配信日時 2020/08/14 08:00

【自衛隊・熱砂のイラク派遣90日(3)】「いざ、灼熱のイラクへ」藤井岳

こんにちは、エンリケです。

藤井岳さんの、
「熱砂の自衛隊イラク派遣90日」
の三回目です。

出立時の雰囲気がよく伝わってきます。
反対派への一言もいいですねw


ご意見・ご感想は、
コチラから ↓
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さっそくどうぞ


エンリケ


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新シリーズ!

自衛隊・熱砂のイラク派遣90日(3)

いざ、灼熱のイラクへ

藤井岳(ふじい・がく)(元陸自2曹)

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□はじめに

 スマートフォンは読者の皆様のほとんどの方が使
用していると思います。スマホにはたいてい地図ア
プリがインストールされていると思いますが、お時
間のある方は、ぜひ現在も自衛隊展開時の姿を残す
サマーワ宿営地をご覧になってみてはいかがでしょ
う。

 イラクの首都バグダッドから国道1号線を南東に
追っていくと、サマーワが確認できます。サマーワ
を南下する28号線に沿って市街地を抜け、運河を
越えると、右手に正方形に近い形の土地が確認でき
るはずです。28号線からくねくねした道の先にあ
る四角形の土地です。位置的にはサマーワ市街の南
西です。

 現在はイラク空軍の施設となっているようです
が、拡大して見ると自衛隊が残した施設などがほぼ
残っているように見えます。元宿営地を見た方はど
のような印象を持たれるでしょうか? 思っていた
より広いとか、また反対に小さいとかさまざまな感
想を持たれると思います。16年前の夏、私は確か
にそこで任務についていたのです。


▼隊旗授与

 2004年8月8日、青森駐屯地。第3次イラク
復興支援群隊旗授与式会場の壇上で、石破防衛庁長
官が第3次イラク復興支援群長、松村1等陸佐に
「派遣隊旗」を授与した。松村1佐が隊旗を力強く
受け取る。報道陣が一斉に群がり、カメラのフラッ
シュが盛んに焚かれる。
 
 私は列中から壇上の様子を見ていた。防衛庁長官
以下、自衛隊からは陸海空自衛隊の高官が、一般か
らは県市町村、各関係機関から多数の来賓が列席し
ていた。来賓の挨拶や電報の披露は駐屯地記念日の
式典よりも多く、いかにこの隊旗授与式が重要な式
典か分かる。そしてこの後、派遣群第1波が出発し
た。派遣部隊は3つのグループに分かれ、それぞれ
第1波、第2波、第3波と呼ばれた。私は第2波で
出国、期日は1週間後の8月15日であった。
 
 出国の前日、8月14日は実家で過ごした。「最
後の晩餐」という言葉が何度も頭をよぎったが、そ
のたびに(馬鹿、そんな事を考えるな)と自分に言
い聞かせた。夕食を済ませ、自室で荷物をまとめる
と、ベッドに寝転んだ。天井を見上げながらさまざ
まなことを考える。明日の今頃はもう飛行機の中
か、そして明後日にはもうクウェートに着くんだ
な。中東は一体どんな所だろう。そんなことを考え
ながら眠りについた。
 
 そして迎えた8月15日。早朝に実家を出発す
る。最後に愛犬を何度も抱きしめた。彼女も何かを
感じたのか、寂しそうに私を見つめる。後ろ髪引か
れる思いで車に荷物を積み、乗り込んだ。両親と共
に駐屯地へ向かう。到着後は一度駐屯地で別れ、青
森駐屯地でまた落ち合う手筈になっていた。

 青森駐屯地では第2波出発報告と家族懇談があった。
 父親が言う。
「とにかく体に気をつけてな」
 どの隊員の親や家族も言うことは皆同じなのだろう。
 
 体に気をつけろ。
 怪我や病気にも気をつけろ。
 そして──必ず無事に帰ってこい。

 懇談が終わると、いよいよ見送りだ。多くの隊員
の声援を受けながら衛門まで行進する。師団管内か
ら派遣隊員を見送るために多くの隊員が集まってい
た。青森駐屯地の隊員も総出である。そして派遣隊
員の家族。多くの見送りの人垣が道路の両端を埋め
尽くす。衛門の手前には派遣隊員を青森空港まで送
るチャーターバスが待機し、先導は青森県警察のパ
トカーだった。
 
  列が動き出す。道の両端からたくさんの激励の声
をかけられる。駐屯地全体が声援に包まれているよ
うであった。私が所属する戦車大隊の隊員も各中隊
長以下、笑顔で見送ってくれた。我々派遣隊員の不
在間、原隊で日常的に行なっている業務は中隊の隊
員に代わりに請け負ってもらうことになる。人手も
減り、負担も少なからずかけてしまうことになり、
中隊の仲間には申し訳ない気持ちであった。それで
も中隊の仲間たちは笑顔で送り出してくれた。

「ありがとうございます! 行ってきます!」
 
 敬礼で応える。最後に師団司令部庁舎前で多くの
高級幹部の見送りを受け、バスに乗り込む。

▼出発、それぞれの別れ

 バスのかたわらには多くの隊員家族がつめかけて
いた。すぐにバスに乗り込む者、家族や恋人の許へ
駆け寄る者などいろいろだった。私はバスから少し
離れた場所にいた両親に駆け寄った。両親からの言
葉は何度も聞いた言葉だ。でも本当にそれしかない
から繰り返して言うのだろう。母は泣いていた。私
も二人の健康を願う言葉、そして実家にいる愛犬が
寂しがらないよう、よろしく頼むよ、と何度も繰り
返し口にした。

「じゃ、行ってきます」

 バスへ向かう。すでにほとんどの隊員が乗り込
み、すべての窓を開けて家族に声をかけたり手を振
ったりしている。空いている席がないかと車内を進
むと、
「藤井、ここ空いてるぞ」と声をかけられた。
 声の主は車輌整備班で私と同じDチームに所属する
K3曹だった。
「窓側に座れよ」
「え、いいんですか?」
「いいよ、俺には見送りいねえからさ……親御さん
に手ぇ振ってやりな」
「すみません、ではお言葉に甘えて……」
 窓側に座り、窓を開ける。
 隊員とその家族がそれぞれの別れを交わす様子を
じっと眺めた。人が脇目もふらず、感情のおもむく
ままに言葉を交わし、抱擁する姿を心から美しいと
思った。
 両親を探すと、二人は最後に言葉を交わした場所
にいた。
 ねぶたの囃子と見送りの人たちの声で騒然とする
なか、再び両親に手を振る。

 長い笛が鳴り響いた。出発の合図だ。
 
 見送りの人々の声が一段と高くなる。涙を流す人
も一人や二人ではなかった。私は両親の姿が見えな
くなるまで手を振り続けた。
 先導のパトカーがゆっくり衛門を通過し、続いて
バスも動き出す。

 バスが衛門を通過すると、それまで窓から手を振
ったり身を乗り出していた隊員たちも着席して、車
内の興奮は少しずつ収まりつつあった。そんななか
今度はやたらと耳障わりな声が聞こえてきた。

「自衛隊のイラク派遣反対!」
 
 窓を開けると、横断幕を持った数人がイラク派遣
反対のシュプレヒコールを上げていた。よく見る
と、息巻いているのはハンドマイクを持った者だけ
で、横断幕をかかげた者の中には声も上げず、うつ
むいたままの者も見られた。

「なんだよ、覇気のない反対派だな。無理矢理連れ
てこられたか、人数揃えのバイトか?」

 笑いながらそんなことを隣のK3曹と話している
と、同じ車輌整備班のO3曹が立ち上がり、開いて
いる窓から体を乗り出した。

「うるせえ! お前らが帰れ!」

 O3曹が大声で怒鳴ると車内は笑いと拍手に包ま
れた。

 バスが速度を上げる。市街地を抜け、外の景色は
田畑が目立つようになった。しばらくして、あるこ
とに気がついた。バスは一度も止まらずに、青森空
港へ向かっている。随分スムーズに進むなあ、と思
っていたら、信号がすべて青なのだ。

 すべての信号に警察官が配置され、車列が通行す
る間、信号を手動操作で青にしているようだった。
車列に向かって敬礼する警察官もおり、私も感謝の
気持ちを込めて答礼した。

 よく見ると警察官だけではなかった。老若男女、
たくさんの人たちが歩道や道端、民家の庭先から車
列に手を振ってくれていた。
 
 民家も見えなくなり、しばらくして青森空港に到
着。車列はターミナルには止まらず、奥のゲートか
ら直接駐機場に入った。ここでしばらく待機を命ぜ
られた。駐機場には派遣隊が乗るチャーター機がす
でに駐機し、タラップも設置されていた。チャータ
ー機はタイの航空会社プーケット・エアのB747
型機であった。
 
▼「さあ、次はクウェートだ」

少々長い待機の後、降車の指示が出た。まずは手荷
物を機内に置き、一度降りて再度行進して搭乗する
と説明を受けた。機内に入り、座席に手荷物を置
く。降りてターミナルの屋上を見ると、送迎デッキ
は見送りの人で一杯になっていた。両親はあの中に
いるのだろうか……?
 
 駐機場端で整列する。搭乗の時間だ。列が進む
と、送迎デッキから声が上がった。青森駐屯地を発
つ時と同じだ。派遣隊員たちも皆、手を振る。タラ
ップが近づく。そして私の搭乗。ステップに足をか
ける前に。

 小声で「行ってきます」

 送迎デッキに正対して敬礼。

 タラップをのぼり、機内へ入る。座席に座り、ひ
と息ついた。さあ、次はクウェートだ。気持ちを切
り替える。

 2004年8月15日、奇しくも終戦記念日。
19時30分、私たちイラク第3次復興支援群第2
波を乗せたプーケット・エアのB747は青森空港
の滑走路を蹴った。

 目指すは、中東、クウェート。



(つづく)



(ふじい・がく)


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【著者紹介】

藤井岳(ふじい・がく)ペンネーム
1979年岩手県一関市生まれ。1996年自衛隊生徒とし
て陸上自衛隊入隊。少年工科学校へ入校。卒業後機
甲生徒課程を経て第9戦車大隊(岩手)で戦車乗員
として勤務。2004年第3次イラク復興支援群に参加、
イラク・サマワにて任務に就く。2005年富士学校
(富士)に転属。機甲科部で助教として戦車教育に
従事。2008年退職。フリーランスフォトグラファー
として活動を開始。自衛隊航空部隊の撮影、取材に
取り組む。2015年から「PANZER」誌で執筆開始。そ
の後「丸」「JGROUNDEX」「JWings」などで写真や戦
車に関する記事を発表。現在に至る。



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