配信日時 2020/08/06 08:00

【我が国の歴史を振り返る ─日本史と世界史に“横串”を入れる─(96)】「マッカーサー証言」の意味するもの  宗像久男(元陸将)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応
予備自衛官でもあります。お仕事の依頼など、問い
合わせは以下よりお気軽にどうぞ
 
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WEB http://wos.cool.coocan.jp
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こんにちは、エンリケです。

「我が国の歴史を振り返る
 ―日本史と世界史に“横串”を入れる―」
は96回目です。

今日も読みごたえのある素晴らしい内容です。

マッカーサー評価は、実に読み応えあります。

我が国が、マッカーサーの呪縛を乗り越える日が
来るのはいつでしょう?

さっそくどうぞ


エンリケ

追伸
次週の配信はお休みです。
次回配信は8/20です。



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我が国の歴史を振り返る
─日本史と世界史に“横串”を入れる─(96)

「マッカーサー証言」の意味するもの


宗像久男(元陸将)
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□はじめに

 F様から、前々回、取り上げました「韓国の歴史
教育」について「実態は違っているのではないか。
韓国ではしっかりと『南侵』を教えている」とする
ご指摘をいただきました。私も現役時代、多くの韓
国軍人と付き合いがあり、知り合った軍人の認識が
まともだったことから、ニュース自体の信ぴょう性
については疑っておりました。

 韓国の「歴史」は「ヒストリー」でなく「ファン
タスティック」だといわれますが、元来、情緒的な
民族性を有し、ある程度「表現の自由」が許されて
いることから、実際に、自分たちの史観や主義主張
を有利にするニュースなどが“事実とは関係なく”
流された例は昔から何度もありました。最近は特に
“反日無罪”が堂々と叫ばれ、ネット社会を主体に
その傾向が増大していると言えるでしょう。

F様によれば、「文大統領になったら、教科書で
は、“朝鮮戦争は、敗北した日本軍が朝鮮を占領
し、韓国は国連軍と一緒に日本軍と戦った”という
記述に変わった」というこれまたデマが流れている
とのことです。本当に呆れます。

 私たちは、韓国から流れてくる“奇妙な”ニュー
スや話題については、まずそれが事実かどうかを他
の手段で確認する必要があるということかと思いま
す。F様、貴重なご指摘ありがとうございました。

▼マッカーサー解任

さて前回の続きです。司令官として国連軍を指揮
し、実際に「朝鮮戦争」を戦ったマッカーサーは、
北朝鮮の背後にいるソ連や中国という共産主義国家
の脅威を感じます。そして「もし朝鮮半島を失え
ば、極東での米国の防衛戦は失われ、西海岸まで後
退してしまう」と、「朝鮮半島や台湾はアメリカの
“防衛ラインの外”である」としたアチソン・ライ
ンとは別の見方をします。

字面だけを見れば、「自衛力のない日本を米国だけ
では守れない」として、これまでの考えを180度
覆したように見えますが、朝鮮半島を死守しつつ、
大陸の中国・ソ連と対峙するという、日清・日露戦
争以来の我が国の防衛戦略について、自ら「朝鮮戦
争」を戦ってみて、マッカーサーは初めて理解した
と解釈すべきと考えます。

マッカーサーは焦燥し、ついに暴走します。“原爆
の使用を含む”「中国本土攻撃も辞せず」と公言
し、中国を挑発します。

「朝鮮戦争」が膠着するなか、第3次世界大戦にな
ることを恐れて和平工作を模索していたトルーマン
は、マッカーサーの発言に激怒し、1951(昭和
26)年3月24日、日本の占領統治を含むマッカ
ーサーの全軍職を解任します。

一般には、上記のように、「原爆の使用」の発言が
解任の理由とされていますが、「原爆の使用」につ
いては、1950年11月30日、トルーマン自身
が中国へのおどしのために「必要とあらば中国共産
軍に対して原子爆弾を使用することも考えている」
と発言しています。

解任の真相は、マッカーサーが「アジアで共産主義
の戦いに敗れれば、欧州の崩壊まで避けられない」
として「アジアにおいて“第2戦線”を展開するた
めに台湾の蒋介石軍の使用を望んでいたことにあ
る」との説があることを紹介しておきましょう。

この考えこそが、トルーマンの逆鱗に触れ、アチソ
ン国務長官やマーシャル国防長官(なぜか、またし
てもこの二人の名前が出てきます)の進言もあって
解任に踏み切ることになります。

その一報を東京のラジオ放送で聞いたマッカーサー
は、妻に向かって「どうやらやっと帰国できるよ」
と語ったといわれます。

▼マッカーサー離日・凱旋帰国

 4月15日、昭和天皇とマッカーサーは、赤坂の
米国大使館で最後の面談を行ないます。天皇は、5
年8カ月にわたったマッカーサーの日本再建への貢
献に対して、儀礼的以上の「謝意を示された」とい
われます。翌16日、衆・参議員は、マッカーサー
に感謝決議文を差し上げることを決定し、経団連も
感謝声明文を発表します。

東京都議会も臨時会議を開き、感謝決議文を決議
し、羽田でマッカーサーに手渡します。そこには、
わずかに6年ほど前、B29の爆撃によって30万
人の都民が殺されたことはすっかり忘れ、「首都の
復興に成果をあげ得たことは、都民のひとしく感謝
感激に堪えないところである・・」と書かれてあり
ました。

その朝、米国大使館から羽田空港までの沿道は20
万人以上の群衆で埋まり、日の丸と星条旗の小旗を
打ち振ってマッカーサーを見送ります。翌日、新聞
各紙もマッカーサーに対して“歯の浮くような賛
辞”を載せました。

マッカーサーはホノルルで大歓迎を受け、サンフラ
ンシスコに到着すると、約50万人の人々が迎えま
す。その後、ワシントン、ニューヨークなどでも空
前の大歓迎を受け、これらの地における“凱旋パレ
ード”は、総勢100万人もの人々が集まったとい
われます。

4月19日、さっそく上下両院議員を前にしたマッ
カーサーは、「老兵は死なず、ただ去り行くのみ」
の台詞で終わる伝説的な名演説を行ないます。

この演説の中で、「私は、日本国民ほど清らかで、
秩序正しくかつ勤勉な国民を他に知らない」とし
て、「戦争以来、日本人は近代史に記録された中で
最も立派な改革を成し遂げた。称賛に足る意志と、
学習意欲と、抜きんでた理解力をもって、日本人は
戦争が残した灰の中から、個人の自由と人格の尊厳
に向けた大きな建造物を建設した。政治的にも、経
済的にも、そして社会的にも、今や日本は地球上に
ある多くの自由国家と肩を並べており、決して再び
世界の信頼を裏切る事はないであろう」と日本を褒
めたたえたのです。

この背景には、とかく批判のあった占領政策につい
て、「 “マッカーサー自身が日本で成し遂げたと考
えていた業績”を弁護していた」とする解釈もあり
ますが、国内では「マッカーサー神社」まで建立し
ようとする動きが出て、マッカーサーも「非常に光
栄に思っている」と承認したといわれます。

再び、大統領候補にもなり、本人もやる気満々だっ
たようです。そして上院軍事外交合同委員会の聴聞
会に召喚され、本人も大統領選挙に有利と判断し、
これを受諾します。5月3日、マッカーサーは再
び、歴史に残る証言を実施します。

▼マッカーサーの証言

まず、質問者より「赤化中国に対する海空封鎖とい
うあなたの提案は、アメリカが太平洋において日本
に勝利したのと同じ戦略ではないか?」と問われ、
大東亜戦争での経験を交えながらマッカーサーは次
のように答えます。

「日本は産品が蚕を除いてほとんど何もない。日本
には綿も羊毛も石油製品も錫もゴムもない。その全
てがアジア地域にはあったが、それらの供給が断ち
切られたら、1千万人から1千2百万人の失業者が生
じることを日本は恐れていた。それゆえ、日本が戦
争に突入した目的は、主として安全保障(Secu
rity)によるものだった」として、その後の日
本の中国大陸や東南アジアへの進出、それに対する
米軍の反撃作戦について縷々説明します。

これは、マッカーサーが聖書に手をついて宣誓を行
なった上での証言内容ですので、敬虔なクリスチャ
ンのマッカーサーの偽らざる“本心”だったと断言
することができます。

本メルマガでは省略しましたが、「東京裁判」の証
言において、東條英機は、「この戦争を避けたいこ
とは政府も統帥部も皆同じだった・・・ここに至っ
ては、自存自衛上開戦はやむを得なかった」と答え
ていますが、それから約1年半後、東條の基本主張
が正しかったことを、マッカーサーが自ら証明した
のでした。

マッカーサーの証言自体は、翌日、ニューヨーク・
タイムズ紙などの記事になりましたが、占領下であ
ったせいか、国内ではその内容が話題になることは
なかったようです。

その理由は、のちにこの証言を日本で最初に取り上
げた渡部昇一氏によれば、「マッカーサーの証言自
体は当時、記事にはなっていたものの、朝日新聞な
ど日本のマスコミは、マッカーサーが“日本が戦争
に突入した目的は、主として安全保障によるものだ
った”とする部分を省いて報道していた」とのこと
です。しかも、「それ以降、現在(渡部氏の書籍が
出版された2015年頃)まで、新聞やテレビがマ
ッカーサー証言を取り上げたケースもない」と解説
しています。

なお、「この発言は、中華人民共和国に対する海上
封鎖の有効性を示すために発言したものであり、日
本の戦争目的を擁護する意図は含まれていない」
(秦郁彦氏)とする反論もありますが、それだけな
らば、発言の冒頭に、わざわざこの“くだり”を入
れたことについて説明がつかないと考えます。

そして、この“日本を擁護するような”発言は、ア
メリカ人の“受けが悪く”、この発言によって、マ
ッカーサーの政治生命が絶たれたと言って過言であ
りません。

またマッカーサーは、「現代文明を基準とするなら
ば、我ら(アングロサクソン)が45歳の年齢に達
しているのと比較して日本人は12歳の少年のよう
なものだ」とも証言します。この発言は「日本人は
ドイツ人より信頼できることを強調したかっただ
け」とする解釈もありますが、この発言の前に「日
本人は極めて孤立し進歩の遅れた国民」と証言して
いたことと重なり、多くの日本人の怒りと失望を招
く結果となります。

さらに、「過去100年に米国が太平洋地域で犯し
た最大の政治的過ちは“共産勢力を中国で増大させ
た”ことだ。次の100年で代償を払わなければな
らないだろう」と述べ、アジアにおける共産勢力の
脅威の増大を強調しています。

マッカーサー自身、間違った情勢判断を繰り返した
ことに対する反省(後悔)の意味もあったのかも知
れませんが、その後の歴史をみれば、この発言が正
しかったことも、その“代償”がまだ終わっていな
いばかりか、最近の米中関係をみれば“これから正
念場を迎える”ことも明らかになりつつあります。
細部については、本メルマガの最後に総括すること
にしましょう。

▼マッカーサーの“功罪”

 GHQの占領政策は、戦後の我が国の「形」を作
りましたが、最後に、そのトップであったマッカー
サーの“功罪”を考えてみましょう。それを知るた
めには、前にも紹介しました『國破れてマッカーサ
ー』(西鋭夫氏)以上に、鋭くかつ公平にマッカー
サーを評価している書籍を見つけることはできませ
んでした。

『國破れてマッカーサー』
西鋭夫
https://amzn.to/30mkBVB


西氏はこう述べています。「日本という『国』が悪
で、日本国民は『無知の、いや無知な犠牲者』だと
いう発想は、マッカーサーが仕組んだものだ。東京
裁判もこの発想で進行した。この発想は『国民が
国』という民主主義の土台をひっくり返したもので
あり、マッカーサーが日本の国民に特訓した民主主
義に反するものだった」。

「しかし、『国』が悪いとする考えは、日本国民が
『国』を愛さないようにするためには、実に巧妙
で、効果的な策略であった。これが、マッカーサー
の『日本洗脳』だ」としています。

そして、「このからくりにハメられた状態を『戦後
民主主義』とあがめ、国歌・国旗を『悪の象徴』と
して否定し、憲法第9条を『平和の証』として奉っ
た多くの有識者に加え、共産主義を信奉する教師た
ちがソ連や中国の工作員のように振る舞い、弱民化
の最良の武器である『教育』を駆使した」として、
これらによって「『日本潰し』が企てられた」と指
摘しています。

マッカーサーの命により、日本人は、夢を捨て、誇
りを捨て、信念も捨てました、いや捨てさせられま
した。その結果、日本人であること自体を「恥」と
され、それが「一億総懺悔(ざんげ)」となりまし
た。

確かにマッカーサーは、前述のように、戦争に至っ
た戦前の日本の立場への理解、共産主義の否定、東
京裁判の過ちなどは証言しますが、日本及び日本人
に対する無理解のまま、自ら先頭に立ち、ニューデ
ィーラーたちと歩調を合わせて実践した日本及び日
本国民の改造については自画自賛に終始し、最後の
最後までそれを反省あるいは否定することはありま
せんでした。

共産勢力の脅威の増大があって、占領政策は途中で
変更されましたが、これまで縷々振り返ったような
占領当初の「日本改造」の各施策のインパクトがあ
まりに強く、我が国は、その影響を国の「形」の根
幹の部分に残し、国民は「誇り」さえ失ったまま、
見直すことなく今日に至っています。

これをマッカーサーの「功」と考えるか、「罪」と
考えるかについては、国論は依然、2分されるでし
ょう。西氏は「誇りを捨てた民族は、必ず滅びる」
と断言していますが、この原稿をしたためているこ
の瞬間に、「誇りあれ、日本よ」と訴え続けておら
れた李登輝元台湾総統死去とのニュースが飛び込ん
できました。

韓国の白善燁(はくぜんよう)氏や李登輝氏のよう
な外国人に伝統的な“よき日本人の姿”を観る思い
も手伝ってか、よけいに、そろそろマッカーサーら
GHQによって強行された「日本改造」に疑問を持
たないまま肯定してきた考えを見直す、つまり、我
が国は、「マッカーサーの呪縛」から脱する時に来
ているのではないでしょうか。



(以下次号)


(むなかた・ひさお)

※お知らせ
私は現在、ボランテイアですが、公益社団法人自衛
隊家族会の副会長の職にあります。今回紹介いたし
ます『自衛官が語る 海外活動の記録』は、自衛隊
家族会の機関紙「おやばと」に長い間連載してきた
「回想 自衛隊の海外活動」を書籍化したものです。

その経緯を少しご説明しましょう。陸海空自衛隊は、
創設以降冷戦最中の1990年頃までは、全国各地
で災害派遣や警備活動を実施しつつ、「専守防衛」
の防衛政策のもとで国土防衛に専念していました。

 憲法の解釈から「海外派兵」そのものが禁止され
ており、国民の誰しも自衛隊の海外活動は想像すら
しないことでした。当然ながら、自衛隊自身もその
ための諸準備を全く行なっていませんでした。

ところが、冷戦終焉に伴う国際社会の劇的な変化に
よって、我が国に対しても国際社会の安定化に向け
て実質的な貢献が求められるようになりました。

こうして、湾岸戦争後の1991(平成3)年、海
上自衛隊掃海部隊のペルシア湾派遣を皮切りに、自
衛隊にとって未知の分野の海外活動が始まりました。
しかも、中には国を挙げての応援態勢がないままで
の海外活動も求められ、派遣隊員や残された家族の
やるせない思いやくやしさは募るばかりでした。

それでも隊員たちは、不平不満など一切口にせず、
「日の丸」を背負った誇りと使命感を抱きつつ、厳
正な規律をもって今日まで一人の犠牲者を出すこと
なく、与えられた任務を確実にこなしてきました。
この間、実際に派遣された隊員たちのご苦労は想像
するにあまりあるのですが、寡黙な自衛官たちは本
音を語ろうとしませんでした。

かくいう私も、陸上幕僚監部防衛部長時代、「イラ
ク復興支援活動」の計画・運用担当部長でしたので、
決して公にはできない様々な経験をさせていただき
ました(墓場まで持っていくと決心しております)。

このような海外活動の実態について、隊員家族をは
じめ広く国民の皆様に知ってもらうことと自衛隊の
海外活動の記録と記憶を後世に伝え残したいという
願いから、「おやばと」紙上でシリーズ化し、各活
動に参加した指揮官や幕僚などに当時の苦労話、経
験、エピソードを寄せてもらいました。

連載は、2012年8月から2014年11月まで
約2年半続き、その後も行なわれている「南スーダ
ン共和国ミッション」や「海賊対処行動」などにつ
いてはそのつど、関係者に投稿をお願いしました。

このたび、シリーズ書籍化第1弾の『自衛官が語る 
災害派遣の記録』と同様、桜林美佐さんに監修をお
願いして、その第2弾として『自衛官が語る 海外
活動の記録』が出来上がりました。

本書には、世界各地で指揮官や幕僚などとして実際
の海外活動に従事した25人の自衛官たちの脚色も
誇張もない「生の声」が満載されております。

遠く母国を離れ、過酷な環境下で、ある時は身を挺
して、限られた人数で励まし合って厳しい任務を達
成した隊員たち、実際にはどんなにか辛く、心細く、
不安だったことでしょうか。

しかし、これらの手記を読む限り、そのようなこと
は微塵も感じられないばかりか、逆に派遣先の住民
への愛情や部下への思いやりなどの言葉で溢れてお
り、それぞれ厳しい環境で活動したことを知ってい
る私でさえ、改めて自衛隊の精強さや隊員たちの素
晴らしさを垣間見る思いにかられます。

また、桜林さんには、海外活動の進化した部分とか
依然として制約のある法的権限などについて、わか
りやすく解説し、かつ問題提起していただきました。

皆様にはぜひご一読いただき、まずはこれら手記の
行間にある、隊員たちの「心の叫び」を汲み取って
いただくとともに、自衛隊の海外活動の問題点・課
題などについても広くご理解いただきたいと願って
おります。また、前著『自衛官が語る 災害派遣の
記録』を未読の方は、この機会にこちらもぜひご一
読いただきますようお願い申し上げ、紹介と致しま
す。

『自衛官が語る 海外活動の記録─進化する国際貢献』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
  発行:並木書房(2019年12月25日)
  https://amzn.to/384Co4T







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【著者紹介】

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学
校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロ
ラド大学航空宇宙工学修士課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕
僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、
第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て
2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』
などに投稿多数。


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