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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応
予備自衛官でもあります。お仕事の依頼など、問い
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こんにちは、エンリケです。
「我が国の歴史を振り返る
―日本史と世界史に“横串”を入れる―」
はきょうで105回目です。
世界の歴史や国史の流れを見ていると、それは、
プレーヤーたちが、つねに主敵・主脅威を見誤る
錯誤を営々と続けてきた物語でしかない、と思わ
ずにはいられません。
せめて、いつどこで来るかわからぬその日に備えて、
本業とは別に知性を磨きつづけ、その日が来な
ければ黙ってあの世に行き、魂となって祖国を護る。
そんな日本人でい続けたいものです。
さっそくどうぞ
エンリケ
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我が国の歴史を振り返る
─日本史と世界史に“横串”を入れる─(105)
「大東亜戦争」の総括(その7)
宗像久男(元陸将)
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□はじめに
以前に紹介しました『連合国戦勝史観の虚妄』(*)
の著者である英国人記者のヘンリー・S・ストーク
ス氏は、本書の冒頭で、第2次世界大戦における英
国人の立場、なかでも大英帝国が滅亡するきっかけ
を作った日本(人)に対する「本音」を赤裸々に
語っております。
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少し紹介しましょう。まず、かのチャーチルが、罵
詈雑言というべき、許容範囲を逸脱した差別的表現
で日本人を侮蔑していることを告白し、「栄華を極
めた大英帝国の広大な植民地が、一瞬にして消えた
屈辱はそう簡単に忘れられないものではない」とそ
のショックを披露します。
そして「イギリスは、1066年にノルマン人に侵
略を受け、国土を占領されますが、ナポレオンやヒ
トラーの侵略を斥けた。しかし、その帝国の植民地
がなんと有色の日本人によって奮われた。イギリス
人にとって、有色人種に領土を奮われ、有色人種が
次々に独立国をつくったことは、想像を絶する悔し
さだった」と続きます。
さらにストークス氏は、生体実験のような原爆も投
下する必要がなかったとする一方で、英国人にとっ
ても、日本人を徹底的に打ち砕き、完膚なきまでに
叩きのめし、“辱めを与える必要性”があったとし、
勝者の正義などはまさに“建前”で、復讐せずに
収まらなかったのが「本音」であり、「東京裁判は、
まさに復讐劇だった」と結論づけます。
私たちは、連合軍の“非人間的”な戦い方や米軍を
主体とした占領軍によって行なわれた占領政策は、
ややもすると米国の考えに支配されていたと思いが
ちですが、「英国人のこのような“屈辱感”や“復
讐劇”が後押ししていたことを忘れるべきではない」
と、英国人でありながら“連合国側の史観を虚妄
として退け、日本側の正当性を主張する”ストーク
ス氏が教えてくれているような気がするのです。
いよいよ、あと2回で私自身がイメージした「大東
亜戦争」総括のストーリーが完成です。どうぞ本文
をお楽しみください。
▼共産主義拡大の阻止
まずは前回の続きです。「大東亜戦争」の人類史上
の意義の2番目は、「共産主義の拡大防止になりえ
たかどうか」という視点です。
20世紀初めの第1次世界大戦の最中、初の共産主
義国家であるソビエト社会主義共和国連邦がロシア
に誕生しました。その理論となったマルクスの『資
本論』は世界最大のベストセラーとなり、大正時代
後半、日本語にも翻訳され、我が国のインテリ層を
中心に読者層が広がることとなったことは前にも述
べました。
コミンテルンを形成した共産主義運動は、ソ連に
とどまらず、世界共産化を目指して世界各地で活発
な活動を展開したことから、自由主義国家にとって
は最大の脅威となるはずでしたが、ヒトラー率いる
ナチス・ドイツが欧州の支配を企図して“眼前の敵”
として立ちはだかったこともあって、欧米諸国の
リーダーの反応は鈍く、結果として連合国の一員に
加わることになりました。
当初は防共協定が目的だった日独伊三国同盟が、
ヒトラーとスターリンの陰謀が一致した独ソ不可侵
条約の締結によってその性格が変わってしまったの
も“歴史を変える”大きな要因となりました。
一方、我が国にとっては、国体と到底相容れない共
産主義は最大の脅威であり、なかでも「天皇親政」
をめざす軍人たちの反応は極めて敏感でした。
そして共産主義の“浸透防止”も目的となって、や
がて「満州事変」が発生、その防波堤としての「満
州国」建国にまで至りますが、中国大陸にあっては、
スターリンや毛沢東の巧妙な戦略により、陸海軍
は国民軍と相つぶし合うような戦いを繰り広げまし
た。
終戦後は、ソ連が満州に侵入したことに合わせ、中
国共産軍が強力になり、国民軍が敗北し、台湾に逃
れます。こうして、共産党が中国全土を支配する結
果となり、中華人民共和国が成立し、今日まで続い
ているのです。
東京裁判において、東條英機は、「米英の指導者は
今次大戦で大きな失敗を犯した。(1)日本という赤化
の防壁を破壊し去った、(2)満州を赤化の根拠たらし
めた、(3)朝鮮を2分して東亜戦争の因たらしめた」
との証言を残しました。
また、(すでに紹介しましたように)マッカーサー
も「過去100年に米国が太平洋地域で犯した最大
の政治的過ちは共産主義勢力を中国で増大させたこ
とだ。次の100年で代償を払わなければならない
だろう」と、“マッカーサーにしては”的確な証言
をしています。
これらから、共産主義拡大の防波堤としての人類史
上の意義は、我が国のさまざまな努力にもかかわら
ず、「失敗に終わった」と言わざるを得ないと思い
ます。
第2次世界大戦の終盤、ソ連の危険性にようやく気
がついた米英両国、特にトルーマンとチャーチルは
必死に「封じ込め策」を弄しますが、“時すでに遅
し”でした。
その影響が我が国の占領政策にも現れたことはすで
に触れましたが、マッカーサーが上記の証言のよう
な認識を持ったのは、中国共産軍が中国全土を支配
し、金日成が朝鮮半島の支配を企てるとの情報が入
った頃、つまり占領期の後半でした。
その時点では、すでに日本軍を解体し、WGIP
によって日本人に贖罪意識を植え込むとともに、日
本国憲法を制定し、東京裁判でA級戦犯を処刑し終
わった後でした。
ここに至って初めて、マッカーサーは日本の置かれ
た状況を理解し、ワシントンからは見えない、東京
にいるからこそ理解できるアジア情勢、なかでも共
産主義の脅威を肌で感じることとなります。その心
境の変化が「日本を戦争に駆り立てたのは、セキュ
リティのためだった」と衝撃的な議会証言につなが
ったと考えます。
朝鮮戦争後、警察予備隊の創設など、にわかに占領
政策を方向転換しますが、それまでの日本改造の諸
政策があまりに強烈過ぎて、多くの日本人が追随で
きないまま時が流れます。
そして、「冷戦」を経てようやくソ連が崩壊し、東
ヨーロッパが解放されるまで、それから40年余り
の歳月が流れます。他方、アジアにおいては、中国
や北朝鮮などの共産主義国家がますます権勢を奮い、
我が国のみならず、西側世界の最大の脅威に成長
しています。今、まさにマッカーサーの予言通り、
いやそれ以上の“代償”を払わされているのです。
戦後の日本を方向づけたのは明らかにマッカーサー
ですが、プライドの高いマッカーサーは、自らの情
勢判断の間違いについて一言も詫びることも正すこ
ともありませんでした。
そして、マッカーサーにマインドコントロールされ
た有識者やその末裔たちがマッカーサーの政策忠実
に受け継いで国を二分したため、我が国は、現下の
脅威に対して有効に対処できるとは思えないような
国家体制のまま今日に至っているのではないでしょ
うか。この細部こそが最後のテーマです。
▼我が国は、2度敗戦した!
いよいよ「大東亜戦争」最後の総括、その第5「占
領政策の影響を含めた精神的敗北とその影響」を取
り上げます。
本メルマガの第98話で、クラウゼヴィッツのいう
「講和とともに戦争目的は達成され、戦争の仕事は
終わったものとみなされる」に従えば、1951年
に講和条約が成立し、我が国の主権が回復した時点
をもって「大東亜戦争が終わった」とすべきと提唱
しました。そして“一国家の抵抗力を奪う”の意味
も取り挙げました。
今回はこのような見方によってはじめてわかる「敗
北の意味」も解き明かそうと思います。
歴史家トインビーは「自国の歴史を失った民族は滅
びる」との有名な言葉を残しています。なぜこのよ
うな境地に至ったかについて、トインビーは『歴史
の教訓』の中で次のように説明しています。
「(1)戦争は、益々破壊的になり、ついには戦争を引
き起こした社会そのものを破壊してしまう。しかし
(2)致命的な破壊とは物質的な破壊ではなく、精神的
なものの破壊である。(3)物質的な損害の再建は、驚
くほど迅速に行われるからである。一方、(4)精神的
なものの損害は、時に重大な結果を引き起こす。精
神的な破壊が無慈悲と敵意に満ちた精神状態を作り
出すことが可能だからである」と続きます(注:()
数字は私がつけたものです)。
トインビーは、第1次世界大戦の結果、過度な賠償
金を要求されたことが原因となってヒトラー率いる
ナチス政権がドイツに誕生し、まさに復讐戦を繰り
広げたように、国と国の争いの原因の中に過去の「
復讐」とか「怨念」のようなものが支配すると指摘
しています。
そして最後に、「大事なことは、過去の歴史的知識
を習得して、その知識に基づいて効果的な行動をす
ることであり、同じ道をたどり、同じ過ちを犯さな
いことである」として、「自国の歴史を失った民族
は、先人から学ばないのでまた同じ失敗を繰り返す」、
それこそが「亡国の道」だと説いたのです。
トインビーのこの解説に接すると、私自身は複雑な
思いに駆られます。確かに、1945年8月、我が
国は、「ポツダム宣言」を受諾して敗北しました。
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」と発された天
皇の玉音放送を聞いた多くの国民は、大きなショッ
クを受け、号泣のあまり立ち上がることもできませ
んでした。
多くの著名人もその時の心境を残しています。文芸
評論家の磯田光一氏は「これからどうなるかの不安
と表裏一体をなして、一種の安堵安と挫折感が表裏
一体をなしていた」と表現し、思想家吉本隆明氏は
「革命でもなければ徹底抗戦でもない、『絶望』で
あった」と表現しています。
なかには、「本土決戦を覚悟し、死ぬ気でいた」と
した桶谷秀昭氏(第100話で紹介)のように、「
降伏宣言は、日本の歴史と神話の崩壊だった」とし
て「本土決戦は、“一億総特攻”の思想である。こ
れは戦法というより“心法”である」との主張もあ
ります。
桶谷氏は「国家も皇室も単に存続するだけでは駄目
で、“民族の精神”とともに生きなければならない。
中途半端な降伏によって日本国民の“精神”が失
われてしまう」ことを危惧していたのでした。
桶谷氏の主張の“一億総特攻”にはにわかには賛同
しがたいものがありますが、終戦当時における“日
本人の精神”が失われることへの危惧は、その後の
歴史をたどると、まさに“的を射ていた”と言わざ
るを得ないと考えます。
我が国は、本土決戦でなはなく、連合軍の占領を甘
んじて受け入れることを選択します。すでに紹介し
ましたが、トルーマン大統領から指示された「降伏
後における米国の初期の対日方針」(1945年9
月6日付)は、「日本国が再び米国の脅威となり、
世界の平和及び安全の脅威とならないことを確実に
すること」を占領の究極の目的としていました。
冒頭で述べましたように、それはアメリカだけの方
針(考え)ではありませんでした。イギリスをはじ
め連合国の一致した考えだったのです。
この後押しを受けて、マッカーサー率いるGHQは、
「ポツダム宣言が“日本軍の無条件降伏のみ”を
要求したことを「日本の無条件降伏」にすり替えま
す。
そして白人が有色人種を侵略するのは「文明化」で、
劣っている有色人種が白人(の植民地)を侵略す
るのは「犯罪」であり、神も意向に逆らう「罪」で
あるとして自らを正当化します。
一方、これも第86話で紹介しましたが、当時の一
般的な日本人の意識は、「日本人の間には、戦争贖
罪(しょくざい)意識が全くといっていいほど存在
せず・・・道徳的過失も全くなかった。日本の敗北
は、産業と科学の劣勢と原爆のゆえであるという信
念が行き渡っていた」(昭和20年11月のGHQ
月報より)だったのです。
この日本人の意識を知ったGHQは、トルーマンの
指示どおり、本格的に日本人の精神的破壊を目的と
する“殲滅戦”を始めます。「WGIP」の導入を
はじめ、憲法制定や東京裁判まで、徹底して“日本
人の意識改造”政策を突っ走るのです。
説明するまでもないと思いますが、トルーマン大統
領の指示は、トインビーが「精神的な破壊が無慈悲
と敵意に満ちた精神状態を作り出す」指摘したレベ
ルの再び日本人が戻らないように、完膚なきまでに
「日本人の精神を破壊する」ことにあったと考える
べきでしょう。
こうしてみると、“我が国は、2度敗戦した!”と
するのが妥当と考えます。1度目は、1945年8
月の終戦です。この時点では、我が国は確かに物質
的な破壊を受けますが、精神的な破壊はまだ受けて
いませんでした。
我が国は、「戦争は国益と国益の衝突である」とい
うクラウゼヴィッツ以来の戦争の基本認識を無視し
て「民主主義対ファシズム」との対立図式を硬直的・
教条主義的に適用し、日本の行動をすべてファシ
ズムによる“悪”と決めつけた「ポツダム宣言」を
受け入れましたが、まだ国をあげて“一億総懺悔”
する精神ではなかったのです。
そして「ポツダム宣言」を受けた東京裁判において、
確かに、清瀬弁護士のように「ポツダム宣言の受
諾は無条件降伏に非ず」として、徹底的に戦った“
戦士”も存在しましたがその主張は通らず、戦争犯
罪の汚名を着せられました。
その他「復讐劇」ともいうべき、一連の巧妙な占領
政策によって、日本国民は徹底的に精神を破壊され、
国民の間に「贖罪意識」が充満したまま、1951
年、「サンフランシスコ講和条約」締結をもって
2度目の敗戦を迎えます。
問題は、これら精神的破壊が我が国の戦後の歴史に
与えた影響にあります。これについては、次回取り
上げましょう。
(以下次号)
(むなかた・ひさお)
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【著者紹介】
宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学
校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロ
ラド大学航空宇宙工学修士課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕
僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、
第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て
2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』
などに投稿多数。
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