配信日時 2020/06/04 08:00

【我が国の歴史を振り返る ─日本史と世界史に“横串”を入れる─(87)】「日本国憲法」の制定経緯  宗像久男(元陸将)

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ライターの平藤清刀です。陸自を満期除隊した即応
予備自衛官でもあります。お仕事の依頼など、問い
合わせは以下よりお気軽にどうぞ
 
E-mail hirafuji@mbr.nifty.com
WEB http://wos.cool.coocan.jp
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こんにちは、エンリケです。

「我が国の歴史を振り返る
 ―日本史と世界史に“横串”を入れる―」
は87回目です。

正直「戦後憲法制定に至る経緯」は
複雑怪奇と言って差し支えありません。

ごちゃごちゃ混乱しっぱなし。
魑魅魍魎がうごめいて何が何だかわからない。
というのが正直なところです。

きょうの宗像さんの説明が
もっともわかりやすく、
おかげさまでこの件をようやく把握できた気がし
ます。

佐官、尉官風情に「憲法制定」は荷が重すぎるとい
うご指摘も元軍人ならではですね!


「目に見えない戦争」
をいかに可視化するか?

は、

今生きる人がなすべき仕事であり
義務でしょう。


さっそくどうぞ


エンリケ



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我が国の歴史を振り返る
─日本史と世界史に“横串”を入れる─(87)

「日本国憲法」の制定経緯

宗像久男(元陸将)
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□はじめに

世の中はあいかわらず新型コロナ一色ですが、その
流れに掉さすように、このような内容のメルマガを
毎週配信しておりますと、時々、自らの行動に対し
て猜疑心にさいなまされる時があります。

そのような気持ちを静め、納得させてくれるのは、
エンリケさんの毎回の冒頭紹介文であり、時々いた
だく読者反響です。本紙で連載中の荒木様、F様、
そしてつい先日はN様から身に余るコメントと激励
をいただき、遅ればせながら心より御礼申し上げま
す。

N様からは「真実を伝える熱気がどんどん入ってく
る」とお褒めの言葉をいただきましたが、正直申し
上げれば、日本史そして世界史の中で「真実らしき
こと」を探し出す難儀さと「真実らしい」と確信し
たことを要約して文章を造りあげる難儀さの両方を
味わいながら毎回、悪戦苦闘しております。「歴史
の専門家でもないのに、エライことに首を突っ込ん
だものだ」と自省し、当初は、“事が大きくなる前
に断念しよう”とまで考えたことがあります。

しかし、ある時から、押し付けられた歴史教育への
反発もあって“真実を求める快感”と“伝える義務
感”のようなものを感じ始め、断念することなく回
を重ね、戦後の占領政策まで来てしまいました。

本メルマガでも時々引用しております元外交官の岡
崎久彦氏は「歴史はその時々の人間と国家が生き抜
いてきた努力の積み重ねであり、人間と国家の営み
の大きな流れである。その流れの中で戦争も生じれ
ば平和も生じる。その善悪を論じるべきものではな
い」とあらゆる偏向史観にとらわれず、史実を忠実
に理解する重要性を説いていますが、全く同感です。

中でも、日本史と世界史に“横串”を入れて、歴史
の縦と横のつながりを重視し、“その時々の営みが
なぜそのように行なわれたのか”を解明していきま
すと、教えられ、常識になっている歴史とは全く逆
の“善悪”が見えてきたりします。

読者の皆様にはそのような真実の歴史の一端を垣間
見ていただければありがたい限りです。もうしばら
く続けます。お付き合いいただきますよう改めてご
理解とお願いを申し上げます。

 さて、前回の続きです。マッカーサーは、「WG
IP」によって日本人に戦争贖罪意識を培養する一
方で、それだけでは「『ポツダム宣言』によって明
白にされた、アメリカを主とする連合国が『正義』
だったとする戦争観の定着と、トルーマン大統領か
ら指示された『日本が二度とアメリカにとって、世
界の平和と安全にとって、脅威とならないようにす
る』ことを担保するには不十分」と当初から思い込
んでいたものと推測します。

その別の手立てこそが、「日本国憲法」の制定や日
本国の抜本的な改造であり、「東京裁判」だったと
考えます。まず、「日本国憲法」の制定を振り返っ
てみましょう。

▼憲法改正の指示と日本政府の対応

憲法の制定経緯も、振り返りますと魑魅魍魎(ちみ
もうりょう)としており、にわかには理解できませ
ん。GHQ側の意図や証言と日本側の証言に食い違
う部分があったり、正確な記録が残っておらず、推
測せざるを得ない所もあります。

「日本国憲法」は、昭和21(1946)年11月
3日に公布され、翌22(1947)年5月3日から
施行されました。

 マッカーサーが幣原首相に対して「『大日本帝国
憲法』(明治22年制定)を改正し、民主的な憲法
を作れ」と正式に指示したのは、昭和20(194
5)年10月11日でしたので、わずかに1年あまり
の歳月で憲法が出来上がったことになります。しか
も(後述しますが)その原案はGHQによって約1
週間でできあがったものでした。

 すでに紹介しましたが、明治天皇が憲法起草を命
じてから13年、伊藤博文が中心となって起草を開
始してから5年の歳月をかけた「大日本帝国憲法」
の制定経緯と比較するといかにも拙速だったという
印象を持ちます。

 さて、憲法改正の必要性については、終戦後まも
なく、マスコミや有識者の間で議論されていました。
しかし、政府は終戦直後の食糧難等の対策に追われ
ていて憲法どころではなかったというのが現実でし
た。

しかし、マッカーサーの指示を受けて、10月25
日、政府内に「憲法問題調査委員会」を設置し、憲
法草案の策定作業を始めます。委員長は国務相の松
本烝治(じょうじ)、委員には東大教授宮沢俊義ら、
顧問に憲法学の大家・美濃部達吉氏など当代一流の
布陣を起用しました。

翌年1月7日、松本は、(1)天皇が統治権を総攬
(そうらん)する大原則は変更なし、(2)議会の
議決権の拡充、(3)国務大臣は議会が責任を持つ、
(4)国民(臣民)の自由・権利の保護の強化など
の4原則を柱とする憲法改正私案を作成し、天皇に
上奏します。

一方、1月上旬、トルーマン政府もマッカーサーに
対して、天皇を廃止しない場合でも、(1)軍事に対
する天皇の権能は失う、(2)天皇は内閣の助言に基
づいてのみ行動しなければならない、など憲法改正
の基本方針を伝えます。

2月1日、松本草案を毎日新聞が1面トップで「憲
法改正調査会の試案 立憲君主主義を確立」との大
見出しでスクープします。この内容は比較的リベラ
ルの“宮沢甲案”とほぼ同等のものだったとのこと
ですが、毎日は「あまりに保守的・現状維持的」と
批判し、後追いした他のマスコミも批判的でした。

ちなみに、このスクープについては、色々な思惑が
混じり、長い間、話題になっていました。真相は、
毎日新聞政治部の西山柳造記者が当委員会事務局の
協力者から極秘に草案を借り出したということで、
それ以上の詳細は不明ですが、当時は、今ほど情報
漏洩が問題にならなかったのでした。

ただ、これにより事態は急変します。マッカーサー
は、日本側が作成している試案の提出を求め、十分
な説明もないままGHQの手に渡ってしまいます。
GHQ高官らは「試案があまりに保守的、現状維持
的なものに過ぎない」と批判されていることを知り、
「旧態依然たるもの」と決めつけてしまいます。

中でも、“天皇大権に手を触れていない”松本草案
は、1月1日に「人間宣言」まで強要したマッカー
サーの逆鱗に触れたのでした。

その背景には、近く「極東委員会」が開かれること
になっており、天皇追訴の方針が打ち出される恐れ
もあったというGHQ側の事情、つまり、同委員会
が行動を起こす前に「自由主義的な憲法改正で天皇
存続の流れを固めて起きたかった」というマッカー
サーの意図があったのです。

▼「マッカーサー草案」の作成指示

幣原内閣への不信を強めたマッカーサーは、2月3
日、GHQ民政局長のホイットニーに2月12日ま
での10日間を期限に憲法草案の作成を命令します。

この際、のちに「マッカーサー3原則」といわれる
次の3原則を示します。まず、第1が天皇制につい
てです。「天皇は国の元首の地位を与えられるが、
その職務と権限は、憲法に従って行使され、国民の
基本的意思に応えるものでなければならない」とし
ています。

第2が「戦争放棄」です。日本は「紛争解決の手段
としての戦争」のみならず「自国の安全保持の手段
としての戦争をも放棄する」としています。この原
則は、戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否定、そし
て安全保障を「今や世界を動かしつつある崇高な理
想に委ねる」と徹底したもので、疑念を挟む余地が
ありませんでした。

なお、この「戦争放棄」について、『マッカーサー
回想録』によれば「幣原首相が先に提案した」と自
己弁護のような証言が残っています。幣原自身の経
歴からして「突飛ではない発言」とされていますが、
その真偽のほどは不明のままです。しかし、「日米
双方ともに、マッカーサーの証言を信ずる研究者は
皆無に等しい」(五百旗頭 真氏、岡崎久彦氏)と
いうのが暗黙の了解のようです。

これについて、岡崎氏はまた、「天皇制維持を定め
た憲法を通すために、極東委員会が反対できないよ
うな、戦争放棄を含むリベラルな憲法を作らなけれ
ばならない」とのマッカーサーの意図を幣原首相が
理解し、「他言無用を約束した」と解説しています。

他方、「悪質だったのは、マッカーサーがまだ一度
も会合を持っていなかった極東委員会を飽くことな
く利用したことだ」(西悦夫氏)との指摘もありま
すが、この後、マッカーサーは憲法制定をめぐって
極東委員会と激しい喧嘩をします。そして、予定通
りの作戦を遂行し、結局押し切ります。

なお、民生局次長(ニューデーラーの)ケーディス
大佐は、その真意は不明ですが、「自国の安全保障
のための戦争」の部分を「勝者が占領下の敗者の自
衛権を否定まで強いるのはいかがなものか、世界の
現実はこれを祝福しないだろう」と独断で削除した
といわれ、これについて、マッカーサーやホイット
ニーからはおとがめはなかったとの記録が残ってい
ます。つまり、この時点では、自衛権と自衛手段の
保持は憲法の法理として担保されていたのでした。

マッカーサー原則の第3が「封建制度の廃止」です。
この言葉自体には違和感を持ちますが、貴族とか爵
位などの廃止です。第1の天皇制と関連した指針と
考えます。

草案作成を命じられた民生局行政部には憲法の専門
家はおらず、日本への理解も浅い軍人(中佐から少
尉まで)や通訳など20人余りの素人集団でした。
憲法学の基礎すら学ぶ余裕はありません。

元自衛官の私は、軍人の階級は世界共通の経験とか
資質を有していると認識しています。将官は将官、
佐官は佐官、尉官は尉官です。いくら優秀であって
も、昨日まで鉄砲を担いでいた佐官や尉官の集団が
にわかに憲法など作れるわけがありません。

彼らは、不戦条約、米国憲法、フィリピンやソ連を
含む他国の憲法、民間団体の私案などから気に入っ
た条文を写し取り、つなぎ合わせていくという、
“憲法のような国家の基本となる法体系を造るには
全くふさわしくない作業”を急ピッチで進めました。

▼「マッカーサー草案」提示と対応

こうして、「マッカーサー草案」が出来上がり、
2月13日、ホイットニーから吉田外相と松本国務
相に手渡され、「日本の憲法改正案は受け入れられ
ない。総司令部でモデル案を作ったのでこの案に基
づき、日本案を支給起草してもらいたい」と告げら
れます。「天皇の地位について、元帥は深い考慮を
めぐらしているが、この案に基づく憲法改正でない
と天皇の一身を保障することはできない」と、脅迫
ともとれる発言が付け加えられました。

そこには、第1条の天皇は「シンボル」と規定され
ているなど、二人は、「大日本帝国憲法」の改正で
はなく、解体案であること悟り、色を失って顔を見
合わせといわれます。

その後、政府は、GHQへ説得を試みますが、「天
皇の一身」を担保にされた政府に他の選択肢はあり
ませんでした。ただちに、英文の草案を日本語に翻
訳する一方で、一部独自に修正して新憲法草案の完
成を急ぎますが、3月2日、「憲法案を(日本語で
いいから)提出しろ」とGHQから矢のような催促
が届き、閣議にもかけずに提出すると、その場で英
訳され、マッカーサー草案と異なる部分を次々に再
修正されます。

3月6日、事実上、GHQ製の憲法改正草案要綱を政
府案として公表します。これについては、「納得し
たわけではないが、一日も早く講和条約を締結し、
独立、主権を回復するため、新憲法によって民主国
家、平和国家たるの“実”を内外に表明する必要が
あった」と吉田外相は述懐しています。

6月、新憲法案が帝国議会の審議に付されます。最
大の争点は、「国体の護持」でしたが、政府は「護
持された」で押し通します。こうして、新憲法案は
一部修正の上、可決されて、明治天皇の誕生日を祝
った「明治節」の11月3日に「日本国憲法」が公
布されます。このようにして出来上がった「日本国
憲法」に意義などについては、次回取り上げましょ
う。


(以下次号)


(むなかた・ひさお)

※お知らせ
私は現在、ボランテイアですが、公益社団法人自衛
隊家族会の副会長の職にあります。今回紹介いたし
ます『自衛官が語る 海外活動の記録』は、自衛隊
家族会の機関紙「おやばと」に長い間連載してきた
「回想 自衛隊の海外活動」を書籍化したものです。

その経緯を少しご説明しましょう。陸海空自衛隊は、
創設以降冷戦最中の1990年頃までは、全国各地
で災害派遣や警備活動を実施しつつ、「専守防衛」
の防衛政策のもとで国土防衛に専念していました。

 憲法の解釈から「海外派兵」そのものが禁止され
ており、国民の誰しも自衛隊の海外活動は想像すら
しないことでした。当然ながら、自衛隊自身もその
ための諸準備を全く行なっていませんでした。

ところが、冷戦終焉に伴う国際社会の劇的な変化に
よって、我が国に対しても国際社会の安定化に向け
て実質的な貢献が求められるようになりました。

こうして、湾岸戦争後の1991(平成3)年、海
上自衛隊掃海部隊のペルシア湾派遣を皮切りに、自
衛隊にとって未知の分野の海外活動が始まりました。
しかも、中には国を挙げての応援態勢がないままで
の海外活動も求められ、派遣隊員や残された家族の
やるせない思いやくやしさは募るばかりでした。

それでも隊員たちは、不平不満など一切口にせず、
「日の丸」を背負った誇りと使命感を抱きつつ、厳
正な規律をもって今日まで一人の犠牲者を出すこと
なく、与えられた任務を確実にこなしてきました。
この間、実際に派遣された隊員たちのご苦労は想像
するにあまりあるのですが、寡黙な自衛官たちは本
音を語ろうとしませんでした。

かくいう私も、陸上幕僚監部防衛部長時代、「イラ
ク復興支援活動」の計画・運用担当部長でしたので、
決して公にはできない様々な経験をさせていただき
ました(墓場まで持っていくと決心しております)。

このような海外活動の実態について、隊員家族をは
じめ広く国民の皆様に知ってもらうことと自衛隊の
海外活動の記録と記憶を後世に伝え残したいという
願いから、「おやばと」紙上でシリーズ化し、各活
動に参加した指揮官や幕僚などに当時の苦労話、経
験、エピソードを寄せてもらいました。

連載は、2012年8月から2014年11月まで
約2年半続き、その後も行なわれている「南スーダ
ン共和国ミッション」や「海賊対処行動」などにつ
いてはそのつど、関係者に投稿をお願いしました。

このたび、シリーズ書籍化第1弾の『自衛官が語る 
災害派遣の記録』と同様、桜林美佐さんに監修をお
願いして、その第2弾として『自衛官が語る 海外
活動の記録』が出来上がりました。

本書には、世界各地で指揮官や幕僚などとして実際
の海外活動に従事した25人の自衛官たちの脚色も
誇張もない「生の声」が満載されております。

遠く母国を離れ、過酷な環境下で、ある時は身を挺
して、限られた人数で励まし合って厳しい任務を達
成した隊員たち、実際にはどんなにか辛く、心細く、
不安だったことでしょうか。

しかし、これらの手記を読む限り、そのようなこと
は微塵も感じられないばかりか、逆に派遣先の住民
への愛情や部下への思いやりなどの言葉で溢れてお
り、それぞれ厳しい環境で活動したことを知ってい
る私でさえ、改めて自衛隊の精強さや隊員たちの素
晴らしさを垣間見る思いにかられます。

また、桜林さんには、海外活動の進化した部分とか
依然として制約のある法的権限などについて、わか
りやすく解説し、かつ問題提起していただきました。

皆様にはぜひご一読いただき、まずはこれら手記の
行間にある、隊員たちの「心の叫び」を汲み取って
いただくとともに、自衛隊の海外活動の問題点・課
題などについても広くご理解いただきたいと願って
おります。また、前著『自衛官が語る 災害派遣の
記録』を未読の方は、この機会にこちらもぜひご一
読いただきますようお願い申し上げ、紹介と致しま
す。

『自衛官が語る 海外活動の記録─進化する国際貢献』
桜林美佐監修/自衛隊家族会編
  発行:並木書房(2019年12月25日)
  https://amzn.to/384Co4T







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【著者紹介】

宗像久男(むなかた ひさお)
1951年、福島県生まれ。1974年、防衛大学
校卒業後、陸上自衛隊入隊。1978年、米国コロ
ラド大学航空宇宙工学修士課程卒。
陸上自衛隊の第8高射特科群長、北部方面総監部幕
僚副長、第1高射特科団長、陸上幕僚監部防衛部長、
第6師団長、陸上幕僚副長、東北方面総監等を経て
2009年、陸上自衛隊を退職(陸将)。
2018年4月より至誠館大学非常勤講師。『正論』
などに投稿多数。


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おきらく軍事研究会
(代表・エンリケ航海王子)
 
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