こんにちは、エンリケです。
「戦略航空偵察」二十八回目です。
冒頭の米軍人の話、実に興味深いです。
きょうの内容は以下のとおりです
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□ご挨拶
▼RC-135の活動
▼北ベトナム戦闘機による攻撃
▼エスコート戦闘機の活躍
▼ドローンの活動
▼SA-2ミサイルの情報収集
▼ドローンの活躍の総括
▼ベトナム戦争における航空偵察の成果
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さっそくどうぞ
エンリケ
、
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戦略航空偵察(28)
ベトナム戦争における航空偵察(2)
西山邦夫(元空将補)
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□ご挨拶
ベトナム戦争がたけなわの頃、新聞紙上には毎日
のように米軍機の被撃墜の記事が掲載されました。
失われた米軍機の数は、前回書きましたように
2,255機に上りました。
ベトナム戦争末期、私は防衛庁空幕で幕僚を務め
ており、時折米軍将校たちと食事をする機会があり
ました。あるパーティーがお開きになる前、パイロ
ットの米軍将校が食卓を飾っていたカーネーション
の白い花を明日からの安全のためにと言ってパクっ
と食べたのです。彼は、明日ベトナム行きだそうで
す。出撃すれば撃墜されるかもしれない、そうなら
ないための彼らなりのおまじないだそうです。それ
は安全な日本で暮らす私たち自衛官とは全く違った
世界でした。
自衛隊はまだ戦場で命を懸けて戦ったことがあり
ません。この米軍パイロットの姿を見て、あらため
て彼らは軍人だと痛感した次第です。
▼RC-135の活動
米軍にとって北ベトナムは、偵察飛行の対象とし
て見ても、手強い相手でした。沖縄・嘉手納に配備
されていた第82戦略偵察中隊所属のRC-135は、ベト
ナムにおける任務が日ごとに増え、連日嘉手納から
トンキン湾まで飛行しました。これまでのソ連と中
国を対象とする任務は、速やかにベトナムへと変更
されたのです。作戦名も「バーニング・キャンデ
イ」から「コンバット・アップル」に変えられ、
RC-135による24時間の収集態勢が敷かれました。
この絶え間のない収集態勢は作戦実施上、それが
必要とされたからです。第82戦略偵察中隊(SRS)
が運用するRC-135Mの飛行は1回の飛行が19時間を超
え、そのうち12時間はトンキン湾上空で任務にあた
りました。部隊は1日2機の稼働できるRC-135を準
備し、さらに即時任務につける1機を代替として用
意しました。加えて、毎週ソ連、中国への対処をす
る必要もありました。
この不可能に見える任務を遂行するのに、保有す
るRC-135はわずかに5機でした。機体の整備には、
沖縄の高い湿度と塩分を含んだ空気に悩まされ、台
風シーズンにはしばしばフィリピンのクラークか横
田へ避難しました。このような悪条件の下でも、コ
ンバット・アップルのRC-135は、24時間のオンステ
ーション(目標地域の上空飛行)態勢を数年間続け
ました。
▼北ベトナム戦闘機による攻撃
コンバット・アップル作戦の飛行は、当初はトン
キン湾全域で行なわれていましたが、漸次湾内どこ
でも作戦が進行中の地域に近接して支援できる態勢
を構築しました。空中給油のエリアはDMZの南にあ
り、給油中でも情報収集活動は続けられました。
オンステーション中、北ベトナムのMiG-21が超音速
で湾内に侵入し、RC-135に接近を試みることがあり
ました。MiGは残燃料と危険回避のためか、1回のパ
スでしか攻撃しませんでしたが、その後友軍の高射
砲と対空ミサイルがあるエリアへ急いで退避するの
が常でした。
RC-135は防御システムを装備しておらず、運用可能
な最高々度で飛行しているので、機動能力は低い状
態にありました。そのため、MiGにとって攻撃が容
易なターゲットで、いくつか非常に接近された例が
出ましたので、コンバット・アップルにエスコート
の戦闘機が付くようになりました。エスコートは空
母を発進したF-4とF-8でした。
▼エスコート戦闘機の活躍
エスコートの戦闘機はRC-135の上空か、周回する
RC-135の数マイル内側を飛行しました。この飛行は
ルーチンとして定着し、給油のためRC-135を離れる
と次のエスコート機が引き継ぎました。北ベトナム
空軍は速やかにこのパターンを学習し、エスコート
機の交代時の隙を狙ってRC-135を攻撃する事例が起
きました。
エスコート機が給油機と合流する直前に2機のMiG-21
が超音速でトンキン湾内に侵入しましたが、攻撃は
たまたま不成功に終わりました。このような事例が
2回続いたので、給油時にはRC-135は南方へ退避し
て対処しました。給油後は、ハイフォン沖で2機の
戦闘機と合流し、計3機が隊形を整えました。MiGが
トンキン湾内に侵入しようとすると、直ちに迎撃さ
れ、数機のMiGが撃墜された後、トンキン湾内への
侵入は途絶えました。
▼ドローンの活動
1964年のトンキン湾事件以後、SACのドローンに
よる情報収集アセットであるDC-130(ドローンの
飛行管制機能を持つC-130輸送機)2機とRyan147Bフ
ァイアビー機がアリゾナのデービス・モンサン基地
から嘉手納ヘ移動し、最初の任務飛行が中国南部に
対して1964年8月に行なわれました。この高々度から
の偵察飛行は、予想される中国の北ベトナム支援の
能力を把握する目的があり、ドローンは台湾まで飛
行し、パラシュートで回収されました。
この作戦は、4080SRW(戦略偵察航空団)が実施し
ました。この部隊は同年10月には南ベトナムのビエ
ンホア基地へ移動し、ドローンの回収場所はダナン
基地でした。その後、北ベトナムの継続する軍の増
強の影響により、ドローンの回収場所はタイのナコ
ン・ファノム基地になりました。
▼SA-2ミサイルの情報収集
ファイアビーは標的ドローンを改修した型で、広範
囲の任務実施が可能でした。ドローンには3つの基
本の型式があり、それぞれが異なったセンサーとエ
ンジンを搭載し、高高度あるいは低高度の偵察任務
か可能でした。ドローンを翼下に吊り下げたDC-130
は、ドローンの飛行状況をモニターし、飛行のプロ
ファイルを操作しました。敵戦闘機などの危険が迫
った時には、トンキン湾に位置する巡洋艦シカゴが
手動でコントロールし、危険を回避しました。
ファイアビーのELINTモデルのドローンが1966年2
月13日に飛行し、その中の一つRyan147B がSA-2ミサ
イルで撃墜されました。この状況は、ミサイルの発
射から爆発までの経過がドローンからトンキン湾上
のRB-47H偵察機へ逐一送信されていました。ここか
ら得られた情報は、作戦機のレーダー警報装置
(RHAW)と、SA-2に対する電子妨害(ECM)に戦争が終
結するまで利用され続けました。ベトナム戦争にお
けるドローンによる最高の収集成果の1つだと評価
されています。
▼ドローンの活躍の総括
爆撃作戦が実施された4年間を通じて、ドローン
は厳重な防空態勢がとられている地域を味方戦闘機
の援護なしに、またMiGの追跡を受けながら偵察を
続けました。また、ドローンの活動は、5機のMiGの
墜落の原因となったと推定されています。ドローン
追跡中の燃料切れ、対空砲による誤攻撃、あるいは
他のMiGによる誤攻撃が原因となった模様です。
低高度を飛行するドローンは、正確な写真を撮影
するには目標の直上を飛行することが必要でした。
無線航法LORANが東南アジアでも活用が可能になり、
ドローンもより正確な航法が可能になりました。ベ
トナム戦争末期に行なわれた「ラインバッカー2作
戦」では、ドローンはB-52爆撃機による爆撃効
果の判定に使われ、高度2,000Ft以下で行ナわれま
した。海軍のムーラー提督は、議会証言でラインバ
ッカー2作戦の成果の判定は、ほとんどがSACの低
高度ドローンによって得られたと証言しました。
ドローンを運営する部隊は、ベトナム戦争のすべて
の作戦に関与し、他の手段では接近困難な固い防御
が施された目標の情報収集を行ない、人的損害なし
に完遂したことは特筆されます。総括的に見ると、
1964年10月から1975年4月にかけて、1,000機以上の
AQM-34 Ryan Fire bee が東南アジアに投入され、
有人偵察機にとって実行困難な任務を34,000回以上
実行しました。
▼ベトナム戦争における航空偵察の成果
ベトナム戦争は、米軍とソ連・中国に支援された
北ベトナムの総力戦でした。米軍は航空戦力におい
ては北ベトナムを圧倒していましたが、北ベトナム
の粘り強い抵抗によって戦力の消耗が激しく、苦戦
を強いられました。北ベトナムのSAM、MiG戦闘機、
地上火器の脅威は大きく、戦術偵察機の損失はベト
ナム戦争を通じてRF-4が38機、RF-101が27機に上り
ました。その中で、戦略偵察機(U-2、SR-71、
RB-47、RC-135等)の損害は皆無であったことは、
特筆するべきでしょう。
これらの航空機が収集した情報の効果は、対SAMを例
に上げても顕著です。米軍の統計によれば、1965年
のSAMの撃墜率は5.7%(SAM194発で11機撃墜)でした
が、1972年には撃墜率1.15%(SAM4,244発で49機撃
墜)と約1/5に減少しました。この成果は、上記の
ドローンとRB-47の連携プレイでSAMの運用パターン
を収集できた事例が大きく影響していました。
その他、中国とソ連の北ベトナムへの武器提供状
況、戦闘序列(Oder of Battle)、交通等の写真・
映像情報、レーダー等の電波情報等々、収集するべ
き情報は多種多様で、かつ大量でした。収集した資
料を処理・分析して戦闘部隊へ配布する一連の情報
活動も莫大な量になりました。情報活動が膨大化す
るのは現代の戦争の特性の一つです。この流れは
1990年における湾岸戦争で一層強まることになりま
した。
(つづく)
(にしやま・くにお)
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□著者略歴
西山邦夫(にしやま・くにお)
1936年生まれ。防衛大学校卒(4期・空)。
情報関係略歴:航空幕僚監部調査2課収集1班長、航
空総隊司令部情報課長、陸幕調査別室主任調整官、
航空自衛隊幹部学校主任教官。著書に『肥大化する
中国軍(空軍部分を執筆)』(晃洋書房、2012年)、
『中国をめぐる安全保障(空軍部分を執筆)』(ミ
ネルバ書房、2007年)。研究論文に『中国空軍の戦
力構成とドクトリン』『中国空軍のSu-30MKKとイン
ド空軍のSu-30MKI』『韓国空軍の増強と近代化』
『中露合同軍事演習』『中国の主要航空兵器の装備
化実績と将来予測』『中国空軍の戦力とドクトリン』
『チベットにおける中国の軍事態勢整備』など多数。
近刊予定『知られざる戦略航空偵察(仮)』。
PS
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