配信日時 2020/08/28 08:00

【自衛隊・熱砂のイラク派遣90日(5)】「戦士たちの宴会」 藤井岳

こんにちは、エンリケです。

藤井岳さんの、
「自衛隊・熱砂のイラク派遣90日」
の五回目です。

実に丁寧な描写ですね!

実に面白いです。


さっそくどうぞ


ご意見・ご感想お待ちしてます。
コチラからどうぞ
 ↓ ↓ ↓ ↓
https://okigunnji.com/url/7/



エンリケ


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
新シリーズ!

自衛隊・熱砂のイラク派遣90日(5)

戦士たちの宴会

藤井岳(ふじい・がく)(元陸自2曹)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

□はじめに

 読者の皆様、こんにちは。記事掲載のお知らせです。

 現在発売中のイカロス出版
『JグランドEX No.9』(*)
の74式戦車特集で「74式戦車 戦闘術基礎講座
」と称して74式戦車の戦術の紹介、解説を寄稿さ
せていただきました。現役時代に愛車として苦楽を
共にした74式戦車。ファンも多く、性能的にも日
本の国土にマッチした戦車であり、まさに「名車」
だと思います。こちらの方もどうぞよろしくお願い
致します。

(*)『JグランドEX No.9』
   https://amzn.to/32rHXZW


▼人気の5円玉──物々交換で交流

 キャンプ・バージニアはイラクに展開する多国籍
軍の展開準備、または帰国準備の拠点として機能し
ているようだった。毎日大型バスやトラックが天幕
地域に出入りし、さまざまな色や柄の迷彩服を着た
兵士たちが着いたと思えばまた去って行く。

 私たち第3次イラク復興支援群第2波の滞在期間、
生活を共にした他国の軍は主にアメリカ、韓国、エ
ルサルバドル、フィリピン、グルジア(ジョージア)
だった。

 彼らと宿営地内で会うときは右手を軽くあげて挨
拶するのが慣例となっていた。時には英語で簡単な
挨拶をすることもあった。

 食堂の出口付近には喫煙所があり、ちょっとした
交流の場となっていたようだ。私はタバコを吸わな
いので喫煙所には近づかなかったが、タバコを交換
したり、タバコを切らした兵士に別の国の兵士が自
分のものを勧めたりといった光景がよく見られたと
いう。

 また、天幕地区には巨大な凸型のブロックが等間
隔で置かれており、ここも各国兵士のたまり場とな
っていた。沈む夕日を見ながら私のつたない英語で
会話したり、ほかの自衛隊員も身振り手振りで意思
疎通をはかったり、煙草や菓子、小物などの物々交
換をよくした。

 夜になると、他国の兵士が自衛隊の天幕を訪ねて
くることがあった。入り口で中の様子を探ろうとし
ている兵士に「やあ、何か用かい?」と声をかける
と皆集まってきて「お前は英語を話せるのか?」と
聞いてくる。
「簡単な英語なら話せるよ」
「ここは日本隊の天幕だろ? 日本人と物を交換し
たいんだ。仲間を呼んでくれないか」
 彼らの手にはメダルやバッジ、ワッペンなどが握
られていた。ベレー帽を持ってきた兵士もいた。

 天幕の中の同僚たちに声をかける。
「皆さーん! 天幕の入り口にどこかの兵士が来て
いて、物々交換したいそうでーす!」
 すると、何人かの隊員がバッグをごそごそと探り、
さまざまな物を持って外に出て行く。
「何でもいいの?」
「日本らしい物なら、たぶん」彼らは何でも喜ぶん
じゃないですかねぇ……」

 物々交換で他国の兵士や、宿営地内で勤務する外
国人に喜ばれる物はやはりバッジやワッペン、それ
から日本語が記してある物だった。意外だったのは
50円玉と5円玉を欲しがる者が多かったことだ。
理由を聞くと、穴の開いたコインは珍しいからだと
いう。

 しかも綺麗な5円玉は金色なので見た目の高級感
からか、こちらが驚くほど喜ぶ者もいた。キャンプ・
バージニア到着直後は、この50円玉と5円玉には
誰も興味を示さず、人気はなかったが、コインを交
換した誰かが自慢して口コミで広がったのだろう。

 多国籍軍といえば、先にも触れたが迷彩服の色の
話がある。

 出国前に散々議論され、砂漠地帯で通常の緑系迷
彩の戦闘服を着用し任務につくのは危険という意見
も出たようだが、逆に緑系迷彩の戦闘服を着用する
ことで現地人の目につきやすくし「我々自衛隊は戦
いに来たのではない。イラクの再興をお手伝いさせ
てもらうために来た」という意思表示にするという
話で一応は落ち着いたと記憶しているが、実のとこ
ろ緑系迷彩の戦闘服でイラクに展開した軍はほかに
もある。私が見ただけでもエルサルバドル軍、フィ
リピン軍、グルジア(ジョージア)軍、フィジー軍
の兵士は緑系迷彩の戦闘服を着用していた。我々陸
上自衛隊だけではなかったのである。

▼カフェ「グリーン・ビーンズ」

 我々に割り当てられた宿泊用天幕から食堂まで、
やや距離があることは以前書いたが、食堂のさらに
奥に売店があった。広いコンビニエンスストアがま
るまる1軒あるようなもので、商品は多彩でとても
便利だった。

 売店のほかにもプレハブの建物が数軒並んでいて、
カフェや土産物屋などがあった。そして建物に囲ま
れるような形で広場があり、そこには多数の木製テ
ーブルと椅子が並べられていた。

 簡素な屋根にはバラキューダ(偽装網)がかけら
れ、いかにも軍の施設といった雰囲気。そして夕方
あたりから買い物や疲れを癒やすために各国の兵士
が売店地区を訪れるが、彼らの多くは売店で購入し
たノンアルコールビールを手に広場にやってくる。
酔っているわけではないのだが、毎晩何十人もの兵
士たちが集まり、声を上げ盛り上がっている姿は宴
会そのものだった。そして「宴会」は売店が閉店し
てもしばらくは続くのが常だった。
 
カフェは「グリーン・ビーンズ」という名で、3~
4人ほどのスタッフが働いており、キャンプ滞在間
ほぼ毎日通っていた私は、アニーシという名の若い
インド人スタッフと仲良くなった。店に入り、私を
見つけると毎度彼が寄ってきて「やあ軍曹、今日は
何にする?」と聞いてくる。ドーナツをサービスし
てくれたり、ナツメヤシの実をくれたこともあった。

「これ食べてみなよ」
「これは?」
「ナツメヤシの実さ。うまいよ」
「初めて見たよ。どれ……」

 初めて口にしたナツメヤシの実はレーズンのよう
な味がした。外見も大きめのレーズンだった。
「どうだい?」
「う……うまいよ。でも変わった味だ」
 そう言うと彼は声を上げて笑った。

 サマーワ展開も迫ったある日、1日の訓練を終え、
いつものように売店でノンアルコールビールを買い、
広場へ向かった。その日はすでに席はすべて埋まっ
ていたので、カフェの横に置いてあるブロックに腰
かけて同僚と一緒に飲み始めた。

▼広場に流れるバグパイプの音色

 しばらくすると、何やら楽器の音が遠くから聞こ
えてきた。
 音は次第に広場に近づいてくる。
(この音……何だっけ……そうだ、バグパイプだ)

 音の主が現れる。
 バグパイプを吹き鳴らしながらゆっくり現れたの
は1人のアメリカ兵だった。
 ざわついていた兵士たちが一斉に拍手と大歓声で
彼を迎える。
 当のアメリカ兵はちらりと皆を見たが、そのまま
演奏を続けた。バグパイプの「バッグ」と呼ばれる
袋にはご丁寧に砂漠迷彩のカバーがかけられている。
 広場がバグパイプの音色で満たされていくと、次
第に歓声は収まっていき、兵士たちは皆うっとりと
聴き入っていた。

 地平線に陽が落ちていく。周囲が薄暗くなるなか、
バグパイプの音だけが広場に響き渡る。
 幻想的な光景だった。
 陽が完全に落ちる直前、闇があたりを包む前に彼
はゆっくりと演奏を締めくくった。
 しばしの静寂、そして大歓声。
 彼を讃える歓声と拍手はなかなかやまなかった。

 彼は照れくさそうにそれに応えると、私のすぐ近
くに座り込んだ。
「素晴らしかったよ。本当に感動した」
 私を見ると、彼は「ありがとう」と言って笑顔を
みせた。
 ちょうど戦闘服のポケットに復興支援群のピンバ
ッチが1つ入っていたので、
「これ、素晴らしい演奏を聴かせてくれたお礼だよ」
と言って渡すと、
「これは大事なものじゃないのか? いいのかい?」
と聞いてきた。
「問題ない、受け取ってもらえないか」と答えると、
今度は彼が黄色の小さいピンバッジを私の手のひら
に置いた。
「じゃあ、これと交換だ」
 バッジにはバグパイプのシルエットが描かれていた。
「これは?」
 彼はバグパイプの技術レベルに応じて着用するバ
ッジだと説明した。
「これこそ大事なものだろう」
「いいんだ。もらってくれよ」そして写真を取り出
して見せてくれた。彼と若い女性、そして小さな男
の子が写っている。
「俺はスコットランド出身でね。バグパイプは昔か
ら吹いていたんだ。この写真に写っているのは妻と
息子だ」
──じゃあ、無事で帰らなきゃな。早く帰れるとい
いな。
そんな言葉を飲み込む。彼がどんな部隊の所属かは
分からないが、アメリカ軍はイラク北部で掃討作戦
を行なっている最中だ。

 しばらく雑談を交わした。気がつけば陽はすでに
沈み、周囲は暗くなっていた。
「そろそろ戻るよ」彼がバグパイプを手に取る。
「ああ、俺たちも戻るよ。今日は素晴らしい演奏を
ありがとう」
 立ち上がってガッチリ握手を交わした。


(つづく)



(ふじい・がく)


藤井さんへのメッセージ、ご意見・ご感想は、
このURLからお知らせください。

https://okigunnji.com/url/7/


 
【著者紹介】

藤井岳(ふじい・がく)ペンネーム
1979年岩手県一関市生まれ。1996年自衛隊生徒とし
て陸上自衛隊入隊。少年工科学校へ入校。卒業後機
甲生徒課程を経て第9戦車大隊(岩手)で戦車乗員
として勤務。2004年第3次イラク復興支援群に参加、
イラク・サマワにて任務に就く。2005年富士学校
(富士)に転属。機甲科部で助教として戦車教育に
従事。2008年退職。フリーランスフォトグラファー
として活動を開始。自衛隊航空部隊の撮影、取材に
取り組む。2015年から「PANZER」誌で執筆開始。そ
の後「丸」「JGROUNDEX」「JWings」などで写真や戦
車に関する記事を発表。現在に至る。



▼きょうの記事への、あなたの感想や疑問・質問、
ご意見は、ここからお知らせください。
 ⇒ https://okigunnji.com/url/7/


 
PS
弊マガジンへのご意見、投稿は、投稿者氏名等の個
人情報を伏せたうえで、メルマガ誌上及びメールマ
ガジン「軍事情報」が主催運営するインターネット
上のサービス(携帯サイトを含む)で紹介させて頂
くことがございます。あらかじめご了承ください。
 
PPS
投稿文の著作権は各投稿者に帰属します。
その他すべての文章・記事の著作権はメールマガジ
ン「軍事情報」発行人に帰属します。
 
 
最後まで読んでくださったあなたに、心から感謝し
ています。
マガジン作りにご協力いただいた各位に、心から感
謝しています。
そして、メルマガを作る機会を与えてくれた祖国に、
心から感謝しています。ありがとうございました。


 
●配信停止はこちらから
https://1lejend.com/d.php?t=test&m=example%40example.com
 
 
----------------------------------------------
発行:
おきらく軍事研究会
(代表・エンリケ航海王子)
 
メインサイト
https://okigunnji.com/
 
問い合わせはこちら
https://okigunnji.com/url/7/
 
 ---------------------------------------------

Copyright(c) 2000-2020 Gunjijouhou.All rights reserved