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荒木さんの最新刊
知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。
そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
多く載っています。それだけでなく、技のすべてを
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自衛隊関係者、自衛隊ファン、憲兵ファンはもちろん、
武術家、武道家、武術ファンにも目を通してほしい
本です。
『自衛隊警務隊逮捕術』
荒木肇(著)
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こんにちは。エンリケです。
「陸軍工兵から施設科へ」の八回目です。
<どこか100年前は今とよく似ている。>
とのことば。
こういうところに、歴史を学ぶ価値があるのでしょ
う。
人は同じ過ちを繰り返すのでしょうか?
それとも歴史から学べるのでしょうか?
さっそくどうぞ。
エンリケ
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陸軍工兵から施設科へ(8)
若者はどうやって工兵になったか?
荒木 肇
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□はじめに
先週の終りに日清戦争のことを書こうと思いまし
たが、その前に当時の徴兵制度の仕組みをご説明し
た方がいいかなと思いました。それは、案外、知ら
れていないからです。若い方ばかりか、年配といっ
てもわたしと同世代の方でもあまりご存じない。
わが国が未曾有の敗戦のおかげで陸海軍が解体さ
れてから75年も経ちました。わたしの亡父は19
24(大正13)年生まれでした。半世紀前に壮烈
な自決で亡くなった三島由紀夫氏よりも1歳の年長
です。
三島氏は本籍地の兵庫県印南郡志方村(現加古川市
志方町)で検査を受け、亡父は東京で受験しました。
三島氏は当時、生まれも育ちも東京都民でしたが、
本籍地で受験したのです。つまり、徴兵検査は本
籍地で受けたのでした。結果は「第2乙種合格」だ
と、小説「仮面の告白」で書いています。
亡父は理科系の学生だったのですが、1943(昭
和18)年11月に検査を受けました。有名な学徒
出陣はこのときのことでした。筋骨が甲種と比べる
と細かったので「第1乙種合格」でした。三島氏は
20年2月に入営するよう通知があったといいます。
実際には入営前の身体検査で「即日帰郷」という
診断を受けずに、とうとう兵隊になることはできま
せんでした。
今回から数回にわたって、兵役と兵科の決定につい
て調べてみましょう。
▼1927(昭和2)年の兵役法への動き
わが国の兵役制度は昭和の初めに大きな変更がさ
れた。昭和2(1927)年4月1日に公布された
新しい「兵役法」は世界大戦(当たり前だが、まだ
2回目は起きていない)の影響が大きかった社会に
対応したものだった。
まず、大正時代のわが国では、「徴兵制廃止」の
論調が大きくなっていた。世界大戦の後始末をする
ベルサイユ会議でも、平和実現のためには大きな軍
隊は不要であるという議論がされていたせいもある。
今でも国際連合では・・・と語る「識者」やジャ
ーナリストもいるが、当時も「国際連盟では」と主
張する人が多かった。
たとえば、「東京朝日新聞」は1919(大正8)
年1月には一週間にわたって論説委員が徴兵制廃止
について大きな記事を書いた。それによると、
「徴兵制度そのものは生まれてから長くはない」、
また「国際連盟で有力な英米ともに徴兵制を採って
いない」、そこでいずれ徴兵制度廃止の決議が絶対
に行なわれるだろうとのことだった。だから、早く
日本も徴兵制を廃止すべきだとの主張である。当時
の「大学人」の多くはそれに喝采し、賛同する論陣
を張っていた。
ところが、これが大誤報になる。フランスのクレ
マンソー大統領、イタリア首相オルランドの猛反対
によって、この決議案は否決されることになった。
そのことについての朝日新聞の報道は未練がましい
が、こうした世論は陸軍の危機感を大きく煽ること
になる。
フランスは兵役法を全面的に強化改正した。ドイ
ツとの再戦を警戒したからである。ロシアもまた赤
衛軍を強化し国民皆兵制度をさらに徹底した。とこ
ろが、わが国のジャーナリズムや学会世論だけは、
ロシアとは話し合いをすればよい、中国ともお互い
の立場を理解しあえば問題は解決すると主張してい
たのである。どこか100年前は今とよく似ている。
こうして陸軍省内に1921(大正10)年には
調査委員会が発足する。改正準備が実際に行なわれ
始めたのは、若槻礼次郎首相と宇垣陸相の時代であ
る。この背景には、大正末頃の「普通選挙」状況と、
青年訓練と学校教練の実施と関係があるだろう。
普通選挙のこととは、男子なら誰でも制限なしに
選挙権をもつことをいう。この制度の実施は社会の
進歩と認められたが、世界大戦から学んだ「総力戦
体制」の建設にも大きく関係する。少数の選ばれた
兵士だけが軍務に服すのではなく、多くの兵士が短
い期間で戦えるようにする。そのためには、普通選
挙の恩恵を受ける多くの社会人の支持がなくてはな
らない。
また、世界大戦中には、わが国では重化学工業が
大きく発展した。そうなると働き手を長い期間、兵
営に拘束することはマイナス要素になると考えられ
た。
▼青年訓練所とは
青年訓練所(1926年発足)とは、夜間に設備が
あく小学校を利用した地域の青年たちへの軍事予備
教育のことである。広くとられた校庭には雲梯(う
んてい)や肋木(ろくぼく)、登り棒や鉄棒が整備
された。雲梯は壕にかけ渡した梯子であり、もちろ
ん腕で支えて渡ることもあるが、上を駆けぬける訓
練にも使えた。肋木は城壁に立てかけた登攀(とう
はん)用の訓練設備である。
もちろん、在営年限の短縮というご褒美もあった。
もともと陸軍の現役は3年だったが、1907(明
治40)年ころから、歩兵隊では1年間の帰休制度
が始まっていた。つまり、兵営にいる期間が2年に
なったのだ。残りの1年間は、帰休兵だから完全に
義務から解放されたわけではないが、召集がない限
り故郷で働いて暮らせるということである。
青年訓練所とは、やはり小学校に併設された共学の
実業補習学校と併置された正式の学校制度といって
いい。満16歳から20歳まで男子青年に修身公民
、普通教育、職業科などを教えた。教員はたいてい
がその小学校に勤務する者である。また、教練があ
り、銃をもつこともあり、教員は資格を認定された
在郷軍人というのが普通だった。
当時の訓導(くんどう)といわれた師範学校を卒業
した正教員も多くが、特別な現役兵勤務を終えた国
民軍伍長だった。中には優秀な成績から「国民軍将
校適任證」を持った人までもいた。その教授内容に
ついては文部大臣が定めていた。
訓練所は市町村だけが設置したわけではない、炭坑
や工場といった私企業も基準を満たせば、月に3回
から4回、1回4~5時間の訓練を行なうこともで
きた。地域の学校も同じであり、故郷に暮らす者も
都会に働きに出た者も公平になるように配慮されて
いたわけだ。
そうして、ここでの修業成績が良ければ上申され、
1年6カ月で帰休することもできた。
▼学校配属将校制度
興味深いのは、教科書や学界の定説では大正軍縮
で余った現役将校を、中等学校以上の配属将校にし
たということになっている。まるで、陸軍側が主導
して失業対策のために仕組んだ軍国的な制度だとい
わんばかりである。そうした書き方や話し方をする
人は、あえて資料に目をつぶっているか、無知で定
説にのっているだけだろう。
実際は、陸軍部内では、ほとんどの軍人が反対し
ていたのだ。考えてみればよい。民間の学校に出す
人は優秀でなくてはならない。優秀な人は軍隊内で
活躍させなければ、軍隊の戦力は明らかに低くなる
のだ。では、2流の将校でいいか。民間の協力をま
すます仰がねばならない状況で、反軍、あるいは軍
人蔑視の風潮を加速させないか。そうであるなら、
やはり誰もが認める優秀な人材を送らねばならない。
また、出向させられる現役将校の立場になってみ
よう。多くは陸軍士官学校出身の大尉である。自分
の部隊の将校団から離れて、知人もいない、しかも
異文化の教員世界に出るのだ。当時の学校教員、と
りわけ中等学校教員の世界は反軍・反戦思想のメッ
カだった。中等学校教員は、当時としてはインテリ
である。わが国の知識人は、何より反体制、反権力
が常識だった。
「偕行社記事」にも、配属将校体験者による悲しい
投稿が見られる。職員室では爪はじきになり、無視
どころか嫌がらせもされる。軍人への偏見のひどさ
は、戦後の自衛隊嫌悪、根拠ない侮蔑とまったく変
わらなかった。
当時、中等学校教員になるには大きく分けて3つ
のコースがあった。トップエリートは、わが国に2
校しかなかった、広島と東京の高等師範学校卒業で
ある。この人たちの多くは中学卒業で専門学校であ
るこの学校を出た。次には、大学や専門学校の中等
教員養成コースを出て採用された人たちである。最
後に検定合格者であり、苦学をしてきた人も多かっ
た。正規の学歴ももたず努力をしてきた人だ。軍人
への偏見や差別観は、このエリートの階段順に増え
ていったことだろう。
次回は幹部候補生制度について語ろう。
(つづく)
(あらき・はじめ)
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●著者略歴
荒木 肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
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