配信日時 2020/09/30 09:00

【自衛隊警務官(42)】陸軍憲兵から自衛隊警務官に(42)― ジュネーブ条約と日本軍― 荒木肇

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それまで自分にはなかった
知見や視座、知的スキルを得て、新たなものの
見方・捉え方ができるようになって脳内が広が
り、心が太くなって落ち着いてくる。

ひとの文を読む喜びと醍醐味の一つです。

ありがたいのは、
メルマガの各連載がそういう文であり、
毎日のように脳が広がり心が太くなり
心が落ち着くようになり続けていることです。

日本でも数少ない幸せ者といえるでしょう。

今日の内容もそうです。

「公文書」でもなんでもそうですが、
出回る情報やデータを「鵜呑み」にするのは厳
禁です。特に日本人は「お上」信仰が強いので、
よくよく注意しなければいけません。

その際に使える「フィルター」を培うのが
幣メルマガの連載であり、心ある方々の
実ある文章・ことばです。

これからもよろしくお願いします。

さっそくどうぞ。


エンリケ


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自衛隊警務官(42)
陸軍憲兵から自衛隊警務官に(42)

ジュネーブ条約と日本軍

荒木 肇

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□はじめに

 経験もない、その時代に生きてもいない・・・。
そうなると、我々戦後世代には、なかなか軍隊や戦
場の実態に迫ることは難しい。残された公文書や、
個人の記録などを頼りに調べ、少しでもその時代相
に迫ろうとするのですが、実は公文書には多くの粉
飾があります。

後世に残り、それがのちの時代の人に判断されると
なると、そこには当然、作為が働きます。死者に鞭
打つのはいかがか、あるいは死者だからこそ責任を
負わせてしまう。そういった傾きがどうしても公文
書には現われてきます。会議の記録もそうです。会
議録は正確に実態を伝えてくれると思ってしまいま
すが、後で必ず編集がなされています。


対談も同じです。わたしの経験ですが、ある高名な
研究者と話し合ったことがありました。録音がされ、
テープを起こした原稿が来ましたが、そこにはわ
たしが言ったこともない言葉や、わたしが決して使
わない言い回しが書かれていました。問い合わせる
と、対談相手の高名な先生が、全部、赤字を入れて
直されたとのこと。ああ、自分に不利な発言を全部
削るのだなと納得したことでした。

個人の日記や記録も同じです。見られるだろう、あ
るいは公開されることを期待しての記録ほど、その
まま信じることはできません。ナマな声だと思われ
ている回想録はもっとも警戒しなくてはなりません。
思い込みや記憶違い、そしてその人の置かれた立
場ごとの視野の違いほど怖いものはないのです。

高名な作家や文化人ですら、自分の戦時体験には創
作を加えます。ある国民的歴史作家は、自身が戦車
小隊長として加わったという大本営参謀との会同で
の話として次のような「事実」を書き残しています。
関東平野に米軍が上陸する。戦車隊は内陸から戦
場へ急行するだろう。交通統制も効かず、避難民で
街道はあふれるはずだ。そのとき、戦車隊は「避難
民を轢き殺して行け」と参謀は指示したと言います


ひどい、軍隊というのは非道なものだ。だから昔の
陸軍は国民を守ろうとなどしなかったのだ。そのよ
うに読者は誘導されます。だが、これが事実だった
か。他に証言者は誰もおらず、日時も、場所も作家
は語りません。末端の少尉である作家が加わった会
同です。多くの幹部がいたに違いありません。それ
なのに、他からは証言もなく、ほんとうに大本営の
参謀が出張したのか確かめた人は誰もいないのです


海軍についても、その戦記記述の正確さについては
定評のある大作家がおられました。ところが、ある
軍艦の沈没場面を描いた時、幹部士官の1人が畳に
乗って周りを兵員に押させて退避したと書きました。
しかし、それは多くの人の反発を買い、事実では
なかったという証言も出ました。中でも士官のご家
族からは激しい抗議を受けました。おそらく誰かの
目撃したという証言だったのでしょう。それを書く、
書かないは作家の自由です。いかにもそれはあり
そうなことだ、事実だと作家は判断されたのではな
いでしょうか。

ことほど左様に、体験者の話もそのまま信じるのは
難しいのです。


▼ジュネーブ条約をなぜ批准しなかったか?

 1899(明治32)年にはハーグ万国平和会議
で「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」が成立した。毒
ガスやダムダム弾の使用は禁止された。このことは
すでに書いている。その後、第1次世界大戦(19
14~18年)の経験で、「陸戦法規」第2章は独
立して1929(昭和4)年になって、「俘虜ノ待
遇ニ関スル条約」となった。全8章97箇条に整理
された。

 このとき、わが国は調印はしたが、枢密院で賛成
を得られなかった。そのため、当時の主権者である
天皇へ奏上することはできずに、実行を確約する批
准行為は行なわなかった。枢密院とは、重要な国務
について、天皇の諮詢(しじゅん)に応える合議機
関である。議長、副議長各1名と顧問官24人で構
成された。40歳以上の男子から任命する。

 会議は国務大臣と成年に達した親王も加わって表
決した。この親王は皇族の中でも、昭和期では直宮
(じきみや)である秩父、高松、三笠の3宮殿下と
閑院宮載仁親王だった。

 敗戦後に占領軍からこの批准をしなかった事実に
ついて調べられた。その提出された文書によると、
外務次官から陸海軍次官(現役の中将もしくは少将)
に「御批准方奏請」について意見を求めた。する
と、陸海軍次官は「奏請せられざるを可」とすると
いう返事をしてきた。

 その理由は4つあったという(吹浦氏前掲書)。
海軍次官の返答を挙げてある。現代語に直して要約
する。(  )の中は筆者の補足である。

(1)帝国軍人は捕虜となることは予期しないこと
である。外国人は必ずしもそうではない(つまり、
降伏、捕獲されることも予期している)。だから、
この条約は形式は相互的だけれど、実質はわが国だ
けが義務を負う片務的なものである。

(2)捕虜に関して優遇する保証を与えることにな
る。そこで例えば敵軍の将兵が、その目的を達成の
後に捕虜になることを予想して空襲を計画すること
もある。そうなると航空機の行動半径が倍増するこ
とになる。そうなると空襲を受けたときには、危険
が増大する。(確かに昭和17年に空母から発進し
た米陸軍爆撃機は、母艦に帰ることは考えず、中国
大陸、あるいはソ連領に不時着を目指した。日本軍
に捕獲された者もいた)

第86条の規定により、第三国代表が立会人もなく
捕虜と面会するのは軍事上の支障がある。


捕虜に対する処罰の規定は、帝国軍人以上に捕虜を
優遇している。そのため海軍懲罰令、海軍刑法、海
軍軍法会議法、海軍監獄令等法規の改正を必要とす
る。それは軍紀の維持を目的とする各法規の主旨を
考えれば不可である。

▼同条約の規定を準用すべし

 大東亜戦争開戦後、ただちに米国、翌月には英国
ほか連邦諸国が日本政府に条約適用の意思があるか
ないかを質してきた。これに対して、東郷茂徳外相
は「同条約の規定を準用すべし」と回答した。

 これが敗戦後の戦争犯罪人追及で問題を大きくし
た。「準拠も尊重もしなかっただろう」と責められ
たのである。

 もともと「日本軍人は捕虜にならない」という、
あるいは「武人の伝統として降伏するなら死を選ぶ」
などというのは、日本人の歴史からは考えられな
い嘘だった。鎌倉時代から、あるいは室町期の戦争、
また戦国時代でも武士が力尽きて降伏するのは珍
しいことではなかった。

 それこそ、わたしの聞き書きでは、こりゃ捕虜に
なったらどうせ死ななくてはならないなと軍人たち
が思い始めたのは、昭和の初めの頃からだったらし
い。しかし、これも確実なものではない。オーラル
ヒストリーも重要だが、それだけを一人歩きさせて
はならないからだ。

 1932(昭和7)年のことである。第1次上海
(しゃんはい)事件のときだった。ある歩兵大隊長
が戦場で人事不省になり敵中に取り残された。それ
を収容したのは、当時の中国軍である。手厚い看護
を受けた少佐は回復後に日本軍の戦線に送り返され
た。それは敵の中に日本陸軍士官学校に留学した将
校がいて、陸士時代の教え子だったからという。


 少佐は、退院して身体が回復してから、再び自分
が捕獲された戦場に戻った。そうして拳銃で自殺し
たのである。これが美談になった。すぐに映画化さ
れて、この少佐は潔い、責任感旺盛な将校として国
民的英雄になったのである。
 
 また、ある騎兵聯隊長は、圧倒的に優勢な中国軍
に包囲され、聯隊旗を焼き、その責任を負って自決
する。これもまた、「国軍の鑑(かがみ)」として
顕彰された。こうしたことが続けば、捕虜になる前
に自決するといった気分が生まれてくる元になった
のは疑えない。


 また、日本軍の捕虜問題を見るときの別の観点だ
が、「捕虜になったら殺される」という恐怖心をあ
おる報道が多く行なわれたらしい。このことは連合
軍の捕虜尋問の結果、調書によく載っていたという



 次回もまた、この問題について考えてゆきたい。



(以下次号)


(あらき・はじめ)


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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業
、同大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。
日露戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸
海軍教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を
行なう。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)

『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『自衛隊
警務隊逮捕術』(並木書房)がある。
 

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