こんにちは、エンリケです。
藤井岳さんの、
「自衛隊・熱砂のイラク派遣90日」
の十三回目です。
思わず息をのみ、息が詰まり
最後は肩で息をついた。
そんな自分がいました
さっそくどうぞ
ご意見・ご感想お待ちしてます。
コチラからどうぞ
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エンリケ
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新シリーズ!
自衛隊・熱砂のイラク派遣90日(13)
時速80キロでコンボイ輸送任務
藤井岳(ふじい・がく)(元陸自2曹)
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□はじめに
私の住む街は田舎の地方都市で、御多分に漏れず
昔からの商店街は今やシャッター街、街中の歩行者
は常時両手で数えられるほどという有り様です。も
はや「まちづくり」という動きや言葉も廃れつつあ
り、商店街から店も人も姿を消すのは時間の問題の
ような状態です。
ほとんどの市民は街が廃れていくことに興味はな
いようで、当初「まちづくり」という言葉を掲げて
動いていたいくつかの団体も今は鳴りを潜めている
という感じです。
私は街の再興はもう不可能であり、街の荒廃がさ
らに進むのをただ見ていることしかできないと思っ
ています。役所も団体も市民も動かないこの街に未
来などない。もはや子供の頃に楽しく過ごした明る
く賑やかな商店街は記憶の中にしか存在しないのだ
と。
ただ、この街は私が生まれ育った街。これからど
のような姿になろうと見守り続けていこうと思いま
す。そして、荒廃の先には何があるのか、それを確
かめたいとも思うのです。
▼緊張感が絶えないQRF要員
復興支援群にはQuick Reaction Force(QRF)こと
「緊急対処部隊」が常時編成されており、宿営地外
での自衛隊員・自衛隊車輌などのあらゆるトラブル
や任務遂行不可能に陥った際の救援が主な任務で、
宿営地外での事案発生時には即座に出動できるよう
になっていた。航空自衛隊の戦闘機が対領空侵犯措
置(スクランブル待機)に就くのと同様である。
QRFは毎朝、隊員の掌握とブリーフィング、車輌・
器材の点検を実施する。整備小隊からは走行不能に
なった車輌を牽引回収するための重レッカ(レッカ
ー車)と回収要員を派遣していた。QRF要員の割り
当てはシフト制になっており、整備小隊の隊員は派
遣間、数回のQRF待機を経験している。
私が参加した第3次支援群では何度かのQRF招集が
あったが、招集がかかり、出動可能になっても宿営
地外への実際の出動は1度か2度あったか、皆無だっ
たような気もする。このあたりは記憶が曖昧だが、
出動しても現場での行動に至らず、帰還ということ
もあった気もする。
いずれにせよ、QRF待機の際は課業中に別の仕事を
していても、常に緊張感があった。
余談ながら、現在、国内の各駐屯地では初動対処
部隊「FAST-Force」が常時待機しており、主に地震
など発生時の速やかな情報収集を任務としている。
近年は特に甚大な被害をもたらす自然災害が多くな
り、自衛隊も「初動」をより重視している。こうい
った方針には海外派遣部隊で編成されたQRFなどのノ
ウハウも少なからず活かされているだろう。
▼工具を銃に持ち替え、物資輸送任務
整備小隊所属隊員として通常業務に就いていても、
他部隊や他部署の指揮下に入って別の任務に就く
こともよくあった。特に参加する機会が多かったの
は、タリル空軍基地往復の物資輸送任務である。
この任務の主力は輸送小隊であったが、彼らのみ
では人数・装備ともにコンボイを編成できない。そ
こで、コンボイ護衛は警備中隊からの派遣隊が担当
し、トラックの操縦手・車長要員を整備小隊などか
ら派遣し充当、コンボイを完全編成とし、輸送任務
を実施した。
整備小隊では要員を一応シフトで割り当てていた
が、参加の是非を問われる場合もあり、私は積極的
に希望して輸送任務に参加していた。
サマーワ宿営地からタリル空軍基地までは時間に
して片道2時間以上かかるが、その間コンボイは1
度の休憩もなく、国道とハイウェイ(高速道路)を
時速80キロ前後の速度で文字通り「疾走」する。
ちなみにタリルまでの道程で信号機はひとつもなか
った。
国道というものの、道路はアスファルトが崩れて
路面の状態が悪い箇所も多くあり、日本とは比較に
ならないほど道路環境は悪かった。ハイウェイに料
金所などの施設はなく、一般道からそのまま入るこ
とができた。途中に休憩所は何カ所かあったが、日
除けの付いたベンチやテーブルがいくつかあるだけ
で、日本の高速道路でいうサービスエリアやパーキ
ングエリアのようなものはなかった。
走行中は一般車を特に警戒した。敵対勢力による
コンボイへの攻撃の可能性も充分にあった。ほとん
どの一般車はコンボイの間に割り込み、さらに追い
抜いて行く。我々を追い越す際、笑顔で手を振って
きたり、クラクションを盛んに鳴らして走り去る車
も多かったが、少なくとも私は笑顔で手を振り返す
余裕はなかった。
時速80キロほどで走行しているコンボイを次か
ら次へと追い抜いていくのだから、一般車はさらに
速度を出している。ミラーや灯火などの保安部品が
破損・故障したり、装着すらしていない車が非常に
多く、これでは事故も決して少なくはないだろうと
思った。この予想通り、のちに私はイラクの交通事
情の現実を垣間見ることになる。
▼無事に「水輸送」を終えて
タリルに近づくと、やや交通量も増え、多国籍軍
の軍用車とすれ違うことが多くなる。そして道端に
はバラックのようなものが目立ち始める。どうやら
土産物屋のようで、フセイン時代のイラク軍の勲章
や制服などを売っているようで、軍用車が通ると、
男たちが出て来て品物掲げ、盛んにアピールしてく
る。しかし自衛隊はもちろんだが、他国の兵士が店
を覗いているのを見ることはなかった。
アメリカ軍が厳重に警備するタリル空軍基地のゲ
ートを通過後、トラックは物資の積載場所に移動し、
荷台に物資を積載する。物資とはいっても、ミネ
ラルウォーターのコンテナを多数積載することが多
く、この任務を「水輸送」と呼ぶこともあった。
積載が完了すると、待ちに待った昼食と休憩だ。
トラックを駐車場に駐めて、食堂で昼食をとる。ア
メリカ軍の食堂での喫食はクウェートのキャンプ・
バージニア以来なので、大味の料理を口にするたび
にクウェートでの日々を思い出した。
喫食後は売店で買い物をする。キャンプ・バージ
ニア同様、米軍基地内ではアメリカの金を使うため、
タリルに来る際はドル紙幣を忘れずに携帯した。
そして帰途につく。往路と同様、復路も車列を組
み、速度を上げてサマーワまでの道を走る。もちろ
ん往路同様、警戒は怠らない。サマーワの街が右手
に見え、見慣れた道へ入ると仲間が待つ我が住処(
すみか)、サマーワ宿営地が見えてくる。3時間走
り抜けてようやく宿営地のゲートをくぐり、仲間た
ちの姿を見ると緊張が一気に解け、体中の力が抜け
るようだった。
(つづく)
(ふじい・がく)
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【著者紹介】
藤井岳(ふじい・がく)ペンネーム
1979年岩手県一関市生まれ。1996年自衛隊生徒とし
て陸上自衛隊入隊。少年工科学校へ入校。卒業後機
甲生徒課程を経て第9戦車大隊(岩手)で戦車乗員
として勤務。2004年第3次イラク復興支援群に参加、
イラク・サマワにて任務に就く。2005年富士学校
(富士)に転属。機甲科部で助教として戦車教育に
従事。2008年退職。フリーランスフォトグラファー
として活動を開始。自衛隊航空部隊の撮影、取材に
取り組む。2015年から「PANZER」誌で執筆開始。そ
の後「丸」「JGROUNDEX」「JWings」などで写真
や戦車に関する記事を発表。現在に至る。
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