配信日時 2020/06/29 20:00

【戦略航空偵察(22)】「ソ連機の偵察活動」 西山邦夫(元空将補)

こんにちは、エンリケです。

「戦略航空偵察」二十二回目です。

きょうは、ソ連による偵察活動がテーマです。
アエロフロート機の機長がスパイ活動をしていた
と聞き、冷戦時代の厳しさを改めて思い起こします。

実に興味深いですね。

情報史は、歴史の闇を照らし、
後世に生きるものが歴史から養分を得る核心になる。
改めてそう感じています。

実にありがたいですね。


きょうの内容は以下のとおりです

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□ご挨拶
 ▼冷戦期のソ連の偵察能力
 ▼偵察機開発の失敗
 ▼民航機の偵察器材搭載
 ▼中東への偵察機の派遣
 ▼キューバ、アフリカでの活動
 ▼ベトナム、カムランへ海軍航空兵力展開
 ▼米艦艇上空偵察飛行
 ▼危険な偵察飛行
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さっそくどうぞ


エンリケ



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戦略航空偵察(22)

ソ連機の偵察活動

西山邦夫(元空将補)

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□ご挨拶

 前回まで、冷戦期における主として米国の偵察活
動について書いてきましたが、偵察される側はどう
対応しているのかという読者のご意見がありました。
ソ連の対応については、これまでも少しずつ触れて
きたつもりでしたが、今回は冷戦期間のソ連の偵察
活動を概観することにします。


▼冷戦期のソ連の偵察能力

 冷戦期のソ連の航空偵察力は米軍に比べるとかな
り低く、自由圏諸国を偵察するのに苦労を重ねてい
ました。海外基地をほとんど持てず、その代替えと
して情報収集船(AGI)の展開、潜水艦の活用、地上
基地におけるSIGINT収集などにより、航空偵察の能
力不足を補いました。

 冷戦期にソ連が運用した戦略偵察機の代表的な機
種がTu-95ベアDです。この機種は現在でも日本周辺
では北太平洋、日本海、東シナ海、南シナ海で活動
し、現役で活動しており、これに代わる機種は出現
していません。

 その他、Tu-16爆撃機の偵察型、旅客機Il-18の偵
察型Il-20が盛んに活動し、空自機のスクランブルの
対象となっていましたが、現在は両者とも退役した
模様です。

▼偵察機開発の失敗

 1950年代、ソ連はU-2の領空内飛行への対処に苦し
み、自らも高性能の偵察機の開発を目指し、U-2に相
当する機種の開発を試みました。計画した機種の中
で、最も野心的とも言うべきものはRSR戦略偵察機
で、1954年に開発が始められました。U-2の開発開始
から1年後のことで、この機はマッハ2の高速で65,000
フィートを飛行する能力を持つ計画でしたが、あま
りに先鋭的な技術を求めたため実現不可能と判断さ
れ、フルシチョフ書記は1961年にこの計画を破棄し
ました。

 U-2に似た性能を持つ機体の開発計画もありまし
た。コンセプトはエンジン付きグライダーで、M-17
ミステイックAと呼ばれました。初飛行は1980年代
初期で、高度70,000フィートを飛行しました。この
機を改良したM-55ミステイックBが製造されました
が、速度が遅く、偵察任務に就くことはありません
でした。

▼民航機の偵察器材搭載

 ソ連の民航アエロフロート機は、偵察目的を隠し
て世界を飛行していると見られていました。長距離
の国際路線を飛行していたIl-62旅客機は、カメラと
SIGINT装置を搭載していました。英国の早期警戒レ
ーダーが更新された時、Il-62がレーダー覆域の縁辺
を飛行しながら一時的に急降下し、急上昇した事例
があり、早期警戒レーダーの性能をチェックしたも
のと推定されました。似たような事例が、NATO諸国
の周辺でも多くありました。

 1983年、樺太沖で大韓航空機撃墜事件が起きた時、
ソ連は大韓航空機がスパイ機だと非難しましたが、
民間機を偵察任務に使うのが当時のソ連の常識だっ
たことを裏付けています。

▼中東への偵察機の派遣

 1960年代末期から1970年代初期にソ連のTu-16が
エジプトから発進し、エジプトのマークを付けた
MiG-25フォクスバットの偵察型と共に飛行しました。
MiG-25の何機かはロシア人のパイロットが操縦して
おり、1973年のイスラエル・アラブ戦争の前までイ
スラエル上空を飛行しました。MiG-25はシリアの基
地からも発進していた模様です。

▼キューバ、アフリカでの活動

 1970年4月から5月にかけて、ソ連は太平洋、大西
洋2つの海で同時にオケアン演習と称する大規模な演
習を実施しました。演習間、2機のTu-95がコラ半島
付近からノルウェー海へ入り、ソ連艦艇が遊弋して
いるアイスランドとフェローズ島の間を抜けてキュ
ーバへ着陸しました。この無着陸長距離飛行は8,050
キロに及び、Tu-95が海外の友好国へ飛行し着陸した
のは初めてでした。キューバへの飛行は1980年代を
通じて何回か実施され、着陸したTu-95は、冷戦が
終了するまで米国東海岸の一般的な偵察と、ELINT
収集飛行を行ないました。

 1973年、ソ連を発進した2機のTu-95が西アフリカ、
ギニアのコナクリに着陸しました。1977年、Tu-95の
基地はコナクリからアンゴラのルアンダへ変わり、
時折アンゴラとキューバ間の飛行を行ないました。

▼ベトナム、カムランへ海軍航空兵力展開

ソ連・ベトナム関係は中越紛争を契機に緊密化が進
み、1978年にソ連・ベトナム友好協力条約が締結さ
れました。その直後の1979年、中越紛争勃発ととも
にソ連海軍はベトナム周辺の南シナ海に対するプレ
ゼンスを強化し、戦闘艦艇、補助艦艇など十数隻を
配置しました。また、同年4月Tu-95 2機をダナ
ンに配備し、常続的に南シナ海に対する哨戒飛行を
開始しました。さらにTu-142対潜哨戒機2機を追加
配備し、南シナ海から太平洋一帯に対する対潜能力
を強化しました。

 ソ連海軍航空部隊は1983年11月、対馬海峡経由で
カムラン湾基地にTu-16 4機を配備しました。航空
自衛隊によれば、A型(給油型)2機、EおよびJ
型機各1機でした。これらの飛行に対し、Tu-16給
油型 3機、Tu-95およびTu-142が沿海州から、また
Tu-95 およびTu-142各1機がカムランから支援し
ました。

 これらベトナムに配備されているTu-95および
Tu-142は、当初は中越紛争におけるベトナム支援の
任務に就いていましたが、その後南シナ海全域およ
び沖縄東方からフィリピン東方の太平洋上にも進出
する哨戒・偵察活動を実施するようになりました。

 その後も海軍機の増強が続き、特に空対地ミサイ
ル搭載型のTu-16C型が6機、さらに電子戦型、偵察
型、給油型などが加わりました。また基地防衛のた
めMiG-23 14機も配備され、カムラン湾基地は、南
シナ海周辺地域における情報収集だけでなく、東南
アジアにおける攻撃力と抗堪性を持つ有力な基地と
化しました。しかし、ソ連が崩壊し、ロシアへと国
名が変わり、海外の基地も縮小が進んで、2002年に
はロシア軍はカムラン基地から撤収しました。

 米軍は1991年にフィリピンのクラーク空軍基地、
スービック海軍基地から撤収し、ソ連の海外基地も
縮小が進んで、南シナ海周辺の米ロ両国の有力基地
がなくなり、中国が南シナ海へ進出するきっかけと
なりました

▼米艦艇上空偵察飛行

 冷戦期、ソ連海軍機は定期的に米海軍艦艇上空の
飛行を行なっていました。1963年には太平洋、大西
洋の双方で米空母上空を飛行する一連の行動を実施
しました。主に使われたのがTu-95で、同年1月末か
ら2月末まで米空母コンステレーション、エンター
プライズ、フォレスタル、キテイ・ホークの上を飛
行しました。コンステレーションは太平洋ミッドウ
ェー島の南約600マイルで、フォレスタルはアゾレ
ス諸島のすぐ南でTu-95に探知されました。同年6月、
日本の東の太平洋上で空母レンジャーに対し、6機
のTu-16バジャーが接近する事例もありました。

 広大な太平洋、大西洋の洋上で米空母の位置をど
のようにして知ったのか、衛星という考えが浮かび
ますが、当時のソ連の偵察衛星は撮影したフィルム
を地上へ下ろして回収しており、現在の偵察衛星の
ように撮影したら直ちに通信手段で地上へ落とすこ
とはできませんでした。考えられる手段は、米艦隊
には常時AGIと呼ばれる情報収集船がくっついて航
行していたので、それが通報したのではないかと推
定されます。

▼危険な偵察飛行

 1968年5月25日、ノルウェー海で演習中の空母エ
セックスに対し、Tu-16が1機上空に飛来しました。
その機は低空を旋回中、片方の翼が海面に接触し、
墜落しました。乗員全員が死亡し、エセックスに
被害はありませんでした。同様の事故が日本海で
も起こりました。

 1980年6月27日、新潟県佐渡の北方約110kmの日本
海でTu-16が海上自衛隊の輸送艦「ねむろ」の周辺
を低空で旋回、翼が海面に触れて墜落し、乗員全員
が死亡しました。回収された乗員のメモは綺麗な筆
跡で几帳面に書かれており、ソ連軍の兵員のレベル
を示すものでした。遺体は海上自衛隊が収容し、ソ
連側に引き渡しました。ソ連軍でも、このような危
険な飛行を敢えて行なっていたのが、冷戦期の偵察
活動に実態と言えましょう。



(つづく)


(にしやま・くにお)


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□著者略歴

西山邦夫(にしやま・くにお)
1936年生まれ。防衛大学校卒(4期・空)。
情報関係略歴:航空幕僚監部調査2課収集1班長、航
空総隊司令部情報課長、陸幕調査別室主任調整官、
航空自衛隊幹部学校主任教官。著書に『肥大化する
中国軍(空軍部分を執筆)』(晃洋書房、2012年)、
『中国をめぐる安全保障(空軍部分を執筆)』(ミ
ネルバ書房、2007年)。研究論文に『中国空軍の戦
力構成とドクトリン』『中国空軍のSu-30MKKとイン
ド空軍のSu-30MKI』『韓国空軍の増強と近代化』
『中露合同軍事演習』『中国の主要航空兵器の装備
化実績と将来予測』『中国空軍の戦力とドクトリン』
『チベットにおける中国の軍事態勢整備』など多数。


 
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