こんばんは、エンリケです。
きょうから、
「海上自衛隊幹部候補生学校」
がはじまります。
江田島といえば海軍兵学校のイメージが強いですね。
海自幹候校としての江田島はどんなものでしょう?
意外に知られていない
海自の江田島
きょうからスタートです。
ちなみに三軍を示す熟語が冒頭で取り上げられてますが、
これ、インターネットの世界では、
知られざる「ヒット検索キーワード」なんですよw
さっそくどうぞ
エンリケ
追伸
東京五輪は一年延期されました。
『オリンピックと自衛隊 1964-2020』
を読んで、来年に思いを馳せます。
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『ライター・渡邉陽子のコラム (305)』
海上自衛隊幹部候補生学校(1)
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こんばんは。渡邉陽子です。
今回から海上自衛隊幹部候補生学校の連載スタートです。所在地で
ある「江田島」が代名詞にもなっていますね。陸自の「久留米」、
空自の「奈良」では、なかなかこうはいきません。海上自衛隊を表
す四字熟語「伝統墨守 唯我独尊」をそのまま具現化したような海
自の幹候校について、長めの連載でじっくりご紹介したいと思います。
ちなみに「軍事情報」のメルマガを購読されている方はとうにご存
じかもしれませんが、参考までに陸自を表す四字熟語は「用意周到
一歩後退(動脈硬化の場合もあり)」、空自は「猪突猛進 支離
滅裂」です。
記事掲載のお知らせです。
『丸』12月号の「世界の軍備」に「個人用防護装備防護マスク」が
掲載されました。今回は自衛隊の装備品である防護マスクだけでな
く、新型コロナで人々の生活に不可欠なアイテムとなったマスクに
ついてもご紹介しています。医療従事者が使うサージカルマスクと
自衛隊の防護マスクの製造メーカーは同じなのです。
マスクの正しい装着方法についても触れました。
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『PANZER』12月号に「神は賽子を振らない 第32代陸上幕僚長火箱
芳文の半生」第20回が掲載されました。
今回は防衛大学校幹事時代のお話前編です。幹事とは、一般の学校
でいう副校長。自身が学んだ防大に、今度は将官として戻ってきま
した。凱旋ともいえますが「演習場で状況中」が三度の飯より好物
の火箱氏、最初はあまり乗り気な人事ではありませんでした。しか
も当時の防大生は……
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月刊『正論』6月号に「自衛隊あってのオリンピック」
最終回が掲載されました。
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■海上自衛隊幹部候補生学校(1)
年間約600名の一般幹部候補生、幹部予定者、飛行幹部候補生な
どが教育を受け、3等海尉に任官して巣立って行く幹部候補生学校。
江田島はすべての幹部海上自衛官の原点であり、海軍の伝統、精神
を受け継ぐ聖地でもあります。
「スマートで目先がきいて几帳面、負けじ魂、これぞ船乗り」。
このシーマンシップを未来の幹部に叩き込む幹部候補生学校では、
どんな教育が行なわれているのでしょうか。
まずは約130年余りの歴史を振り返ってみます。
海軍兵学校は、明治2(1869)年に東京築地に海軍操練所とし
て創設。
明治9(1876)年に海軍兵学校と改称され、明治21(188
8)年、広島県の江田島に移転しました。
英国のダートマス、米国のアナポリスとともに世界三大海軍兵学校
として称せられることになる海軍士官養成のための学校は、ここに
新たな歴史を刻み始めました。
移転当初、生徒は表桟橋に係留された学習船「東京丸」で起居して
いましたが、明治26(1893)年に赤レンガの生徒館が完成。
これが現在も「赤レンガ」の愛称で親しまれ、幹部候補生学校のト
レードマークともいえる庁舎です。
以後、海軍兵学校は逐次拡充、整備され、昭和20(1945)年
12月に閉校となるまで、57年間にわたって海軍士官養成の場と
しての歴史と伝統を築き上げました。
戦局が悪化の一報をたどっていた昭和20(1945)年3月には、
呉空襲の際に海軍兵学校にも敵機が襲来、生徒3名が戦死。7月
には江田島警泊中の「利根」と「大淀」が爆撃され、海軍兵学校も
敵機襲来を受けています。
しかし赤レンガをはじめとする建造物は米軍の意図的なものかは不
明ですが爆撃の被害を受けることなく、ほぼ無傷のまま終戦を迎え
ました。
終戦後は11年間、米・英連邦軍等が進駐、施設を使用しましたが、
ほとんどの施設に手を加えず、あるがままの状態で使用しました。
そのため、昭和31(1956)年に海上自衛隊が施設を引き継
いだときは、庭の木1本にいたるまで、海軍兵学校の歴史と伝統が
そのまま戻ってきたかのようだったそうです。
そして昭和32(1957)年には海上自衛隊幹部候補生学校が独
立開校し、翌年には海上自衛隊第1術科学校が発足、現在にいたり
ます。
海上自衛隊幹部自衛官にとって、「江田島」は特別の響きがありま
す。
つらく苦しく厳しい訓練や教務、苦楽をともにした仲間、張りつめ
た空気や美しい景色などが、「江田島」という言葉で一気によみが
えるといいます。
卒業して間もない頃は「二度と足を踏み入れたくない場所」だそう
ですが、年月を経るとそれが望郷にも似た独特の感情に変化するの
だそう。
それは海軍精神に根ざした幹部自衛官としての素養を身に付けるた
めの修練が、いかに厳しいと同時にいかに充実したものであるかの
証であるとともに、厳然とした有形無形の海軍の伝統が「江田島」
に息づいているからなのでしょう。
(つづく)
(わたなべ・ようこ)
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□著者略歴
渡邉陽子(わたなべ・ようこ)
神奈川県出身。大学卒業後、IT企業、編集プロダクション勤
務を経て2001年よりフリーランス。2003年から月刊
『セキュリタリアン』『MAMOR』などに寄稿。
現在は自衛隊関連の情報誌などで記事を発表。メルマガ「軍事
情報」で自衛隊関連の記事を配信中。
2016年6月、デビュー作
『オリンピックと自衛隊 1964-2020』を刊行。
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