配信日時 2020/11/18 20:00

(新)【 サムライ先生、日本語を教える(1)】転職──想像したこともない迷宮の世界へ 山下知緒(研武塾代表)

こんにちは。エンリケです。

5年前、
連載「剣人ルポーサムライカルチャー再発見」を
書いてくださった、手裏剣の山下知緒さんが帰っ
てきました!

今回の連載テーマは、
「日本語学校」
です。

なぜ武術家が日本語学校??

ドラマになりそうなものがたりです。
「すぐそこにある国際情勢」を味わってください。

さっそくどうぞ。


エンリケ


ご意見・ご感想はこちらからどうぞ。

http://okigunnji.com/1tan/lc/toiawase.html


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新シリーズ!

サムライ先生、日本語を教える(1)

転職──想像したこともない迷宮の世界へ

山下知緒(やました・ともお)(研武塾代表)

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□ごあいさつ

 ありがたいご縁をいただき、このたび日本語学校
にまつわる拙文を短期連載させていただきます。世
界の動静に敏感な読者諸氏には、「『卑近な国際情
勢』を読み取っていただけるのではないか?」と、
ひそかに期待しております。

 中曽根内閣が掲げた「留学生受け入れ10万人計
画」以降、ツメの甘い受け入れ体制のまま、わが国
の外国人学生数は伸び続け、昨年はついに外国人留
学生数31万人を突破しました。

 留学生の急増もあって、単純労働者を求めるコン
ビニエンスストアや飲食店などの職場環境は激変し
ました。外国人による犯罪も、右肩あがりと聞いて
います。

 しかし、その一方で、外国人労働者の手を借りな
ければ立ちいかない業界もかなりの数にのぼってい
るようです。

 コロナ禍の影響からややトーンダウンしたものの……
外国人の流入は今後ますます身近に実感されるはず
です。そして彼らとの共生は、一層の課題となって
いくでしょう。

当手記は、私が日本語学校で教師として働き始めた
2018年4月からの2年弱にわたる記録です。個
人情報保護などへの配慮から、勤務地や学校名、登
場人物の名前などはすべて変えてあり、実名表記は
筆者ただ一人です。また、別人物による2つのエピ
ソードを1人の物語として紹介したり、逆に1人の
話を何人かの別エピソードとして再構築したりもし
ました。しかし、そのベースはすべて私の実体験で
あって、日本語学校という業界を知るよすがにはな
ろうと存じます。

 ともあれ、古流武術家でもある私が日本語教師に
なったいきさつや、日本語学校での奮闘、留学生の
みずみずしい青春群像劇などをご一笑いただければ
幸いです。


▼ヒーローになりたかった

《一口メモ》日本語学校【にほんごがっこう】外国
人や帰国子女に日本語を教える学校。海外にもある
が、国内の日本語学校に通う留学生は留学ビザが必
要。在籍期間は最長2年。学生の多くは日本の大学
や専門学校への進学を志望する。


 もの心ついたころからヒーローにあこがれていた。

 ありていにいえば、仮面ライダーやゴレンジャー
になって、世のため、人のために尽くしたいと思っ
ていた。悪をねじ伏せる強い意志、強じんな肉体は、
とにかくカッコイイ。だから、幼少期に撮られた
私の写真は、仮面ライダーの変身ポーズをとったも
のがやたらと多い。

 多くの女性が「美しくなりたい」と切望するよう
に、ほとんどの男は「ヒーローになりたい」と欲し
ているんじゃなかろうか? 年を重ねるごとに「テ
レビの特撮ヒーローが理想です」とはいいにくくな
るが、その思いは、大人も子どももあまり変わらな
い気がする。

 思春期を過ぎてもなおヒーローにあこがれ続けた
私は、超人を描き出すマンガ家になろうか、社会の
不正を暴く新聞記者になろうか、英雄を実写化する
映画監督になろうかと、しばしば悩み、長らく決め
かねていた。

 大学を卒業するころには、ヒーローを演じられる
俳優への道を進みたいと思い始め、まずは劇団の門
を叩いた。だが、芝居の世界は、上下関係に厳しく、
封建的な気配りが絶えず求められた。

 テレビや映画にも出演したけれど、与えられた役
どころは英雄どころか、セリフのないサラリーマン
やチンピラが関の山であり、すぐにゲンナリした。

 ところで、入団とほぼ同時期に、古流武術も学び
始めた。チャンバラの参考になるだろうと考えて、
居合、中太刀、小太刀、十手、棒術、柔術を稽古し
たのだが、そこで知り得たサムライの身体科学、心
理学、美学は非常に奥深く、私は芝居以上にのめり
込んでいった。

 さんざん読みあさった時代劇画のサムライは、仮
面ライダーばりの超人だったから、「現代のサムラ
イとして生きるのもいいな」と、これまた浮き足だ
った思いがふくらみ始めた。

 師匠から表の型を一通り学んだ後、私は棒手裏剣
術を独自に研究し、その成果をまとめた『手裏剣道』
というDVDと、『古式伝験流手裏剣術』という
手裏剣術の入門書を発刊するに至った。その結果、
テレビ取材が舞い込んできたりして、「このまま武
芸で身を立てるのもいいな」と勇み立ったりもした
けれど、現実はそう甘くなかった。

 劇団のシナリオを手がけていた延長から雑誌や広
告の編集に手を染め出し、そのままダラダラとライ
ターの仕事をするようになった。

 いちばん長く勤めた建築専門紙では、建設予定マ
ンションの戸数、そこに設置されるエレベーターの
基数、駐車場台数などを電話取材するという、おそ
ろしく地味な仕事に忙殺され続けた。結局、少年時
代に思い描いていた「社会の不正を暴く正義の徒」
というイメージとは隔絶したジャーナリストを、1
0年くらい続けたのである。

 こうして50歳の大台が見え始めたころ、私は思
い切った転職への決意を固めた。あり余った体力と
情熱をため込んだまま枯れていくのが恐ろしくなり、
それまでに触れたことがないような業界へ飛び込
んでみたくなったのだ。

 とはいっても、40代半ばを過ぎた武術オタクが、
新しい就職先を見つけるのは困難だ。「モデルガ
ン製造職人」や「地方の農家」といった仕事を見つ
けては応募してみたのだが、それらはことごとくハ
ネられてしまった。チャレンジするには年を食いす
ぎているとのいうのである。

 そうやっていき詰まっていたころ、ハローワーク
の検索端末で「日本語学校教員」の募集を目にした
のだった。

▼大学時代に教員資格を取得

 30年以上前。私は大学進学にあたって、「学校
は早々に中退し、スケールの大きな仕事を始めよう。
それがダメなら海外に渡ろう」と無頼な計画をぼ
んやり思い描いていた。だから、「大学の授業なん
て適当でいいや」と、当初は軽い気持ちでいたので
ある。

 ところが入学直後、父親から「国語教員と日本語
学校教員の課程は履修しておけよ」と、しっかりク
ギを刺された。その当時の父は気も荒く、逆らうと
恐ろしい中年男だったので、いわれたとおりに履修
登録を済ませ、穏便な大学生活を送ることになった。

 本格的な教員コースの講義は3年生からで、これ
が意外と面白かった。ゴキブリの語源は、御器〈食
器〉にかぶりつく虫「ゴキカブリ」から来ていると
いう「近世文学」だとか、奈良時代以前の日本語は
今よりたくさんの発音があったという「上代特殊仮
名遣」の勉強など、好奇心をくすぐられる講義が目
白押しだったのである。

 結局、中退することもなく卒業を迎えてしまった
私は、自動的に中・高校の国語教員と日本語学校教
員の資格を取得した。ただし、教師なんてヤボった
い仕事をする気はサラサラなかったから、前述のと
おり、劇団の研究生になったのである。両親はそれ
に対して、ことさら反対はしなかった。

 が、演劇とマスコミの業界を断念し、いよいよ路
頭に迷った私は、歯牙にもかけなかったその教職に
おめおめとエントリーするハメになったのである。

「とりあえず国際的な仕事だもんな。一度くらい経
験しても損はないだろう」と自分を納得させて、「
教員資格さえあれば経験は不問」という条件を見つ
くろうと、何通かの履歴書を郵送したのだった。

 すると、それまでとは一転し、色よい返事が次つ
ぎと舞い込んできた。

▼想像したこともない世界へ

 最初に面接を受けた学校では、「模擬授業」を課
せられた。模擬授業とは、仮の講義をやってみせる
採用試験である。

 そこでの課題は、「て形(けい)」と呼ばれる動
詞活用の説明であった。「書きます」を「書いて」
に、「食べます」を「食べて」に変化させる方法や、
「書きます」と「書いています」の相違説明など
を20分ほど講義させられた。

 上野駅の近くにあるビルが、その学校の校舎だっ
た。若者の出入りが目立ったものの、学校とわかる
ような雰囲気は一切感じられない外観だ。

 事前連絡で指示されていた2階へいくと受付があ
り、その一角で蝶ネクタイをした劇場支配人風の紳
士が、青い髪をしたヒョロヒョロの青年を怒鳴り散
らしていた。

「何度言ったらわかるんだ! 今度休んだら退学で
すからね。いいですか? オイッ、聞いてるのかっ!」

 いきなりのことだったので、私はどやされている
青年以上に顔が引きつってしまった。黙ってその様
子を眺めていると、テキパキとした小太りの女性が
あらわれて、すぐに採用面談をおこなう教室へと案
内してくれた。彼女は教務主任であり、先ほどの蝶
ネクタイは校長先生とのことだった。

 結論からいうと、ここは不採用だったが、その蝶
ネクタイ校長から「あなたは声量も充分だし、テン
ポも悪くないですよ」と好意的な評価をもらった。
そして何より、私自身が「これはイケるんじゃない
か?」という手ごたえを感じとっていた。

 その後、続けざまに3校の面談を受け、そのうち
1校からは、面談した当日に即決の電話がかかって
きた。

 これこそが、波乱に満ちたキャリアチェンジの幕
開けであった。想像したこともない世界へ、私は迷
い込んでいくのである。




(つづく)


(やました・ともお)



【筆者紹介】
山下知緒(やましたともお)
1971年9月9日生まれ。2018年4月以降、
日本語学校教師を務める。民弥流居合術、駒川改心
流剣術をはじめ、小太刀、十手、棒、柔術などを学
ぶ。現在は手裏剣術を表芸とする武術道場「研武塾
」を主宰。手裏剣製作の勉強会「武具学会」を併設
して、多面的な武術研究に取り組んでいる。妻のコ
ミックエッセイ『ある日突然ダンナが手裏剣マニア
になった。』<リーダーズノート>に描かれた私生
活をNHKドキュメント番組「熱中人」が密着取材
して2012年1月に放映。2012年11月、D
VD「山下知緒 手裏剣道 験流手裏剣術入門」<
クエスト>を刊行。2014年4月、『古式伝験流
手裏剣術』<並木書房>を上梓。
≪研武塾道場≫手裏剣術をはじめ、居合術や古流剣
術等を稽古する武術道場。稽古日は毎週土曜日の午
後4時から午後6時。月謝6千円。道場所在地は西
武池袋線「東久留米駅」から徒歩2分。道場の詳細
や問い合わせは、
古式伝験流手裏剣術 http://kenryu-shuriken.jimdo.com/





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