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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応
予備自衛官でもあります。お仕事の依頼など、問い
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こんにちは、エンリケです。
「我が国の歴史を振り返る
―日本史と世界史に“横串”を入れる―」
は99回目です。
いよいよしめくくり「大東亜戦争の総括」です。
読みごたえある素晴らしい内容です。
終わりが見えてきた本連載ですが、
これからが本番といってよいかもしれません。
最後まで目を離せません。
さっそくどうぞ
エンリケ
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我が国の歴史を振り返る
─日本史と世界史に“横串”を入れる─(99)
「大東亜戦争」の総括(その1)
宗像久男(元陸将)
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□はじめに(「大東亜戦争」の総括を試みた書籍)
「大東亜戦争」あるいは「太平洋戦争」の敗因や歴
史上の地位などを解説する書籍は枚挙に暇がありま
せん。まずこれらの書籍について総括しておきまし
ょう。調べ得る限りでありますが、手に取った書籍
のほぼ8割程度は、「ポツダム宣言」や「東京裁判」
の判決趣旨に忠実に従ったもので、我が国を“悪”
とするか“失敗”とする見方に固執しています。確
かに大きな犠牲を払った上での敗戦だったことは間
違いないので、“悪”とか“失敗”という言葉を使
いたくなる気持ちがわからないわけではありません。
しかし、我が国を“一方的に悪”とする視座を持つ
と、その“悪”をひたすら深掘りするエネルギーが
高まる代わりに、戦った相手である米英ソ中などの
“悪”が見えなくなる、あるいはそこに思考が及ば
なくなる傾向にあることも事実のようです。
事実、「ヴェノナ文書」のように1995年になっ
てようやく明らかにされた文書もあり、それ以前と
その後では、「大東亜戦争」を取り巻く環境の捉え
方が変わって当然と考えます。
手元に『保守と大東亜戦争』(中島岳志著)があり
ます。本書自体は、2018年に発行されたもので
すが、登場する保守派の論客の主張は自らの経験談
を含め、戦中や戦後のものばかりです。
それぞれの論旨は納得するものが多いですが、やは
り「ヴェノナ文書」前の状況を分析していますので、
どうしても“史実の全体像でなく、ある側面だけを
捉えて論じている”との印象を持ってしまいます。
他方、「ヴェノナ文書」(*1)、あるいは2011
年、ようやく出版されたフーバー回顧録『裏切られ
た自由』(*2)の中で展開されているルーズベルト批
判に同調し、あたかも「悪いのは米国であって、日
本は悪くなかった」のような極端な論旨を展開する
書籍も散見されます。こうなると、それらを主張す
るグループ内では“耳触り”がよくとも、他のグル
ープには受け入れられないのは明白でしょう。
(*1)『ヴェノナ』
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(*2)『裏切られた自由』
(上巻)
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(下巻)
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依然、未公開の機密文書も存在するようですので、
「大東亜戦争」が「歴史」となってその全体像や歴
史的評価が解き明かされるにはもう少し時間がかか
るものと考えます。
さて、元自衛官の私は、「戦争」や「軍事」の本質
のようものを学んだのちに「歴史」に取り組んだせ
いか、(いつもながら失礼とは存じますが)高名な
学者やマスコミ人が書かれた書籍にある共通の“食
い足りなさ”を感じるばかりか、「戦争の本質」の
ような部分の解説にはどうしても“違和感”を持た
ざるを得ません。
その中で、林房雄氏の『大東亜戦争肯定論』
(
https://amzn.to/3b9ShcS )は、ほかとは違った
視点で先人たちの“取り組み”の背景に潜む本質ま
で深掘りしているとの印象を持ちました。林氏は、
冷戦さながら、つまり我が国においても左翼グルー
プの主張が意気盛んだった昭和59年に「東亜百年
戦争」を定義し、徳川幕府が倒れた時に「長い1つ
の戦争が始まり、昭和20年8月15日やっと終止
符がついた」とする興味深い説を唱えます。
私自身は、歴史に興味を持ち始めた頃に本書に出会
い、その後の歴史研究の“道しるべ”となった一冊
ですが、我が国の先人たちの「理想」と理想をもつ
がゆえの「苦悩」について、これほど的確、しかも
敬意の気持ちをもって分析し、さらに歴史の縦と横
のつながりの分析という点においても本書をしのぐ
書籍に出会うことはありませんでした。
また、これまでヘレン・ミアーズの『アメリカの
鏡:日本』(
https://amzn.to/3lvjLOR )とか、パー
ル博士の「日本無罪論」(
https://amzn.to/2QGAXTv )
などについては触れましたが、最近、「大東亜戦
争」については、連合国側からも日本の立場を擁護
する書籍を見かけるようになりました。その代表的
なものが、英国人記者のヘンリー・S・ストークス
氏の『連合国戦勝史観の虚妄』(
https://amzn.to/2YNG7Bz )
です。
ストークス氏は「日本側には、日本の主張があっ
てしかるべきだ」として、たとえば、「日本はアジ
アを侵略していない。欧米の植民地となっていたア
ジアを独立させた」というのも「立派な日本からみ
た史観である」と指摘しています。
その上で、欧米に不都合な「大東亜戦争」史観に
ついては、戦場は太平洋ばかりでなかったにもかか
わらず、「太平洋戦争」と呼称させたのは、「アジ
アを蹂躙し、植民地支配した欧米諸国が『大東亜戦
争史観』という観点から歴史をみられるのは決定的
にまずい。アジア独立に日本が果たした貢献を知ら
れると欧米の“悪行”があからさまになり、見せか
けの正義が崩壊してしまうとの懸念からだった」と、
それらを“虚妄”という言葉を用い、厳しく裁断し
ています。
そして、「日本の立場が海外で理解されないのは、
日本が効果的な発信をしてないからだ。特に日本の
主張を英語で発信して来なかったのが大きい。謝罪
は逆効果だ」旨も強調します。
本メルマガで何度も引用させていただきました岡崎
久彦氏は「歴史はその時々の人間と国家が生き抜い
てきた努力の積み重ねであり、人間と国家の営みの
流れである。大きな流れの中で戦争も生じれば平和
も生じる。その善悪を論じるべきではない」として、
あらゆる偏向史観を排して「史実」を直視する重要
性と“後世の価値判断をもって歴史の善悪を論じる
ことの無意味さ”を説いておりますが、改めて納得
です。
「はじめに」が長くなりました。いよいよ本メルマ
ガ“最後の山場”です。
▼「大東亜戦争」総括の5つの視点
岡崎氏の解かれた趣旨に沿いつつ、本メルマガにお
いては、他の昭和史研究家などとは違った視点で、
「戦略・政略・歴史的な視点から『大東亜戦争』を
総括する」との大胆な試みにトライしたいと思いま
すが、ページの制限もあって次の5つの視点の分析
に絞ろうと考えます。
第1に昭和天皇の敗因分析と、それに関連する「統
帥権の独立」を含む大日本帝国憲法に基づく我が国
の立憲君主制度の生い立ちと特性の分析、第2に作
戦参謀が回顧した「大東亜戦争の教訓」分析、第3
に本メルマガ流の敗因分析、第4に「大東亜戦争」
の歴史的意義分析、第5に、占領政策の影響を含め
た精神的敗北とその影響分析です。以下順を追って
分析を深めて行きましょう。
まず第1の昭和天皇の敗因分析と立憲君主制度の生
い立ちと特性の分析ですが、明治維新からの昭和に
至る歴史のつながりの中で、この部分はどうしても
コアになり、これを避けて「大東亜戦争」を語るこ
とは不可能であると考えます。
これらについては、私の能力や知見をはるかに超え
ますが、時間かけてしっかり分析され、“遺産”と
して残された方がおられます。並木書房の会長であ
られた奈須田敬氏です。奈須田氏は満92歳で亡く
なる約1年前までの40年間近く、自ら編集長とな
ってミニコミ紙『ざっくばらん』を毎月発刊し続け、
その回数は466回を数えました。
奈須田氏の歴史、軍事、安全保障などに関する“博
識”は他の追随を許さないものがありましたが、私
個人にとりましても、陸上自衛官としてのあるべき
姿など、さまざまなご薫陶を受けた恩師ともいうべ
き存在でした。
『ざっくばらん』においては、安全保障や軍事全般、
なかでも“政軍関係”に重点を置かれ、その一環と
して、シリーズ『重臣たちの昭和史』論を連載され
ておりました。
そのシリーズの中で、冷徹さと明晰さにおいて傑出
していると賞賛しつつ、米国人のディビット・タイ
タス教授の『日本の天皇政治』(
https://amzn.to/32EhzMz )
をしばしば引用されていますが、本書は、外国人と
は思えないほど、我が国の天皇制について妥協する
ことなく詳しく調べ上げた力作と考えます。
これらを参考にさせていただき、我が国の立憲君主
制度の生い立ちと特性の分析を試みます。まず「昭
和天皇の敗因分析」です。
▼昭和天皇の敗因分析
終戦間もない昭和20年9月9日、奥日光に疎開
されていた皇太子に天皇から1通の手紙が届きます。
そこには次のように書いてありました。
「・・・敗因について一言いわせてくれ。我が国人
があまりに皇国を信じ過ぎて英米をあなどったこと
である。我が軍人は、精神に重きを置き過ぎて科学
を忘れたことである。明治天皇の時には、山県、大
山、山本等の如き陸海軍の名将があったが、今度の
時はあたかも第1次世界大戦の独国のごとく、軍人
が跋扈(ばっこ)して大局を考えず、進むを知って、
退くを知らなかったからである。戦争を続ければ三
種の神器を守ることが出来ず、国民をも殺さなけれ
ばならなくなったので、涙をのんで国民の種を残す
べくつとめたのである・・・」
最後の部分は、終戦のご聖断のお気持ちを述べられ
たことは明白ですが、このお言葉には、明治以降の
我が国が採用してきた立憲君主制の本質や明治と昭
和の時代の違いなどを含め、昭和天皇が“超えるに
超えられなかった”我が国の統治制度上の壁(限界)
に直面して苦悩されたことを述べられたものであり、
天皇の敗因分析の偽らざるお気持ちだったと考えま
す。
▼我が国の立憲君主制度の生い立ちと特性(前段)
改めて、とかく敗因の主要因として“やり玉”にあ
がる「統帥権の独立」や「軍国主義の蔓延」と酷評
された我が国の統治制度を理解するため、どうして
も戦前の我が国の立憲君主制度についてその生い立
ちと特性をじっくり振り返る必要があると考えます。
少し長くなりますが、お付き合いでください。
前述のタイタス教授は「『大日本帝国憲法』(以下、
明治憲法と呼称)においては、天皇の道徳的権威が
広大な『天皇大権』と言う形をとって政治的権威と
融合させられた」として、「『神聖ニシテ不可侵』
(第3条)と超越的地位を明らかにした上で、天皇
は『統治権ヲ総攬ス』(第4条)、そして『陸海軍
ヲ統帥ス』(第11条)る存在であった。これらか
ら、憲法には、天皇に帰属させる行政、福祉、立法、
非常時の多くに大権が出てくる」と解説しています。
特に、徳川時代の将軍が握っていた伝統的政治権力、
中でも“軍事指揮に関する権力”を西欧の君主が持
っていた大権として憲法によって造り直されたのが、
第11条の「統帥権」だったとしています。
私たちは、明治憲法によって「統帥権」を制度化し
たと思いがちですが、明治維新の初期段階から軍隊
の指揮権は天皇に帰属しており、伊藤博文は、その
“実態”を憲法の中で明文化しただけなのです。
事実、明治憲法発布7年前の明治15年に下賜された
『軍人勅諭』は、「朕は汝ら軍人の大元帥なるぞ」
で始まり、天皇が統帥権を保持していることを示し
ております。
一方、タイタス教授は「欧州の多くの君主たちと
違って日本の天皇は政治における自由な行動主体で
はなかったが、その役割は重要だった」とするも、
「天皇の役割は、“裁可者”だったのであって、
“政治指導者”ではなかった」として、それは、
「“他国の憲法に例を見ない明治憲法の特徴”であ
る『輔弼(ほひつ)責任制』から来る必然の結果で
ある」と指摘します。
なぜ「輔弼責任制」を採用し、天皇を「裁可者」
としたかについては、(1)皇室制度の政治的権威は
永遠の源泉でなければならない、(2)政治上の失敗
が天皇の身に及んで来ないようにしなければなら
ない、(3)天皇の人間的弱さが、日本の国体におけ
る皇位というものの超越的役割を危うくせぬように
しておかなければならない、との理由から来る「尊
皇心旺盛な明治憲法制定者達の苦心の作だった」
(奈須田氏)ことは明白です。
その中心にいたのは、まぎれもなく起草者の伊藤
博文でした。プロシアから帰国したその伊藤を待っ
ていたのは、「プロシアを手本とした専制君主制を
実現する工作をやるのではないか」と恐れる人たち
と「天皇の『大権』を危うくするような宮廷の制度・
慣行の改定に乗り出すのではないか」との警戒する
人たちの両サイドであり、伊藤はその狭間に立たさ
れます。
このため、伊藤は、政府参議のポストを握ったまま、
宮中に新設された制度取調局の長官に就任し宮内卿
にも就任します。これら3つの重職を得た後、伊藤
は「内閣制度」を創設します。この結果、宮内卿は
宮内大臣となり、宮内省自体は一般政府機構の外に
おかれます。
「内閣制度」そのものは憲法制定以前の明治18年、
太政官達によって定められました。太政官達におい
ては、総理大臣の各大臣に対する統制権限はかなり
強いものがありました。
伊藤は、自ら宮内大臣を兼務する初代総理大臣とな
ることによって、公然と非難を受けるなか、明治初
期の「天皇親政」から「宮廷・政治分離」を実現し
ました。
そして、井上毅、伊東巳代治、金子堅太郎らと憲法
草案をまとめた伊藤は、憲法発布1年前の明治21
年、憲法草案を審議するため、勅令によって「枢密
院」を設置し、自ら議長に就任します。
この「枢密院」は、大統領が元首を務める共和制国
家にはない機関で、イギリスの枢密院を見習ったも
のと考えますが、明治憲法においては、第56条に
「枢密顧問」として「天皇ノ諮詢ニ応ヘ重要ノ国務
ヲ審議ス」とあるものの、「枢密院」の記述はあり
ません。しかし、枢密顧問により組織された「天皇
の最高諮問機関」と位置付けられ、「憲法の番人」
とも呼ばれました。
余談ですが、「枢密院」は、国政に隠然たる権勢を
誇り、政党政治の時代にあっても、藩閥・官僚制政
治の牙城をなしました。個人的には、明治憲法を
「不磨の大典」に押し上げた要因の一つはこの「枢
密院」の存在だったと考えますが、「満州事変」以
降、軍部の台頭とともにその影響力は低下します。
長くなりました。今日はここまでにしておきましょ
う。
(以下次号)
(むなかた・ひさお)
※お知らせ
私は現在、ボランテイアですが、公益社団法人自衛
隊家族会の副会長の職にあります。今回紹介いたし
ます『自衛官が語る 海外活動の記録』は、自衛隊
家族会の機関紙「おやばと」に長い間連載してきた
「回想 自衛隊の海外活動」を書籍化したものです。
その経緯を少しご説明しましょう。陸海空自衛隊は、
創設以降冷戦最中の1990年頃までは、全国各地
で災害派遣や警備活動を実施しつつ、「専守防衛」
の防衛政策のもとで国土防衛に専念していました。
憲法の解釈から「海外派兵」そのものが禁止され
ており、国民の誰しも自衛隊の海外活動は想像すら
しないことでした。当然ながら、自衛隊自身もその
ための諸準備を全く行なっていませんでした。
ところが、冷戦終焉に伴う国際社会の劇的な変化に
よって、我が国に対しても国際社会の安定化に向け
て実質的な貢献が求められるようになりました。
こうして、湾岸戦争後の1991(平成3)年、海
上自衛隊掃海部隊のペルシア湾派遣を皮切りに、自
衛隊にとって未知の分野の海外活動が始まりました。
しかも、中には国を挙げての応援態勢がないままで
の海外活動も求められ、派遣隊員や残された家族の
やるせない思いやくやしさは募るばかりでした。
それでも隊員たちは、不平不満など一切口にせず、
「日の丸」を背負った誇りと使命感を抱きつつ、厳
正な規律をもって今日まで一人の犠牲者を出すこと
なく、与えられた任務を確実にこなしてきました。
この間、実際に派遣された隊員たちのご苦労は想像
するにあまりあるのですが、寡黙な自衛官たちは本
音を語ろうとしませんでした。
かくいう私も、陸上幕僚監部防衛部長時代、「イラ
ク復興支援活動」の計画・運用担当部長でしたので、
決して公にはできない様々な経験をさせていただき
ました(墓場まで持っていくと決心しております)。
このような海外活動の実態について、隊員家族をは
じめ広く国民の皆様に知ってもらうことと自衛隊の
海外活動の記録と記憶を後世に伝え残したいという
願いから、「おやばと」紙上でシリーズ化し、各活
動に参加した指揮官や幕僚などに当時の苦労話、経
験、エピソードを寄せてもらいました。
連載は、2012年8月から2014年11月まで
約2年半続き、その後も行なわれている「南スーダ
ン共和国ミッション」や「海賊対処行動」などにつ
いてはそのつど、関係者に投稿をお願いしました。
このたび、シリーズ書籍化第1弾の『自衛官が語る
災害派遣の記録』と同様、桜林美佐さんに監修をお
願いして、その第2弾として『自衛官が語る 海外
活動の記録』が出来上がりました。
本書には、世界各地で指揮官や幕僚などとして実際
の海外活動に従事した25人の自衛官たちの脚色も
誇張もない「生の声」が満載されております。
遠く母国を離れ、過酷な環境下で、ある時は身を挺
して、限られた人数で励まし合って厳しい任務を達
成した隊員たち、実際にはどんなにか辛く、心細く、
不安だったことでしょうか。
しかし、これらの手記を読む限り、そのようなこと
は微塵も感じられないばかりか、逆に派遣先の住民
への愛情や部下への思いやりなどの言葉で溢れてお
り、それぞれ厳しい環境で活動したことを知ってい
る私でさえ、改めて自衛隊の精強さや隊員たちの素
晴らしさを垣間見る思いにかられます。
また、桜林さんには、海外活動の進化した部分とか
依然として制約のある法的権限などについて、わか
りやすく解説し、かつ問題提起していただきました。
皆様にはぜひご一読いただき、まずはこれら手記の
行間にある、隊員たちの「心の叫び」を汲み取って
いただくとともに、自衛隊の海外活動の問題点・課
題などについても広くご理解いただきたいと願って
おります。また、前著『自衛官が語る 災害派遣の
記録』を未読の方は、この機会にこちらもぜひご一
読いただきますようお願い申し上げ、紹介と致しま
す。
『自衛官が語る 海外活動の記録─進化する国際貢献』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
発行:並木書房(2019年12月25日)
https://amzn.to/384Co4T
宗像さんへのメッセージ、ご意見・ご感想は、
このURLからお知らせください。
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https://okigunnji.com/url/7/
【著者紹介】
宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学
校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロ
ラド大学航空宇宙工学修士課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕
僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、
第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て
2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』
などに投稿多数。
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謝しています。
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