こんにちは、エンリケです。
「戦略航空偵察」二十七回目です。
きょうからはベトナム戦争時の航空偵察の話です。
実に面白いです。
世界の動きは、インテリジェンスの動きなしに
作れないしつかめない。改めてそう思いました。
情報史は、歴史の闇を照らし、
後世に生きるものが歴史から養分を得る核心になる。
改めてそう感じます。
きょうの内容は以下のとおりです
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□ご挨拶
▼ベトナム戦争における米空軍機の被害状況
▼U-2の活動
▼体力限界に挑むU-2パイロット
▼SR-71(通称ハブ)の活動
▼SR-71の対SA-2危険度評価
▼SR-71による各種電波の収集
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さっそくどうぞ
エンリケ
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戦略航空偵察(27)
ベトナム戦争における航空偵察(1)
西山邦夫(元空将補)
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□ご挨拶
今回と次回は、ベトナム戦争における航空偵察に
ついてです。1964年にトンキン湾で起こった北部ベ
トナム魚雷艇による米艦に対する攻撃、いわゆるト
ンキン湾事件から北ベトナム軍と米軍との間でベト
ナム戦争が始まりましたが、この戦争は米軍がサイ
ゴンから撤退する1975年までの12年間にわたる長期
戦でした。この間、米空軍の戦略航空偵察部隊はU-2、
SR-71、RC-135、RB-47などの主力機に加えて、偵察
用のドローンを投入し、全力を挙げて任務の達成に
努めました。
これに対抗してベトナム軍も知恵を絞り、米軍の
激しい航空攻撃を防御し、甚大な被害を与えまし
た。両軍間の虚々実々の戦いにおいて米軍偵察機が
果たした役割など記します。
▼ベトナム戦争における米空軍機の被害状況
この12年間における米空軍機の被害状況は、米空
軍の公開資料(USAF Operational Summary)によれ
ば、対空砲火1,443機、対空ミサイル110機、空中戦
67機、その他事故などによる喪失機数の合計は、
2,255機と膨大な数でした。
地対空ミサイルSA-2ガイドラインによる喪失は
110機で、地上砲火による1,443機を大きく下回って
いますが、ミサイルの脅威で高空を飛行することが
困難になった結果、低空飛行を強いられ、地上火器
の標的になって被害が増加することになりました。
戦略偵察の立場からは、北ベトナムに対する中国
からの補給ルート、軍事施設の活動、警戒監視レー
ダー網、対空ミサイルに関する電子戦的な情報の収
集などが緊要な課題でした。
これら戦略偵察に携わったU-2、SR-71、RC-135、
RB-47の各機種の損失はありませんでした。しかし、
戦術偵察機による偵察活動はリスクが大きく、北ベ
トナム上空でRF-4が34機、RF-101が27機撃墜されて
います。
▼U-2の活動
1964年以降、ベトナムにおけるU-2による偵察は、
CIAから戦略航空軍(SAC)に引き継がれました。
U-2を運用するSACのこの組織は「オペレーテイン
グ・ロケーション20」と名付けられ、40人の兵員と
4人のパイロットで構成されており、カンボジア、
ラオスおよび南北ベトナムに対して連日15時間に上
る飛行を実施し、特に重視された目標の一つに中国
へ通ずる道路かありました。
SACは北ベトナムへ武器を送る中国南部からハノイ
方面に対する輸送ルート(道路、鉄道)、港湾の状
況を把握するため、さらに北ベトナムの補給拠点か
ら南ベトナムへの輸送ルート(いわゆるホーチミ
ン・ルート)などの後方活動を目標とし、U-2によ
って偵察を実施しました。
▼体力限界に挑むU-2パイロット
SA-2対空ミサイルの数が増えるにつれ、U-2はド
ローンとSR-71が写真撮影した地域のELINT、
COMINT収集を開始しました。北ベトナムの通信網が
海岸沿いで行なっている通信を傍受し、記録し、地
上の司令部に送信する作業を広範囲に実行すること
を始めたのです。
通常6時間の写真撮影任務がELINT、COMINT収集の
ために12時間に延長されることもありました。与圧
服を着て、身体の動きが制約される狭い操縦席で極
度の暑さと寒さに耐え、乾燥した酸素を吸いながら
任務につくパイロットの体力が飛行時間を制約する
要因の1つでした。
SACのU-2パイロットたちはELINT、COMINT収集作
業は退屈なものだった、と言っていました。北ベト
ナムの戦闘機が到達できない高空を飛行し、SA-2ミ
サイルの覆域外を飛行していたからです。「スイッ
チを入れることしかやることはなかった、あとは受
信装置が敵レーダーの周波数などや、無線通信を集
めてくれた。集められたデータのテープはNSA(国
家安全保安局)へ送られた。」と。
システムの自動化が進むにつれ、地上から目標の
電波発射源(レーダーや無線送信所)を指定できる
ようになり、地上からの操作によって機上で行なう
収集作業が可能になりましたが、その一方で、パイ
ロットは10時間以上の飛行時間が退屈で我慢の時に
なりました。でも、収集した通信は貴重な情報を提
供し、U-2はCOMINTの王様といわれました。
▼SR-71(通称ハブ)の活動
SR-71は高度8万フィート近辺を速度マッハ3以上で
飛行する高性能の偵察機です。この機については後
の回で詳細に書くつもりですが、ベトナム戦争でも
活躍していました。発信基地がカデナでしたから、
通称ハブといわれました。
SR-71はカリフォルニアのビール空軍基地にある
第9戦略偵察航空団(SRW)に所属し、1968年3月11日
に沖縄のカデナへ移動しました。中国、北朝鮮、ソ
連、北ベトナムに対する偵察活動を行なうためで
す。カデナからの平均的な飛行時間は4~5時間で、
マッハ3の速度で高度71.000~85.000フィートを飛
行しました。写真撮影、ELINT、赤外線・レーダー
映像を収集する能力がありましたが、COMINTは収集
できませんでした。飛行速度があまりに早いので、
通信や会話全体を収集できなかったからです。
沖縄におけるSR-71の存在は公的には否定されて
いましたが、SR-71が離陸する時刻は公表されてい
ました。SR-71が離陸前にはHH-43ヘリコプターが滑
走路上でホバリングし、離陸時の事故に備えてお
り、さらに何機かの給油機がSR-71に特定の燃料
(JP-7)給油するため、予め離陸、あるいは待機し
ていました。ベトナムにおけるミッションのために
は離陸後とベトナム空域を離れる時の2回、給油が
必要でした。
▼SR-71の対SA-2危険度評価
戦略偵察センターにおいてはそれぞれの機種、任
務における危険度の評価が常に行なわれており、
SR-71についても例外ではありませんでした。ほと
んどの任務は北ベトナムのいくつかの地対空ミサイ
ルの上空を飛行する計画となっていたからです。
一例を挙げれば、あるハノイ上空を飛行するミッ
ションでは、10個のミサイル・サイト上空を飛行す
る計画であり、撃墜される確率(PK:Probability
of kill)は1つのサイトに対し10分の1パーセント
であり、10個のサイトを合計して1パーセントと見
積もられていました。
SR-71が北ベトナムに侵入する際には、多くの場
合機上の警戒装置が働き、対空ミサイルSA-2の捜索
レーダー、ファンソンがSR-71を捕捉するのが分か
りました。SR-71の偵察士官は電子戦装置を働かせ、
ファンソンのロックオンを阻止しました。SR-71が
危険地域の上空を飛行する時には北ベトナムの防空
組織が刺激され、多くの種類のレーダーが働き、か
つ通信が行なわれました。それにより平常時には傍
受できない電子機器の情報を獲得できる環境が醸成
されるので、SR-71の飛行は極めて有意義でした。
▼SR-71による各種電波の収集
電波の収集作業では、EMR(電磁偵察システム)を
使いました。この装置は飛行中に感知した電波をす
べて記録したので、分析に手間がかかりましたが、
のちに改善されました。1回の飛行で500以上の電波
発信源を記録することもあり、その方位の変化を分
析すれば位置が特定できました。北ベトナム上空に
いたのはわずか数分でしたが、ファンソン・レーダ
ーを稼働させたSAMサイトの全部を特定でき、これに
より、北ベトナムのSAMサイトの全容が判明しました。
北ベトナムはSR-71に対抗して複数のミサイルを飛行
進路前方へ発射し、たまたま命中することを期待す
る行動もありました。これに対してSR-71は、ミサ
イル制御のコンピューターを混乱させるため頻繁に
針路を変更して対処しました。しかし、ある時、帰
投したSR-71の翼にSA-2ミサイル弾頭の破片が突き
刺さっていたのが見つかったことがありました。
SA-71にもリスクはあったのです。
(つづく)
(にしやま・くにお)
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□著者略歴
西山邦夫(にしやま・くにお)
1936年生まれ。防衛大学校卒(4期・空)。
情報関係略歴:航空幕僚監部調査2課収集1班長、航
空総隊司令部情報課長、陸幕調査別室主任調整官、
航空自衛隊幹部学校主任教官。著書に『肥大化する
中国軍(空軍部分を執筆)』(晃洋書房、2012年)、
『中国をめぐる安全保障(空軍部分を執筆)』(ミ
ネルバ書房、2007年)。研究論文に『中国空軍の戦
力構成とドクトリン』『中国空軍のSu-30MKKとイン
ド空軍のSu-30MKI』『韓国空軍の増強と近代化』
『中露合同軍事演習』『中国の主要航空兵器の装備
化実績と将来予測』『中国空軍の戦力とドクトリン』
『チベットにおける中国の軍事態勢整備』など多数。
近刊予定『知られざる戦略航空偵察(仮)』。
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