配信日時 2020/09/10 08:00

【我が国の歴史を振り返る ─日本史と世界史に“横串”を入れる─(100)】「大東亜戦争」の総括(その2)  宗像久男(元陸将)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応
予備自衛官でもあります。お仕事の依頼など、問い
合わせは以下よりお気軽にどうぞ
 
E-mail hirafuji@mbr.nifty.com
WEB http://wos.cool.coocan.jp
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こんにちは、エンリケです。

「我が国の歴史を振り返る
 ―日本史と世界史に“横串”を入れる―」
はきょうで記念すべき100回目を迎えました。

お忙しい中、毎回読み応えある、わかりやす
くて面白いインテリジェントな記事を提供くださ
っている宗像閣下に、この場を借りて改めて感謝
とお礼を申し上げます。

終わりが見えてきた本連載ですが、
これからが本番といってよいかもしれません。
最後まで目を離せません。

こんかいも、
維新の元勲ありきの明治憲法。
<華やかな中世>
といったキーワードが印象に残ります。


さっそくどうぞ


エンリケ



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我が国の歴史を振り返る
─日本史と世界史に“横串”を入れる─(100)

「大東亜戦争」の総括(その2)


宗像久男(元陸将)
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□はじめに

お蔭様にて記念すべき100回を数えました。個人
的には感無量なのですが、回を重ねるごとにだんだ
ん歴史の“複雑さ”や“深遠さ”を知り、「浅学菲
才の身でこのようなメルマガを発信する資格がある
のか」と自問自答の回数が増していたことは事実で
した。

同時にまた、高名な研究家などが書かれた歴史、特
に昭和史の“ほころび”や“著者の意図”のような
ものも透けて見え始め、逆にメルマガを発信する意
欲を掻き立てた部分もありました。

メルマガ発信の当初計画は100回が目標でした
が、最近、「大東亜戦争」を総括するために、再度、
「我が国の歴史」を振り返ったところ、諸所に飛ば
してしまったこととか、説明が不十分だったことな
どを発見しましたので、「大東亜戦争」総括を中で
一部触れたいと考えております。よって、もう少し
延長します。読者の皆様に最後までどうぞよろしく
お願い申し上げます。

さて、前回取り上げました奈須田敬氏は生前、昭和
時代だけを深掘りする多くの昭和史研究家らに対し
て、「昭和を知るのに、昭和時代だけを探求しても
答えは見つからない」と口癖のように批評しておら
れました。

まさに自ら執筆された「重臣たちの昭和史」(ミニ
コミ紙『ざっくばらん』所収)などは、その事実を
如実に物語っているとの認識を新たにしております
が、私自身も歴史を紐解いてみて、ようやく同氏の
語っておられたことの何割かを理解できるようにな
りました。

批判を覚悟で申し上げれば、昭和の軍人たちの政治
的活動はあるまじき行動であることは明々白々です
が、それをさせた、そうせざるを得なかった明治憲
法をはじめとする国の統治制度や国民の精神の変遷
の中にも、歴史から学び、未来に活かすさまざまな
反省事項、教訓・課題が山積していると思うのです。

のちに触れますが、米国など連合軍が6年半あまり
の占領期間を費やすことになったのは、終戦直後、
(1)我が国の「抵抗力」(彼らは「好戦性」と呼称)
の“根”がどの程度深く、(2)その根源がどこにあり、
(3)いかにしてその根源を取り除くか、を考察した結
果であり、彼らが目指した日本改造の主体こそが、
「国体」ともいうべき我が国の統治制度や国民精神
そのものでした。

これらの変遷や特性を語らずに、マッカーサーの代
弁者のような“したり顔”で、昭和の動きのみを論
じている研究家があまりに多いことに、奈須田氏同
様、正直、驚かざるを得ません。

▼我が国の立憲君主制度の生い立ちと特性(後段)

さて、前回の続きです。イギリス流の立憲君主制を
実現するための手段として明治憲法に「輔弼責任制」
を採り入れましたが、憲法には“輔弼の責任を有す
る”「国務大臣」は規定されています(55条)が、
「内閣」そのものの規定はありません。

「内閣」は、“天皇を輔弼する国務大臣が協議する
ために設けられた組織体”と位置付けられ、内閣総
理大臣は内閣府の“番頭格”あるいは“世話人代表”
でしかありません。当然ながら、国務大臣の任免権
もありませんでした。

一方、内閣総理大臣は、初代の伊藤博文が就任した
際の要領、つまり「“元老”の助言に基づき『大命
降下』という形で天皇が任命する」慣例が出来上が
ります。

まさに、現日本国憲法に規定されていない「自衛隊」
のようなもので、戦前の「内閣」はあやふやで不安
定なものにならざるを得なかったのです。

明治時代は、この不安定さを「元老」がカバーして
おりました。特に、日清・日露の戦争指導の見事さ
は、まさに英邁な明治天皇の統治能力とぴったり呼
吸があった元老(元勲)グループのチームワーク、
任務分析と協力の賜物でありました。

しかし、この「元老」(元勲)もまた憲法に規定は
なく、「元老」も天皇の勅書をもって任命されます。
その勅書には、明治天皇に倣い、大正天皇も昭和天
皇も各元老に贈った共通の言葉として、「勲」「輔」
「導」が含まれ、「国家の『元勲』であり、天皇を
『輔導』するものである」ことを明示しておりまし
た。つまり、「元老とは、天皇の御指南役であり、
『摂政』と紙一重であった」(奈須田氏)のです。

とにもかくにも新憲法制定を至上命題とする伊藤の
苦悩が見えるようですが、このようにして、明治時
代の特性から来るさまざまな“妥協の産物”的側面
を残したまま、プロシア方式とイギリス方式を混合
したような“二重性”を有する憲法が出来上がりま
す。

その上、「元老」「内閣」「枢密院」など“憲法に
規定されてない権力や機関”をもって天皇を補佐す
るという、明治初期の天皇中央集権の名残り(余韻)
を保持した形で、我が国独特の統治制度が出来上が
ったのです。

▼「統帥権の独立」の特色と問題

その中で、「統帥権の独立」についてはさらに複雑
な要素を残していました。もう少し補足しましょう。
明治憲法では、「統帥権」は、憲法上「統治権を総
攬」とだけ規定された行政権の範疇に入るか否か、
あるいは、前述のように、行政権を管掌する国家機
関は内閣(政府)であるか否かが曖昧でした。

欧米諸国では、一般に軍の統制は行政権の範疇に入
り、政府が所掌しますが、プロシアの軍制にならっ
た我が国は、軍令(統帥権あるいは統帥大権)と軍
政(行政権)を分立する二元主義を採用したのでよ
けいややこしくなります。

憲法第11条の「統帥大権」は、行政府とは別個に
天皇に直属隷属する「統帥部」がそれを所掌する仕
組みですが、「統帥部」は陸軍の参謀本部と海軍の
軍令部からなり、それらの長である参謀総長と軍令
部長が統帥権行使を補佐することを「輔翼」(ほよ
く)と称していました。

他方、陸海軍に関する行政(軍政)は、内閣(政府)
を構成する陸軍大臣(陸軍省)と海軍大臣(海軍省)
が所掌していますが、陸軍大臣と参謀総長、海軍大
臣と軍令部長はいずれも天皇に直属する併立の独立
機関でした。

その中でも問題になったのは、軍政のうちの軍事専
門的行政といわれた軍の編制、装備、兵力量などに
関する事項でした。一般には軍令と軍政の「混成事
項」と称された部分です。

明治憲法の第12条に「天皇は陸海軍の編制及び常
備兵額を定む」とあり、「編制大権」と呼称されま
す。これは上記「混成事項」そのものでした。そし
て、この「編制大権」も「統帥大権」同様、原則的
に内閣に帰属する一般行政権の“範疇外”と見なさ
れることが多かったのです。

「編制大権」の行使もまた、陸海軍大臣による「輔
翼」とされましたが、参謀総長・軍令部長とそれぞ
れ協議した上、閣議に付議する必要なく、内閣総理
大臣にのみ報告する慣習ができていました。

つまり、陸海軍大臣は、(1)国の行政全般の議に参画
する国務大臣であり、(2)編制大権に関する天皇の補
佐者であり、(3)有事に編成される大本営の構成員で
ある・・それゆえに陸海軍大臣は現役大中将でなけ
ればならないという主張が出始めたのです。

最初にここに眼をつけたのが、山縣有朋が首相の時
に規定した「軍部大臣現役武官制」(明治33年)
でした。これによって“軍部の合意なし”に組閣す
ることは困難になりました。

本メルマガ本文でも触れましたが、「軍部大臣現役
武官制」は大正2年、山本権兵衛内閣の時に削除さ
れますが、「二・二六事件」以降の昭和11年、広
田弘毅内閣の時に復活します。

なお、軍令も軍政も陸軍・海軍がそれぞれ併立して
いたことが陸海軍の対立を生む要因となりました。
正確に言えば、明治19年からしばらくの間、「参
謀本部」として海軍の軍令機関が陸軍に統合された
時期はありましたが、さまざまな議論を経て、明治
36年以降は、平時も有事も、陸海軍の軍令・軍政
ともそれぞれ併立の独立機関になります。

▼大正時代以降の立憲君主制の特色

さて、我が国の立憲君主制度の“実態”は、大正時
代になると急変します。明治維新によって天皇中央
集権体制を作り上げ、天皇の信頼の厚かった元老た
ちが次々に他界します。そして、日清・日露戦争以
降の元老たちは、ご指南役としてはいかにも小粒に
なったばかりか、大正デモクラシーによって世論の
影響力も増大してきます。

こうして、欽定憲法、不磨の大典、神聖不可侵であ
る明治憲法の矛盾が露呈し、苦悩が始まるのです。

特に、原敬が暗殺され(大正10年)、山縣有朋が
死去(11年)すると、どの政府機関も固有の権力
を主張し始めます。外務省は外交の支配権を、司法
省は法制度の支配権を、枢密院や貴族院も独特の地
位を、その延長で陸海軍も「統帥大権」をことさら
に主張し始めるのです。それがあまりにひどくなり、
政治的合意を維持することが困難になり始めます。

ことに、軍部と文民の間の争いが政治全体に染み付
き始めます。その象徴が、交通巡査の信号を無視し
て逮捕されそうになった1等兵が「自分は兵士だか
ら警察官の命令には従わない」と抵抗した、有名な
「ゴーストップ事件」でした。

ついには、陸軍大臣も「天皇の兵士」と主張し、内
務省も「天皇の警察官」と言い返しますが、「皇軍
の威信に関する重大な問題」と言明する所まで話が
及びます。本事件は、天皇の耳にも入り、些細な事
件の解決に5カ月も要する抗争となり、ようやく妥
協するとの顛末を迎えます。

このようにして、大正時代以降、「国家指導者」不
在のまま「国権の最高機関」として「天皇大権」が
出来上がります。これが我が国の統治制度となり、
“時勢”への適応性を欠いたまま、激動の昭和に突
入してしまいます。

▼明治以降の日本人の“精神”の変遷

「大正デモクラシーによって世論の影響力も増大し
た」と記載しましたが、明治以降の日本人の“精神”
の変遷が歴史に及ぼした影響もかなりありました。
この精神の変遷も振り返ってみましょう。

最近、絶版となっていた文芸評論家・桶谷秀昭氏の
『昭和精神史』が復刊され、キンドルでも読めるよ
うになりました。 https://amzn.to/2R1tePX
復刊された序文には次のように記載されています。

「日本の戦後は、敗戦の虚脱から深い吟味もなく過
去を否定しようと努めてきた。しかし、大東亜戦争
は本当に一部指導者の狂気と産物と片づけられるの
だろうか――。桶谷氏はこの昭和前史を、既成の史
観から断罪するのではなく、変革と戦争を必死で生
き抜く日本人の喜び、悲しみ、苦悩を丹念に寄り添
いながら、再検証を試みました。・・時代は違えど
令和に生きる私たちにとっても、激動の時代だった
昭和時代の日本人の心の軌跡をたどることにより、
私たちの先人が何を考え、何を思ったかを感取する
ことができるのではないでしょうか」

桶谷氏によって解説された、明治以降の日本人の
“精神”の変遷の概要は以下のとおりです。

明治維新以降の「和魂洋才」の定着は、明治後半に
なると「自然主義」という名で個人主義的近代思想
に発展し、やがて大正デモクラシーとして発達しま
す。

そして、吉野作造に代表される大正デモクラシーの
思想家にはマルクス主義者は一人もいなかったので
すが、大正12年、マルクスの『資本論』が完訳さ
れ、次第に読者を増やします。昭和に入り「世界恐
慌」の我が国への波及が契機となって、瞬く間にマ
ルクス主義革命運動が台頭、随伴する文化運動とし
てプロレタリア文学も隆盛をみます。


この昭和のマルクス主義の特徴は、マルクス主義の
ロシア的形態であるレーニン主義が信奉されたこと
でした。ロシアにおいては、資本主義の発達が西欧
から遅れていたコンプレックスを克服する手段とし
てレーニン主義が発達したように、我が国において
も、西欧近代の克服の手段としてレーニン主義が信
望されることになったのです。

▼我が国の「ファッショ化」の特色

そのような日本がなぜ「ファッショ化」(ファシズ
ム)の道へ進むことになったのでしょうか。「ファ
シズム」にはさまざまな解釈がありますが、一般に
「強力な軍事力によって国民の権利や自由を抑圧す
る国家体制」といわれ、「全体主義」とほぼ同義語
です。これについては、評論家の竹山道雄氏が『昭
和の精神史』の中で興味深い分析をしています。

1930年代、「ファッショ化」は決して日本だけ
の現象ではなく、ソ連に接した国のほとんど全部、
ドイツ、イタリア、スペイン、ポルトガル、さらに
は南米諸国もこの体制をとりました。しかもこれら
の現象には共通の原因があったのです。

これらの国々は華やかな中世を経験した国が多く、
中世の原理が深く根ざしていたため、近代国家の出
発が遅れ、「持たざる国」となったのです。しか
も、第1次世界大戦後の世界不況、対外関係の困難
や思想の混乱からそれらへの反作用として「ファッ
ショ化」したのでした。つまり、「ファッショ化」
は日本固有のものでなく、“現代的な現象”だった
のです。

一方、我が国の「ファッショ化」は、明治以来の立
憲君主制の特殊性と我が国で発達したマルクス・レ
ーニン主義とを見事に吸収するような形で発達した
ことも事実です。

混沌とした昭和初期において、我が国が辿った“実
態”を解明するのはなかなか難しいですが、なかで
も、軍という圧倒的な力を持った組織がなぜ“独立
した政治意識”を持つようになったのかについて
は、次号で触れてみましょう。



(以下次号)


(むなかた・ひさお)

※お知らせ
私は現在、ボランテイアですが、公益社団法人自衛
隊家族会の副会長の職にあります。今回紹介いたし
ます『自衛官が語る 海外活動の記録』は、自衛隊
家族会の機関紙「おやばと」に長い間連載してきた
「回想 自衛隊の海外活動」を書籍化したものです。

その経緯を少しご説明しましょう。陸海空自衛隊は、
創設以降冷戦最中の1990年頃までは、全国各地
で災害派遣や警備活動を実施しつつ、「専守防衛」
の防衛政策のもとで国土防衛に専念していました。

 憲法の解釈から「海外派兵」そのものが禁止され
ており、国民の誰しも自衛隊の海外活動は想像すら
しないことでした。当然ながら、自衛隊自身もその
ための諸準備を全く行なっていませんでした。

ところが、冷戦終焉に伴う国際社会の劇的な変化に
よって、我が国に対しても国際社会の安定化に向け
て実質的な貢献が求められるようになりました。

こうして、湾岸戦争後の1991(平成3)年、海
上自衛隊掃海部隊のペルシア湾派遣を皮切りに、自
衛隊にとって未知の分野の海外活動が始まりました。
しかも、中には国を挙げての応援態勢がないままで
の海外活動も求められ、派遣隊員や残された家族の
やるせない思いやくやしさは募るばかりでした。

それでも隊員たちは、不平不満など一切口にせず、
「日の丸」を背負った誇りと使命感を抱きつつ、厳
正な規律をもって今日まで一人の犠牲者を出すこと
なく、与えられた任務を確実にこなしてきました。
この間、実際に派遣された隊員たちのご苦労は想像
するにあまりあるのですが、寡黙な自衛官たちは本
音を語ろうとしませんでした。

かくいう私も、陸上幕僚監部防衛部長時代、「イラ
ク復興支援活動」の計画・運用担当部長でしたので、
決して公にはできない様々な経験をさせていただき
ました(墓場まで持っていくと決心しております)。

このような海外活動の実態について、隊員家族をは
じめ広く国民の皆様に知ってもらうことと自衛隊の
海外活動の記録と記憶を後世に伝え残したいという
願いから、「おやばと」紙上でシリーズ化し、各活
動に参加した指揮官や幕僚などに当時の苦労話、経
験、エピソードを寄せてもらいました。

連載は、2012年8月から2014年11月まで
約2年半続き、その後も行なわれている「南スーダ
ン共和国ミッション」や「海賊対処行動」などにつ
いてはそのつど、関係者に投稿をお願いしました。

このたび、シリーズ書籍化第1弾の『自衛官が語る 
災害派遣の記録』と同様、桜林美佐さんに監修をお
願いして、その第2弾として『自衛官が語る 海外
活動の記録』が出来上がりました。

本書には、世界各地で指揮官や幕僚などとして実際
の海外活動に従事した25人の自衛官たちの脚色も
誇張もない「生の声」が満載されております。

遠く母国を離れ、過酷な環境下で、ある時は身を挺
して、限られた人数で励まし合って厳しい任務を達
成した隊員たち、実際にはどんなにか辛く、心細く、
不安だったことでしょうか。

しかし、これらの手記を読む限り、そのようなこと
は微塵も感じられないばかりか、逆に派遣先の住民
への愛情や部下への思いやりなどの言葉で溢れてお
り、それぞれ厳しい環境で活動したことを知ってい
る私でさえ、改めて自衛隊の精強さや隊員たちの素
晴らしさを垣間見る思いにかられます。

また、桜林さんには、海外活動の進化した部分とか
依然として制約のある法的権限などについて、わか
りやすく解説し、かつ問題提起していただきました。

皆様にはぜひご一読いただき、まずはこれら手記の
行間にある、隊員たちの「心の叫び」を汲み取って
いただくとともに、自衛隊の海外活動の問題点・課
題などについても広くご理解いただきたいと願って
おります。また、前著『自衛官が語る 災害派遣の
記録』を未読の方は、この機会にこちらもぜひご一
読いただきますようお願い申し上げ、紹介と致しま
す。

『自衛官が語る 海外活動の記録─進化する国際貢献』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
  発行:並木書房(2019年12月25日)
  https://amzn.to/384Co4T







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【著者紹介】

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学
校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロ
ラド大学航空宇宙工学修士課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕
僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、
第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て
2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』
などに投稿多数。


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