはいえ、今年の各地で行なわれた成人式は
形式を変えたり、縮小や中止といったりしたことに
追い込まれた自治体もあったようです。わたしの市
でも、全国一の成人ということから会場を2つに分
け、各会場4回に分けて式典を行なうといった前代
未聞の形式になりました。

 それにしても、これほどの変化を誰が予想したで
しょうか。さすがの新聞やテレビも、いつもの後出
しジャンケンで得々と政府の失態?をいうことも控
えているようです。

 ただ気になることがあります。わたしがよく知る
佐藤正久参院議員(イラクのヒゲの隊長)は、不公
平な入国管理に問題ありとしました。

経済を優先したからでしょうか、政府は特定の国々
からの入国を許していたのです。彼ら彼女らはビジ
ネスの必要があるということから、ほとんど無検査
でわが国に入って来ていました。

 どうりで、東京の浅草や、横浜の赤レンガ地域で
観光客がいる・・・という噂が流れるはずでした。
こうしたことをなぜ、新聞やテレビは報道しなかっ
たのでしょう。だから、メディアとしての信用を失
っていくのです。ネットのニュースがすべて正しい
とは言いません。中には悪質なデマや、煽動を意図
したものもあるでしょう。

しかし、この問題は、優秀な記者を抱え、特権的な
取材活動を許されている新聞やテレビはすでに知っ
ていたのではないでしょうか。知っていたなら、一
体、どこの国に配慮しているのでしょうか。テレビ
や新聞の報道の様子を見守っています。

▼第1回総攻撃前夜

 旅順口攻略は「独立作戦」とされた。この言葉は
戦術についての言葉である。すでに外征軍をすべて
指揮する「満洲軍」司令部は1904(明治37)
年6月20日に編成されていた。よく知られるよう
に、総司令官は大山巌大将、総参謀長には児玉源太
郎大将(6月6日に親任)がついた。その他の幕僚
もそうそうたるメンバーだった。すなわち東京の参
謀本部がそのまま満洲に引っ越したようなものだっ
た。

 満洲軍のねらうところは、ロシア軍主力を会戦(
大規模な軍隊同士の野外決戦)で破る。そのために
は遼陽に進むことになる。それを主攻撃方向とする。
ふつう主攻撃には助攻撃があり、敵の注意や兵力
の集中を妨げる働きをするが、旅順要塞攻略はそう
した役目をもっていない。第3軍のみで、ひたすら
要塞を落とすのだ。

 8月14日、大山巌総司令官の日記を素材にした
児島襄氏の記述によると、「各軍司令官ニ対スル命
令」があった(以下、多くを同氏著作の『日露戦争』
による)。

 ○第3軍(乃木大将)は、8月18日より旅順要
塞に対して、本攻撃の砲戦を開始するはずである。
 ○自分は第1軍(黒木為もと(木偏に貞)大将)を
もって遼陽、鳳凰城街道上の敵を攻撃させ、第2軍
(奥保鞏大将)、第4軍(野津道貫大将)をもって
鞍山站付近の敵を攻撃させ、遼陽攻撃を準備しよう
と思う。

 第4軍と第2軍の前進は18日から始めさせ、第
1軍も含めて攻撃開始は20日とする。また、第3
軍の旅順口総攻撃も20日に予定していた。大山総
司令官は、満洲軍全軍を8月20日に同時に進撃さ
せて、遼陽と旅順口をあわせて攻略しようと考えて
いたのである。

 第3軍司令部は、参謀大庭二郎(おおば・じろう)
歩兵中佐を主務者として攻撃計画を立てていた。
大庭は1864(元治元)年、長州藩士の家に生ま
れる。1883(明治16)年に陸士に第8期生と
して入校した。92(明治25)年、陸軍大学校第
8期を首席で卒業。日清戦争では兵站総監部副官を
務めた。その後、ドイツに5年間にわたって留学す
る。当時は第3軍参謀副長だった。普仏戦争(18
70~71年)を研究してきたので、要塞攻略には
詳しいだろうと思われていたらしい。

▼時間的な背景

 旅順口を守る要塞の防備ラインは、およそ3つに
分かれていた。第1線を「外周陣地」というが、西
から北、東にかけて203高地、大頂子山、164
高地、三里橋北方高地、水師営南方高地、龍眼北方
高地、大孤山、小孤山となっている。


 これを突破してゆくと第2線、これを「主抵抗陣
地」という。南西の老虎尾半島を含んで旅順口を半
円形に取り巻く高地群になる。とりわけ旅順口北東
の松樹山、二龍山、盤龍山、東鶏冠山、白銀山に重
点が置かれていた。

 そうして第3線、「複廓陣地」というが、旅順旧
市街の外側の縁になる。白玉山、教道溝西南高地、
趙家溝南方高地、老母猪脚東方高地をつらねたライ
ンである。

 もともと旅順の市街は、龍河をはさんで東を旧市
街、西を新市街とするが、この防衛ラインをみると、
旧市街の防衛を焦点としていることが分かる。

第3軍の攻撃計画に大きな影響があるのは「時間」
である。海軍はもともと8月10日を要塞攻略の予
定日と希望していた。また満洲軍としても秋の雨期
前には旅順口を攻略し、雨期の後に遼陽で全兵力を
集めて会戦をしたいと思っていたのである。この8
月10日には、その日程もはるかに遅れていた。雨
期(秋の始まり)も迫って来ている。

第3軍としては、「1回の総攻撃」で要塞を攻略し
たいと思っていた。このために、防御能力の実態が
不明な要塞に対しての常道である「威力偵察」どこ
ろか「強襲」を行なうようになったと考えられる。
威力偵察は、まず火砲で要塞の各陣地を叩いてから、
歩兵が突撃する。その反撃を見て、見当をつけて
次回の攻撃法を立てるのだ。これは当時の西欧列強
の伝統的、常識的な要塞への攻撃法である。

7月29日、決定した攻撃計画には次の言葉が見ら
れた。『刻下ノ情勢ト軍ノ任務上、多少ニテモ時日
ヲ要スベキ他ノ攻撃法ハ、一切之ヲ避ケルベカラズ
・・・要塞其ノモノノ強弱如何ヲ顧ミルノ遑(いと
ま)アラズ・・・』とある。とにかく、要塞にどの
ような防御能力があろうとやるしかないというのだ
った。

第1回の総攻撃を無策だったとか、司令部が無能だ
ったとか、後出しジャンケンの論断がいまもされる
が、実態はこの通りだった。

▼主攻正面を東北正面とする

 「二龍山、東鶏冠山両砲台間」を軍司令部は選ん
だ。東北正面とされる。当時も、そのコースが最も
堅固だと認識されていた。では、他の方向ならどう
か。東鶏冠山よりも南の東正面は海岸に近い。兵力
が展開しにくい。松樹山より西に主攻を向ければ、
攻囲態勢をとるためには長距離移動が必要になる。
しかも地形が資材輸送に向かないので準備に時間が
かかる。

 では、東北正面はどうか。建設を急いでいた大連
から長嶺子の間の鉄道からの物資輸送距離も短い。
さらにこの二龍山と東鶏冠山の間を突破すれば、一
気に旧市街に突入できる。「堅牢だけれども、だか
ら多大の損害を受けるというのは当然予想すべきこ
とだ」、司令部はおそらく死傷者1万人で収まるだ
ろうと考えた。

 次回はロシア側の築いた要塞や、防御について、
当時の工兵隊の戦闘記録から見てみよう。



(つづく)


(あらき・はじめ)


☆バックナンバー
 ⇒ https://heitansen.okigunnji.com/
 
荒木さんへのメッセージ、ご意見・ご感想は、
このURLからお知らせください。

https://okigunnji.com/url/7/
 
 
●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
 

『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
 https://amzn.to/31jKcxe


 
PS
弊マガジンへのご意見、投稿は、投稿者氏名等の個
人情報を伏せたうえで、メルマガ誌上及びメールマ
ガジン「軍事情報」が主催運営するインターネット
上のサービス(携帯サイトを含む)で紹介させて頂
くことがございます。あらかじめご了承ください。


最後まで読んでくださったあなたに、心から感謝し
ています。
マガジン作りにご協力いただいた各位に、心から感
謝しています。
そして、メルマガを作る機会を与えてくれた祖国に、
心から感謝しています。ありがとうございました。

----------------------------------------------
-
メールマガジン「軍事情報」
発行:おきらく軍事研究会
      (代表・エンリケ航海王子)
メインサイト:https://okigunnji.com/
問い合わせはこちら:https://okigunnji.com/url/7/
メールアドレス:okirakumagmag■■gmail.com
(■■を@に置き換えてください)
----------------------------------------------
 

 
配信停止はこちらから
https://1lejend.com/d.php?t=test&m=example%40example.com
 
 
投稿文の著作権は各投稿者に帰属します。
その他すべての文章・記事の著作権は
メールマガジン「軍事情報」発行人に帰
属します。
 
Copyright(c) 2000-2020 Gunjijouhou.All rights reserved.