配信日時 2020/10/01 08:00

【我が国の歴史を振り返る ─日本史と世界史に“横串”を入れる─(103)】「大東亜戦争」の総括(その5)  宗像久男(元陸将)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応
予備自衛官でもあります。お仕事の依頼など、問い
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こんにちは、エンリケです。

「我が国の歴史を振り返る
 ―日本史と世界史に“横串”を入れる―」
はきょうで103回目です。

スラスラ読めます。
実に納得のゆくご指摘ばかりです。

なかでも、日清日露の成功体験が総力戦への無理解
につながった、とのご指摘は衝撃的ですね。


何かが起こるまで何もしないわが国の体質

も、国史を振り返ると明らかです。

わが国は古来から常に泥縄です。

果たしてこのままで国が保てるか否か。
正直よく見えません。


この連載に出会えたことが幸せです。
今のわが国では僥倖に近い幸運です。


さっそくどうぞ


エンリケ



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我が国の歴史を振り返る
─日本史と世界史に“横串”を入れる─(103)

「大東亜戦争」の総括(その5)


宗像久男(元陸将)
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□はじめに

私は、生まれる前から(?)と言っていいほど、根
っからの巨人ファンです。先日、原辰徳監督が川上
監督の記録を抜き、監督として歴代最高勝利を達成
し、現在、日々その記録を更新しています。

スポーツ紙などでも話題になりますように、最近、
原監督の補強戦略、選手起用、ここぞという時の“
勝負勘”が冴えわたっているとの印象を持ちます。

原監督は、現在3回目の監督就任中ですが、最初の
監督で苦杯をなめて引退しようとした時、中日の星
野元監督に「帰ってこい」と励まされて涙ながらに
野球場を去った映像が頭に焼き付いています。

以来、人知れず様々な努力をして多くを学び、経験
を積み重ねてきたのでしょう。その結果、2度目の
監督就任以降は、“常勝監督”の仲間入りをして今
日の成績を残すまでに至りました。

私事ながら、ちょっとしたご縁があり、私の部屋に
は、「夢進」と達筆に書かれた原監督の色紙が飾っ
てありますが、今もなお、自身の夢をばく進中なの
でしょう。いかなるスポーツでも、「勝負」に勝つ
ためには、知識や理論だけでは克服できない「経験
」がモノを言う部分があると思います。勝利の「経
験」がまた次の勝利の“勝負勘”を生み出します。

▼「戦争指導上」の要因――国家の戦争指導体制

 「勝負」という意味では、国と国との「戦争」も
同じではないかと考えます。戦略眼、先見洞察力、
勝つためのしたたかさ、その時々の勝負勘、非情さ
、それに加えて、人智を越えた“運”まで、一握り
の軍人やリーダーたちのみならず、民族や国家に蓄
積された様々な「経験」がモノを言うと考えれば、
「大東亜戦争」における我が国の「敗因」について
も納得する部分がたくさんあります。

 このような視点をもって、本メルマガ流の総括の
最後「戦争指導上の要因」を取りまとめてみようと
思います。

日露戦争においては、「日本海海戦」を勝利に導い
た秋山真之という天才的な作戦参謀の活躍が脚光を
浴びました。しかし、「総力戦」となった第1次世
界大戦以降、「勝利」の“鍵”は、特定の戦場や戦
いで能力を発揮する軍人たちの手を離れ、ルーズベ
ルトやチャーチルといった天才的(?)な国のリー
ダーの手に握られることになりました。

古くローマ時代において、国家の非常事態には、強
大な権限を有する政務官として「独裁官」が任命さ
れ、この「独裁官」に戦争指導を託しました。ルー
ズベルトやチャーチルは、このような歴史を学び、
「総力戦」における自らの役割を実践したものと推
測します。

「敗戦」を昭和の軍人たちだけの責任とするのは
“史実”と違うことを何度も指摘しました。確かに軍
人たちは、国家を背負う覚悟で「国家総力戦」体制
を推進しました。それ自体は正しい判断だったと思
いますが、我が国の不幸は、「勝利」のために大所
高所から決断し、この軍人たちを使いこなす天才的
(?)な国のリーダーが現れなかったこと、あるい
は一元的な国家の戦争指導体制を構築できなかった
ところにある、とどうしても思ってしまいます。

米英にルーズベルトやチャーチルが現れたのに比し、
我が国が天才的なリーダーの輩出や一元的な戦争
指導体制の構築を困難にした要因は何だったのか、
そのもとをたどると、どうしても「我が国の統治制
度(運営体制)」に行き着きます。「我が国の統治
制度」について、繰り返しになりますが、もう少し
補足しておきましょう。

すでに紹介しましたように、我が国は、飛鳥時代の
7世紀に「律令制度」を導入してから、一部改正は
しましたが、明治初期までの約1200年間もの長
きにわたり保持し続けました。そして、明治憲法は
現憲法が制定されるまでの57年間一度も改正なし
。現憲法も制定以来70年余りの歳月が流れます。

こうしてみますと、一度、国の統治制度を制定する
と、“何か”あるまでは改正しないのが我が国の“
国柄”、あるいは“風土”と呼ぶべきものなのかも
知れないと思ってしまいます。

戦前の歴史を振り返りますと、私は、大正時代ある
いは昭和初期に、将来を見通して憲法をはじめ国の
統治制度を改正すべきだったと考えます。

特に、第1次世界大戦後、「ドイツ帝国」「オース
トリア・ハンガリー帝国」「ロシア帝国」「オスマ
ン帝国」の5大帝国が滅亡しますが、ドイツ(プロ
シア)に倣った我が国が、なぜあの時点で「欧州の
帝国滅亡を“他山の石”として、憲法をはじめ国の
統治制度を見直そう」と、なぜ当時のリーダーや有
識者たちのだれも声を挙げなかったのか、と何とも
不思議な思いにかられ、かつ悔やまれます。

国内的にも、名君の誉れが高かった明治天皇をはじ
め元老たちが他界したとか、「統帥権」の“ほころ
び”が顕在化したとか、大正デモクラシーが隆盛し
たとか、見直しの契機となる“現象”がたくさん生
じていたのでした。

その時点では、まだ「日英同盟」も健在だったこと
でもあり、英国そして新鋭の米国に学ぶことが可能
だったと考えますが、戦勝国の仲間入りした結果、
「一等国」と浮かれてしまい、国家を挙げて彼らと
張り合うことに東奔西走してしまいました。

その延長で、東京裁判の「共同謀議」との判決趣旨
に被告者たちが失笑したように、我が国の統治の実
態は、「政軍不一致」「陸海軍対立」と言われたよ
うに、「共同謀議」と逆の体制下にあり、首尾一貫
して統一した国の舵取りができないまま、戦争を回
避できず、かつ敗戦に至ります。

律令制度は、明治維新という革命に似た歴史的大変
革によってその役割を終えました。明治憲法は敗戦
によって廃止され、現憲法にとって代わりました。
現憲法は、今や188カ国中14番目に古い憲法と
なり、「改正なし」という点では“世界最古の憲法”
だそうです(憲法学者西修氏)。

現憲法は、護憲学者や一部の政治家などがいくら詭
弁を弄しても、「押し付けられた憲法」であること
は間違いなく、国家の統治制度の骨幹をなす憲法と
いう観点から多くの不備があることは明白と考えま
す。このまま放置すると、その“何か”を誘起する
要因となる可能性さえあるでしょう。

あまりに有名な「歴史は繰り返す」の格言に従えば、
このままでは、現憲法も“何か”が起きてはじめ
て改定される運命にあります。このまま放置してそ
の“何か”が起きるのを待つのが、今に生きる私た
ち世代の選択として最適な選択なのでしょうか。
「歴史が繰り返さない」ように「歴史に学ぶ」必要性
を強く感じます。

▼「戦争指導上」の要因――戦略・戦術の不一致

「戦争指導上」の要因の2番目は、「戦略・戦術の
不一致」です。本メルマガでは、「満州事変」以降
終戦までの各結節で“誰が主導権をもって我が国を
リードしてきたか”に主眼におきながら、“史実”
の解明に努めました。

クラウゼヴィッツは「戦略の失敗は戦術で補うこと
はできない」との有名な言葉を残していますが、一
般には、“戦略(作戦)と戦術の一致”こそが勝利
を得るために必要不可欠の要素です。

昭和初期の大陸進出以降、一貫した「国家戦略」の
ようなものがなかったことに加え、我が国は、「戦
術的には大成功だったが、戦略的に大失敗だった」
(『歴史の教訓』(*)(兼原信克著)とされる「真珠
湾攻撃」により、日米戦争の緒戦において致命的な
失敗を犯しました。

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ルーズベルトの謀略にみごとにハマったとは言え、
今なお一部の日本人から英雄視されている山本五十
六連合艦隊司令官の独断をだれも止めることができ
なかったという統治制度から来る構造的な欠陥を露
呈する形となりました。

瀬島龍三氏は、真珠湾攻撃について「戦争抑止軍備
が時に戦争促進軍備になるという軍事力の持つ“慣
性”であり、海軍もその轍を踏んだ」と解説したこ
とをすでに紹介しましたが、海軍の航空戦力をもっ
て攻撃を敢行した山本提督は、艦隊派と激しい抗争
を経てようやく整備し海軍航空部隊の“生みの親”
でもありました。

瀬島氏指摘の“慣性”が山本提督個人を指している
かどうかは不明ですが、その後も、海軍は、我が国
が当初目指していた戦争戦略(いわゆる「腹案」)
とは全く別な戦いを繰り広げました。つまり、戦略
と戦術の不一致のまま、ついには連合艦隊そのもの
も滅亡し、国土戦の一歩手前で敗戦となります。

大本営政府連絡会議で決定した戦争戦略をなぜ現場
の指揮官が順守できなかったのか、については様々
な要因があるのは明白ですが、冒頭に触れたような
、個人や国家としての「経験不足」などが背景とな
って、旧陸海軍の戦略・戦法、軍備、人材育成など
あらゆるものの総和が“欠陥”となって現れたと指
摘されても弁解の余地はないと考えます。

▼軍人たちの使命感(覚悟)と「武士道」精神

それでも私は、山本提督らは、戦争終末に至る見通
しの甘さを含め、戦略上の失敗を知った上であえて
このような奇襲作戦を敢行したのではないか、との
疑問が頭から離れません。

山本提督の独断を「海軍の伝統」として承認した、
開戦時の軍令部長の永野修身大将は「戦わざるも亡
国、戦うも亡国。しかし戦わざるの亡国は精神の亡
国である。最後まで戦う精神を見せての亡国なれば
、いずれ子々孫々が再起三起するであろう」との言
葉を残しています。

東條英機、のちに瀬島氏も「自存自衛の受動戦争で
あり、米国を敵とした計画戦争ではなかった」と証
言していますが、これらの言葉の中に、私は、当時
の陸海軍の将校たち共通の使命感や覚悟、そして生
き様を垣間見る思いがするのです。

しかもそれらは、有名な「かくすれば かくなるも
のと知りながら やむにやまれぬ大和魂」とか「身
はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし
 大和魂」との辞世の句を残して散った吉田松陰が
「草莽崛起(そうもうくっき)」(在野の人々よ立
ち上がれ!)と唱え、高杉晋作や久坂玄瑞や西郷隆
盛らをはじめ、明治維新の実現のために命を捨てた
多くの志士たちの心を動かしたこととどこか共通し
ていると思うのです。

この精神は「不合理を愛する」精神とも解説されて
いますが、永野大将は、万が一「敗戦」して亡国に
なったとしても、「戦う精神」を歴史に留めること
を重視し、時代を超えて後世に訴えようとしました


そのような覚悟を持って臨んだ日米戦争ではありま
したが、出来得れば、「緒戦で一泡吹かせてどこか
で休戦」とだれもが思っていたはずです。たぶん、
日清・日露戦争の終末をイメージしていたものと推
測します。

しかし、時代は「総力戦」でした。実際に、科学・
技術や経済力など国家の総力を活かし、陸にあって
は戦車、海にあっては潜水艦、そして航空機のよう
な近代兵器を投入した消耗戦までは予想していたと
しても、大型爆撃機による焼夷弾攻撃、終いには原
子爆弾による無辜の民の無差別殺戮まで視野に入れ
た「総力戦」をイメージしていたとはとても思えな
いのです。

そう考えると、「真珠湾攻撃」によって、アメリカ
を“本気モード”にさせてしまったことが戦略的な
大失敗だったということに行き着くとしても、その
実は、「総力戦」における“戦争終末の見積り誤り
”こそが最大の過失だったと言えると考えます。し
かもそれは、当時の軍人たちの戦局判断の範囲をは
るかに超えたものだったと言わざるを得ないのでは
ないでしょうか。

その上で私は、これらの戦局判断のブレーキになっ
た精神こそが「武士道」の精神ではなかったと考え
ます。明治以降、「富国強兵」の主役に躍り出た軍
人たちでしたが、「卑怯にならない」精神もいうべ
き「武士道」の精神は保持したままでした。

旧軍は確かに夜襲などをひんぱんに採用して、敵を
恐れさせました。しかし、これらはあくまで“戦場
の敵の戦力を撃破する”戦法の範囲であり、非戦闘
員を攻撃するという「卑怯さ」にはかなりブレーキ
がかかりました。

重慶爆撃のように、蒋介石に巧みに吸引されるよう
な格好で民間人の住む地域を爆撃した例はあります
し、マニラなどの市街地戦争などでは住民を巻き込
まざるを得ませんでした。あるいはアジア人に対し
てはある種の差別意識があったのかも知れません。

しかし、WGIPや東京裁判の一方的な指摘と戦場
の実相はかなり違いますし、我が国の軍人たちが、
米軍による東京大空襲や広島・長崎への原子爆弾投
下のような、非戦闘員だけの殺戮を目的にした作戦
を断行できたかどうかについては疑問が残ります。

▼我が国は、欧米諸国に「総合力」で負けた

長くなりますがもう少し続けます。「非情」という
意味では、敵国の無辜の民の虐殺だけではありませ
ん。ルーズベルトが真珠湾攻撃を暗号解読によって
事前に知っていたにもかかわらず、現地に知らせず
3000人以上の兵士を見殺しにしましたし、チャ
ーチルは、ナチスと戦うためカレーの4000人の
兵士を犠牲にしてダンケルクの30万人を救いまし
た。

現代戦の本質でもある「勝つためには手段を選ばな
い」戦略は、味方を犠牲にするのも厭わないのです
。これは、兵士の命を犠牲にしても戦力発揮を強要
する「人命軽視」とはその本質が違います。

 それだけでは終わりません。ルーズベルトの謀略
に乗せられたような「真珠湾攻撃」が、トルーマン
に「野獣のような人間とつきあうのには、相手を野
獣として扱わなければならない」として原爆投下の
大義名分(正当性の根拠)にまで使われてしまいま
す。

正直言えば、「お前らに言われたくない」の一言で
すが、トルーマンはさらに“悪知恵”を発揮します
。ソ連の満州侵攻後、日本降伏の報告を受けたトル
ーマンは、なおもソ連が戦争継続していることを知
り、攻撃作戦を一時停止するようアメリカ軍に命じ
ています。ソ連による日本軍の人的損害が拡大する
ことによって、原爆による人的損害を小さく見せる
ことを企図したといわれます。

事実、参戦後、ソ連軍は270万人の日本人を捕ら
え、35万人から37万5千人が最終的に死亡、も
しくは行方不明となります。その上、64万人の日
本人捕虜がシベリア各地の強制労働収容所に送られ
、約6万人以上がシベリアで犠牲となるのです。

これに対して、原爆の犠牲者は広島長崎合わせて約
21万人あまりです。その上、この数字を正当化す
る(だけの)目的で、東京裁判では「30万人の南
京大虐殺」をでっちあげます。

我の謀略を敵の過失(悪)として国民の戦意を煽っ
た「リメンバー・パールハーバー」の標語や原爆の
大義名分や正当性を印象づける謀略に至る“したた
かさ(悪さ)”こそが、彼らの「総力戦」であり、
勝敗を分かつ岐路になったと私は考えます。

 そこには、ルーズベルトやトルーマンやチャーチ
ルなど、国のリーダーとしての個人的資質のならず
、長い歴史の中で、何度も戦争を経験し、勝つため
に何をすべきかについて魂の奥底で継承されてきた
民族のDNAから生み出されたもの、そして、植民
地支配を通じて定着した人種差別や宗教差別ともい
うべきものが根底にあると考えるべきでしょう。

これらについては、日本人は逆立ちしても叶いませ
ん。お手上げです。「非情になれない」「したたか
になれない」と「戦争に不慣れ」「経験不足」は同
義語とも言えるでしょうし、「武士道」と「騎士道
」の本質的違いかも知れません。我が国は、これら
の「総合力」でどうしても欧米諸国を越えられない
根本的差異があったと考えます。

さて、「非情な上、目的のために手段を選ばず」に
関しては米英の指導者よりさらに上がおりました。
次号でそれらを振り返った後に、メルマガ流の総括
をまとめたいと思います。



(以下次号)


(むなかた・ひさお)



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【著者紹介】

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学
校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロ
ラド大学航空宇宙工学修士課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕
僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、
第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て
2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』
などに投稿多数。


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