配信日時 2020/10/14 09:00

(新)【陸軍工兵から施設科へ(1)】工兵の仕事は「建設と破壊」 荒木肇

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きょうから、「陸軍工兵から施設科へ」がはじまり
ます。

戦闘兵科の一つ工兵は、わが陸自では「施設科」と
いわれてますが、その実像がいまいちピンと来ない
ところのある兵科ですよね?

今回の連載でピントがきちんと合うようになると思
うので、どうぞ楽しみにしてください!

一番楽しみにしているのは誰あろう私ですけどねw


さっそくどうぞ。


エンリケ


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新シリーズ!

陸軍工兵から施設科へ(1)

工兵の仕事は「建設と破壊」

荒木 肇

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□はじめに

 いつもご愛読をありがとうございます。今回から、
日本陸軍工兵科と、陸上自衛隊施設科のご紹介を
いたします。いつもの通り、あちらこちらに飛びな
がら、なるべく一般の方々に分かりやすい筆致を心
がけてまいります。

なお、新刊『自衛隊警務科逮捕術』の内容見本の動
画ができましたので、ぜひご視聴ください。1分間
ほどの短いものです。

https://www.youtube.com/watch?v=czC_oPEYMBw


▼「工兵志願の剛のもの」

 陸軍には戦闘をすることを任務とする6つの兵科
(航空が大正末に加わり7兵科となった)があった。
これは明治の初めからの区分である。ほかに軍隊
の運営・維持にあたり、戦闘を主とする兵科の支援
にあたる各部があった。衛生、獣医、経理、軍楽、
技術、法務などである。兵科は歩兵、騎兵、砲兵(
野戦と要塞)、工兵、輜重兵と憲兵である。

 幹部の養成は各種の学校で行なわれるが、その基
礎となるのが士官候補生として各兵科の隊付をする
期間だった。士官学校には予科と本科があって、そ
の予科の間は専門的な兵科本来の教育を受けること
はなかった。

 一応、志願書も書かされたようだが、最後の決定
は組織からの要求である。17歳から18歳の若者
に好きなように進路を選ばせれば、俺は近衛兵だ、
なかでも騎兵だ、やっぱり軍の主は歩兵だ、そうは
言っても戦場の女神は砲兵だ・・・と収まりがつか
ないことは簡単に予想がつく。

地味な兵站物資を運ぶ輜重兵なんてものには志願者
もなかったことだろう。そうなっては、全体を見渡
した人事計画も何もあったものではない。そこで、
生徒たちに進む専門の兵科を告げる役になる予科の
区隊長たちは苦労したらしい。

 生徒たちも生徒たちで、決定は悲喜こもごも。予
科の間には楽しい歌をいっぱい残している。中央幼
年学校(昭和期の予科にあたる)の生徒たちの「工
兵志願の剛のもの」という歌がある。紹介しよう。

 1番、「工兵志願の剛のもの 足の長さは二寸五
分 顔の色はセピヤとか どこから見ても 土方然
(どかたぜん)」。足の長さが2寸5分では、
約7.6センチ・・・。二尺五寸でなんとか約76
センチである。股下としたらやや体格は良い方か。
この部分はよく分からない。セピヤ色とは古い写真
等が変色して焦げ茶色になった様子。また、「土方
(どかた)」とは現在では、おそらく差別用語にな
るから死語になったが、当時は、つるはしを振るい、
シャベルをつかむ建築作業員の人のことである。気
も荒く、現場を渡り歩く、あまりガラがよくないと
いわれた職業だった。

 ほかに「三角解析」「図学」「アカデミー」「架
橋工事」などと、理科系の匂いがする歌詞が散りば
められた2番から7番がある。歌われたのは大正末
の頃らしい。平時が続き、軍縮の時代の話でもある


 8番は「昇進早い得あると うまいところへ気が
付いた どうせ名誉の少佐なら 早く大尉になるよ
い」という歌詞である。名誉の少佐というのは、現
役定限年齢の45歳になっても大尉のままで、予備
役編入のときに少佐に進むことをいう。当時は日露
戦後の軍備拡張を計画して、士官学校の採用数をた
いへん増やした結果の「人事の行き詰まり」の頃だ
った。

 兵科ごとにポストの数が異なっていたために士官
学校の同期生でも、兵科によって進級時期が異なっ
ていたのである。とりわけ、中隊長の数が卒業生に
比べて少なかった歩兵や砲兵が大尉になるのは遅か
ったようだ。もともと、工兵は理系のエリートでも
あり、研究や開発系統に進む人が多く、現場の指揮
官職に早く就くことも多かったらしい。

 早く大尉になれば俸給も増える。どうせ名誉進級
で少佐になるなら、勤務歴によって恩給の額が異な
ってくる。それこそ生涯賃金も増える理屈である。
こうしたことが笑いをこめた歌にあった。どうやら
昔の青年もまた、滅私奉公=自分を殺し公に尽くす
ということより、自分を活かし、同時にご奉公とい
うことがよく分かる。

▼工兵の仕事

 1904(明治37)年7月30日、すでに日露
開戦から半年になったころ、大和田建樹(おおわだ
・たてき、1857~1910年、宇和島藩士族、
東京高等師範学校教授、「鉄道唱歌」「故郷の空」
などの作詞をする)が作詞した「日本陸軍」の中に
次のように歌われている。

 道なき方に道をつけ 敵の鉄道うちこぼし 雨と
散り来る弾丸を 身に浴びながら橋かけて わが軍
渡す工兵の 功労何にか譬(たと)うべき

 また『工兵操典』には、「工兵ノ本領ハ其ノ特有
ノ技術的能力ヲ発揮シテ天然ヲ制シ人為ニ克(か)
チ以(もっ)テ戦勝ノ途(みち)ヲ拓(ひら)クニ
在リ」と明示されている。

 技術的能力で自然条件を克服し、あるいは敵の造
った人為的な障害を乗り越え、全軍の勝利に貢献す
るとある。

 工兵の兵員が持つべき基礎的な技術的能力とは次
の7つとされた。
(1)土工、円匙(エンピ)と十字鍬(ツルハシ)で1時
間に1立方メートルの土を4時間連続して掘り上げ
る。
(2)木工、鋸(のこぎり)と斧(おの)の用法、丸太か
らの杭(くい)作りや平面削り。
(3)植杭(しょくこう)、大槌(おおづち)と手用築頭
の用法、大槌では拝み打ちと振り槌。
(4)連結、長い荷造り綱を用いて、丸太の十字結び斜め
結び、角材の十字結び、高所作業。
(5)漕舟(そうしゅう)、艪(ろ)による鉄舟漕ぎ、棹
(さお)の操法。
(6)爆破、爆薬・雷管・導火索・点火索、これらの接続
と点火、電気爆破要領。
(7)重材料運搬、提げ・腕・肩による数人で協働する動
作。

▼戦場の作業は建設と破壊

 工兵の対象は常に物である。しかも、その物は天
候・気象・地域などのよって違いが生まれる。歩兵、
騎兵、砲兵などは火力を発揮する敵兵を相手とする。
この違いの認識が重要だと、元工兵少佐はわたしの
聞き取りに答えてくれた。

「物そのものからは、敵兵から(攻撃を受けるとき)
のような恐怖は覚えないんだ。そこから工兵には、
他兵科と違う勇敢さが生まれるのだよ」

 工兵が担任した主な戦闘作業は次のようなもので
ある。
(1)突撃作業、火力では破壊できない側防(そくぼう)
機能や、トーチカ(特火点)への爆薬や火炎による
肉薄攻撃である。側防とは、わが攻撃方向の横から
の妨害射撃のことを主にいう。トーチカはもともと
ロシア語で、頑丈に築かれた機関銃座・砲台をいう。

(2)敵前渡河、折り畳み舟(15人乗り)によって歩兵
を漕渡させ、後、舟を使って大型物資や車輌を渡す
ための門橋(もんきょう)を造り、操作する。
(3)架橋作業、(が、と濁らせて発声する・がきょう)
鉄舟、列柱や架橋などによる。
(4)交通路構築、道路作業、ふつう架橋もともなう。先
進路の啓開。
(5)障害物構築、鉄条網の構築、地雷原の設置、倒木障
害造成。

 とこのように列挙すれば、工兵隊、その後継であ
る陸自施設科部隊の概要が少し分かることだろう。

▼誤解を与える職種名

 警察予備隊というのは、そのスタートからさまざ
まな不自由があった。それは軍隊ではないとされた
ことが最も大きな理由になる。小銃や軽機関銃、バ
ズーカといわれたロケット・ランチャーを装備した
外国ではINFANTRYといわれた職種は「普通科」とさ
れた。ただし、これを和英辞典で「普通」を引いて
COMMONとかNORMALなどと言ったら欧米人は目を丸く
する。

 では、外国軍ではENGINEERとされた工兵はどうさ
れたか。「施設科」である。もちろん、これを直訳
してINSTITUTIONとしたら、これまた外国ではとて
も通用するものではなかった。
戦車だって、「特車」とかいう訳のわからない言葉
にして、マスコミや反政府勢力の攻撃をかわそうと
した時代である。砲兵、ARTILLERYも「特科」とした。
大きな大砲は特別だから「特科」としておけという
いささか根拠があやふやな理由と思うのはわたしだ
けだろうか。

 そうした欺瞞は、いまはほとんどもうなくなった
といえるだろう。ただ、なにぶん憲法で軍隊の保持
を禁じているから、軍も兵も使えないのは変わらな
い。その代わり、国際貢献などで自衛官も海外にも
出るわけで、職種名も階級名も、国際標準の英語表
記を使っている。

 施設科はエンジニアであり、その1等陸尉はキャ
プテンであり、襟に光る職種徽章はEを左に倒して
(漢字の「山」のようにする。ただし中央の棒は短
い)、天守閣のある近世城郭の姿を模したものだ。
同じようにアメリカ軍はEを左に倒して西洋風の城
郭をデザインしている。

 次回は旧陸軍工兵隊の編制を調べてみよう。


(つづく)


(あらき・はじめ)


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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、
同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
 

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