配信日時 2020/07/13 20:00

【戦略航空偵察(24)】「台湾空軍による中国核・ミサイル開発の偵察(その2)」 西山邦夫(元空将補)

こんにちは、エンリケです。

「戦略航空偵察」二十四回目です。

我が周辺で展開されていた知られざる情報戦の姿。

世界の動きは、インテリジェンスの動きなしに
作れないしつかめない。改めてそう思いました。

情報史は、歴史の闇を照らし、
後世に生きるものが歴史から養分を得る核心になる。
改めてそう感じます。

きょうの内容は以下のとおりです

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□ご挨拶
 ▼U-2と対空ミサイル部隊の虚々実々の戦い
 ▼U-2に電子戦装置を搭載
 ▼中国軍の戦術
 ▼中国軍の得点
 ▼U-2、新電子戦装置搭載
 ▼ブラック・キャット飛行隊とニクソン訪中
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さっそくどうぞ


エンリケ



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戦略航空偵察(24)

台湾空軍による中国核・ミサイル開発の偵察(その2)

西山邦夫(元空将補)

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□ご挨拶

 私事にわたることですが、1996年に登山仲間と新
疆ウイグル自治区の山旅を楽しんだことがありまし
た。崑崙山脈の一峰の偵察でした。ウルムチからタ
クラマカン砂漠を縦断し、さらに南下して崑崙山脈
に向かいました。原爆実験場のロブノールは、タク
ラマカン砂漠の東端にあります。

戦前、日本はこの地を東トルキスタンとして独立工
作を支援していた歴史がありました。1931年から19
34年にかけての独立運動はいずれも失敗に終わりま
したが、この頃の東トルキスタン情勢について日本
政府は強い関心を持っていました。

国外に亡命した東トルキスタン・イスラム共和国の
指導者たちに対し、日本政府は積極的に接触し、現
地の情報を集め、裏から支援していました。指導者
の中には東京まで亡命してきた者もいたほどです。

 私がこの地を旅行した時は、まだ漢民族の入植が
あまり進んでおらず、比較的平穏でしたが、砂漠の
砂が細やかに降り注ぐ市場で、ウイグル人の女性は
華やかな色彩の衣装とハイヒールで土の道を闊歩し
ていました。

 今、中国政府のウイグル族抑圧が西側諸国の非難
を浴びています。ウイグルの人たちが伝統を守り、
自由な社会で暮らせるようになることを切に期待し
ます。


▼U-2と対空ミサイル部隊の虚々実々の戦い

1960年代初期、中国の捜索レーダーはU-2が桃園基地
(台湾)を離陸すると間もなく捕捉できました。U-2
が大陸上空に到達すると追尾を開始し、MiG-19戦闘
機を発進させました。しかし、当時はMiG-19にはU-2
が飛行する高度まで上昇する能力はなかったので、
撃墜は不可能でした。

 中国空軍は制約された装備を活用し、何とかU-2を
撃墜する方法はないかと工夫しました。U-2の飛行ル
ートを分析した結果、1962年の前半の11回の飛行で
8回は南昌上空を通過していたのが分かりました。
そこで、多数の対空ミサイル部隊を南昌地域に移動
させ、U-2飛来に備えました。

1962年9月7日、中国空軍は爆撃機部隊を南京から南
昌へ移動させて罠を仕掛けました。U-2がこの移動
を確かめに来ると予測したのです。CIAと台湾の情
報筋はこれに引っかかりました。

9月9日、陳懐飛行士は桃園基地を離陸し、福建省に
向かいました。南昌に近づいた時、陳は中国空軍部
隊を混乱させようと突然右旋回しました。しかしこ
の時すでに彼は罠にかかっていたのです。3発のミ
サイルが発射され、U-2は破壊され、陳懐は死亡し
ました。台湾のU-2飛行士の最初の戦死でした。

陳懐の戦死の報告を受けた台湾国防相は
「即使「?」(人偏に尓)死了 我不願悲傷 死神
不能把我們永久隔開」と詠じ、彼の死は我々の永遠
の別離ではない、との思いを述べ、死を悼みました。

▼U-2に電子戦装置を搭載

 1963年3月には中国の核開発計画は最終段階へ入っ
ていました。3月28日、U-2 1機が台湾から蘭州へ指
向されました。このU-2はシステム12というECM(電
子戦装置)を搭載していました。中国対空ミサイル
大隊が蘭州のウラン濃縮施設を防護するため現地に
展開しており、ミサイル誘導のレーダー波がU-2に
向けられた時、システム12が働きパイロットに警報
しました。パイロットは空に大きく8の字を描いて
無事に飛び去りました。通常、U-2が飛行する高々度、
60,000フィート以上では飛行雲は発生しません。目
視でU-2を発見することは非常に困難でした。

▼中国軍の戦術

 翌30日にも同様な飛行が行なわれ、中国空軍は、
2回にわたりU-2撃墜に失敗した原因を探り、U-2が何
らかのレーダー波探知の装置を搭載したのではない
かと推測しました。当時、電子戦、電子妨害などの
概念は未だなかったのですが、空軍は毛沢東思想に
ある「敵を撃破するには我に優位な点を生かせ」を
もって対処を図りました。その手段として、北京に
所在していたミサイル4個大隊を蘭州地域に展開しま
した。

 9月25日、李南屏飛行士が蘭州地域に侵入した際に、
ミサイル部隊は円形の陣形を作り、U-2を待ち構えて
いました。ミサイル誘導レーダーがU-2を捉えた時、
システム12が警告して李飛行士は攻撃を回避しまし
た。中国空軍はシステム12に関する知識を持たなか
ったので、対策を見いだせませんでした。

 U-2の動きを分析したところ、ミサイル誘導レー
ダーがロックオンしてからU-2が回避行動をとるま
で、18秒を要することが分かりました。18秒以内に
ミサイルを発射すればU-2を撃墜できるかもしれない
と推測したのです。

 ロシアが定めていたSA-2ミサイル運用のルールで
は、敵機が135キロメートル以内に侵入した時に、
ミサイル発射まで8分が必要でした。中国軍はこのル
ールを改訂し、敵機が40キロメートル以内に侵入し
た時に誘導レーダーを作動させ、発射までのすべて
の準備を10秒以内に完了する手順を定め、何回もこ
の手順をリハーサルしました。そして、江西省と江
蘇省の間に4個ミサイル大隊を配置し、万全の準備を
整えたのです。

1963年10月14日、中国は原子爆弾の最初の爆発実験
をロブノールで行ないました。この状況を偵察しよ
うと11月1日、葉常飛行士は大陸上空を北西方向に
向かいました。すべては順調に見えましたが、彼が
帰路についた際、第2大隊のレーダーが作動し、3発
のミサイルが発射されました。葉は大きな爆発音を
聞き意識を失い、気づいた時はパラシュートにぶら
下がっており、降下後捕虜になりました。今回は中
国軍の作戦勝ちになりました。

▼中国軍の得点

中国軍は撃墜したU-2からシステム12を捕獲し、直
ちに電子装置の研究所へ送りました。分析の結果、
対抗手段としてシステム12を惑わす偽周波数の電波
を発信し、本物の電波は別の周波数を使う対抗手段
を考え、実用化しました。

 1964年7月7日、2機のU-2が桃園を離陸し、1機は
南へ、1機は北へ向かいました。第2ミサイル大隊は
4発のミサイルの発射準備を終え、待ち構えました。
李南屏飛行士のU-2 1機は中越国境へ向かい、その
後、香港に戻り、広州から福建省に沿って海岸地域
の写真撮影を行ないました。彼は福建に到達したら
直ちに台湾へ帰投するはずでしたが、突然、電子警
報装置が警報を発しました。彼の最後の言葉は「シ
ステム12の警報が点灯した」でした。U-2は破壊され、
李は死亡しました。

▼U-2、新電子戦装置搭載

陳懐、李南屏両飛行士の喪失で、CIAは中国軍がシ
ステム12を入手したと認識し、システム13へ更新す
ることにしました。このシステムが開発された当初、
国防省はこのシステムが万一敵の手に渡ることを危
惧し、台湾政府への供与をためらいましたが、結局
は供与に踏み切った経緯がありました。

このシステムは、偽信号を発信してU-2の速度、高
度、進行方向を偽装し、対空ミサイルを混乱させる
機能を持っていました。システム13の欠点は装置が
重いことでした。これが原因でU-2の飛行距離が制
約され、桃園基地から甘粛省東部までしか飛行でき
ず、核兵器のテストが行なわれている地域まで到達
はできなくなりました。

▼ブラック・キャット飛行隊の終焉

ブラック・キャット飛行隊のU-2による中国内陸の
偵察飛行は1968年までに102回行なわれ、5機が失
われました。これらの飛行には中国西部の核実験場
への数回の飛行が含まれており、中国の核・ミサイ
ル開発の状況掌握に大いに貢献しました。

1963年頃から中国軍の対空ミサイルが強化され、
MiG-21戦闘機はU-2の飛行高度までズーム上昇で到達
できるようになり、U-2の飛行はリスクが増しまし
た。1968年以降は内陸への侵入飛行は行なわれなく
なり、沿岸地域の偵察飛行のみになりました。1974
年春、公式に解散されました。

▼ブラック・キャット飛行隊とニクソン訪中

ニクソン大統領が1972(昭和47)年に訪中した際、
キッシンジャー国務長官は「米国が中ソ国境の緊張
を察知できたのはU-2の偵察結果であり、ニクソン
大統領がこの情報を知らなかったら、訪中に踏み切
っただろうか?」と著書『The White House Years』
に書いています。中ソ対立が米国に有利だとの判断
があったからこその訪中だったのです。


(つづく)


(にしやま・くにお)


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□著者略歴

西山邦夫(にしやま・くにお)
1936年生まれ。防衛大学校卒(4期・空)。
情報関係略歴:航空幕僚監部調査2課収集1班長、航
空総隊司令部情報課長、陸幕調査別室主任調整官、
航空自衛隊幹部学校主任教官。著書に『肥大化する
中国軍(空軍部分を執筆)』(晃洋書房、2012年)、
『中国をめぐる安全保障(空軍部分を執筆)』(ミ
ネルバ書房、2007年)。研究論文に『中国空軍の戦
力構成とドクトリン』『中国空軍のSu-30MKKとイン
ド空軍のSu-30MKI』『韓国空軍の増強と近代化』
『中露合同軍事演習』『中国の主要航空兵器の装備
化実績と将来予測』『中国空軍の戦力とドクトリン』
『チベットにおける中国の軍事態勢整備』など多数。


 
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