配信日時 2020/09/16 09:00

【自衛隊警務官(40)】情報を取る機関と日系人 荒木肇

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きょうも面白いです。

思い込みの怖さを覚えます。
「しかるべき人から」国史を学ぶ癖を
忘れないようつねに意識して
心がけたいものです。

油断するとすぐに、
ウソの国史を脳内に
植え付けられますから。


さっそくどうぞ。


エンリケ


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自衛隊警務官(40)
陸軍憲兵から自衛隊警務官に(40)

情報を取る機関と日系人

荒木 肇

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□はじめに
 
 いよいよ自民党総裁選挙です。お三人の候補者がい
ます。産経新聞のまとめを読みました。菅さん、手堅
い印象です。安倍政権の継続性を感じます。テレワー
クを推進し、企業が地方に移転できるようにする。岸
田さん、最新のデジタル技術を地方に実装し、リモー
ト教育やリモート診療などを進める。最後に石破さん
です。「国任せ」ではなく「地方任せ」にする。責任
も地方でもってもらう。
 
 気になったのは外交・安全保障の分野です。菅さん
は日米同盟を基軸にアジア諸国と付き合う。中国に対
し主張すべきところは主張する。岸田さんも、基本的
な価値観を共有する国と協力し、核軍縮などの地球規
模の課題でルール作りを先導する。そうして石破さん
は次のようにいいます。米中が協力する世の中にする
のが日本の役割。対等な日米同盟をつくる。
 
 石破さん、ちょっと待ってください。米中の対立が
いま現在起きているのに、尖閣にも中国が手を伸ばし
てきているのに、米中の協力関係の仲立ちをす
る・・・。よく分かりません。対等な日米同盟にする
とは、安全保障上、どうするのか。ちょっと夢心地の
現実味のない話としかおもえませんが。
 
 そうして、どこまで正確かは分かりませんが、世論
調査では石破さんがなかなかの人気だそうです。こう
して考えると、そういう夢見心地の国際関係を信じて
いる人が多いのがわが国社会の実態かも知れません。
 
□特別寄稿へのお礼
 
 土本泰三さま、秘話の数々、まことにありがとうご
ざいました。まさに現地で体験者と接触した方にしか
知られないお話の数々でした。ドイツ軍捕虜の実態、
それと比べて規律正しかった日本兵捕虜。興味深いお
話をありがとうございました。
 
 
▼敵性語追放運動
 
 さて、戦後の定説の1つに日本軍は「敵を知らな
かった」、あるいは「敵を知ろうとしなかった」とい
うものがあった。敵性語追放などといって、世間で英
米語やフランス語などを使うことを禁止した。芸能人
の名前なども欧米風のものを日本語に変えさせたなど
というものである。
 
 プロ野球も職業野球といい、ストライクを「よ
し!」、ボールを「だめ!」。アウトは「ひけ!」な
どと言ったらしい。ショート・ストップは遊撃手、
ベースは塁、ピッチャーは投手などというと、いまも
野球の報道では使われている。
 
 自動車のハンドルは「転把(てんぱ)」、アクセ
ル・ペダルは「噴射踐板(ふんしゃ・せんばん)」と
言い換えて・・・と自虐的な笑いをとった漫才もあっ
た。しかし、これはどれほど本気だったのか。戦後、
いわれるほど徹底していたのだろうか。軍隊など、特
に技術系部隊などでは、それらを使うことはとても非
現実的なものだったに違いない。
 搭乗員待機所などというより外来語のピストの方が
使われていたらしい。整備工具のドライバーも螺回し
(らまわし)などより、ドライバーの方が言いやすい
し、聞きやすかっただろう。つまり、あの敵性語追放
運動は社会の気分をあおるためのものであり、生真面
目に実行を強制したと言えるものではなかった。
 
 たとえば、陸軍の生活を描いた戦時中の新聞連載小
説『陸軍』(火野葦平・1943年)に内務班の様子
が描かれている。ゲームとして外来語を使うと罰金を
取るという。「辛み入り汁かけ飯」がカレーライスの
言い換えであり、郵便ポストは「三十二年式上方投入
下方抽出式郵便箱」という。これらをつい言い間違え
て、外来語を使い罰金だらけになったという笑い話に
こしらえている。
 
この程度のことであり、憲兵が町を歩いて敵性語の看
板などを摘発して歩いたとか、アメリカ映画を観て感
想を言う人を逮捕したとか、みな戦後のでっちあげ
だったといっていい。
 
▼南西太平洋連合軍翻訳尋問部隊(ATIS)
 
 真珠湾が奇襲された。ついに日本が牙をむいたの
だ。それまでも米軍情報部では、日本軍の実力につい
てさまざまに評価していた。日本人は近眼が多く、パ
イロットのほとんどは夜間や薄暮の飛行はできないと
いう定説があった。米軍退役・予備将校による義勇空
軍の戦果は過大に報告され、日本軍の航空機にも学ぶ
ところはないとされた。
 
 それが意外な力を見せた。赤子の手をひねるように
撃墜できると思っていたゼロ(零式艦上戦闘機)に新
鋭機P40も落とされた。英国海軍の戦艦2隻も海軍
攻撃機に雷撃で沈められてしまった。マレー半島では
英軍の陣地が日本戦車に蹂躙された。「日本軍を知
れ!」、「弱点を探せ!」ということになった。
 
 今回の稿もまた、山本氏の文春新書『日本兵捕虜は
何をしゃべったか』に多くを依っていこう。
 
 ところが、オーストラリアでは早くも1941(昭
和16)年初めにはシドニーに日本語学校が軍によっ
て設立されていた。日本の軍事情報を日本からの帰還
者から聞きだして集めようというのである。その役目
を果たす隊員を養成するのがねらいだった。開戦から
ほぼ1年前のことだった。日本語を理解できる情報将
校が豪州軍には少な過ぎたのである。
 
 しかし、これがうまく行かない。そのうちに開戦と
なり、日本軍はオーストラリアに迫ってきたのだっ
た。1942(昭和17)年1月に空軍がまず捕虜を
扱う部門をつくった。本格化するのはマッカーサーが
幕僚たちと一緒にフィリッピンから逃げてきてからで
ある。
 
マッカーサーは南西太平洋連合軍司令部をつくる。
米・英・加(カナダ)・ニュージーランド・オースト
ラリアの各国軍がその隷下に入った。オーストラリア
軍は文書翻訳部門をつくった。同年8月にはメルボル
ンに連合軍尋問センターが開かれる。
 
10月にはATIS、連合軍翻訳尋問部隊が編成された。
大きく関わったのは、敗戦後の日本に君臨したGHQの
謀略部門のチャールズ・ウィロビー大佐(のち少将)
である。
ウィロビーとマッカーサーは8人の日本人2世を採用
し、重く用いることをした。
 
▼日系二世の苦境 
 
 開戦後、日系人がアメリカで不当に逮捕されたり、
収容所に入れられたりしたことについては詳しく知ら
れている。もともと「排日」の気分は第1次世界大戦
後にアメリカの施策にも現われてきていた。1922
(大正11)年には、日本人移民はアメリカの国籍を
取れなくなった。さらに翌々年には移民そのものも禁
止されることになった。
 
 1940(昭和15)年の数字で、アメリカ本土に
いる日系人は12万7000人、ハワイには15万人
が暮らしていた。そのおよそ三分の二が2世だった。
18万人である。この2世の中には高い教育も受けて
いたが、社会の中ではひどい差別があった。黒人にも
道は開かれていなかったが、日系人も似たようなもの
だった。
 
 開戦時には実は、約5000人の日系軍人が米軍に
在籍していたが、彼らはただちに武装を奪われ、捕虜
あるいは敵性外国人のような扱いを受けた。しかも西
海岸出身の彼らの家族は仕事も住居を奪われ、砂漠地
帯の収容所にも送られてしまったのだ。
 
 この2世たちにも区分があった。日本本土で3年以
上の教育を受けて、10代でアメリカに帰ってきた者
を「帰米(きべい)」あるいは「帰米2世」といっ
た。アメリカ軍はこの人たちをもっとも警戒した。幼
いころに日本で「皇民教育」を色濃く受けてきている
と思われていたのである。


(以下次号)


(あらき・はじめ)


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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同
大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。日露
戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍
教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行な
う。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』『(仮)
警務隊逮捕術(近刊)』(並木書房)がある。
 

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