配信日時 2020/09/24 08:00

【我が国の歴史を振り返る ─日本史と世界史に“横串”を入れる─(102)】「大東亜戦争」の総括(その4)  宗像久男(元陸将)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応
予備自衛官でもあります。お仕事の依頼など、問い
合わせは以下よりお気軽にどうぞ
 
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WEB http://wos.cool.coocan.jp
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こんにちは、エンリケです。

「我が国の歴史を振り返る
 ―日本史と世界史に“横串”を入れる―」
はきょうで102回目です。

強くうなづくところ多く、
読みごたえと読み甲斐が実にある一文になるでしょう

心の一番奥の奥に響くことでしょう。


さっそくどうぞ


エンリケ



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我が国の歴史を振り返る
─日本史と世界史に“横串”を入れる─(102)

「大東亜戦争」の総括(その4)


宗像久男(元陸将)
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我が国の歴史を振り返る
─日本史と世界史に“横串”を入れる─(102)

「大東亜戦争」の総括(その4)

宗像久男(元陸将)
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□はじめに

先日、S様から「軍人勅諭は、軍人は政治に関わる
なと書いてあるにもかかわらず、大臣現役武官制復
活など誤ってしまった原因はどこにあるのでしょう
か?」とのご質問が届きました。ありがとうござい
ました。この付近の歴史の流れにつきましては第1
00話に記載したと思いますが、少し補足致しまし
ょう。

本メルマガでは、畏れ多いこともあって「軍人勅諭
」などの内容自体には意識して触れないようにして
いました。明治15年に賜った「軍人勅諭」を改め
て読み返しますと、まず、このような「勅諭」を必
要とした明治時代の世情に思いが至ります。

「軍人勅諭」は、「『天皇の軍隊』としてのあるべ
き姿」を強調されていることは間違いなく、その
第1項で、(意訳をすれば)「軍人の国に報いる心」
を強調した後に「・・たとえ世論にまどわされる政
治であったとしても、ただ本分の忠節を守り・・・
」とあります。

明らかに、“政軍分離”です。しかも「政治」より
も、「統帥大権を有しておられる天皇に忠節を誓っ
て国に報いる」ことの方が上位概念にあると考えま
す。昭和時代においては、この忠節の精神が「軍人が
(政治に関与し)国を背負う」ところまで拡大解釈
されたものと考えます。

山縣有朋は、明治後半、政党政治が軍政に浸透して
くることを防止する狙いから「軍部大臣現役武官制」
を提唱しました(明治33年)。そして大正初めに
一度廃止された本制度は、広田弘毅内閣において、
「二・二六事件」後に“予備役に編入された”「皇
道派」の荒木貞夫、柳川平助、小畑敏四郎らが再び
軍部大臣に復活することを阻止するという寺内寿一
陸相の主張を海軍も広田首相ものんだ結果、復活し
ます。

しかし、その後の歴史は、この復活が思わぬ禍根を
残すことになります。陸軍大臣、つまり“軍部が内
閣の死命を制する”こととなったのです。事実、こ
れによって、宇垣一成の組閣が阻まれ、米内光政内閣
が倒れることになります。

今の自衛官たちは、“シビリアンコントロールする
”(戦前の言葉で言えば、統帥大権を有している)
側にある「政治」について、「政治的活動に関与せ
ず」と宣誓をしますが、「政治」の意味や地位が戦
前とは全く違うと私は思います。

さて前回、余白の関係で先送りした部分を冒頭に紹
介致します。陸幕広報室長時代の平成11年10月、
瀬島龍三氏に陸上幕僚監部で講演をお願いしたこと
があります。快く承諾いただき、約2時間、「所見」
と題して自分の人生を振り返られました。

軍人としての生き様や考え方、それにシベリア抑留
時代、ソ連に対して想像以上の猜疑心を持っていた
ことなどの“本音”を語られた後、最後に「幹部自
衛官に望む」として「精鋭な自衛隊があることが、
我が国の安全保障の柱である」と結ばれました。私
たち・自衛官に「遺言」を残されたものと瀬島氏の
熱き思いが今でも強く印象に残っています。

なお私は、講演のお願いのため、青山にある伊藤忠
商事本社ビルを訪問しました。瀬島氏の自室は――
大商社の特別顧問室とはとても思えないような――
驚くほど質素だったことを付け加えておきます。瀬
島氏は、「軍人勅諭」でいう「質素を大切にすべき
」とする“軍人の生き様”を最後まで貫かれたので
した。

▼本メルマガ流に総括するにあたって

本メルマガは、我が国と西欧列国が関わりを持った
16世紀の「大航海時代」から始まりました。以来、
約260年にわたった江戸時代の鎖国を経て明治維
新の「富国強兵」などの政策、日清・日露戦争、さ
らに大正時代から激動の昭和に至るまで、「迫りく
る西欧(のちに欧米)諸国の脅威に対処するため、
先人たちがいかにして我が国の独立を保持し続けて
きたか」、つまり、我が国の「国防史」を明らかに
することがその大きな目的でした。

ついに我が国は、欧米諸国や周辺国との関わり合い
の変遷の中で、国家の存亡をかけた「戦争」を選択
することを余儀なくされ、国を挙げて果敢に戦うも、
「敗戦」という結果に至りました。

本文の中で、どのような経緯を経て、かつ、時のリ
ーダーたちがどのような思いと覚悟をもって「戦争」
という選択肢を選んだかについてはそのつど触れて
きました。

そして、「ポツダム宣言」や「東京裁判」のように
、「一方的に我が国の行為を悪とする」ことは「史
実は違う」こと、(百歩譲っても)「侵略したのは
アメリカであり、アメリカに日本を裁く資格はない」
と主張するヘレン・ミアーズに代表されるような
「違った見方がある」ことについて何度も触れてき
ました。

ここでは、我が国が「敗戦に至った」事実に焦点を
あてて、主に政治・軍事戦略上の視点から“本メル
マガ流”に総括し、そこから未来につながる教訓や
課題を導きたいと考えております


さて、いかなる「戦争」も、その原因、経緯、結果
については彼我両サイドから分析する必要があるこ
とは論を俟ちませんが、本メルマガの特性上、我が
国側の「先天的要因」「後天的要因」それに「戦争
指導上の要因」に絞り、欧米諸国と比較においてそ
れらの特性を浮き彫りにしたいと考えています。な
お、すでに総括した内容との重複を回避しつつ努め
て簡潔に総括したいと思います。

▼先天的要因

まず「先天的要因」ですが、我が国は、本メルマガ
の第1話で紹介しました特性、つまり「四面環海」
「単一・農耕民族」「万世一系」「少ない戦争経験」
「Far East」など、地政学や民族性に根ざ
した独特の特性を保持しています。

本メルマガで何度も取り上げました西鋭夫氏は「ど
の国の歴史も、戦争と平和の歴史だ。良し悪しを越
えた、生きるための死闘の歴史だ」と語っているよ
うに、生存のために何度も何度も戦争を繰り返した
欧米諸国や中国と比較して、我が国の特性は、戦争
経験が少ないことをはじめ、“他国や他民族との戦
争に向かない”ものばかりであることがわかります。

我が国においては、武士の興隆が著しかった鎌倉時
代から戦国時代までしか「兵法」も発達せず、その
「兵法」も同質の文化や技術を有する敵を相手とす
る、もっぱら国内戦用だけでした


特に「鎖国政策」を採用した江戸時代は、個人の修
養として「武士道」が発達しましたが、集団として
「戦う知恵を涵養する」必要もありませんでした。

ようやく幕末になって、異国からの国防も叫ばれま
すが、総じて、我が国は、古典的兵法である「孫子」
やクラウゼヴィッツの「戦争論」のような、普遍性
のある「兵法」を生み出し、外から備えのために軍
備を整える必要性がほとんどないという、幸運な環
境に恵まれまま時が過ぎました。

▼後天的要因

「敗戦」に至った「後天的要因」もいくつか挙げら
れるでしょう。
まず第1には、(よく言われる)日清・日露戦争の
“おごり”です。

欧米列国の進出に伴い、我が国は、明治維新以降、
「富国強兵」を目指し、にわかにプロシアやイギリ
スに学び、近代的な陸海軍の建設を目指します。

江戸時代に蓄積してきた手工業技術が功を奏し、そ
の上、明治の人たちの並々ならぬ努力もあって、西
欧諸国から器用に学んで整備した“にわか近代軍”
がまさに完成しようとした矢先に、日清・日露戦争
に突入、幸運にも両戦争で勝利してしまいます。い
わゆる“ビギナーズラック”を体験します。

日露戦争後の「連合艦隊解散の辞」で、東郷平八郎
元帥は、有名な「勝って、兜の緒を締めよ」と訓示
しますが、元帥自ら“艦隊派”の総帥に担ぎ出され、
時流を見誤り、世界に冠たる“大艦巨砲主義”を目
指すことになります。

また同時に「百発百中の砲1門は、百発1中の砲百
門にまさる」の発言によって兵士の訓練など無形戦
力の重要性を説きます。このこと自体は決して間違
っていないのですが、結果として、日本人の手で開
発された八木アンテナが活用されなかったなど、先
端の科学技術を何としても軍備に導入しようとする
戦力戦法の創造や改善が不十分なまま時が過ぎます。

陸軍も第1次世界以降2度の軍縮を敢行し、総戦力
量を減らして近代化を目指しますが、「ノモンハン
事件」を体験するまでは、“百戦百勝”の支那軍を
相手にしていたこともあって、近代化途上のまま、
大戦に突入します。

その上、「情報」や「兵站」(後方支援)、何より
も「人命」まで軽視するという、あるべからざる戦
法が、(勝利に終わった)日清・日露戦争の経験を
顧みることなく、いつの間にか陸軍の伝統のように
定着してしまいます。

また、前回取り上げましたような「国家総動員体制」
整備も陸軍内の抗争などから十分には進展しないま
ま大戦に突入してしまいます。
この点でも、第1次世界大戦に直接参戦した欧米各
国と差ができてしまったと考えます。

大正時代から第1次世界大戦以降の軍縮ムードや
「世界恐慌」の影響による財政削減などの影響も
あって、すべて陸海軍の責任とすることには無理が
ありますが、こうして昭和天皇のお言葉の「精神に
重きを置き過ぎて科学を忘れた」に至ります。

日進月歩する科学技術や世相を反映して戦力戦法を
随時見直す必要があるのは、いつの時代も変わらな
い普遍の原理です。軍縮条約や財政上の制約など
様々な障害があったにせよ、平時から軍の近代化を
真剣に研究し、実行すべきであったことは悔やんで
も悔やみきれないことと考えます。

さて「後天的要因」の第2は、為政者の判断を狂わ
した「ポピュリズムの台頭」です。戦前のポピュリ
ズムは、日露戦戦争後の「日比谷焼き討ち事件」か
ら始まったといわれますが、大正デモクラシーを経
て昭和に至ると、マスコミが煽動するポピュリズム
はますます盛んになります。

 夏目漱石は明治44年、「現代日本の開花」とい
う講演の中で、「日本の開花は、西洋からの圧力に
対応するためにやらざるを得なかったもので外発的
で無理を重ねたものだ。軽薄で虚偽で上滑りしたも
のだった」と語っています。

しかし、漱石はそれを否定するのではなく、「涙を
呑んで上滑りを滑っていかなければならない」と葛
藤の結果として本音を漏らすのですが、すでに桶谷
秀昭氏の指摘として取り上げましたように、戦前の
国民精神は、軽薄で虚偽で上滑りのそのまま、文明
開化から自由主義とデモクラシー、さらにマルクス
主義を順次、受け入れることになります。

この国民精神について、数学者の藤原正彦氏は「舶
来の教養を葛藤もなく身につけた無邪気な世代は、
大正デモクラシーを謳歌し、マルクス主義にかぶれ、
軍国主義に流された。戦後は、GHQ史観に流され、
左翼思想に流され、今や新自由主義やグローバリズ
ムに流されている」として、「漱石が語った『上滑
り』『虚偽』『軽薄』は、大正、昭和、平成、そし
て今もあてはまる」旨を説いています(『国家と教
養』より)。

前回のY様からの質問に対する回答ですが、戦時中
の大政翼賛会やこのたびのコロナ感染拡大防止のた
めの国民一様な自粛などの要因は共通しており、ま
さに国民精神の根底になんら変わることなく維持さ
れている、(本質を考えず)“大方の流れに逆らわ
ない上滑り”の結果であると私は考えます。

西鋭夫氏は、現在の「日本人の弱い精神状態」(原
文のママ)について「その根源は、心の中に強い信
念、信じ切れるモノを持たないからだ」と指摘しま
すが、これらの国民精神こそが、戦前戦後を問わず、
変わらぬ我が国のポピュリズムの源と考えます。

話題を戦前に戻しましょう。『戦前日本のポピュリ
ズム』を上梓された筒井清忠氏は「日米戦争に日本
を進めていったのがポピュリズムなのに、この戦前
のポピュリズムの問題がまったくといっていいほど
取り扱われていない」と述べているように、「満州
事変」以降「日中戦争」を経て「日米戦争」に至る
まで、軍人含む為政者の判断を狂わすほど国民世論
が絶対的な影響を与えました。

事実、開戦前の昭和16年12月、米英との交渉に
弱腰な政府に業を燃やし、首相官邸には「東條内閣
は腰抜けだ。日米開戦すべし」という強硬な投書が
約3000通も殺到したといわれます。

また、真珠湾攻撃が成功するや、8日付の日経新聞
には、「熱風の日本史 大戦果、日本中が熱狂」の
見出しで「皇居前広場には続々と人が集まり、喜び
の声をあげた。東京のビルの屋上からは『屠(ほふ
)れ!米英は我らの敵だ』『進め!一億火の玉だ』
と垂れ幕が下がった。日本中が『万歳?』の歓呼が沸
き返った」などと海軍の行動を称賛する記事で埋め
尽くされました。

軍の厳しい検閲があったかも知れませんが、このマ
スコミの熱狂ぶりは今日の判断基準からすれば驚き
です。当然ながら、当時の主だった作家や詩人らも
異口同音に戦争を称賛する文章を残しています。

歴史を探求すると、随所に「世論の熱狂的な支持」
という文字が出てきます。しかし、国民精神の反映
を含め、ポピュリズムの実態を解明しようと果敢に
取り組んだ研究家は、見つけ得る限り筒井氏一人だ
けでした。マスコミ各社もなぜか“だんまり”を決
め込んでいます。

そればかりか、国益とか大多数の国民の幸福などそ
っちのけのまま、今なお国民を煽って自らの主義主
張を通そうとするマスコミの多いことに呆れるばか
りですが、幸い、最近のネット時代の若者らには通
じなくなっている一面もあるようです。

筒井氏は、「現代の“劇場型大衆動員政治”は、我
が国は戦前に経験していた」と分析しています。藤
原氏の指摘同様、日本人の「上滑り」「虚偽」「軽
薄」な精神は、その形を変容しつつ明治以降変わら
ないまま定着していると言わざるを得ないと考えま
す。

次回、「戦争指導上の要因」から総括してみましょ
う。




(以下次号)


(むなかた・ひさお)



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【著者紹介】

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学
校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロ
ラド大学航空宇宙工学修士課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕
僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、
第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て
2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』
などに投稿多数。


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おきらく軍事研究会
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