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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応
予備自衛官でもあります。お仕事の依頼など、問い
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こんにちは、エンリケです。
「我が国の歴史を振り返る
―日本史と世界史に“横串”を入れる―」
は90回目です。
今日も読みごたえのある素晴らしい内容です。
宗像さんがおっしゃる
<“現代の日本人の「異質性」はいかに造られたか?”>
に取り組む思想家や知識人が出てくるよう期待します。
「目に見えない戦争、国史、歴史」
をいかに可視化するか?
は、
今生きる人がなすべき仕事であり
義務でしょう。
さっそくどうぞ
エンリケ
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我が国の歴史を振り返る
─日本史と世界史に“横串”を入れる─(90)
占領期初期の欧州および周辺情勢
宗像久男(元陸将)
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□はじめに
いよいよ第90話まで来てしまいました。司馬遼太
郎氏は「昭和を書く気になれない」と本音を披露し、
氏の歴史小説には「昭和」を取り扱ったものはあり
ません。その理由は何となくわかります。
それもあって、逆に私は「激動の昭和」の「史実」
を勉強したくて、歴史に興味を持ち始めたのでした
が、その私でも「サンフランシスコ平和条約」を締
結し独立した後の「我が国の歩み」については“時
間をかけて学ぼうとする”意欲がわきません。よっ
て、本メルマガもいよいよ“終わり”が近づいてき
ました。
さて、このたびのコロナ対策について、日本は、先
進国で唯一、制度上“国家の強制力”のないなかで、
政府や自治体の対応がさまざまな物議を醸したり、
多くの国民が東日本大震災時にも賞賛されたような
“自制心”を発揮する一方で、一部は“自己利益・自
己満足最優先”の行動を起こしたことが話題になる
なか、ここまでの所は、欧米列国などに比して「対
応が成功した国」ということになると考えます。
しかし、その成功の理由は一般に「ミステリー」と
され、トップリーダーの評価も、成功した他国に比
してさほど高くないなど、久しぶりに日本の「異質
性」(あるいは「特異性」とか「異端」)との分析
が散見されました。
この「異質性」という言葉に接すると、我が国の歴
史を振り返った者の一人として、少々複雑な思いに
駆られます。つまり、今の日本人が有している「異
質性」は、(1)あの厳しく、巧妙な占領政策をもって
しても変えられなかった“日本人の本質”に根差し
ているのか、(2)巧妙な占領政策により改造され、骨
抜きにされた結果として出来上がった、“現代の日
本人の特性”なのか、どちらであろうかという点で
す。
個人的には、長い歴史を有する日本人のDNAの
中に、失うことなく残っている「異質性」(つまり(1))
であると信じたいと思いますが、前回紹介しました
ようなGHQの占領政策は、日本人のDNAさえ
“根無し草にした”可能性があると考えてしまいま
す。
“現代の日本人の「異質性」はいかに造られたか?”
は壮大なテーマで私の知見をはるかに超えますので
この辺にしておきますが、読者の皆様にも一緒に考
えていただければありがたい限りです。
▼欧州情勢―チャーチルの警告とドイツ分割
今回は、「東京裁判」の顛末の前に、占領期初期
(1945年から48年頃まで)の欧州および周辺
情勢について振り返っておきましょう。
まず欧州です。ドイツ降伏後の1945年6月5日、
米英仏ソの司令官がベルリンで「四国宣言」を発表
し、ドイツは4か国に分割され、軍政を布かれます。
しかし、この分割管理は固定的なものでなく、近い
将来、1つの国家として主権を回復し、講和条約を
締結するとの前提で、4か国共同の「管理理事会」
が設置されました。
一方、終戦直後、米軍は、ヤルタ議定書で同意され
ていたラインを超えて最大200マイルにわたり東
方に進出していました。その時点での米軍とソ連軍
境界線は暫定的なものだったので、米軍は、2か月
間、ソ連占領予定地域に滞在したのち、7月初めに
撤退します。
これについては、(ソ連の占領地域内にあった)首
都ベルリンに米英仏各軍が駐留することをソ連に容
認させるための取引だったとの分析もあります。
実は、その撤収前、チャーチルは、極秘電でトルー
マン米大統領に「ソ連との協議で決まったドイツの
米軍占領地域から撤退を見送るよう」求めています。
その上で「ソ連は鉄のカーテンを降ろした。その裏
側で何をしているか我々にはわからない」と強く警
告しています。
これについて「チャーチルは、ルーズベルト大統領
と決めた対ソ連融和策が間違いであったことをどこ
かの時点で気づいたのではないか」と分析する歴史
家もおりますが、チャーチルは、ルーズベルト死後、
米国内において、対ソ宥和外交を主張する勢力(い
わゆる、ニューディーラーたちなど)と対ソ警戒勢
力がせめぎ合っていることを知っていたといわれま
す。
トルーマン大統領自身は、以前も触れましたように、
ソ連に対する不信感を持っていましたが、トルーマ
ン政権としては、チャーチルの助言を無視し、当初
の占領地域から軍を引き上げてしまいます。
そのトルーマンを本気にさせたのは、ソ連が撤兵の
約束を守らず、イラン北部アゼルバイジャンに傀儡
(かいらい)政権を樹立させて(1945年12月)
からだったようです。
そして、翌46年3月4日、チャーチルは、トルー
マンの地元・ミズーリ―州のフルトンで「バルト海
のシュチェチン(現ポーランド)からアドリア海の
トリエステ(現イタリア)までヨーロッパ大陸を横
切る『鉄のカーテン』が降ろされた」と有名な『鉄
のカーテン』演説します。その中で「西側民主主義
国家、とりわけ、米英は、際限なく力と思想を拡散
し続けるソ連の動きを抑制しなければならない」と
力説、これが翌47年の「トルーマン・ドクトリン」
(共産圏に対する封じ込め政策)につながります。
このようにして、終戦前から明らかになった米英陣
営とソ連の対立はドイツ問題に持ち込まれ、民主化
と自由主義経済を基本とする経済復興をめざす西側
と、社会主義化をめざすソ連との理念の違いが次第
に表面化します。
1948年6月、西側の通貨改革(新ドイツマルク
の導入)を機にソ連が「ベルリン封鎖」に踏み切り、
「管理理事会」が機能しなくなり、翌49年に西側
管理地域に「ドイツ連邦共和国」(西ドイツ)が、
ソ連管理地域に「ドイツ民主共和国」(東ドイツ)
が成立、ドイツの東西分割が確定して1990年の
ドイツ統一まで続きます。
▼中国情勢―“共産党政権誕生秘話”
占領期初期の周辺情勢も激変します。まず中国大陸
です。少しさかのぼりますが、我が国は、終戦1年
前の1944年3月から「大陸打通(だつう)作戦」
を実施します。
本作戦は、“日中戦争最大の大攻勢”とも“日本陸
軍最後の大攻勢”ともいわれ、その目的は、(1)中国
内陸部の連合国軍の航空基地の占領と(2)仏印(イン
ドシナ)への陸路を開くことでした。その結果は、
蒋介石率いる国民党軍に大打撃を与えました(死傷
者約75万人、捕虜約4万人などです)。
この国民党軍の思わぬ大敗北によって、国民政府に
戦後の東アジアを委ねようとした「ルーズベルト構
想」が崩壊します。同時にはそれは、米国が、それ
まで虎視眈々と“漁夫の利”を狙っている毛沢東率
いる共産党にも注意を払う必要が生じたことを意味
していました。
とは言え、戦勝国にも数えられ、依然として圧倒的
な戦力を保持していた国民政府が、1949年、な
にゆえに台湾に逃れ、中華人民共和国が成立したの
でしょうか。この素朴な疑問に的確に答えてくれる
書籍を探し当てることができないまま、時が過ぎて
いました。
最近、ようやくそのヒントを得ることができる書籍
に出会いました。書名は『共産中国はアメリカがつ
くった─G・マーシャルの背信外交』(ジョセフ・
マッカーシー著、本原俊祐訳、成甲書房)です。本
書の初版は1951年ですが、2005年に邦訳さ
れました。著者は「マッカーシズム」といわれる反
共産主義運動で有名なあのマッカーシーです。
当然ながら、本書の詳細の紹介は不可能ですが、一
般に知られている歴史に、本書によって暴かれてい
る「史実」を散りばめつつ、“共産党政権誕生の秘
話”を振り返ってみたいと思います。少し長くなる
ことをご容赦下さい。
このG・マーシャルとは、「マーシャル・プラン」
で有名なあのジョージ・マーシャル(以下、マーシ
ャル)です。本書によれば、マーシャルを語らずし
て当時の米国の対中政策は語れないと考えますので、
まずマーシャルの経歴を簡単に紹介しましょう。
マーシャルは、軍人としては何とも稀有で不思議な
経歴の持ち主です。マーシャルは昇任が遅く、よう
やく大佐になって連隊長の職を得たにもかかわらず、
「軍人としての才覚に欠ける」として解任され、少
佐に降格されたようです。その後、市民保全部隊と
いう失業者救済のボランテイア活動の監督のような
仕事を通じてワシントンの高官たちと交流があった
といわれます。
1939年、少将になったマーシャルは、戦争計画
担当の副参謀総長に赴任します。それから1年もた
たないうちに、ルーズベルト大統領によって、20
人の中将と14人の先任少将をさしおいて陸軍参謀
総長に大抜擢され、大将に昇任します。我が国では
絶対あり得ない人事管理ですが、参謀総長在職間は、
ソ連の参戦や日本本土侵攻を唱えた強硬派で知られ
ています。
大戦終戦後、参謀総長の職を辞し軍を退きますが、
1945年12月、トルーマンからの中国の全権特
使に任命され、1947年1月まで中国に滞在しま
す。その後、国務長官に就任、朝鮮戦争中の195
0年9月、今度は国防長官に就任し1年間務めます。
1953年、「マーシャル・プラン」の立案・実行
によりノーベル平和賞を受賞します。
これほどの要職をこなした人物が「中国共産をつく
った張本人」と糾弾されるのはなぜでしょうか?
それを解き明かしながら、中国情勢を振り返ってみ
ましょう。
日本軍が国民党軍を徹底的に叩いている間も、ソ連
は、毛沢東を援助し、毛勢力は急激に勢力を伸ばし
ます。一方、ルーズベルトは、「ヤルタ秘密協定」
(1945年2月)において、満州国の港湾や南満
洲鉄道の権益をソ連に引き渡すことなどについて、
蒋介石の同意抜きでスターリンに大幅に譲歩してし
まいます。これを聞いた蒋介石は、しばし沈黙した
後に「実に残念なことだ」と語ったといわれていま
す。
この南満州や南樺太など「日露戦争」によって失っ
た権益の回復に加え、千島列島の獲得を“ロシアの
参戦の条件”として受け入れることをルーズベルト
に強く助言した人物こそ、“ロシアを戦争に引っ張
り込むための「餌」を必死に探していた”マーシャ
ルでした。
米国合意のもとに、日本の降伏直前に満州を占領し
たソ連軍は、国民党軍が満州に入ることを拒み、降
伏した日本軍の武器・弾薬などを共産党軍に流しま
す。スターリンは、対独戦を終えて不要になった米
国製の武器まで毛沢東に渡したといわれております。
他方、トルーマンは、「ヤルタ秘密協定」の存在す
ら知らなかったといわれ、共産党政権が誕生する直
前まで毛沢東を「進歩的な農地改革者」と言って賞
賛し、毛沢東側の代表を蒋介石政府に入れるべきだ
と提案さえしております。そして、戦後の内戦によ
って、次第に国民軍が劣勢になると軍事援助を渋り、
蒋介石を「邪悪な反動主義者」として遠ざけます。
実に不思議なのですが、その背後でも、マーシャル
に加え、国務省のニューデーラーたちが暗躍してい
ました。
さて、アメリカの対中政策上のもう一人のキーパー
ソンに、のちに『第2次世界大戦に勝者なし』との
回想録を残すアルバート・ウェデマイヤー将軍がお
ります。マーシャルの対極で活動することになるウ
ェデマイヤー将軍は、当時のマーシャル陸軍参謀長
に命ぜられ、1944年10月、中国戦線の米軍の
指揮官職と蒋介石の参謀長を兼ねて中国に赴任しま
す。
その前任者のジョゼフ・スティルウェルは、マーシ
ャルの子分的存在だったようで、彼が中国から送っ
た“親共産軍プロパガンダの山”が当時の陸軍や国
務省の判断をかなり狂わせたとの記録も残っていま
す。スティルウェルは、蒋介石が米軍と戦争協力の
条件として更迭を要求したため、中国を追われたの
でした。
後任のウェデマイヤーは、中国滞在間、幾度となく
国民党軍と共産党軍の対立の“根深さ”を知り、
「米英ソが国民党と共産党の統一を強要した場合、
徐々に深刻な問題を形成する。統一に手を貸せば、
3国の噛みつきあいになる」旨の手紙をマーシャル
に送り警告しますが、無視されます。
1945年11月、ウェデマイヤーは中国を離れま
すが、この頃から米国の対中政策の基本方針は、
「もし中国政府が共産党制圧に乗り出したら、中国
政府への支援を打ち切る」ことになっていたようで
す。
終戦後の1945年12月、参謀総長を辞したマー
シャルは、トルーマンから中国の全権特使に任命さ
れます。マーシャルは、中国国民から「平和の使者」
としてもてはやされ、まず、国共両党を統一交渉の
テーブルにつかせ、共産党を含めた連立政権を樹立
し、双方の軍隊を国民軍に統一しようと画策します。
1946年1月には停戦協定を発表、2月の基本法
案によりそれぞれの軍隊を削減することまで合意し
ます。
この結果、スターリン、そしてマーシャルにたびた
び接触した周恩来らから「マーシャルこそ、中国問
題に決着をつけられる人物」とさかんに持ち上げら
れます。
マーシャルは、「ヤルタ会談」の譲歩を完全に実行
するように、「赤軍を刺激しないように中国政府を
抑えること」「中国政府が共産主義少数派を力で制
圧しようとしたら、米軍の支援を打ち切ること」な
どを実現することこそが、「自分が中国に来た使命
だ」と認識していたようです。マーシャルの不思議
な行動はまだまだ続きます。
(以下次号)
(むなかた・ひさお)
※お知らせ
私は現在、ボランテイアですが、公益社団法人自衛
隊家族会の副会長の職にあります。今回紹介いたし
ます『自衛官が語る 海外活動の記録』は、自衛隊
家族会の機関紙「おやばと」に長い間連載してきた
「回想 自衛隊の海外活動」を書籍化したものです。
その経緯を少しご説明しましょう。陸海空自衛隊は、
創設以降冷戦最中の1990年頃までは、全国各地
で災害派遣や警備活動を実施しつつ、「専守防衛」
の防衛政策のもとで国土防衛に専念していました。
憲法の解釈から「海外派兵」そのものが禁止され
ており、国民の誰しも自衛隊の海外活動は想像すら
しないことでした。当然ながら、自衛隊自身もその
ための諸準備を全く行なっていませんでした。
ところが、冷戦終焉に伴う国際社会の劇的な変化に
よって、我が国に対しても国際社会の安定化に向け
て実質的な貢献が求められるようになりました。
こうして、湾岸戦争後の1991(平成3)年、海
上自衛隊掃海部隊のペルシア湾派遣を皮切りに、自
衛隊にとって未知の分野の海外活動が始まりました。
しかも、中には国を挙げての応援態勢がないままで
の海外活動も求められ、派遣隊員や残された家族の
やるせない思いやくやしさは募るばかりでした。
それでも隊員たちは、不平不満など一切口にせず、
「日の丸」を背負った誇りと使命感を抱きつつ、厳
正な規律をもって今日まで一人の犠牲者を出すこと
なく、与えられた任務を確実にこなしてきました。
この間、実際に派遣された隊員たちのご苦労は想像
するにあまりあるのですが、寡黙な自衛官たちは本
音を語ろうとしませんでした。
かくいう私も、陸上幕僚監部防衛部長時代、「イラ
ク復興支援活動」の計画・運用担当部長でしたので、
決して公にはできない様々な経験をさせていただき
ました(墓場まで持っていくと決心しております)。
このような海外活動の実態について、隊員家族をは
じめ広く国民の皆様に知ってもらうことと自衛隊の
海外活動の記録と記憶を後世に伝え残したいという
願いから、「おやばと」紙上でシリーズ化し、各活
動に参加した指揮官や幕僚などに当時の苦労話、経
験、エピソードを寄せてもらいました。
連載は、2012年8月から2014年11月まで
約2年半続き、その後も行なわれている「南スーダ
ン共和国ミッション」や「海賊対処行動」などにつ
いてはそのつど、関係者に投稿をお願いしました。
このたび、シリーズ書籍化第1弾の『自衛官が語る
災害派遣の記録』と同様、桜林美佐さんに監修をお
願いして、その第2弾として『自衛官が語る 海外
活動の記録』が出来上がりました。
本書には、世界各地で指揮官や幕僚などとして実際
の海外活動に従事した25人の自衛官たちの脚色も
誇張もない「生の声」が満載されております。
遠く母国を離れ、過酷な環境下で、ある時は身を挺
して、限られた人数で励まし合って厳しい任務を達
成した隊員たち、実際にはどんなにか辛く、心細く、
不安だったことでしょうか。
しかし、これらの手記を読む限り、そのようなこと
は微塵も感じられないばかりか、逆に派遣先の住民
への愛情や部下への思いやりなどの言葉で溢れてお
り、それぞれ厳しい環境で活動したことを知ってい
る私でさえ、改めて自衛隊の精強さや隊員たちの素
晴らしさを垣間見る思いにかられます。
また、桜林さんには、海外活動の進化した部分とか
依然として制約のある法的権限などについて、わか
りやすく解説し、かつ問題提起していただきました。
皆様にはぜひご一読いただき、まずはこれら手記の
行間にある、隊員たちの「心の叫び」を汲み取って
いただくとともに、自衛隊の海外活動の問題点・課
題などについても広くご理解いただきたいと願って
おります。また、前著『自衛官が語る 災害派遣の
記録』を未読の方は、この機会にこちらもぜひご一
読いただきますようお願い申し上げ、紹介と致しま
す。
『自衛官が語る 海外活動の記録─進化する国際貢献』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
発行:並木書房(2019年12月25日)
https://amzn.to/384Co4T
宗像さんへのメッセージ、ご意見・ご感想は、
このURLからお知らせください。
↓
https://okigunnji.com/url/7/
【著者紹介】
宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学
校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロ
ラド大学航空宇宙工学修士課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕
僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、
第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て
2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』
などに投稿多数。
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くことがございます。あらかじめご了承ください。
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最後まで読んでくださったあなたに、心から感謝し
ています。
マガジン作りにご協力いただいた各位に、心から感
謝しています。
そして、メルマガを作る機会を与えてくれた祖国に、
心から感謝しています。ありがとうございました。
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