配信日時 2020/08/20 08:00

【我が国の歴史を振り返る ─日本史と世界史に“横串”を入れる─(97)】「サンフランシスコ講和条約」締結への道程  宗像久男(元陸将)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応
予備自衛官でもあります。お仕事の依頼など、問い
合わせは以下よりお気軽にどうぞ
 
E-mail hirafuji@mbr.nifty.com
WEB http://wos.cool.coocan.jp
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こんにちは、エンリケです。

「我が国の歴史を振り返る
 ―日本史と世界史に“横串”を入れる―」
は97回目です。

今日も読みごたえのある素晴らしい内容です。

講和に至る過程が実に学びになります。
〇〇〇〇がなければ、条約の内容は□□・▼▼寄りに
なっていたということです。

冒頭文にあった
『日本人に謝りたい』、
さっそく求めました。


さっそくどうぞ


エンリケ



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我が国の歴史を振り返る
─日本史と世界史に“横串”を入れる─(97)

「サンフランシスコ講和条約」締結への道程


宗像久男(元陸将)
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□はじめに
先週は盆休暇をいただきました。さて、本メルマガ
も最終テーマである「サンフランシスコ講和条約」と
「日米安全保障条約」締結の道程を振り返るところ
までたどり着きました。
GHQの占領政策の締めくくりとして1点だけ補足
しておきましょう。読者の皆様は、ユダヤ教の長老
モルデガイ・モーゼの著『日本人に謝りたい』(*)
をご存知でしょうか。
モーゼ翁は、占領政策によって日本弱体化計画の中
心になったのは、GHQのユダヤ人たち(ニューデ
ィーラーたちの一部を指しています)で、結果とし
て「戦前まで日本が“世界に冠絶した類まれなもの
として誇っていた数々のもの”を破壊してしまっ
た」ことを「間違いだった」とし「心が痛む」と深
く詫びているのです。
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細部は省略せざるを得ませんが、「万世一系の天皇
を頂く“君民共治”の日本――世界の歴史を通じて
このような国家は決して存在しなかったし、今後も
他の民族は作り得ないだろう――このような『和』
が保たれた社会に、『自由』『平等』を持ち込むと
恐るべき分裂現象を起こすであろう。『和』はたち
まちにして破壊されるだろう。事実、戦後の日本は
今日みる如く世界でも『和』のない国になってしま
った」とし、「戦前の日本精神に立ち直って欲し
い」と訴えています。

このような書籍に出会うと、またしても「歴史の深
遠さ」を知ったような気分になります。本メルマガ
の総括でまた触れてみましょう。

 8月4日、河野防衛大臣の「弾道ミサイル阻止能
力」に関する記者会見で「中国や韓国の理解を得ら
れないのでは」との質問を投げかけた某局(新聞)
の記者(達)がいたことが話題になりました。これ
には「ブースターが演習場外に飛び出す」という
“意味明瞭だが趣旨不明瞭な”理由でイージス・ア
ショア配備計画を断念した防衛大臣でさえも「なぜ
その必要があるのか」と声を荒げたようです。

 かつて国防の任に就いて元自衛官の私としては、
“どちらがよりまともか”は明確に順番が付くとし
ても“どっちもどっち”という印象を持ちます。

 代替案として「敵基地攻撃能力」の保有などが取
りざたされていますが、(1)憲法の制約から来る戦後
の防衛政策の範囲で可能なのか、(2)発射のタイミン
グなどの運用上の問題や移動目標に対する有効性な
どの技術上の問題をクリアできるのか――またして
も途中で断念するようなことがないようしっかり分
析してほしいと願っております。

 特に(2)の部分については、専門家である自衛官
を検討チームに加えて頂きたいと願っています。イ
ージス・アショアについては、導入検討、地元調
整、そして今回の計画断念、いずれも自衛官たちは
蚊帳の外だったと聞きますが、これこそが失敗の原
因だったと考えます。自衛官はそれぞれ知見がある
ばかりか、米軍と太いパイプがあり、いずれの装備
品についても運用や技術について貴重な情報を得る
ことができるのです。

それにしても、防衛大臣と記者とのやりとりのよう
な“呆れた議論”のルーツは、「サンフランシスコ
講和条約」や「日米安全保障条約」締結に至る議論
にあることは明白です。まさに今回のテーマです。
戦後の我が国の“奇妙な”国防議論は、率直な物言
いをすれば、出発時点から“狂っていた”のです。

私には、当時の全面講和や再軍備反対を叫ぶ勢力と
今回の記者(達)、それに、吉田首相と河野防衛大
臣がダブって見えて仕方がありません。あれから7
0年も過ぎようとしていますが、ボタンの掛け違い
は、一度元に戻さないと直りません。そろそろそこ
に気がつかないと“手遅れになる”ことが懸念され
ます。残念ながら、その“大英断”を下し、実行で
きる牽引者は、今の我が国には出てこないのでしょ
うね。

▼対日講和に関する米国の基本原則

さて前回の続きです。ダレスは、朝鮮戦争が日本を
“西側主導の講和に同調させる好機”と受け止め、
対日講和の促進を主張したことはすでに述べました
が、少しさかのぼって講和までの道程を振り返って
みましょう。

まず、対日講和について、米国国防省は北朝鮮軍の
進撃が続いている間は歩み寄りをみせず、ようやく
国務・国防省長官のもとで妥協が成立したのは、国
連軍が38度線以北への侵攻を決定する直前の19
50(昭和25)年9月7日のことでした。

そこで予備交渉の開始が合意されましたが、その
際、(1)朝鮮における軍事情勢が有利に決着するま
では講和条約を発効しない、(2)米軍の駐留を継続
し、それを定める米日間の2国間協定と講和条約を
同時に発効させる、(3)日本の自衛権やその手段の
保有を否認する条項を含まない、(4)北緯29度以
南の琉球諸島に対する米国の排他的支配の確立、
(5)日本の大規模騒乱への米軍の出動が否認されな
い、などその後の講和条約や日米安全保障条約の
“骨子”がこの時点で定まったのでした。

翌日、この合意が大統領の承認を得て、対日講和交
渉の基本原則(NSC60/1)となります。この
基本原則は、“朝鮮戦争や米ソ冷戦の遂行に役立つ
ような処理方式を決定した”ともいわれ、ソ連・中
国・北朝鮮に敵対する講和、すなわち「単独講和」
を強行する決意を固めた原則だったのでした。

この基本原則に基づき、9月14日、トルーマン大
統領は「対日講和7原則」を極東委員会に提示しま
す。要約すれば、(1)当事国――日本と交戦状態にあ
り、合意できた基礎を基づき講和を結ぶ意思を持つ
国、(2)日本の国際連合への加盟、(3)朝鮮の独立、
琉球・小笠原は米国を施政権者として国連信託統治
化、(4)台湾・澎湖諸島、南樺太・千島列島の地位
は米英ソ中で今後決定、(5)米国等と安全保障上の
協力関係の存続、(6)政治的・通商的取決め等、
(7)1945年9月2日以前の戦争行為から生ずる
請求権の放棄。請求権に関する紛争は、特別中立裁
判所で解決、などでした。

この7原則は、「請求権の放棄」を規定している点
で寛大でしたが、それは、ヴェルサイユ講和条約の
失敗を再現させずに日本を西側陣営に取り込むため
のものであり、加えて、米国の駐留や沖縄などの分
離・支配という「代償」を伴うものでした。しか
し、日本の再軍備の禁止ないしは制限については全
く言及がありませんでした。

▼ソ連・中国の反発

当然ながら、ソ連は、(1)米国は、連合国が1942
年1月1日に署名した「単独講和禁止」を目指そう
としている、(2)台湾島の中国返還と南樺太等のソ連
への返還は大戦中の諸協定ですでに決まっている、
(3)琉球などを信託統治下に置くのは連合国の領土不
拡大方針に反する、などと極めて批判的な回答を寄
せます。

また米国は、対日講和問題に関しても中華人民共和
国を無視する姿勢をとったため、中国は、以下のよ
うに強烈な反発姿勢を明確にします(長くなります
が、のちのちのために要約しておきましょう)。
(1)中華人民共和国が参加しない対日平和条約は不法
かつ無効、(2)対日講和交渉は4大国一致の原則で進
めるべき、(3)カイロ宣言・ヤルタ協定などの決定
に基づき対日講和を推進すべき、(4)台湾等の中国
返還、南樺太等のソ連返還などは既決の問題、(5)
琉球等の信託統治化は米国の極東の侵略基地化、
(6)講和後の米国の日本駐留は、ポツダム宣言に反
し、アジア民族の侵略のため基地確保を意図するも
の、(7)日本の再軍備の強要と侵略的勢力の復活に
より日本を植民地化し、アジア民族侵略の具にしよ
うとしている、(8)日本の軍事産業の奨励により、
日本の経済を搾取しようとしている、(9)中国は対
日講和の早期締結を希望するが、講和条約は日本を
民主化し、侵略勢力を除去することにより外国勢力
の管理から開放された民主的日本だけがアジアの平
和と安全に寄与し得る、などです。

ソ連や中国が求める「民主的日本」は“自分たちに
とって都合のいい日本”であることは明白ですが、
両国は、すべての連合国の参加のもと、大戦中の諸
決定に基づき、日本の民主化や外国軍隊の撤退を規
定するような“全面講和”を求めており、米軍基地
の継続使用や沖縄の分離・支配、さらには日本の再
軍備と真っ向から対立していました。

ダレスは、国連総会などの場を利用して極東委員会
構成国と予備交渉を行ないますが、日本の再軍備を
制限する条項の欠如については、オーストラリア、
ニュージーランド、フィリピン、ビルマなどが強い
反発を示し、英国は、日本の経済活動への制限条項
の欠如に不満を示します。

また、朝鮮戦争の激化とともに非同盟の立場を明確
にしつつあったインドは、極東委員会の3分の2の多
数決で可決という米国案に賛成しつつも、中華人民
共和国に中国の代表権を認めるべきと主張するとと
もに、琉球等の分離、講和後の連合国軍隊の駐留、
日本の再軍備への反対を表明します。

▼講和問題に対する国内の議論

我が国内においては、講和問題への関心が高まった
のは、米国が積極的な姿勢を見せ始めた1949
(昭和24)年秋頃でした。翌50年、(すでに述
べましたように)吉田首相が全面講和を主張した南
原東大総長を「曲学阿世の徒」と非難した訳は、全
面講和論の影響の拡がりを恐れてのことでした。

しかし全面講和へ向けた動きは、朝鮮戦争の深刻化
とともに急速な盛り上がりを見せ、1951(昭和
26)年1月には、社会党が講和3原則(全面講
和・中立堅持・軍事基地反対)に再軍備反対を加え
た平和4原則の立場を明確にし、共産党も全面講和
のための一大国民運動を提唱します。

こうしたなか、再びダレスが来日し、第1次日米交
渉が始まりますが、それに先立ち、朝鮮戦争は中国
義勇軍の参戦によって国連軍が総崩れになり、再
び、国防省と国務省の間で対日講和の促進か延期か
をめぐって対立が表面化します。

国務省は、朝鮮半島とは切り離して対日講和締結を
求め、日本の再軍備を容易にするためNATOの太
平洋版として「太平洋協定」(日本・オーストラリ
ア・ニュージーランド・フィリピンが参加)締結ま
で提唱したのに比し、統合参謀本部は、あくまで朝
鮮半島が有利に決着するまで待つよう主張し、日本
の憲法改正と再軍備が本格化するまで待つべきとの
強硬姿勢も示します。

このような米国政府の内部対立を調整するために作
成されたトルーマンのダレス宛書簡は、おおむね国
務省案に沿っており、(1)米国が日本列島に相当規
模の軍事力を配置すること、(2)日本自身の防衛力
強化と太平洋島嶼国家間の相互援助協定の締結を希
望することが述べられていました。

つまり、朝鮮戦争の深刻化は、日本の再軍備の圧力
を一層強化したばかりか、中ソに対抗するための集
団的軍事同盟を創設するという計画まで浮上させる
ことになったのです。

日本側は、ダレスに対して「わが方の見解」を示し
ますが、(1)米国の講和7原則を歓迎、(2)単独講和
の受け入れ、(3)講和条約とは別に日米安全保障条約
の締結、までは肯定的でした。しかし、「米国の軍
事上の必要にはいかようにも応ずる」とするも、日
本の再軍備については、「国民感情や民生安定の優
先、さらに近隣諸国の反発、旧軍国主義の再生の恐
れなどからこれらを希望しない」との態度を鮮明に
します。

これらは、保守政治家の一致した見解だったといわ
れますが、当時、盛り上がりつつあった全面講和の
即時締結と再軍備反対の国民世論、併せて沖縄・小
笠原諸島の分離に反対する運動の急速な盛り上がり
などを無視できなかったのでした。

一方、ダレス使節団は、米軍基地の継続使用を交換
条件として再軍備圧力をかわそうとした日本側に対
して「経済上の困難など理由にならない」と再軍備
をめぐって日米が激しく対立します。

この結果、日本側は、警察予備隊とは別に、陸海5
万人からなる「保安隊」の創設と国家治安省の設置
を骨子とする「再軍備プログラムの最初のステップ」
について、条約その他の文書に明記しない“極秘”
を条件に約束します。

この提案は、米国が期待した規模(約30万の軍
隊)をはるかに下回るものでしたが、安保条約前文
に「直接及び間接の侵略に対する自国の防衛のため
に漸進的に自ら責任を負う」というかたちで記載さ
れ、再軍備が義務付けられることになります。

米軍基地提供についても、米側は「相互援助協定」
の締結を条件としましたが、「憲法9条下にある日
本は、相互援助協定締結は困難」として「安全保障
条約」の中で基地供与を定めることになります。

また米国は、米軍の様々な“特権”を列挙する条約
も提示しますが、国内世論の反発を恐れた日本側の
要望で、条約自体は簡単なものとして、細部は“国
会の批准を要しない”「行政協定」にまわすことに
なります。この「行政協定」は、講和条約及び安保
条約発効目前の1952(昭和27)年2月に締結
されます。

この結果、300件もの無期限使用の基地供与や米
軍関係者の刑事裁判の治外法権や大幅な経済特権が
認められ、米軍は「占領軍」から「在日米軍」と名
前を変わっただけで、従来通りの“特権”を保持す
ることになります。


(以下次号)


(むなかた・ひさお)

※お知らせ
私は現在、ボランテイアですが、公益社団法人自衛
隊家族会の副会長の職にあります。今回紹介いたし
ます『自衛官が語る 海外活動の記録』は、自衛隊
家族会の機関紙「おやばと」に長い間連載してきた
「回想 自衛隊の海外活動」を書籍化したものです。

その経緯を少しご説明しましょう。陸海空自衛隊は、
創設以降冷戦最中の1990年頃までは、全国各地
で災害派遣や警備活動を実施しつつ、「専守防衛」
の防衛政策のもとで国土防衛に専念していました。

 憲法の解釈から「海外派兵」そのものが禁止され
ており、国民の誰しも自衛隊の海外活動は想像すら
しないことでした。当然ながら、自衛隊自身もその
ための諸準備を全く行なっていませんでした。

ところが、冷戦終焉に伴う国際社会の劇的な変化に
よって、我が国に対しても国際社会の安定化に向け
て実質的な貢献が求められるようになりました。

こうして、湾岸戦争後の1991(平成3)年、海
上自衛隊掃海部隊のペルシア湾派遣を皮切りに、自
衛隊にとって未知の分野の海外活動が始まりました。
しかも、中には国を挙げての応援態勢がないままで
の海外活動も求められ、派遣隊員や残された家族の
やるせない思いやくやしさは募るばかりでした。

それでも隊員たちは、不平不満など一切口にせず、
「日の丸」を背負った誇りと使命感を抱きつつ、厳
正な規律をもって今日まで一人の犠牲者を出すこと
なく、与えられた任務を確実にこなしてきました。
この間、実際に派遣された隊員たちのご苦労は想像
するにあまりあるのですが、寡黙な自衛官たちは本
音を語ろうとしませんでした。

かくいう私も、陸上幕僚監部防衛部長時代、「イラ
ク復興支援活動」の計画・運用担当部長でしたので、
決して公にはできない様々な経験をさせていただき
ました(墓場まで持っていくと決心しております)。

このような海外活動の実態について、隊員家族をは
じめ広く国民の皆様に知ってもらうことと自衛隊の
海外活動の記録と記憶を後世に伝え残したいという
願いから、「おやばと」紙上でシリーズ化し、各活
動に参加した指揮官や幕僚などに当時の苦労話、経
験、エピソードを寄せてもらいました。

連載は、2012年8月から2014年11月まで
約2年半続き、その後も行なわれている「南スーダ
ン共和国ミッション」や「海賊対処行動」などにつ
いてはそのつど、関係者に投稿をお願いしました。

このたび、シリーズ書籍化第1弾の『自衛官が語る 
災害派遣の記録』と同様、桜林美佐さんに監修をお
願いして、その第2弾として『自衛官が語る 海外
活動の記録』が出来上がりました。

本書には、世界各地で指揮官や幕僚などとして実際
の海外活動に従事した25人の自衛官たちの脚色も
誇張もない「生の声」が満載されております。

遠く母国を離れ、過酷な環境下で、ある時は身を挺
して、限られた人数で励まし合って厳しい任務を達
成した隊員たち、実際にはどんなにか辛く、心細く、
不安だったことでしょうか。

しかし、これらの手記を読む限り、そのようなこと
は微塵も感じられないばかりか、逆に派遣先の住民
への愛情や部下への思いやりなどの言葉で溢れてお
り、それぞれ厳しい環境で活動したことを知ってい
る私でさえ、改めて自衛隊の精強さや隊員たちの素
晴らしさを垣間見る思いにかられます。

また、桜林さんには、海外活動の進化した部分とか
依然として制約のある法的権限などについて、わか
りやすく解説し、かつ問題提起していただきました。

皆様にはぜひご一読いただき、まずはこれら手記の
行間にある、隊員たちの「心の叫び」を汲み取って
いただくとともに、自衛隊の海外活動の問題点・課
題などについても広くご理解いただきたいと願って
おります。また、前著『自衛官が語る 災害派遣の
記録』を未読の方は、この機会にこちらもぜひご一
読いただきますようお願い申し上げ、紹介と致しま
す。

『自衛官が語る 海外活動の記録─進化する国際貢献』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
  発行:並木書房(2019年12月25日)
  https://amzn.to/384Co4T







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【著者紹介】

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学
校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロ
ラド大学航空宇宙工学修士課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕
僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、
第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て
2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』
などに投稿多数。


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