配信日時 2020/06/18 08:00

【我が国の歴史を振り返る ─日本史と世界史に“横串”を入れる─(89)】「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」(前段)  宗像久男(元陸将)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応
予備自衛官でもあります。お仕事の依頼など、問い
合わせは以下よりお気軽にどうぞ
 
E-mail hirafuji@mbr.nifty.com
WEB http://wos.cool.coocan.jp
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こんにちは、エンリケです。

ポストコロナ
という言葉が氾濫してますが、

大東亜戦争も日清戦争も日露戦争も総合的に国史レ
ベルできちんと総括できてない知的レベルで、何の
ポスト〇〇なの? と半笑いで受け止めてますw

「我が国の歴史を振り返る
 ―日本史と世界史に“横串”を入れる―」
は89回目です。

毎週この連載を楽しみにしています。
今日も読みごたえのある素晴らしい内容です。

「目に見えない戦争、国史、歴史」
をいかに可視化するか?

は、

今生きる人がなすべき仕事であり
義務でしょう。


さっそくどうぞ


エンリケ



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我が国の歴史を振り返る
─日本史と世界史に“横串”を入れる─(89)

「3R・5D・3S政策」と「東京裁判」(前段)

宗像久男(元陸将)
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□はじめに

 先日、匿名希望様から第88話で取り上げました
憲法第9条関連について貴重なご意見を賜りました
ので、冒頭に少し補足しておきます。

 まず、私たち自衛官、特に心ある幹部自衛官は、
憲法に定める自衛権とか自衛隊が合憲か否かなどに
ついて特に関心を持ち、学び、両サイドの意見に耳
を澄まし、自分なりの考え(結論)を保持していま
す。本メルマガでは控えてはいますが、私もその例
外でありません。

 何度も繰り返していますが、私が、我が国の歴史
を振り返る時の視点はいつも同じ、“史実(らしき
もの)は何か”の1点です。

アメリカは、パリ不戦条約批准時に「自衛戦争は禁
止されていない」と解釈しましたので、(GHQが
認めた)第9条1項が「自衛権を否定していない」
ことはご指摘の通りです。現在、我が国政府も第1
項は「自衛権を否定していない」とし、自衛権を行
使するための“最小限度の実力しかない”自衛隊は、
第2項でいう「陸海空軍その他の戦力に該当しない」
として「合憲」と解釈している、つまり「芦田修正」
とは少し違う立場で「合憲」としていると理解して
います。

一方、憲法学者の6割強が「自衛隊は違憲」(平成2
7年の朝日新聞のアンケート調査)と回答し、その
理由については、(1)憲法が自衛戦争を含めてあらゆ
る武力行使を禁じている、(2)自衛戦争は認められて
いるが、戦力の保持を禁じている、(3)自衛戦争のた
めの実力は持っていいが、自衛隊はそれを越えてい
る、など大きく3つに分かれるのだそうです(『憲
法の涙』(井上達夫著)より)。

私は、「この混乱の源は、やはり憲法の制定経緯に
その原因があるのではないか」と考え、制定経緯の
うち、最も“史実らしきもの”と理解し、紹介した
のが前回のメルマガでした。なお、再軍備の議論は
まだ終わっていません。冷戦の激化などの情勢変化
にもかかわらず、「朝鮮戦争」勃発までマッカーサ
ーと吉田首相は再軍備の可能性を否定し続けます
(いずれ紹介する予定です)。

このテーマの参考文献を再度紹介します。主に参考
にしましたのは、『占領期』(五百旗頭真著、講談
社学術文書P296~306)、『吉田茂とその時代』
(岡崎久彦氏、PHP文庫P211~219)、『國破れてマ
ッカーサー』(西悦夫氏、中公文庫P256~265)、
『戦後支配の正体』(宮崎正弘・渡辺惣樹共著、ビ
ジネス社P208~210)、それに『証言でつづる日本
国憲法の成立』(西修著)に関する新聞記事などで
す。いずれも確かに一次史料ではないかもしれませ
んが、一次史料などを丹念に調査した上で出来上が
った名著と認識しております。

私自身は、これらを直接「引用」あるいは「紹介」
させていただきながら整理・要約し、時に「同感」
と相槌は打ったりしていますが、独自に研究あるい
は解釈したものはありません。私は歴史学者ではあ
りませんし、あくまで、我が国の歴史の“通史”を
通じて、「歴史から何を学ぶか」に力点を置いてい
ますので、あえて“深入りしない”ことにも心がけ
ております。

次いでながら、憲法については、国防の担い手であ
った元自衛官としての立場から、歴史の掘り下げ以
上に言いたいことがたくさんあります。その意味で
は、一部の憲法学者や歴史家や評論家のように、失
礼ながら、“代替案も持たず、他人任せの冷めた立
場で自己主張だけする”ようなことはできないと、
自分たちの責任とプライドにかけて付け加えておき
たいと思います。貴重なご意見を寄せていただき、
ありがとうございました。

▼「3R・5D・3S政策」

さて本論です。「敗戦国が勝利した側に徹底的に国
家改造された例は、紀元前2世紀の古代ローマに敗れ
たカルタゴしかない」と言われるほど、日本とド
イツに対する国家改造は徹底したものでした。

すでに説明した政策も含まれていますが、その基本
原則は「3R・5D・3S政策」といわれるもので
す。安岡正篤氏は、この政策の本質についてGHQ
のガーディナー参事官から直接聞いたと証言し、細
部を紹介しています。

まず、改造の「基本原則」である「3R」政策とは、
(1)Revenge(日本に対する復讐)、(2)Reform(改
組:日本の仕組みを作りかえる)、(3)Revive(復
活:日本の独立を許す)です。

「3R」について、安岡氏は「生々しい戦場から日
本に乗り込んだ占領軍が復讐心に燃えていたのは無
理もなく、その第1は復讐だった。第2の改組は、
従来のあらゆる組織を抜本的に組み替える。そして
それができたら、抹殺してしまうのは非人道的だか
ら第3の独立を許す、というものだった」と占領軍
の意図を分析した上で、「この点では、アメリカが
占領軍でよかった。共産国だとどうなったか予測つ
かなかった」と安堵の気持ちを紹介しています。

確かにこの点は全く同感です。共産国が占領すれば、
現在の北朝鮮やかつての東欧諸国などの“現実”を
見るまでもなく、「改組」も「復活」も全く違った
ものになったことは容易に想像がつきます。

「5D」は「重点的施策」で、次の5つの政策です。
(1)Disarmament(武装解除)、(2)Demilitalization
(軍国主義の排除)、(3)Disindustrialization(工
業生産力の破壊)、(4)Decentralization(中心勢
力である行政組織や財閥等の解体)、(5)Democratization
(米国型民主化)です。

少し補足しますと、(1)「武装解除」と(2)「軍国主
義の排除」の背景には、「米国が日本を守ってくれ
る」ことが担保されていたため、結果として、日本
人に「日本の軍事については米国に依存すればいい」
という傍観者意識を植え付けることになりました。

(3)は、軍国主義を支えた産業力を打ち壊すというも
のであり、(4)の「中心勢力の解体」には、内務省を
解体し、警察を国家警察と地方警察に分解すること
や財閥解体も含まれています。

(5)「米国型民主化」には、当然ながら、新憲法に
よる天皇の象徴化、神道の国家からの切り離しや国
旗掲揚の禁止、教育勅語の廃止なども含まれていま
す。

そして、これらの政策や施策を円滑かつ活発に行な
わしめる潤滑油的な補助政策が最後の「3S」政策
でした。前回取り上げました「愚民化政策」といわ
れるもので、(1)Sports(スポーツの推奨)、
(2)Screen(映画)、(3)Sex(性の解放)です。
 総じて言えば、「3R・5D・3S政策」とは、
日本に対する復讐(R)をなすため、戦前の日本の
仕組みを破壊(D)し、それに伴う不満のはけ口(S)
を用意するという“極めて巧妙な占領政策”だった
と言っても過言でなさそうです。

この政策は、茫然自失に陥っていた日本人に対する
宣伝工作(心理戦)として絶大なる効果を奏しまし
た。「これに乗じた野心家が輩出された。日教組が
その代表であり、悪質な労働組合、言論機関の頽廃
(たいはい)、こういったものは皆、この政策から
生まれた」(安岡氏)との評価もあるように、実際
に、日本国民の多くは、自分たちの私益追求を最優
先し、それ以外は何も考えないようになるなど“骨
抜き”にされました。

そして、それまで「鬼畜米英」と叫び続けていた日
本人は、すぐに「進駐軍様様」となり、日本人が持
ち続けてきた強烈な国家意識は雲散霧消してしまい
ます。それらを象徴するのが、占領下の日本人がマ
ッカーサー元帥宛に直訴した投書「拝啓マッカーサ
ー元帥様」であり、推定で約50万通あったといわ
れます。

これらの手紙を取りまとめて書籍にしている戦後史
研究家の袖井林二郎氏は、「もともと人間は権威に
寄りかかりたがる動物だが、日本人にはその傾向が
“民族性”といっていいほど強い」と総括していま
す。

▼「東京裁判」の性格

「東京裁判」も振り返っておきましょう(この正式
名称は「極東国際軍事裁判所」ですが、本メルマガ
では、通例に従い「東京裁判」と呼称しています)。
裁判は、かつての陸軍士官学校、戦時中は陸軍省や
陸軍参謀本部が置かれた市ヶ谷台の大講堂で行なわ
れました。

なお、この大講堂があった場所には、現在、防衛省
中枢が入っているA棟が建っていますが、大講堂と
かつての本部庁舎の一部はすぐ横に移設され、
「市ヶ谷記念館」として公開されています(事前に
申し込めば誰でも見学できます)。

「東京裁判」は、昭和21年5月から昭和23年1
1月まで2年半にわたって開かれます。「東京裁判」
については、すでに多くの歴史家などがその問題点
について様々な視点から解説しています。中でも、
裁判の主席弁護士(東條英機の担当弁護士)を務め
られた清瀬一郎氏による『秘録 東京裁判』は圧巻
で、「東京裁判」を知るにはこの一冊で事足りると
の印象を持ちました。

清瀬氏は、裁判終了後の昭和23年12月、読売新
聞社より「裁判の顛末の執筆」の依頼を受けたよう
ですが、断わったそうです。その理由として「自由
主義を標榜する連合国の法廷なれば、連合国の違法
も我が国の自衛権も正々堂々とだれはばかることな
く主張できた。しかし、法廷外ではその半分の主張
も許されぬ。今、読売新聞に正直に記事を書けば、
読売の発売禁止は必然であり、それ以外の災害を伴
うかもしれない」と、占領下の我が国の状況を赤裸々
に語っています。

本書はそれから18年も過ぎた昭和42年に初版が
発行されます。まさに言論が封じられていた占領下
の法廷において、一寸もひるむことなく終始、我が
国の立場を堂々と主張した清瀬氏のような“サムラ
イ”が当時の法曹界におられたことを知り、何度も
目頭が熱くなりました。

余談ながら、本書は現在、復刻版もありますが、中
公文庫の単行本(古本)はアマゾンでたったの1円、
送料299円込みで300円でした。「歴史を軽視
するな!」とアマゾンの商法を批判するわけではあ
りませんが、複雑な思いに駆られながらも、初版に
触れたくてあえて古本を購入したことを付記してお
きます。

本メルマガでは、「東京裁判」が行なわれた2年半、
その間の内外情勢の変化を織り交ぜながら、裁判の
いくつかの要点を辿ってみようと考えます。

 まず、戦争裁判は、第2次世界大戦まで前例があ
りません。第1次世界大戦後、ヴェルサイユ条約に
よってドイツのカイゼルを裁判にかけることとしま
したが、亡命先のオランダが引き渡しを拒否したた
め、実現しませんでした。

第2次世界大戦においては、1945年5月、ドイ
ツが降伏すると米英仏ソ4か国が協議して「戦犯の
処罰に関する協定」を結びます。その協議の過程で、
「英国などへの武器供与をはじめ、ドイツに対して
米国が取った行動はすべて正しかった」という考え
が米国から打ち出されます。

このような一方的な「正義」の下で、ドイツを裁い
たニュールンベルク裁判は、1945(昭和20)
年11月20日から開始され、翌46年の10月に
判決が下されます。

当然ながら、「東京裁判」においても、我が国が戦
争を始める引き金になった米国の“経済封鎖”など
はすべて正当化されました。この事実について「勝
てば官軍であり、東京裁判の底流に流れ、長く戦後
の日本人の歴史観に影響を与えている」と岡崎久彦
氏は述懐しています。

その上で、「東京裁判」の狙いは、「民主主義対フ
ァシズムの戦い」であった日米戦争において、その
勝者・アメリカの正義の普及、逆に、戦場における
日本軍隊の残虐性を世界中に宣伝し、日本国民の脳
中に拭いがたい罪悪感を烙印することにありました。

このため、マッカーサーは、「裁判所条例」(チャ
ーター)を作らせ、「A.平和に対する罪」、(通
常の)「B.戦争犯罪」、「C.人道に対する罪」
を規定して、日本の指導者、つまり戦争犯罪人を裁
きます。条例のABC順から「平和に関する罪」で
起訴された者をA級戦犯と呼び、通常の戦争犯罪を
B級戦犯と呼びました(C級戦犯はおりませんでし
た)。

この条例により、連合軍は、まるでそれが戦勝国の特
権のように、「東京裁判」をはじめ各地で裁判を実
施し、ABC各級戦犯の処刑を実施します。

東京裁判の構成などはほぼニュールンベルク裁判を
踏襲しますが、裁判の冒頭、裁判管轄権の問題につ
いて、つまりこの裁判で戦争犯罪を裁く権利、資格
があるのかどうかの論争から始まりました。

その問題は、前述の清瀬一郎氏と高柳賢三氏2人の
主席弁護士によって「日本は、連合国が上陸前のポ
ツダム宣言という条件付き降伏を受諾したのであり、
国中が占領されるまで戦闘していたドイツとは違う。
ポツダム宣言には、軍隊の無条件降伏は書いてある
が、政府の無条件降伏は書いていない。それならば、
日本に政府があるのと前提で、日本が降伏した時の
国際法と日本の法律の原則に従うべき。国家の行為
について、個人の責任を問うべきではない」旨の主
張をしました。

ドイツの裁判所条例には、ドイツ政府が消滅してい
たことから、「ドイツが無条件降伏した相手の連合
国の至上の立法権に基づく」と明記されており、ド
イツの国家主権には縛られない状態でしたが、我が
国は違っていたのです。

それに対して、裁判長は裁判管轄権を棚上げして法
定を進めたばかりか、「この法廷は、占領軍最高司
令官によって定められた『裁判所条例』に従う義務
と責任を有する」と「裁判所条例」そのものの是非
を論ずることを“門前払い”しました。

もともと強引な裁判であり、手続き的な瑕疵(かし)
はキリがありませんでしたが、裁判長は、豪州のウ
イップ、首席検事は米国のキーナンでした。そして、
「裁判の判事と検察官のすべてが連合国の国家の代
表である。従って、この裁判は、現在も将来の歴史
家からみても公平でないという疑いを免れることは
できない」(ブレークニー弁護人)という性格のも
のでした。

清瀬氏によれば、このブレークニー弁護人や東條英
機担当だったブルーエット弁護人のように、連合国
から指名された弁護士達の言動は総じて立派なもの
だったようです。この裁判の数少ない“救い”だっ
たかも知れません。

裁判は、同年6月、首席検事の冒頭陳述を経て検察
側の立証が始まり、昭和22年初頭まで続きます。
同年2月からは、弁護側の反論が始まり、東条英機
以下、それぞれ口供書を提出します。反論は、昭和
23年1月まで続けられ、検察側の最終論告、弁護
側の最終弁論の後、6か月の休廷を経て、昭和23
年11月には判決文が朗読されます。一応の手続き
は踏んだのでした。細部はのちほど振り返りましょ
う。


(以下次号)


(むなかた・ひさお)

※お知らせ
私は現在、ボランテイアですが、公益社団法人自衛
隊家族会の副会長の職にあります。今回紹介いたし
ます『自衛官が語る 海外活動の記録』は、自衛隊
家族会の機関紙「おやばと」に長い間連載してきた
「回想 自衛隊の海外活動」を書籍化したものです。

その経緯を少しご説明しましょう。陸海空自衛隊は、
創設以降冷戦最中の1990年頃までは、全国各地
で災害派遣や警備活動を実施しつつ、「専守防衛」
の防衛政策のもとで国土防衛に専念していました。

 憲法の解釈から「海外派兵」そのものが禁止され
ており、国民の誰しも自衛隊の海外活動は想像すら
しないことでした。当然ながら、自衛隊自身もその
ための諸準備を全く行なっていませんでした。

ところが、冷戦終焉に伴う国際社会の劇的な変化に
よって、我が国に対しても国際社会の安定化に向け
て実質的な貢献が求められるようになりました。

こうして、湾岸戦争後の1991(平成3)年、海
上自衛隊掃海部隊のペルシア湾派遣を皮切りに、自
衛隊にとって未知の分野の海外活動が始まりました。
しかも、中には国を挙げての応援態勢がないままで
の海外活動も求められ、派遣隊員や残された家族の
やるせない思いやくやしさは募るばかりでした。

それでも隊員たちは、不平不満など一切口にせず、
「日の丸」を背負った誇りと使命感を抱きつつ、厳
正な規律をもって今日まで一人の犠牲者を出すこと
なく、与えられた任務を確実にこなしてきました。
この間、実際に派遣された隊員たちのご苦労は想像
するにあまりあるのですが、寡黙な自衛官たちは本
音を語ろうとしませんでした。

かくいう私も、陸上幕僚監部防衛部長時代、「イラ
ク復興支援活動」の計画・運用担当部長でしたので、
決して公にはできない様々な経験をさせていただき
ました(墓場まで持っていくと決心しております)。

このような海外活動の実態について、隊員家族をは
じめ広く国民の皆様に知ってもらうことと自衛隊の
海外活動の記録と記憶を後世に伝え残したいという
願いから、「おやばと」紙上でシリーズ化し、各活
動に参加した指揮官や幕僚などに当時の苦労話、経
験、エピソードを寄せてもらいました。

連載は、2012年8月から2014年11月まで
約2年半続き、その後も行なわれている「南スーダ
ン共和国ミッション」や「海賊対処行動」などにつ
いてはそのつど、関係者に投稿をお願いしました。

このたび、シリーズ書籍化第1弾の『自衛官が語る 
災害派遣の記録』と同様、桜林美佐さんに監修をお
願いして、その第2弾として『自衛官が語る 海外
活動の記録』が出来上がりました。

本書には、世界各地で指揮官や幕僚などとして実際
の海外活動に従事した25人の自衛官たちの脚色も
誇張もない「生の声」が満載されております。

遠く母国を離れ、過酷な環境下で、ある時は身を挺
して、限られた人数で励まし合って厳しい任務を達
成した隊員たち、実際にはどんなにか辛く、心細く、
不安だったことでしょうか。

しかし、これらの手記を読む限り、そのようなこと
は微塵も感じられないばかりか、逆に派遣先の住民
への愛情や部下への思いやりなどの言葉で溢れてお
り、それぞれ厳しい環境で活動したことを知ってい
る私でさえ、改めて自衛隊の精強さや隊員たちの素
晴らしさを垣間見る思いにかられます。

また、桜林さんには、海外活動の進化した部分とか
依然として制約のある法的権限などについて、わか
りやすく解説し、かつ問題提起していただきました。

皆様にはぜひご一読いただき、まずはこれら手記の
行間にある、隊員たちの「心の叫び」を汲み取って
いただくとともに、自衛隊の海外活動の問題点・課
題などについても広くご理解いただきたいと願って
おります。また、前著『自衛官が語る 災害派遣の
記録』を未読の方は、この機会にこちらもぜひご一
読いただきますようお願い申し上げ、紹介と致しま
す。

『自衛官が語る 海外活動の記録─進化する国際貢献』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
  発行:並木書房(2019年12月25日)
  https://amzn.to/384Co4T







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【著者紹介】

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学
校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロ
ラド大学航空宇宙工学修士課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕
僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、
第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て
2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』
などに投稿多数。


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