--------------------------
荒木さんの最新刊
知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。
そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
多く載っています。それだけでなく、技のすべてを
QRコードを通して実際の動画をスマホで確認できる
のです!
自衛隊関係者、自衛隊ファン、憲兵ファンはもちろん、
武術家、武道家、武術ファンにも目を通してほしい
本です。
『自衛隊警務隊逮捕術』
荒木肇(著)
https://amzn.to/34szs2W
-----------------------------------------
あけましておめでとうございます。エンリケです。
ことしもよろしくお願いします。
「陸軍工兵から施設科へ」の十二回目です。
きょうも実に面白い話です。
さっそくどうぞ。
エンリケ
メルマガバックナンバー
https://heitansen.okigunnji.com/
ご意見・ご感想はコチラから
↓
https://okigunnji.com/url/7/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
陸軍工兵から施設科へ(12)
日露戦争の工兵の戦い(2)
荒木 肇
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
□新年のご挨拶
明けましておめでとうございます。「めでたさも
中くらいなり・・・」などとひねくれる心算もあり
ませんが、わたしも満で古希を迎える歳になりまし
た。友人の中には「終活」という言葉を使い、年賀
状はこれで最後にするといった言葉が散見されます。
いい覚悟だなと感心もし、これから人との関わり
も減らしてゆくのだろうなと一抹の寂しさを感じて
います。
この1年、自分の学校の仕事でも行事や式典がな
くなりました。自衛隊の機関や学校、部隊などでも
同じようでした。おかげで季節感のない1年間にな
った気がします。あっという間の月日の経ち方でし
た。人は歳をとると、新しいことに出会って「とき
めく」ことがなくなり、時間が経つのが速くなると
か。まったくその通りですね。
とはいえ、このメルマガでも書くように、今年は
陸上自衛隊施設科職種と野戦特科職種について調べ
ています。知らないことばかりで、新しい発見や視
点の変換があります。少しでもときめいて過ごした
いものです。今年もよろしくご指導、ご感想などを
お寄せ下さい。
▼工兵の平時の教育
日本陸軍は平時には規模を縮小していた。ただし、
戦時になると「動員」をかけて予備役・後備役の
人員を召集し、戦時編制に変えた。たとえば、平時
1万人あまりの常設師団は、戦時になると2万人を
超える規模になった。平時で行なっているのは、主
として教育と演習である。だから若い将校はたいし
て年齢の違いがない初年兵の教育を受け持った。
よく少尉だから小隊長だろうという誤解があるが、
それは戦時のことである。平時の編制にはどこの
兵科部隊でも小隊はなかった。少尉や中尉は「中隊
付(ちゅうたいづき)」という立場で教育にあたっ
た。だから「教官殿」と下士兵卒からは呼ばれてい
た。
工兵の教育は、特技教育の前には基礎作業として、
土工(土を相手の作業)、木工(丸太を加工する
技術)、植杭(大きな槌や小型の槌で杭を打つ)、
連結(杭同士をつなぎ高所作業もする)、漕舟(そ
うしゅう・櫓による鉄舟の操作法、棹による操作法)
、爆破(障害物を破壊する機器の取扱い)、重材
料運搬(数人の協同で行う)などの7つであること
はすでにお知らせした。
工兵の初年兵教育の半分は、これらの教育と技能
を向上することだった。
▼師団工兵大隊の平時の規模
師団の工兵大隊の部隊号は師団番号と同じだった。
そこが歩兵聯隊と異なるところで、徴兵検査の結果
入隊する大隊は、第6師団なら第6工兵大隊となっ
た。しかも、歩兵のように聯隊区からではなく、全
師管区からの選抜である。師管区は数県にまたがる
から、多くの入営兵は馴染みの少ない師団司令部の
ある衛戍地(えいじゅち・陸自では駐屯地という)
の大隊にやってくる。各地域の文化や風習の違いが
大きかった戦前社会では、自分がまるで知らぬ他国
にやってきたと感じた兵士たちも多かっただろう。
1890(明治23)年の陸軍定員令によると、
工兵大隊は本部と3個中隊で構成された。人員は4
08人と馬匹19頭である。これはやはり3個中隊
の騎兵大隊、人512人、馬匹462頭に比べると
小ささがわかる。師団全部で9199人、馬117
2頭に占める割合でも、人は4.4%、馬が1.6
%だから部隊規模はひどく小さい。平時の大隊の軍
馬は、ほとんどが乗馬である。
▼日露戦争の動員下での工兵大隊
日露戦争開戦時(1904年2月)には陸軍は1
3個師団体制だった。近衛師団と第1から第12ま
でである。したがって工兵大隊も13個、中隊は3
8個だった(近衛師団は2個中隊)。ただし、工兵
から抽出された要員により「鉄道隊」があった。こ
れは日清戦争での兵站の苦労のおかげである。
動員にも種類があったが、今回は「本動員」の例
を紹介しよう。完全な野戦師団が出来上がるとどう
いう構成になるかがよく分かる。
工兵将校と同准士官は17人、工兵下士53人、
工兵兵卒600人で合計670人である。これに輜
重兵下士が3人と同兵卒が6人、彼らに指揮される
輜重輸卒が80人の合計89人になる。また、経理
部士官と軍医士官が3人、経理部下士と衛生部下士
が2人、それに兵卒3人と従卒・馬卒が21人の合
計29人。あわせて788人が1個大隊だ。従卒は
将校の身の周りの世話をし、馬卒は乗馬の世話をも
っぱらにする。いまの陸自でも幹部(将校)専用車
にはドライバーが付く。それと変わらない。
工兵大隊は自分で行李(こうり)という補給を自
前で行なう小部隊を持つ。行李にも大・小があって、
大行李は宿営具や機・器材を運び、小行李は弾薬
や食糧、馬糧、衛生材料などを運ぶ。輜重兵大隊か
ら出向した下士・兵卒、輸卒がいるわけである。
なお、輜重輸卒は武装もなく、ただ輓馬によって
牽引する輜重車のそばにつき、背に荷を載せる駄馬
の轡(くつわ)をとることをする。荷の積み下ろし
もした。雑卒(ざっそつ)と呼ばれ、「輜重輸卒が
兵隊ならば、ちょうちょ・トンボも鳥のうち」など
とバカにされ、今から見れば不当な扱いをうけてい
た。
これに対して、輜重兵は最下級の2等卒でも騎兵
と同じく乗馬長靴を履き、背に騎兵銃を背負い、軍
刀をさげる戦闘兵である。輜重兵は輸卒を指揮し、
護衛にあたるものとされた。だから「輜重兵はバカ
にされた」というのは正確ではない。
本部には蹄鉄工長(ていてつこうちょう)もいる。
馬に機動力を頼る軍隊では、必須の専門家である。
病馬や傷ついた馬の面倒を見る獣医務下士もいるし、
鍛工、木工、鞍工、電工などの専門特技をもった下
士もいた。
▼戦時に設けられる架橋縦列
このほかに師団には1個架橋縦列があった。縦列
とは特殊な言い方だが、他兵科では中隊の規模にな
る。興味深いのはこの「架橋」を陸軍でも陸自でも
「がきょう」と濁って発声することである。橋を河
川に架けることを「がきょう」という。その材料と
技術をもって構成した部隊を架橋縦列(がきょうじ
ゅうれつ)といった。
この架橋縦列も工兵で構成した部隊である。人員
は指揮官である工兵将校が1人、同下士は4人、同
兵卒が58人の合計63人。これにもやはり輜重兵
がついた。輜重兵将校・准士官が2人、下士は7人、
兵卒22人、そして輸卒が237人にもなった。
この輸卒を指揮するために下士・兵卒が29人もい
たわけだ。合計で268人の輜重兵科の人員がいる。
もちろん、経理部などの士官(将校相当官)が3人、
同下士4人、同兵卒1人、従卒・馬卒が5人の計1
3人。だから合計は344人にもなった。
渡河材料は、折り畳み式の軽量な木製舟、同じく
鉄製の舟、長大な太いロープ、架柱(がちゅう)と
いう河中に打ち込む杭(くい)、鎹(かすがい)な
どである。もちろん普通の工兵大隊もこれらを持つ
が、架橋縦列は渡河の専門家たちだった。
次回は、日露戦争での出征した工兵の戦いについ
て調べてみよう。
(つづく)
(あらき・はじめ)
☆バックナンバー
⇒
https://heitansen.okigunnji.com/
荒木さんへのメッセージ、ご意見・ご感想は、
このURLからお知らせください。
↓
https://okigunnji.com/url/7/
●著者略歴
荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
https://amzn.to/31jKcxe
PS
弊マガジンへのご意見、投稿は、投稿者氏名等の個
人情報を伏せたうえで、メルマガ誌上及びメールマ
ガジン「軍事情報」が主催運営するインターネット
上のサービス(携帯サイトを含む)で紹介させて頂
くことがございます。あらかじめご了承ください。
最後まで読んでくださったあなたに、心から感謝し
ています。
マガジン作りにご協力いただいた各位に、心から感
謝しています。
そして、メルマガを作る機会を与えてくれた祖国に、
心から感謝しています。ありがとうございました。
----------------------------------------------
-
メールマガジン「軍事情報」
発行:おきらく軍事研究会
(代表・エンリケ航海王子)
メインサイト:
https://okigunnji.com/
問い合わせはこちら:
https://okigunnji.com/url/7/
メールアドレス:okirakumagmag■■gmail.com
(■■を@に置き換えてください)
----------------------------------------------
配信停止はこちらから
https://1lejend.com/d.php?t=test&m=example%40example.com
投稿文の著作権は各投稿者に帰属します。
その他すべての文章・記事の著作権は
メールマガジン「軍事情報」発行人に帰
属します。
Copyright(c) 2000-2020 Gunjijouhou.All rights reserved.