配信日時 2020/11/25 09:00

【陸軍工兵から施設科へ(7)】 師団の中に工兵大隊がおかれる 荒木肇

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荒木さんの最新刊

知られざる重要組織「自衛隊警務隊」にスポットを
当て、警務隊とは何か?の問いに応えるとともに、
警務隊で修練されている「逮捕術」を初めて明らか
にしたこの本は、小平学校の全面協力を受けて作ら
れました。

そのため、最高水準の逮捕術の技の連続写真が実に
多く載っています。それだけでなく、技のすべてを
QRコードを通して実際の動画をスマホで確認できる
のです!

自衛隊関係者、自衛隊ファン、憲兵ファンはもちろん、
武術家、武道家、武術ファンにも目を通してほしい
本です。

『自衛隊警務隊逮捕術』
 荒木肇(著)
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こんにちは。エンリケです。

「陸軍工兵から施設科へ」の七回目です。

個人的に大好きな、
軍事用語、軍事知識、軍事史の基礎がわかるよみも
のです。

ここまで面白く、正確に、的を射た、
痒い所に手が届く軍事知識の啓蒙ができる
著者は、荒木先生しかいないかもしれま
せん。

歴史を学ぶのは、今に過去を活かし、
過去を今に活かすためであることが
ほんとうによく伝わります。

さっそくどうぞ。


エンリケ


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陸軍工兵から施設科へ(7)

師団の中に工兵大隊がおかれる


荒木 肇

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□はじめに

 陸軍という組織について、長い読者の方々は当然
ご存じのことと思います。何をいまさらと思われる
方もいるかも知れませんが、今の陸上自衛隊でも、
この明治半ばの陸軍が創りだした仕組みを踏襲し、
引き継いでいることを興味深いと思われませんか。

 陸軍は、大きく分けて4つのグループに分かれま
す。まず、武装し、訓練し、戦う集団である狭い意
味での「軍隊」です。この軍隊は、平時では大きい
順に、軍-師団-旅団-聯隊(れんたい)-大隊-
中隊などとなります。これに戦時になると、動員さ
れた軍隊では中隊の下に小隊や分隊という組織が加
わります。だから8月によくある反戦・反軍をテー
マにしたドラマなどで、平時の軍隊なのに「小隊長」
がいたり、「分隊長」がいたら、それは間違いです。

いまの自衛隊では、「軍」という言葉を使えないの
で「部隊」と言っています。


 陸自では方面隊-師団-旅団-団-連隊―大隊-
中隊-小隊-分隊なので、そっくりと言っていいで
しょう。気がつかれた方がいると思います。陸自に
は小隊や分隊があります。つまり、陸自はいつでも
戦闘態勢にあるのです。自衛隊ですから、不時の事
故・事件にも対応できるように、いつでも行動でき
るようになっているからです。

 次に官衙(かんが)です。軍政をあずかる陸軍省、
軍令をになう参謀本部、被服廠や造兵廠、また地域
の中で活動する聯隊区司令部など、あるいは平時の
要塞司令部などいわゆる陸軍の中の役所のことをい
います。

いまの自衛隊でも、防衛省や統合幕僚本部、そうし
て3幕(さんばく)といわれる陸海空の各幕僚監部
があります。制服を着た自衛官と背広の勤務者がい
るのも同じです。地方にはやはり広報や、退職隊員
のための就職援護などを行なう地方協力本部があり
ます。また、物品などの管理にあたる補給処(ほき
ゅうしょ)があるのも同じ。

 軍隊は巨大な教育組織ですから学校もありました。
これは2つに分けられます。1つはふつうの人間を
教育し、軍人にする補充学校、陸軍士官学校や下士
官を育てる教導団などです。もう1つは、軍人を入
校させ、さらに資質を向上させる実施学校がありま
す。野砲兵学校や歩兵学校、工兵学校など、主に兵
科ごとにありました。入校する下士官以上を学生と
いい、決められた教育課程に沿って一定時期に教育
を受けました。

 陸上自衛隊には防衛大学校(陸海空がいっしょに
なっていますが)や高等工科学校(高等学校と連携
した中学校卒業者が入学します)といった昔でいえ
ば補充を担当する学校があります。また、兵科にあ
たる職種ごとに学校があるのも同じです。たいてい
が職種の名前、たとえば化学学校(埼玉県さいたま
市)、高射学校(千葉県千葉市)、需品学校(千葉
県松戸市)などがあります。また、複数の職種の教
育を行う地名を冠した学校、富士学校(静岡県駿東
郡小山町)は普通科(歩兵)、特科(砲兵)、機甲
科(戦車・偵察)の職種学校です。東京都小平市に
ある会計、語学、調査、人事管理、警務などの教育
のメッカ、小平学校もあるのです。

 最後は特務機関といいます。これは戦後史の陸軍
を悪くいうときの定番、陰謀や工作、諜報行動など
をする特務機関とは違うのです。ここでいう特務機
関は軍隊・官衙・学校以外の組織をいいます。元帥
府(げんすいふ・天皇の諮問に応じる陸海軍元帥の
集まるところ)、軍事参議院(天皇の諮問機関、戦
時の軍司令官要員の軍事参議官が集まる)、侍従武
官府、東宮(とうぐう)武官府、外国駐在員などで
す。陸軍将校生徒試験委員などもこの特務機関にな
ります。士官学校などの入学試験の担当です。

 前書きが長くなりましたが、こうしたことが理解
できて初めて師団の創られた意味がお分かりになる
でしょう。
 
▼鎮台から師団へ

 鎮台というのは、軍隊の司令部、軍隊の指揮をす
る機関というより役所のようなイメージだったとい
っていい。補給廠や軍事裁判所、軍病院、徴兵署と
いった機能を備えていた。指揮官は司令長官といい、
陸軍少将が補任されている。西南戦争(1877年)
では、この鎮台から「旅団」が臨時に編成されて戦
場に向かったのである。

「旅」というのは動くという意味があるそうだ。鎮
台の鎮が「しずめる・とどまる・とどめる」という
意味があることから対比して移動する軍隊の意味だ
ったのだろう。さらにいえば、聯隊などの上部構造
として団という言葉が選ばれた。「かたまる・1つ
になる」という意味である。

 思い出すと、日華事変(昭和12年以降の日中武
力衝突の名称、正確には変遷がある)のときの中華
民国軍(蒋介石の軍隊)でも、同じ漢字文化圏だか
らよく似ている。ただし、日本がレジメントを聯隊
と訳したが、中国では団としたことだ。ほかにもわ
が国の師団は師、旅団は旅、聯隊が団、大隊は営、
中隊は連、小隊は排(はい)、分隊は班というのが
支那軍の構成だった。ちなみに昔は団を「團」とし
た。意味はやはり集まる、1つになるという意味に
なる。

 いまの自衛隊では、師団は昔と変わらない諸職種
連合の大組織だが、旅団はその小型版、団は隷下に
連隊や大隊をまとめる将補(しょうほ・外国軍の少
将にあたる)を指揮官とする部隊である。第1特科
団は昔風にいえば、野砲兵旅団にあたるし、第1空
挺団は普通科大隊、特科大隊、施設中隊、通信中隊、
落下傘整備中隊などをもっている。なお、いまの
普通科(歩兵)で大隊編制をとっているのは空挺歩
兵だけのはずだ。一般の普通科連隊には中隊を直に
連隊長が掌握することになっている。

 さて、師団の話である。1885(明治18)年
にプロシャ陸軍参謀少佐メッケルが来日した。陸軍
大学校の教官としてである。日本ではモーゼルワイ
ンが飲めるかと聞き、大丈夫だと聞いて、来日を快
諾したという伝説がある。翌86年には、「臨時陸
軍制度審査委員会」が開かれ、児玉源太郎大佐(日
露戦争の満洲軍総参謀長)が委員長となって、軍政
の改革に乗りだした。その第1番が鎮台から師団へ
の改編だった。

▼師団のなかみ

 鎮台はそれまでは、有事には2個歩兵聯隊で旅団
を編成し、鎮台司令長官を旅団長にすることになっ
ていた。また2個旅団で1個師団を編成する。その
師団長には1878(明治11)年から置かれてい
た東部、中部、西部の各監軍部長(中将)をあてる
ことを予定していた。これが総兵力5万人余りにな
っていた1885(明治18)年頃には、鎮台司令
長官が師団長に、監軍部長が師団2~3個を指揮す
る「軍団長」にあてられるようになってきていた。


 メッケルはこの計画を見て意見を述べた。このよ
うな小規模な兵力で軍団をつくることはない、鎮台
を戦時に師団にするのではなく、平時から野戦に向
いた師団を最大単位にすればいいと言うのである。
師団の上に軍団を設けずに、師団長は最高指揮官の
天皇陛下に直隷(ちょくれい)すればいいとのこと
だ。それを補佐するのが参謀本部長だいう仕組みを
提案したのである。

 1888(明治21)年には監軍部は解散され、
鎮台司令長官は師団長と名前が改められた。ここに
全国に6個師団が生まれたのである。各師団は歩兵
2個旅団(歩兵聯隊4個)、砲兵1個聯隊、騎兵、
工兵、輜重兵各1個大隊が付いていた。

 明治21年に制定された「陸軍常備団体配備表」
によれば、近衛と第1から第6までの6個師団、1
2個歩兵旅団、24個歩兵聯隊がある。備考欄には、
要塞砲兵、警備隊、憲兵隊、屯田兵の配備は別に
定める、歩兵第5聯隊(青森)の1個大隊は北海道
函館に分屯する、各特科隊(騎兵・工兵・輜重兵)
は師団番号と同じ、衛戍地(えいじゅち)は各師団
司令部と同じ、ただし工兵第4大隊のみは京都府伏
見(ふしみ)に置かれるとある。

 工兵は必須の訓練として架橋がある。東京の第1
工兵大隊、近衛工兵大隊は荒川のそばに衛戍した。
仙台(第2)、名古屋(第3)、広島(第5)、熊
本(第6)もそれぞれに大河がそばにある。大阪師
団の第4工兵大隊だけは、京都近郊の伏見にいたの
だった。

 1889(明治22)年には徴兵令を改正し、予
備役・後備役の制度も新たに改正し、戦時には平時
の3倍以上の人員を集められるようにした。

▼明治23年の師団定員令

 1個師団の平時人員を明らかにする「定員令」が
ある。師団は総人員数9199名で軍馬の数が11
72頭である。

 歩兵聯隊は人1721、馬14頭。したがって旅
団司令部と合わせて、旅団は3449名と馬は33
頭である。砲兵聯隊は野砲大隊2個、山砲大隊が1
個で人員722名と馬匹は輓馬(ばんば・砲車を牽
引する)、駄馬(だば・山砲を分解して背に載せる、
ほか荷物を運ぶ)の合計が311頭になった。騎兵
大隊は3個中隊で人員512名、馬は462頭、工
兵大隊は3個中隊で408人と馬匹19頭である。
輜重兵大隊は2個中隊、人が622人、馬は298
頭だった。

 もちろん、これが戦時になれば「動員」がかかり、
約2万人の野戦師団になる。

 次回はいよいよ日清戦争の工兵について調べてみ
よう。



(つづく)


(あらき・はじめ)


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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
 

『自衛隊の災害派遣、知られざる実態に迫る-訓練
された《兵隊》、お寒い自治体』 荒木肇
「中央公論」2020年3月号
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