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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応
予備自衛官でもあります。お仕事の依頼など、問い
合わせは以下よりお気軽にどうぞ
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こんにちは、エンリケです。
きょうからスタートする
「熱砂の自衛隊イラク派遣90日」は、
イラクに派遣された陸自隊員が
実戦下で過ごした過酷な3か月間を描
くものです。
ご意見・ご感想をお待ちしています。
コチラからどうぞ
↓
https://okigunnji.com/url/7/
さっそくどうぞ
エンリケ
ブックレビューの投稿はこちらから
http://okigunnji.com/url/73/
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新シリーズ!
熱砂の自衛隊イラク派遣90日(1)
「戦場の空気を感じたいから行く」
藤井岳(ふじい・がく)(元陸自2曹)
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□はじめに
メルマガ「軍事情報」読者の皆様、はじめまして。
元陸上自衛官のライター、藤井岳(ふじい・がく)
と申します。自衛官歴は陸上自衛隊生徒として入隊
後、富士学校での機甲生徒課程を経て、戦車部隊で
74式戦車の乗員として勤務しておりました。最終
階級は2等陸曹です。
除隊後は、軍事雑誌などで主に戦車に関する記事
を発表しておりましたが、このたび、本メルマガ連
載中の渡邉陽子様のご紹介、そしてメルマガ「軍事
情報」を主宰されているエンリケ様のご厚意で連載
する機会を得ました。
連載の中身は、私がイラクに派遣された2004
年8月から11月までの約3か月間の出来事をまと
めたものです。これまで自衛隊は、1991年の海
上自衛隊ペルシャ湾掃海部隊派遣以来、さまざまな
国・地域で多種多様な任務を実施してきました。そ
の体験を綴った本も複数出版されていますが、いず
れも幹部自衛官が書かれたもので、内容も幹部目線
で、少々難解な話も多く、部隊の主力である曹士た
ちの任務や派遣先での生活に触れたものはほとんど
ありませんでした。
私が参加したイラク復興支援任務は、イラク北部
での戦闘が継続している最中の派遣で、比較的安全
な地域として選定されたサマワ宿営地でさえ迫撃砲、
ロケット弾の攻撃を受けました。まさに「実戦下」
での任務についた多くの陸曹、陸士たち──彼らが
過ごした過酷な3か月間を陸曹の視点で記録したい
と思います。
海外派遣の実情を可能な範囲でお伝えするつもり
ですが、情報保全の立場からすべてを公表できない
部分もあるかと思いますが、ご理解いただければ幸
いです。
最後に、私の連載を通して1人でも多くの方の自
衛隊、自衛官への理解が深まることを願っています。
また、感想や質問などありましたら、ぜひお寄せく
ださい。執筆の励みになります。
▼「戦争に行きたい」
戦争に行ってみたいと、思うようになったのは自
衛官になった16歳の頃からだったろうか。正確に
は「戦争に行きたい」よりも「戦場に行きたい」の
方が正しい。もちろん、人を殺したいわけではない。
戦闘になればそんなことも言っていられないのは百
も承知である。ただ私には極限の環境に身を置きた
い理由があった。
幼少の頃から自衛官になるのが夢だった。幼稚園
の卒園アルバムには「おとなになったらじえいたい
になりたい」と書いた。小学生の頃から書店に行け
ば軍事雑誌や軍事関連の本を片っ端から手に取り、
親にねだった。当時よくあったレンタルビデオ店で
は戦争映画や戦争ドキュメンタリーばかり借りてい
た。いま思い起こせば相当変わった子供だったのか
もしれない。何に影響を受けたのか?と聞かれれば、
特にない。両親はいたって普通の会社員だったし、
親戚や近所に自衛官や元軍人がいたわけでもない。
戦争や軍事に関する本や映画などを読んだり観て
いるうちに、弾の飛び交う中をかいくぐって銃を撃
ったり、仲間や任務のためにあえて危険な状況に飛
び込む兵士たちの姿を見て、自分もこうなりたいと
強く思ったのである。それがフィクションであった
としてもだ。
自衛官になってからは、訓練や部活のラグビーを
通じて自分の精神的な弱さを痛感するようになった。
これが「戦争に行きたい」と強く思うようになった
直接のきっかけだったように思う。子供の頃に読み、
観た「戦争」。あそこに身を置けば自分はもっと強
くなれるかもしれない、あの勇敢な兵士たちのよう
になれるかもしれないと思うようになっていた。
そしてそれから10年もしないうちに、自分が小
銃と実弾を手にして日本から遠く離れた灼熱の大地
に立つことになろうとは、もちろんこの時は思いも
しなかった。
▼戦争が始まる……
2001年9月11日。その日は1日の課業を終
え、夕食と入浴を済ませ、いつものように居室でテ
レビを観てリラックスしていた。ベッドに横になり、
疲れで眠気を感じていたところに、ニュース速報の
音が響いた。何だろうと体を起こして画面の字幕を
見る。ニューヨークのワールドトレードセンタービ
ルに航空機が衝突した模様との内容だった。
おおかた遊覧の小型機あたりが誤って衝突したの
だろうと考えていたところ、画面が切り替わり、最
初に飛行機が激突した北棟から煙が上がっている映
像が映し出された。それでも(大変だな……)と、
どこか他人事にしか思えず、ただ画面を見つめてい
た。しかし、2機目の衝突が報道されてからは、こ
れはただ事ではないとテレビの画面に釘付けになっ
た。ほかの居室にいる同僚たちもどうやら同じよう
で、何人かは私の居室のドアを開けて「班長、テレ
ビ観てます? ヤバいですね、これ」と声をかけて
きた。情報が錯綜し画面のアナウンサーの表情から
も不安や混乱が感じられるなか、ついに恐れていた
映像が流れた。
日本時間2001年9月11日22時59分、ワ
ールドトレードセンタービル南棟崩壊。続いて同2
3時28分、北棟が崩れ落ちた。これは現実なのか?
▼イラク派遣を「熱望」
私は立て続けに映される恐ろしい映像に呆然とす
るばかりであった。
2つのタワーが崩落するのを見届けた私の胸に去
来するのは、これから世界を巻き込む戦争が始まる
という直感。恐怖で血の気が引いていくのが自分で
もわかった。
イラク派遣の話が私の周囲でも話題に上るように
なったのは、北海道の第2師団主力で編成された第
1次復興支援群が派遣準備に入った、2003年の
秋頃だったと記憶している。
次いで派遣されるのが北海道南部の第11師団
(当時)主力と聞いてからは、おそらく派遣部隊は
北から編成されていくのだろう。次は東北方面隊、
第9師団の可能性が高いと考えた。結果、この予想
の通り、第3次復興支援群は北東北の第9師団主力
で編成されることになった。
私の所属部隊では、中隊ごとに希望調査が実施さ
れた。私はもちろん「熱望」と希望欄に大きく記入
して提出した。ほかの隊員の反応はさまざまで、家
庭がある隊員や上級陸曹などは比較的消極的な隊員
が散見されたように思う。なかには「俺は行かない」
と堂々と口にする隊員もいた。
派遣を希望する隊員の多くは若手だった。ただ、
彼らの中には高額な派遣手当が目当てだと言いふら
す者もおり、派遣前に新車の予約をした者もいたと
耳にした。それを聞いた時、私は「生きて帰って来
れると思っているんだな」と鼻で笑った。私はとい
うと、ひとり鼻息を荒くして「俺はお前らとは違う。
戦場に行きたいんだ。戦場の空気を感じたいから行
くんだ」と意気込んでいた。本来の任務である復興
支援任務を第一に考えていない点で、自分もほかの
者とたいして変わらなかった。
希望調査の後、大隊本部で人員の選考が実施され
たようで、派遣希望の隊員の中からさらに語学能力
や保有している特技(MOS〈モス〉と呼ばれる)を考
慮して派遣候補隊員が選考されたようだ。選ばれた
隊員は10人ほどだったと思う。全員大隊長室に呼
ばれ、大隊長自ら全員と面接した。
イラク派遣は復興支援任務であり、インフラの復
旧や整備が主となるため、従来のPKO派遣と同様、施
設科部隊(工兵)が任務の主力となり、また作業中、
移動中の警護や宿営地警備を担当する普通科部隊
(歩兵)の勢力も大きかったため、私のような機甲
科(戦車、偵察)隊員の能力を発揮する場面は少な
いと見られていた。大隊長からは糧食班員として派
遣される可能性が高いがそれでもいいかと問われた。
是非もない。私は派遣部隊に参加できるならどんな
役職でもよかった。
しばらくしてから私ともう一人の陸曹が再度呼ば
れ、車輌整備の特技を保有していることから、整備
小隊への配置を検討中との話をされ、私は二つ返事
で了承した。
その後、正式に復興支援群本部管理中隊、整備小
隊火器車輌整備班に配属された。
(つづく)
(ふじい・がく)
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【著者紹介】
藤井岳(ふじい・がく)ペンネーム
1979年岩手県一関市生まれ。1996年自衛隊生徒とし
て陸上自衛隊入隊。少年工科学校へ入校。卒業後機
甲生徒課程を経て第9戦車大隊(岩手)で戦車乗員
として勤務。2004年第3次イラク復興支援群に参加、
イラク・サマワにて任務に就く。2005年富士学校
(富士)に転属。機甲科部で助教として戦車教育に
従事。2008年退職。フリーランスフォトグラファー
として活動を開始。自衛隊航空部隊の撮影、取材に
取り組む。2015年から「PANZER」誌で執筆開始。そ
の後「丸」「JGROUNDEX」「JWings」などで写真や戦
車に関する記事を発表。現在に至る。
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謝しています。
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心から感謝しています。ありがとうございました。
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