配信日時 2020/06/17 09:00

【自衛隊警務官(27)】陸軍憲兵から自衛隊警務官に(27)― 夜襲の後に──駆逐艦乗りの気風― 荒木肇

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自衛隊警務官(27)
陸軍憲兵から自衛隊警務官に(27)

夜襲の後に──駆逐艦乗りの気風

荒木 肇

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□ご挨拶

 緊急事態宣言も解除、そして東京アラートもなく
なりました。やはり歓楽街では、密着した接客をす
るところで感染が始まります。油断だけはしたくな
いですね。

 皆さまもいかがお過ごしでしょうか。わたしはま
た、学校現場に応援に出ています。そこでは午前と
午後の2部授業にして、半数ずつの子供さんが授業
を受けるような仕組みです。今週からはいよいよ、
全員そろっての昼までの学校生活。

 たいへんだったろうなとつくづく心配するのは、
身近な給食関係者です。食材を納入し、調理し、配
分し、回収した食器類を洗い、消毒作業をします。
ほとんどの学校は、民間委託になりました。正社員
が1人か2人、あとの4~5人はパートの女性たち
です。4月から始まる学校給食は、ほとんどが7月
まで再開されないでしょう。

ニュースを見ると、女性の非正規雇用者は29万人
も増えたとか。その中にはシングルマザーや30~
40歳の独身女性が多いそうです。厳しい話が聞か
れます。どうか、助け合っていける社会の仕組みを
もっと考えていきたいものです。


▼旅順港は大騒ぎになった

 旅順港の中の錨地には、東から数えて6列に軍艦
が碇泊していた。襲撃を受けて反応したのは、7隻、
3列目までの艦にしか過ぎなかった。第1列目のツ
ェザレウィッチ、アスコリド、2列目のパルラーダ、
ボベータ、3列目のレトウィザン、ジアナ、アンガ
ラというのがその艦名である。

 旗艦ペトロパウロフスクと戦艦ペレスウェートは
第5列目にあり、襲撃についてよく理解していなか
った。ペレスウェートに坐乗する艦隊副司令長官ウ
フトムスキー少将は、「ふつう月曜日に行なう夜間
演習だ」と周囲に説明したほどである。不思議なこ
とにレトウィザンに魚雷が命中し浸水、艦は傾いた
との報告を受けても、微笑で報いたということだ。

 幕僚たちはどうかというと、駆逐艦隊による水雷
夜襲の演習など計画されていないことは承知してい
た。しかし被害が艦隊の一部にしか集中していなか
ったことから緊急演習と判断してしまった。

 司令長官スタルク中将はどうしていたか。レトウ
ィザンの被雷の轟音が聞こえ、それ以後の砲声を聞
き、報告を聞いても、日本駆逐艦隊の襲撃とは受け
止めなかった。

 9日午前0時である。駆逐艦電(いなづま)の攻
撃が終わった。どうも最高指揮官のスタルク中将は
0時25分のレトウィザンから被雷の報告を受ける
まで、まともな判断をしていなかった。0時30分、
第3駆逐隊の漣(さざなみ)が現われて、レトウィ
ザンにさらに魚雷2本を射った。

 午前0時50分には第2駆逐隊朧(おぼろ)も戦
艦ツェザレウィッチに魚雷2発を発射、南東方向の
闇に消えていった。これで駆逐隊は全部、任務を果
たし、魚雷攻撃を行なったのである。20発を射ち、
あたったのは3発。たった15%の命中率にしか過
ぎなかった。

 けれども、ロシア側が撃ち出した砲弾は805発、
1発の命中弾もなかった。ロシアの被害は戦艦2隻
が中破、巡洋艦1隻が小破というものと比べれば立
派なものかもしれない。

▼敵は静的(せいてき)、幅広く展開

『海軍第9巻』(1981年、誠文図書)に大山鷹
之介海軍少将の回顧談がある。大山少将は当時、第
3駆逐隊司令駆逐艦長だった。土屋大佐が坐乗する
駆逐艦薄雲の艦長である。

 証言は海上での進撃の混乱と闇夜での敵哨艦との
出会いから始まる。うまくかわして、突撃に移った。

「第1第2駆逐隊はもうそこにはおらず、最初の襲
撃の約束通りにできないから、第3駆逐隊は単独襲
撃を実行することになり、探照灯の光を浴びつつ弾
雨を冒して進み、有効距離の範囲よりもなお進んで、
隊全部が水雷を発射したのであります(現代語の表
記に直した、以下同じ)」

 発射はしたとは言うが、命中したとは言えないと
大山艦長はいう。おそらく艦隊訓練の後だから舷側
に防雷網(トルピード・ネットと書いてある)は張
っていないだろう。だから魚雷にネット・カッター
は着けなかったという。しかも「長距離水雷」に調
整した。なぜなら敵は動いていない、静的(せいて
き)である。しかも、幅広く展開して泊っているか
ら、低速力で、その代わり航走距離の長い長距離用
の設定にしたのだった。

▼あたったか、あたらなかったかは分からない

 旗艦三笠からの招致命令である。すぐに駆逐隊司
令3人と10人の駆逐艦長たちはそれぞれの端艇
(カッター)で旗艦に向かった。集められたのは
艦尾の長官室である。そこでは東郷平八郎司令長官
から「成績はどうだったか」と尋ねられた。

 浅井司令(第1駆逐隊)は、「大分(だいぶん)
成功しました。どうも大分あたったようです」と答
えた。すると、第3駆逐隊の土屋司令は、「わたし
に水雷があたったか、あたらなかったか、そういう
事を聞かれるのは少し無理な注文であります」とい
う。

 投げやりな言葉と受け止めたか、腹も立ったのだ
ろうか。戦艦浅間艦長の八代(やしろ)大佐が口を
はさんだ。

「あたったか、あたらなかったかということが、分
からないということはないだろう」


▼水雷を射ったら逃げるのが仕事

「真っ暗な晩に、敵の照射を浴びつつ進んでいくの
だから、自分がすでに発射したら後はもう空手(か
らて)になる。空腰(からこし・武装がないこと)
になったのだから、その射ち出した水雷があたるか、
あたらぬかということを見るだけの余裕はない」

 正直な意見だろう。実際、薄雲などの駆逐艦は常
備排水量322トン、長さ63メートル余り、速力
こそ30ノット(時速約55キロ)と優れているが、
兵装など8センチ単装砲2門、6センチ単装砲4門
という「豆鉄炮」しかもっていない。より小さい水
雷艇を駆逐する小艦である。大型艦に見つかったら、
ただでは済まないのだ。

「水雷を射ったら第2の役目に移ります。なるたけ
早く速力を出して、ずっと逃げて差し支えない。そ
の水雷が走って行って、どの艦の、どのあたりにあ
たって、爆発したかなどを見るような余裕はない。
それをやっていたら犬死にのようなものだ」

と、ここまではよかったが、雄弁家で通っていた土
屋大佐はさらに強盗のたとえを出した。

▼強盗にも弱い強いがある

「まあ、刃物をもった強盗のようなものだ。金を盗
りたいと考えて他人の家に押し入る。刀を見せて家
の主(あるじ)に金を出せと言う。主はふるえて金
を出すから命は助けてくれという。それで強盗は金
さえ取れれば目的を達したのだ。今度は自分の命が
惜しくなるから、後をふり返る暇もなく、ずっと逃
げてしまう。後になって被害者の家はどうだったか
なんて、さっぱり分からない。それと同じだ」と言
いつのった。


 すると、八代大佐は反論した。

「いや、そうはいかない。強盗にもいろいろある。
金を出せと主に言う。主は恐ろしいから金を出す。
強盗はそれを懐(ふところ)にいれて、腹が空いた
から飯を食わせろという。主が飯はここにあります
と食わせると、うん、酒も一つ出してもらおう、そ
うしてゆっくり酒を飲んだ挙句が、また来るよと挨
拶して帰る強盗があるではないか。そうしてみると、
強盗にも強い、弱いがある。この水雷の命中か、不
命中かくらいは、ある程度分かるだろう」

 この問答には、さすがに東郷司令長官もちょっと
お笑いになったと大山艦長は書き遺している。八代
大佐が言いたかったことは、多少はそこに勇気とい
うものがあるだろうということだろう。この実態は
よい教訓になったと艦長はいう。失敗あればこその、
次回の成功ということだろう。

 後世の我々は、こうした場の会議から、昔の海軍
の自由な論議の気分と、短いドスをもって大型艦に
突っ込んでゆく駆逐艦乗りの気風を垣間見ることが
できるだけだ。


(以下次号)


(あらき・はじめ)


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●著者略歴
 
荒木  肇(あらき・はじめ)
1951年東京生まれ。横浜国立大学教育学部卒業、同
大学院修士課程修了。専攻は日本近代教育史。日露
戦後の社会と教育改革、大正期の学校教育と陸海軍
教育、主に陸軍と学校、社会との関係の研究を行な
う。
横浜市の小学校で勤務するかたわら、横浜市情報処
理教育センター研究員、同小学校理科研究会役員、
同研修センター委嘱役員等を歴任。1993年退職。
生涯学習研究センター常任理事、聖ヶ丘教育福祉専
門学校講師(教育原理)などをつとめる。1999年4月
から川崎市立学校に勤務。2000年から横浜市主任児
童委員にも委嘱される。2001年には陸上幕僚長感謝
状を受ける。
年間を通して、自衛隊部隊、機関、学校などで講演、
講話を行なっている。
 
著書に『教育改革Q&A(共著)』(パテント社)、
『静かに語れ歴史教育』『日本人はどのようにして
軍隊をつくったのか―安全保障と技術の近代史』
(出窓社)、『現代(いま)がわかる-学習版現代
用語の基礎知識(共著)』(自由国民社)、『自衛
隊という学校』『続自衛隊という学校』『子どもに
嫌われる先生』『指揮官は語る』『自衛隊就職ガイ
ド』『学校で教えない自衛隊』『学校で教えない日
本陸軍と自衛隊』『あなたの習った日本史はもう古
い!―昭和と平成の教科書読み比べ』『東日本大震
災と自衛隊―自衛隊は、なぜ頑張れたか?』『脚気
と軍隊─陸海軍医団の対立』『日本軍はこんな兵器
で戦った─国産小火器の開発と用兵思想』(並木書
房)がある。
 

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